メインコンテンツへスキップ
見出し画像
Photo bylikeabird

ばあちゃんの家に泊まりたかったな

    ごうごうと強く吹き付ける風によって花びらが舞い上げられていく。最期のお別れ用にと用意された部屋に入ると、冷たくなった祖母が横たわっていた。私は水滴がいくつも貼り付いた窓ガラスをただじっと眺めていることしかできなかった。集まったほかの親族もほとんど話さず、いくらかの時間が過ぎていった。


    祖母の通夜が終わり、私と母はスーパーで弁当を見繕っていた。「ハッピープライスパラダイス♪」という軽快なメロディーが脳内で走り去っていくのを見送る。足元も感情もなんだかおぼつかなくて、普段とは違う別世界にいるような気持ちで歩いていた。隣の母も「品ぞろえがいいわね」なんて言いながらもぼんやりとしている。

    私たちは祖母の家ではなく、ホテルを取って泊まることになっていた。主に葬儀の段取りが理由だ。急なことでろくな準備もできずに駆けつけたような状態だったので礼服はクリーニングに出す前だったり、私の靴のインソールが傷んでいたりしていた。

    くったりとホテルの部屋で一時間ほど休んでから「そうだ、ご飯」と二人で近くにあるスーパーに駆け込んできて今に至る。

    「わ、このおにぎりって今日賞味期限じゃない!? こんなにたくさん残っているのに大丈夫なの?」
    「今この時間でもお客さんがいることがその答えじゃない?」
    「ああ、なるほど」

    時間はもう夜の七時を過ぎていて、それなのにも関わらず店内にはたくさんのお客さんがいた。ほとんどが年配の方たちだ。


    それにしても、このお店。安すぎる。

    私たちの目当ては地元産の海鮮だ。ホテルで母と打ち合わせをし、刺身の盛り合わせなどを買おうという大体の流れになっていた。この地域で売っているものは普段食べているものとは全く違う。捕れたての魚ってこんなにおいしいのかと毎回思う。

    「ねえ、これにしようよ」
    「どれどれ?」

    中にはいかソーメンとまぐろ、サーモンを中心に刺身の盛り合わせが入っている。私がサーモンが好きで、母はまぐろに目がない。まさに最高の組み合わせだ。


    だけどスーパーには他にも誘惑がたくさんあった。

    「焼鮭の入ったお弁当もおいしそう」
    「あっ、大きいえび天!」

    どんどん目が移っていく。しかもみんな安い。ワンコインで買えそうなものもある。みんな新鮮だから絶対おいしいだろう。

    「そういえばさ、ばあちゃんっていつも来ると刺身出してくれたよね」
    「そうね、もし今の時期だったらかつおの刺身がたくさん出てきたでしょうね」
    「地元じゃないと食べられないもちもち食感でさ」
    「ばあちゃん、気合を入れてたくさん用意しただろうね」

    二人でそんなことを話してふふっと笑う。祖母もこの時間帯にスーパーの同じ光景を見たりしたのだろうか。


    「ハッピープライスパラダイス♪」というBGMをふと思い出す。ダイソーのテーマソング。そのまま母とともに歩みを進めていく。

    ふわふわ、ふわふわ。

    祖母が亡くなってしまった実感はない。家に行ったらまた会えるような気がする。かつてのように小言を言われながらも、一緒に笑い合える情景が一瞬だけ見えた。隣で母はどう感じているのだろう。ふとそんなことを思って、初めてちくんと胸が痛んだ。


    刺身と一緒に食べるご飯の代わりに塩むすびを買うことにして、他にもちょっとした惣菜を選ぶ。そして明日に備えていくつかおにぎりも買った。ホテルのテーブルで戦利品を広げ、それぞれの目当ての魚を頬張る。口のなかでサーモンの身がほろりと溶けた。

    「おいしいね」
    「うん、おいしい」
    「やっぱり新鮮な魚はね」

    ホテルの一室はやけにつんと取り澄ましていて居心地が悪かった。慌てて部屋を取ったわりには安く済んでよかったけれど、備え付けの湯沸かしで飲んだティーバッグタイプのお茶はなんとなく味気ない。祖母はいつもこだわりのお店のものを取り寄せていたっけ。

    次第に空調によって部屋の空気はゆるゆると混ざっていき、なんともいえないぬるい温度で調整は止まったようだった。お別れは続く。今も、葬儀のある明日も。それ以降も少しずつ進んでいくのだろう。お風呂を入れる水の音がじゃばじゃばと響き始める。

    「ばあちゃんの家に泊まりたかったな」

    噛みしめるように、呟いた。



    その夜は一晩中ざあざあと雨が降り続けた。ベッドで横になっていると、閉めてあるはずの窓からもひんやりと冷気が襲ってくる。布団をかぶっている部分はいいが、窓側に向けてある顔面が若干気になる。仕方がないので反対側を見て丸くなって眠ることにする。ただただ時間が過ぎていった。

    朝になると母は「代わってあげたのに」と言った。私は苦笑しながら礼服を取り出す。するすると静かに衣擦れの音が響く。持ってきたパールのネックレスをつけようと取り出してみると、いつの間にか糸が切れてしまっていたことに気づいた。

    「あ……」

    私が絶句していると、母が私の手元をひょいと覗き込んだ。

    「それ持ってきていたの? イミテーションだから壊れやすかったんでしょうね」
    「イミテーション? 一応ばあちゃんに形見分けとしてもらったんだけど」
    「おかしくなったあとだったでしょ。本物は叔母さんのほうが持ってるの。あ、もう時間よ。迎えが来ちゃう」

    慌て始めた母を横目で見ながら、私は切れたネックレスをもう一度ケースにしまった。さっきは気付かなかったが、中でごろごろと複数の塊となって動いているのが分かった。


    「よくこんな写真あったわね」

    遺影を見ながら母が言う。叔母がふふっと笑った。

    「いい写真でしょ? 今はこういう写真も加工してくれるらしいのよ」
    「どうりで肌つやがいいと思った」

    隙間から遺影を見てみる。見たこともない鮮やかな赤い服を着ている祖母がそこにいた。記憶の中に残る姿とは全然イメージと違ったので驚く。しかもなんだか髪の色のわりに若々しい。

    「そういえば、あんたが作ったアルバムどうする?」
    「え?」
    「持って帰ってもいいよ」

    見ると母の手には私が何年前かの面会のために作って施設に届けた、家族みんなの写真を使ったアルバムがある。祖母が何もわからなくなっても楽しめるようにとコラージュしたものだ。

    最高の笑顔で写っている祖父をメインに、祖母のきょうだいたちや生まれたばかりの赤ちゃんを抱いた母と叔母。そして私たち五人の孫の集合写真を貼ってある。


    私は首を振った。

    「それはばあちゃんのために作ったものだから……」
    「わかった」

    私がアルバムを置くと、叔母がさりげなく祖母から見えるようにと方向を変えてくれた。霊柩車には母と私が一緒に乗ることになり、私は祖母の遺影をただじっと眺めていた。



    「いい日に葬儀になったわね」
    「ね、何だかお母さんが見せてくれたみたいで」

    春の嵐が吹き荒れる日、葬儀が取り行われた。雨風の中に舞う桜の花びらが祖母を見送ってくれたような気がして、私は途中までため息をついてふっと笑った。目の前では母と叔母が穏やかに談笑している。


    祖母は亡くなる前に数日間高熱を出していた。認知症だったので大した検査もできず、死因は老衰とされた。火葬場でも誰もが黙りこくっている。私自身礼服に袖を通しているのにもかかわらず、未だにぼうっとしていた。履いている靴の爪先を見つめる。

    最後の挨拶で順番に祖母の表情を見てはそれぞれの心の中でお別れを済ませていく。私の直前に順番が来ていた母は直接声を掛けた。祖母の冷たくなった体を愛おしそうに撫でる。

    「お母さん、よく頑張ったね。今までずっとありがとう。おいしいものをたくさん作ってくれてありがとう」

    そうして私の順番が来た。

    「ばあちゃん……」

    その一言を起点に、私は自分の中の言葉を探そうとした。家族葬ではあるものの、私の後にも順番は続いている。何か言わなくてはと思った。思いつかない。辛うじて出てきたのはこんな言葉だった。


    ――ばあちゃん、なんで死んでしまったんだ。

    脳裏によぎったのは祖母がまだ意識があってこちらを認識できていた三年ほど前の面会の時のことではなかった。もっと前だ。最も印象的だったのは、施設に入るからということで母と共に会いに行き、二人で最後に笑いあった時のことだった。

    そのころの祖母は同じことを繰り返し話すようになっていた。そして毎回悲しい結末になってしまう。それを私は明るかった時の話題に引き戻し、祖母を笑わせる。同じ流れでも祖母は毎回同じところで笑った。おかしくてたまらないといった様子で、涙を拭きつつ体をくねらせて笑っていた。

    そんな祖母にどんな言葉をかければいいだろう。私はその時、いや、今となっても何も思いつかなかった。無言で次の親族へと順番を譲った。足が少しもつれてしまったような気がした。


    大雨の中で納骨を済ませた。途中で葬儀屋さんの傘があまりの暴風で壊れたり、線香が落ちてしまったりとハプニングもあった。だけどなんとか葬儀が終わって喪主である母はほっとしたようだ。一気に声が明るくなっている。

    その後に残った親族で食事をした。祖母の家の近くにあるいつもの蕎麦屋さんだ。にぎやかな店内に入っていくと、「何名様ですか?」と明るい声が響く。BGMはどこかで聴いたことのあるメロディーのオルゴール曲だった。「何だっけ」と思っているうちに他の人たちは注文を済ませていた。

    「ほら、あんたは何にするのよ」

    母がせっついてくるので慌ててメニュー表を手に取った。

    「それじゃ……この『かつ丼とそばのセット』で」

    すぐに後悔することになった。注文が一番最後になったせいで、私が食べている間に食べ終わった人たちはどんどん会話を進めていた。最後に食べ終わった私は話の輪に入ることができず、ただただ俯いた。

    心の中ががらんどうになったかのような空虚感を抱えながら、彼らとは店の前で別れた。ぶわっと強い風がスカートの生地を揺らした。空はすっかり晴れていて、気温が上がったのか礼服の裏地は少しだけ汗ばんでいた。


    祖母の家で礼服から着替え、帰る準備をしているとそっと近くに叔母が来た。

    「今日は来てくれて本当にありがとうね。ここだけの話だけど、おばあちゃんはあなたのことを一番かわいかったと思うのよ」

    一瞬息を呑んだ後に、正直なところ私は「そうだろうな」と思った。

    「ばあちゃんにとって私は初孫だもんね!」

    すぐにそんな言葉が口から出た自分にびっくりする。先程の蕎麦屋での従兄弟の話を思い出していた。「自分はばあちゃんにいつも怒られてばかりで」といういくつかのエピソードだ。


    孫に対しても口うるさく注意をしているように見えるためか、成人した孫たちは祖母の家にほとんど顔を出すことがなかった。実際には単につっけんどんな話し方というだけだ。私は祖母に何度か会いに行っており、そのたびにごちそうをふるまってもらっていた。

    もちろん、単に胃袋を掴まれているから片道三時間かけたわけではない。

    祖母については「会いたかったのか」と言われると、実際にどういうつもりで会いに行っていたのかはわからない。あえていうのなら「そういうものだと思っていた」という表現になる。だけど他の人たちにはおそらくそんな感覚はなかったのだろう。葬儀だけにしか参加しない人もいた。

    はあ、と息を吐く。


    帰りの電車は既に駅で待っていた。田舎特有のボックス席に両親と荷物を置いて座り、出発を待つ。ほどなく電車は出発した。田んぼしかない風景をしんみりと眺めながら思う。ああ、あの叔母と会うのはもう一生ないのかもしれない。

    気付けば父も母も眠りについていた。思わず乾いた笑いが漏れる。今電車が跨ごうとしている目の前にまっすぐ伸びた道の先に、祖母が息を引き取った施設がある。会いに行った時の祖母が、もう何もわからないはずなのにぱっと笑顔を浮かべた時のことを思い出した。

    ふいにぐっと何かが胸にせりあがってくる感覚。口には出さないでマスクの中で少しだけつぶやいた。

    (ああ、来たくなかったな……)

     
     

    秋月

     
     
    アラフォーなおひとりさまというやつです。その時本当に書きたいと思ったことを書いています。読んで下さってありがとうございます!

    あなたへのおすすめ