
わたしを思いとどまらせる何か
数年前に大好きな友人が亡くなった。おそらく自死で。
彼が亡くなる一ヶ月ちょっと前に最後の電話をしていて、離婚問題で苦しみの中にいることを聞いていたのに力になれなかった後悔とともに生きている。
そんなわたしが、数年後まさか似たような状況になるなんて。
驚きよりもなるほどなあ、と妙に納得してしまう。
因果応報、伏線回収。そんなワードが頭に浮かぶ。
自死をした友人は他にもいる。きっと年齢を重ねるに連れて増えていくんだろう。
死にたいと感じたことのある人は大勢いて、
その中で実行手前というところまでリアルに考えたことのある人も結構いると思う。
昔の職場に、頭の回転が早くて話しているといつも楽しい気分にさせてくれる子がいた。ユーモアがあって明るいオーラをまとっている彼女のことを嫌いな人はいなかったと思う。
ある日、家路へ向かう混雑した電車の中で、ふと気がつくと目の前にその子がいた。背中を向けているのでわたしの存在には全く気づいていない。
声をかけようか迷ったとき、ふとその子が見ているスマホの検索画面が目に入った。
「自殺 人に迷惑をかけない方法」
その文字を認識した瞬間、胸の奥に湧き上がってきた不思議な感情を今でも覚えている。
こんな明るい子でも、普通の顔して楽しそうに生きてるひとでも実は死にたいんだ。その欲求が衝動的なものか慢性的なものかはわからないが、共感できる部分を発見して少し嬉しいようなほっとするような感覚になった。
なにより人に迷惑をかけない死に方を調べているその子はやっぱり性格がいいなぁなんて、変なところに感心してしまったりもした。
大切な人を自死で亡くすと、確実に死へのハードルが下がる。だっていま生きている世界で日々関わっている誰よりも亡くなった人の方が優しくて大好きだったから。
今この瞬間、家で、会社で、電車の中で、そろそろ死のうかなってぼんやり考えている人はたくさんいるだろう。
それでも大半の人が実行しないのは、まだ希望を完全に捨てられないからだろうか。自分ならもっと素晴らしい景色が見れるんじゃないか、またあたたかい関係を築ける誰かと出会えるんじゃないか、と。
人間は他の動物と違って自殺することができる。
裏を返せば自殺を思いとどまることもできる。
それが妄想や空想の類であっても、すんでのところでブレーキをかけるなにかをもう少し信じてみたいという気持ちで日々を生きている。