
さよなら、コーヒー牛乳
近所に銭湯がある。いや、今それは「あった」になってしまった。
うちから徒歩で5分ほどのところにある浜添湯がその60年の歴史に幕を閉じた。

今や銭湯を利用する人はほとんどいないだろう。
昭和の頃は家に風呂がない家庭も多かった。銭湯はそこらじゅうにあり、街の風景の一つだった。
私は長らく父の勤める運送会社の社宅に住んでいたが、建ったのがかなり昔だったこともあり、風呂は共同風呂だった。当時でももう珍しかったプロパンガスを使った風呂で、しょっちゅうボイラーが壊れていた。
そのたびに街の銭湯に行くのだが、子供心に銭湯はキラキラと輝いて見えた。社宅の共同風呂は変に照明が暗かったが、銭湯は明るかった。それだけでもテンションは上がるのだが、湯船の広さ、電気風呂などのアトラクション性、風呂上がりのコーヒー牛乳など、銭湯には普段では許されない贅沢が詰まっていた。
正直、社宅の共同風呂にはこのままずっと壊れたままでいて欲しいとすら思ったものだ。父は運送業だったので、ガタイの良いおじさんたちが入る風呂はあっという間に湯が汚くなる。それがイヤで風呂が開く5時ちょうどに入ってたが、たまに遅くなった時は湯船につかりたくないからシャワーだけでさっさと終わらせていた。
銭湯では普段ない出会いもあった。普段一緒に風呂に入ることは無い同級生と偶然会ったり、背中に色彩豊かな絵が描かれた人がいたりした。私は心の中で彼らのことを絵人間と呼んでいた。
当時は街に一人か二人は必ず怖いオヤジがいた。悪いことをしたらよその子も平気で叱るカミナリオヤジだ。
銭湯は湯船が大きい。子供にとってのそれはもうプールに等しい。泳ぐなと言うほうが無理がある。だが泳ぐと必ずカミナリオヤジに叱られる。
だから子供なりの戦略を練る。泳いだか泳いでないか判断しづらいギリギリのラインを攻めるのだ。
ほんの1~2mくらい泳ぐ。でも手足をバタバタさせたりはしない。スーッと移動しただけのように泳ぐ。オヤジが睨んでいるが、(これは泳いでるのか、それとも移動してるだけなのか・・・?)という表情をしている。このギリギリの攻防が楽しかった。
カラスの行水の私がいつもより長く風呂を楽しみ、外に出るともうすっかり暗くなっている。空には今よりもっと多くの星が散らばり、ちょっと風が冷たい。せっかくきれいに洗ったのに、なぜか無駄に走ってまた少し汗をかく。幼少期の銭湯の記憶は夜空の星のように輝いている。
冒頭の浜添湯には、我が家のガス給湯器が壊れた時の1週間あまりと、配管が凍ってお湯が出なくなった時の数日、いずれも真冬に利用したことがある。
妻と一緒に行ったのだが、私が先に風呂からあがって所在なさげにしていると、番台のおばさんが
「奥さんまだだから、座って休んでて。出たら教えてあげるから」
と言ってくれた。なんだか最近忘れかけていたものを思い出させてもらえた気がして体も心も温まる。
銭湯なんてもう行く人は居ないと思ってた。でも予想に反して常連客でとても賑わっていた。それが本当に嬉しかった。あぁ、まだ銭湯は私の生活の中にあってくれるんだ。
浜添湯の前を通る時、張り紙がしてあることに気が付いた。トップ画像はその貼り紙である。3月の末で営業を終了していたことに、今さら気が付いた。
しばらく呆然と立ち尽くした。
私が何を言ったところで復活することはないだろうし、そんな緊急の時に少し通っただけで辞めてくれるなと言えるような立場でもない。
長年営業していた店が閉店するとわかったとき、急に訪れる人が増えて、消える前のロウソクのように賑わうことがある。
たぶんこの銭湯はそんなことはなかっただろう。いつものように店が開き、いつものように閉じる。その当たり前の繰り返しの延長のまま、そっと灯を消したのだと思う。
あぁ、もうあの美味しいコーヒー牛乳は飲めないのかぁ・・・
腰に手を当てることもないんだなぁ。