
派遣の卑弥呼 ❹言ったもん勝ち
私の名は、ひかる。
都内で働く普通の派遣社員。
けれど、易を学ぶうちに、会社という場所の“氣”を感じることが多い。
明るい会社には、明るい氣がある。
厳しくても筋の通った会社には、凛とした氣がある。
人を大切にする会社には、どこか温かい氣が流れている。
けれど、毒のある会社には、入った瞬間にわかる濁りがある。
最初は小さな違和感だった。
誰かの言葉が強い。
誰かの都合が通る。
誰かの「私は聞いていません」が、責任をどこかへ逃がす。
そのたびに、黙っている人が引き受ける。
空気を読める人が下がる。
気を遣う人が、また一つ我慢する。
その会社には、見えない掟があった。
正しい者が通るのではない。
よく見ている者が守られるのでもない。
静かに耐える者が報われるのでもない。
そこでは、先に言った者が常に勝つ。
「私は悪くありません」
そう言えば、なぜか周りが気を遣う。
「私はできません」
そう言えば、誰かが代わりに背負う。
「私はそう思っただけです」
そう言えば、傷ついた者だけが黙る。
ひかるは、その空気を静かに見ていた。
言葉とは、本来、人と人をつなぐものだ。
痛みを伝え、誤解をほどき、互いの間に橋をかけるもの。
けれど、この会社の言葉は違った。
言葉は、橋ではなかった。
言葉は、刃だった。
言葉は、機関銃だった。
言葉は、言ったもん勝ちの人を守るための毒だった。
易で見るなら、「兌」
兌は、口。
兌は、喜び。
兌は、人と人が笑い合う沢の卦。
けれど、沢の水が濁れば、そこに映る顔も歪む。
喜びの言葉は、言い逃れになり、
会話は、押しつけになり、
主張は、他人を退ける刃になる。
この会社の「兌」は、濁っていた。
声の大きい者が場所を取り、
声の小さい者が隅へ追いやられる。
先に強く言った者が正しくなり、
黙って耐えた者が、
まるで最初からいなかったかのように扱われる。
ひかるは思った。
この会社は、毒草の庭だ。
悪口という蔓。
無関心という棘。
責任逃れという黒い花。
自分さえよければいいという根。
けれど、毒はただ悪いだけのものではない。
薬草の中にも、毒を持つものがある。
扱い方を知る者が、正しい量で使えば、毒は薬になることもある。
身体を目覚めさせ、痛みを鎮め、命を助ける力になることもある。
人間関係の毒も、少しなら教えになる。
「ああ、こういう人もいるのだ」
「こういう会社もあるのだ」
「私は、自分の身を守らなければならないのだ」
「自分も気を付けよう…」
その気づきは、たしかに薬になる。
けれど、毒は毒である。
量を誤れば、薬ではなくなる。
扱い方を間違えれば、身体を壊す。
見極めを誤れば、命さえ落としかねない。
職場の毒も同じだった。
一度の違和感なら、学びになる。
一人の無神経なら、距離を取れば済むこともある。
一つの言葉なら、流せる日もある。
けれど、それが毎日続けば、話は違う。
毎日浴びれば、身体に入る。
毎日飲めば、心に回る。
毎日黙っていれば、自分の声が小さくなっていく。
毎日ここにいれば麻痺をする。
最初は、ただの違和感。
次に、我慢。
その次に、疲労。
そしていつしか、自分の感覚まで疑い始める。
「私が気にしすぎなのかもしれない」
「私が弱いのかもしれない」
「私が我慢すればいいのかもしれない」
そう思い始めた時、毒はもう内側に入っている。
その時だった。
胸の奥に、静かな声が響いた。
ひかるは、息を止めた。
――耐えることだけが徳ではない。
――黙ることだけが美しさではない。
――身を退くことは、逃げではない。
風が、頬をかすめた。
――命を守ること。
――心を守ること。
――己の声を失わぬこと。
ひかるは、静かに目を閉じた。
そうだ。
この違和感は、ただ我慢するためにあったのではない。
言ったもん勝ちの会社では、
黙っている人の優しさが、都合よく使われる。
「私は、ここにはいない」
その選択は、逃げではない。
毒草の庭から、自分の命を引き上げること。
ひかるは、静かに立ち上がった。
声の大きい者たちが勝ったように見える場所で、
本当に守るべきものは、勝ち負けではなかった。
自分の身体。
自分の心。
自分の尊厳。
そして、自分の声。
毒のある場所は、最初から大きな毒を見せない。
それは、小さな違和感として現れる。
けれど、その小さな毒を見逃し続ければ、
やがてその場所全体が、毒の庭になる。
ひかるは、その庭を出る。
誰かを責めるためではない。
自分を取り戻すために。
言葉が毒になる場所ではなく、
言葉が水のように澄む場所へ。
もう一度、自分の声で生きるために。