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レシート

    コンビニのレシートは、たいてい捨てる。

    レジ前の小さな箱に紙片を落とす。何を買ったかも、いくら払ったかも、数秒後には忘れている。私にとってレシートは、買い物が終わったことを知らせる、ただの紙くずだ。

    でも、その日はたまたま捨てなかった。

    ファミリーマートで買ったスターバックスのペットボトル。レシートに、別のコーヒーの引換券がついていた。捨てずに持ち帰った。家でハサミを取り出し、引換券を切り取ろうとして、何気なく金額欄に目をやった。

    消費税が書かれていた。

    当たり前だ。買い物をすれば消費税がかかる。そんなことは知っている。でも、ふと気になった。この数字は、どうやってここに来たのだろう。

    現実の金額は、きれいに割り切れるとは限らない。一円未満の端数が出る。私は八十銭を払えないし、店も八十銭を釣り銭として返せない。

    切り上げるのか、切り捨てるのか、四捨五入するのか。

    私が払ったと思っている消費税と、店が計算する消費税と、税務署へ届く消費税は、本当に同じものなのだろうか。それとも、計算のどこかで、なかったことにされるのだろうか。

    別に、誰かを疑っているわけではない。

    たぶん私は、世の中はもっと正確に回っているものだと思っていた。少なくとも、数字になったものはそうなのだと。でも実際には、細かすぎるものを扱える大きさに直さなければ、買い物ひとつできないらしい。

    それでも、少しだけ居心地が悪い。

    八時三十分始業なのに、私は八時二十二分には打刻している。

    仕事はまだ始まっていない。それでも身体はもう会社にある。鞄を置いて、ただ座っているだけの、あの宙ぶらりんな時間。

    帰りは逆だ。手を止めて、定時を過ぎたのを確かめてから打刻する。こちらは八分ほど遅い。合わせて一日十六分。でも、毎日なら積もる。一週間で、一時間を超えてしまう。

    どの帳簿にも載らない。誰に頼まれた時間でもない。それでも、そこには、その時間に眠かった身体と、帰りたかった身体があった。

    誕生日が近づくと、少し補足したくなる。「来月で何歳になります」と。今の年齢を答えればいい。嘘ではない。でも、それだけだと、少し勘定が荒い気がする。

    赤ん坊は、生後三か月、生後半年、生後十か月、と月で数えられる。一か月違えば、顔つきも、できることも、まるで違うらしい。

    いつから私は、年でしか数えられなくなったのだろう。一か月や二か月を切り捨てても、惜しくない身になったのだろう。

    アプリを使っていると、不意に画面が切り替わる。「評価してください」という文字と、五つの星が並ぶ。私はそこで手が止まる。

    星五つとは、どういう状態なのだろう。完璧だったら星五なのか。満足したら星五なのか。少し不満があっても、全体としてよければ星五なのか。

    悪くはないけれど、次は選ばないだろう。不満はあったけれど、低評価をつけるほどではない。この気持ちをちょうど表す星の数は、いくつなのだろう。

    星の上で、指がしばらく止まる。

    結局、押さないまま画面を閉じる。

    飲み会の席で、隣の人に「休みの日は何してるんですか」と訊かれる。

    一瞬、頭の中にいくつかの候補が並ぶ。読書。数学。文章。ゲーム。

    読書、と言っても、読んでいるのは流行りの小説ではなく、教科書のような本や、哲学っぽい本だ。数学が好きです、と言えば嘘ではない。でも、大人になってまで休みの日に数学をしている人間として扱われる覚悟は、まだできていない。文章を書きます、も間違ってはいないが、毎週きちんと何かを書いているわけでもない。

    結局、ゲームと答える。

    一番通りがいい気がするからだ。

    ただ、そのゲーム機は最近、少し埃をかぶっている。

    相手は「へえ、いいですね」と言う。私は笑ってうなずく。会話は無事に進む。

    私が差し出した答えで、その場は足りてしまった。

    無事に進んだぶん、私は少しだけ置いていかれる。

    私は引換券の部分に、ハサミを入れた。思ったより、あっけない音がした。

    切り取ったほうは財布に仕舞った。残った紙片には、店名と、時刻と、金額と、あの消費税が印字されていた。

    それは、買い物の記録としては足りていた。

    でも、私が何を考えたのかは、どこにも書かれていなかった。

    私はしばらくそれを見てから、ごみ箱に落とした。

    #創作大賞2026 #エッセイ部門

     
     

    EG

     
     

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