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力の価値

    なあ、あんたは「自分は他人より強いかもしれない」という感覚、持ったことがあるか?

    これは半分俺の希望にすぎないかもしれないが、ヒトとして生きている以上は何らかの力をあんたは持っていると思っている。
    それは生まれた家のおかげかも知れないし、遺伝的なものも有るだろう。
    友人たちとの関係のおかげかも知れないし、馬車馬のように働いてくれた両親の姿を見たおかげかも知れない。

    その力に対して、あんたはどんな感情をもっている?
    それはうれしい? それとも、どこか後ろめたい?

    今回はその普段は意識に上らせることもない心の底の方にあるその感情について考えてみる回だ。

    この記事を読むことで、
    「“誰かより上だ”という感情」や、それがもたらす迷いや誇り・孤独の正体、何より「自分の力」とどう付き合い直すかを、少しだけ考えてみてほしいと思う。

    力を考えさせてくれた記事

    いつもちょいちょい読ませてもらっている、C・ディエムさんがこんな記事を書いていた。

    一言で言うと「自分を信じて強くなろうぜ!」ってことであってる?
    みんなの基本はそんなに変わらないからこそ、努力を続ければ、その分だけ誰かを救える。
    そう、俺はディエムさんの記事から感じたんだ。

    なんつーか眩しすぎるな。
    そんな感情が俺の中に走った。

    俺はガキのころ、体が大きくて、ほんの少し力を入れただけで周りを簡単に傷つけてしまう。
    勉強もそこそこできた。外から見れば何の苦労もないガキだっただろう。

    周りに良いやつは多かったし、遊んでいる風景だけ切り取れば、誰がどう見ても幸せそうだったと思う。

    でも、本当は違った。
    いや、心の表層では同じように思っていたと思う。

    でも心の何処かにその感情は鳴りを潜めていた。

    「俺はこいつらより力がある」という感情。

    その気持ちを隠して笑い合う自分を、どこかで嫌ってもいた。
    卑怯だと一人の時に思っていたと思う。
    なぜって?
    俺は友達のことを対等に見ようとしていない自分を抱えながら笑っていた。
    笑っていたんだぜ?
    それを卑怯と言わずして、なんというんだ。

    力という呪い

    なんで俺は、その「強さ」を素直に喜べなかったんだろう?

    みんなと同じように無邪気に過ごしているつもりでも、内心「自分だけ違ってしまう」ことが怖くてたまらなかった。

    周りのやつよりデカかった俺は体力的には周りのやつと自分を比べたくて、じゃれ合っていたと思う。

    だから保育園の通信簿に「力の加減ができません」って思いっきり書かれていたのを小学校高学年くらいのときに見せられたっけか。

    優越感と、その裏返しの恥ずかしさ・怖さ。
    大人たちは言う。
    「もっと優しくしないとダメでしょ」と。

    “力”を持つこと自体が、どこか悪いことのように思えて仕方なかった。

    凡夫である俺

    いつしか俺は、「上には上がいる」という現実にもすぐにぶつかった。

    だけど、自分が“本気を出したら誰かを傷つけるかもしれない”という恐怖、
    あるいは“自分の強さを堂々と見せられないまま年を取っていく寂しさ”、
    その両方が、今もずっとどこか胸につき刺さったままだった。

    でも、事実は俺の強さなんてものは幻以外の何物でもない。
    その事がわかると今度は俺は弱者を演じ始める。
    「俺にはどうせ出来ねぇよ」と。

    誰も俺に「出来るか出来ないかじゃねぇ。やるかやらねぇかだろ」とは言ってくれなかった。
    こんなことを書いている時点で、自分が弱虫だと証明しているようなものだな。

    世の中には、何十人、時には何万人分もの人生や期待を背中にしょって進み続ける奴がいる。

    政治家だって、実業家だって、介護の現場で汗を流す人だって、家族を食わせるために歯を食いしばって働くやつだって、みんな“進むしかない”瞬間を繰り返している。

    そんな人たちに、後ろめたさに悩む余裕なんてきっとない。
    ただ、“力”を隠すのではなく、誰かのために使い切る――そんな進むしかない現実がそこにはある。

    俺は、一体どこで、そんな覚悟を学べばよかったんだろう?

    もしかしたら、ずっと「学び損ねた」のかもしれない。
    だからこそ――
    いつしか俺は、背負い、もがき、それでも自分の力を“使うこと”を選び続ける奴らが、心のどこかで輝かしくて、羨ましくて仕方がない自分に気づいたんだよな。

    力があることじゃない。
    その力を「誰かのために使う勇気」を持っていることにこそ、本気で憧れてた。

    やるのかい?やらないのかい?

    自分の中に「強さ」を感じるとき、それが後ろめたさを生むこともあれば、誰かを支える勇気になることもある。

    「自分の力を信じて誰かを背負い、進み続ける君」
    ――そんな未来の自分や誰かと、いつかどこかで肩を並べて笑える日がくればいい。

    やれよ。
    俺たちにはそれしか無いはずだ。

    俺たちは、恐れるだけじゃなく“力を使う勇気”をどこかの誰かの未来のために、少しでも多く手に入れたいものだな。

    なあ、あんたはどうだ?

    「やる」を選択するか?
    「逃げる」を選択するか?
    それとも、「立ち止まる」を選択するか?

    今のあんたに必要なものはどれなんだろうな?


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