
才能なし、5年
「ボトッ。」
その音だけは、今でも耳に残っている。
舞台の上で、私のかぶっていた白髪のカツラが落ちた。
その後どうやって切り抜けたのか、記憶がない。
黒歴史すぎて、脳が消去したのだと思う。
2025年11月、51年続いた劇団が幕を下ろした。
これは、その劇団に28年居座った私が、最後の約10年を役者として足掻いた記録の前半。
才能のない人間が、役者として
「一人の人生を舞台で生きる」
とはどういうことかを掴むまでの、5年間の話である。
第1章:ポンコツの逆襲
20歳の頃から3年。
3本の作品に出た。
初舞台では、せっかくの見せ場でスポットライトの中心に立てないズレた役者だった。
次の舞台では、暗転中に小道具を蹴って「蹴っちゃった。」と思わず言ったもんだから、後から2代目座長の恭さんにコンコンと叱られた。
3本目の舞台は、ラストの感動的な結婚式シーンで、花嫁役だった私は早着替えが間に合わず、うっかり動くと下に着ていたジーンズが丸見えだった。
控えめにみてもポンコツである。
そんな自分の才能のなさに役者は諦めた。
でも、諦めた先にあったのが照明スタッフとしての世界だった。
光の繊細さと美しさと、舞台の雰囲気を決定づけるかのようなその力に、私は魅せられた。
照明スタッフにやりがいを感じていた私だったけど、貧乏がきっかけで再び役者としての練習に加わるようになる。
仕事でもなく、家庭でもない、逃げ場が必要だった私に
「毎週の練習に参加しにおいで。」
と声をかけてくれたのが恭さんだった。
劇団での私は、結婚して籍が変わっても、ずっと旧姓の「カドキ」のままだった。
その名を呼んで居場所をくれたのが、この場所だった。
それだけのことだったのに、気がついたら夢中になっていた。
練習でまずやるのは、声出しと滑舌だった。
それが出来てくると詩のお題が渡される。
喋り方や滑舌の課題をクリアしなければ、できない詩の朗読。
問題ばかりだった私は、かなり色々な詩の朗読をやった。
当時の私の課題は語尾を引く癖だった。
語尾で息を引くと、どんな言葉も冷たく遠くなる。
一番印象的だった課題は、
与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」だった。
弟が戦争に行く悲しみだけでなく、理不尽への怒りがある詩だ。
その怒りを、語尾を引かず悲しみに酔わず表現する。
それだけで頭がいっぱいだったが、なんとかできるようになりたくて必死だった。
詩の朗読を一つクリアすると次の詩のお題が渡される。
試行錯誤を繰り返し、朗読できる詩が少しづつ増えていく。
その過程が、面白かった。
そこまですると、役者がやりたくなった。
あのポンコツだった役者がどこまでできるようになったのか、それがどうしても知りたくなったのだ。
その頃には照明スタッフとしてのプライドもあった。
後輩たちがどうやったら魅力的に見えるか、どうやったらこの作品がもっと伝わるか。
その照明スタッフの面白さと、役者に挑戦してみたい気持ち。
どっちも選べなかった。
そんな私に転機がきた。
高校生たちが主体の演劇の発表会に、30分だけど出ないかと声をかけられたのだ。
当時30分の脚本を見つけられなかった私は、どうしても出たかった。
だから、脚本を書いて、出た。
自分で言うのもなんだけど、びっくりの行動力と無謀さである。
30分の舞台だから、勢いだけで演じたようなもの。
だけど、面白かった。
そして、その頃から私の中で一つの気持ちが生まれる。
「自分の作った照明を、舞台から見てみたい。」
私は、フルタイムで働いている上に、子育てをしている主婦である。
ただでさえ忙しい。
どっちもやりたいが言えず、だからといってスタッフをやめて役者になりたいともいえず、それはもうグダグダと悩むことになる。
一度、スタッフ仲間の青木さんに
「やりたいのかやりたくないのかはっきりしろ!」
とそれはもうこっぴどく怒られた。
トドメを刺したのが恭さんがその頃言った言葉。
「劇団、50周年で解団する。」
私の中で、その時ようやく腹がくくれた。
役者と照明、どちらもやる。
第2章:悲劇のヒロインという罠
どちらもやると決めて最初にもらった役が、婚約破談でショックを受け自殺希望の女、鈴江だった。
私は最初、鈴江の気持ちに同調しすぎて、悲劇のヒロインに酔ってしまった。
自分の悲劇を誰よりも熱く語れる人は、不幸には見えない。
その事実に全く気付いていなかった。
恭さんには何度もダメ出しされ、その理由が分からず、私は大混乱に陥った。
「考えるな、そのままのカドキでいいから。」
何度も何度も言われた。
後輩のさやかには「泣いてセリフが言えないのはダメです。」とバッサリ。
何をどうしていいか分からず、とりあえず「泣かない」とだけ決めた。
そんな鈴江の本番中、恭さんにやられたことがある。
犯人に追い詰められ、「私が犠牲になります。」と名乗りでるシーン。
さあ次は私のセリフ、前に出ようとしたその瞬間、恭さんが私の衣装の裾を掴んで離さない。
しかも他の人からは見えない絶妙な位置を。
自分のセリフを言わなくてはいけないのに、
引っ張られる裾が気になってそれどころではない。
心の中の「は、な、せ〜!」という叫びは、誰にも届かなかった。
後で「なんであんなことしたんですか。」と聞いたら、「つまんなかったから。」と言われた。
観客からみれば、さぞかし私はパニックになり、前に出たと見えただろう。
でも、実際は恭さんに裾をつかまれパニックになっていただけだった。
「つまんなかったから。」
この一言は、ずっと私の中で残っている。
当時、悲劇のヒロインに酔っていた私に対し、恭さんは「裾を掴む」という荒業を仕掛けた。
それによって引き起こされた私のリアルなパニックと思考停止こそが、鈴江という役の真実だったのだ。
いつだったかの飲み会で、この舞台を観客として見ていた後輩のなべちゃんに言われた。
「あー、あの辛気臭い女。」
私は、悲劇のヒロインではなく、辛気臭い女だった。
第3章:「ボトッ。」
次の役は、ジミ子とおばあさんの二役。
どちらも特にこれといったセリフもなく、物語に大きな影響を与える役でもなかった。
当時の私の評価など、こんなものである。
やらかしたのは、おばあさんの方だった。
おばあさん役なので、白髪のカツラを被った。
このカツラが取れては大変とそれはもう念入りに頭を振り、取れないかのチェックを何度もした。
それが、本番の舞台で取れた。
「ボトッ。」
あの音は今でも耳に残っている。
私の役者トラウマ、頭真っ白事件その1。
パニックになった私は、もうその後の舞台をどうやって切り抜けたのかすでに覚えていない。
舞台から降りた私は、なぜか涙が止まらなかった。
照明も、念願かなって挑戦したけど、残念ながら私の記憶にはどんなものだったのかさえない。
あの止まらなかった涙は、全てを中途半端にしてしまった悔しさの涙だったのではないかと今は思う。
第4章:一晩の才能、一晩の絶望
次にもらった役は、家賃の取り立てに情熱を燃やす大家。
照明は、ラストシーンにこだわった。
テーマを「再生」と決めて、そのあかりを作った。
私は照明が好きだったのだと再認識した作品だった。
実は、1日目の公演の記憶がほとんどない。
照明が熱い、だるい、と思いながら舞台に立っていた覚えがある。
公演後に熱を計ったら38度を超えていた。
恭さんに連絡すると
「翌日も熱があったら降板」
と言われ、祈るような気持ちでそのまま寝た。
翌日、熱は下がった。
意気揚々とホールに向かったら、恭さんが私の大家のセリフを全部覚えていた。
一晩で。
唖然とした。
私が必死に覚えたセリフを、恭さんは保険として一晩で覚えた。
大家を演じるために必死で覚えたセリフ、どうやったら面白くなるかと工夫した演技、恭さんからの容赦ない駄目だし。
それらがまるで走馬灯のように脳裏を駆け巡った。
私のそれまでの苦労が、一晩でどうにかなるものだという事実に、スッと頭が冷えた。
それだけではない。
青木さんには「昨日の方が程よく力が抜けていて良かった。」と言われた。
熱で朦朧とし、記憶もあいまいな1日目の方が、出来たと自信のあった2日目の方が良かったという事実。
「必死さ」が伝わらない。
「必死さ」は面白くない。
それは、努力では埋められないのではないかという不安が私の心を占めた。
私の体調管理の甘さが招いたことだとは理解していたけど
恭さんが一晩でセリフを覚えたという事実が、じわじわと効いてきた。
才能とはこういうことか、と思った。
このまま続けても、私は恭さんのようにはなれない。
その予感が、静かに胸の奥に沈んでいった。
第5章:妄想のはじまり
次に与えられた役は、従順な妻、玉紀。
これはホールではなくレストランでやった作品で、照明としては特にない。
本当の意味で、役者に全振りした最初の作品となった。
そして、私の役の妄想癖が始まったキッカケである。
玉紀は大病院の院長令嬢。
研修医で来ていた鴨川に一目惚れし、院長である父を巻き込み、他に愛する人がいたであろう鴨川と強引に結婚したと思っている。
だから、週5で家に帰ってこなくても、自分が割り込んだのだからと離婚という言葉を飲み込み、いつか愛してくれるかもしれないと希望を持ち、従順な良い妻であろうとしている。
久しぶりに鴨川に食事に誘われ、喜んでやってきたレストランで物語が始まる——。
これが、私の演じた玉紀の持つ妄想という名の背景だった。
なぜ玉紀はこのセリフを言ったのかを考え、玉紀に向けられるセリフで何を思うのか。
玉紀に何が見えて、何を考え、なぜ動くのか。
そんな事を考えて、演じる楽しさがあった。
出来ればこれは言っておきたい。
この舞台で辛かったのが死体役である。
玉紀はこの物語で早々に死んでしまう。
レストランでやった作品だから、観客がいつもより近い。
近いのに死体役。
観客からの「本当に死んでいるのかな?」という好奇心の視線を、ひしひしと感じるのである。
妄想は楽しかったけど、現実は死体役が辛かった。
第6章:欲と不安
玉紀の舞台を終えてしばらくした頃 、役者を辞めようかと考えたことがあった。
当時の劇団の主要メンバーは20代ばかりで、一回り以上違う40代の私。
主役が若いと周りのキャストも若くなる。
やってみたいと思っても役柄的に合わない。
「あれ?私、できる役ないんじゃない?」
その事実が重くのしかかった。
客観的に振り返ると、これまで与えられた役はどれも端役で、物語においてキーパーソンではなかった。
だけど、私にも欲がある。
年々老いていく身体の中で、いつか重要な役をもらえるような役者になれるのかという不安が、じりじりと胸を締め付けた。
延々と考える中で、順番に自分のやった役を演じてみた。
どの役にも思い入れがある。
その役の人生からくる行動パターンを思い出す過程は、私の中にまるで人格として存在するようで、表現するなら「愛しい」という感じがした。
だけど、一つだけ全く自分の中に残っていない役があった。
カツラを落とした公演でやった「ジミ子」だ。
当時、最後まで役を理解できず、演出がいう動きをそのままなぞるだけの役作りしかしなかった。
それが、要因だと思う。
そんな役作りしかしなかったことが「もったいない」と思えた。
「私に役者としての才能は無い。だから、後悔のないように努力を続ける。」
そんな結論に行き着いた頃、タイムリーに恭さんから電話があった。
話すと「え?今頃?役者としての欲が出たんだね。それって、役者みんなが悩むこと。」と言われた。
役者みんなが悩むことなら、と思ったら、なんだか安心した。
第7章:逃げ出したい失敗
気分を新たに取り組んだ作品で与えられた役は、工場長。
この工場長は、私には全く理解できなかった。
理解できない私に恭さんから与えられた命題は、
「共演者を笑わせろ。」だった。
ここまでやったらさすがにダメだろうと思っても、止めない恭さん。
頭の中は「本当にこれでいいのか?」と思いつつも、工場長はどんどん私の中で面白くなっていった。
共演者の反応が、面白かった。
照明スタッフの方も、初めて全工程のスタッフ作業を一人でやった。
舞台照明を外部業者を頼らず一人で挑戦する機会がもらえたのだ。
「一人ではできないかもしれない。」そんな不安を抱えつつも
挑戦する機会がもらえたのだから、結果を残したい。
その思いが私を突き動かした。
本当に楽しくて、充実した時間だった。
だけど、その充実した成果をぶち壊すようなことを私はやらかした。
スタッフで限界まで体力を使い切った結果、本番で大事な小道具を忘れた。
いや、あれは小道具ではない。
リヤカーという大道具である。
なぜ、忘れた私?
私の頭真っ白事件その2である。
大家の時の絶望は「才能の差」だったが、今回の絶望は「自らの慢心と怠慢」だった。
1日目にちゃんと出来た満足感とそれによる気のゆるみ。
舞台照明の作業から3日目という、肉体的疲労からくる集中力の欠如。
基本的な舞台上でのトラブル対応力のなさ――それら諸々が重なり、私は大事な小道具を舞台上で忘れた。
セリフが真っ白となり
「セリフ忘れた。」と口走った。
強引にそのシーンを終わらせても、結局最後まで引きずって
「もう出たくない。」という気持ちが根底にあるものだから
また失敗して…。
気持ちを立て直せず、舞台を楽しめず、練習の惰性だけでやりきるという。
自己嫌悪しかうまれないものとなった。
「舞台上の失敗はしかたない」
恭さんのなぐさめに、そうなのだと思う自分がいても
「もう出たくない」
とまで気持ちを切らしてしまった自分とどう向き合えばいいのか。
やる気が空回りした私は、また深く落ち込んだ。
どこまでも深く落ち込んだ私が出した結論は、
体力不足なら、体力をつけようとスポーツジムで身体を鍛え始めた。
集中力が切れるのも、セリフが飛ぶのも、立て直せないのも、
すべては極限状態を支える「器(身体)」ができていないからだと思ったから。
才能はどうにもならない。
けれど、筋肉と心肺機能は、裏切らない――そんな、根拠のない確信だけが当時の私を支えていた。
吹っ切れた私は、できる努力は全部やろうと決めた。
第8章:意識的な無意識「わたしを超えた」と言われた日
次に私が与えられた役は、以前恭さんが演じた花嫁の母、景子。
念願かなって、初めての大きな役。
大失敗の後のこの役は、正直怖かった。
恭さんがやった強烈な役を私がやれるのかという不安。
でも、この不安は長くは続かなかった。
大失敗の後に選ばれたということが大きい。
恭さんは、私の失敗は折り込み済みだろうと思ったから。
「私が気に入らなかったら、選んだ演出の恭さんに文句を言ってくれ。」
という究極の開き直りである。
ジム通いは私の役作りを助け、景子の面白さを支えた。
苦しい姿勢を演出から指示されても、ぐらつかない。
1本の通し稽古をしても、集中力が切れない。
身体を支える体幹と、動き回っても息の切れない体力。
景子は、言葉と行動が直結している。
演じる中で私は、一つの真理に辿り着いた 。
「感情」が行動をつくると思っていたけど、「行動」が感情をつくるのだと。
動くからこそ、そこに意思と感情を観客が読み取るのだと。
役者が演技で説明する必要なんてなかった。
だから、景子は動き回って「疲れた」が外に出た瞬間、面白さではなく現実に引き戻される。
そういう役だった。
役を演じるとは、そういう事だった。
演じるのではない。
「こういう役でなければならない。」
ではなく、私の中にある「景子」の部分を行動で出す。
それだけだったのだと気が付くと、そこに無理が無くなる。
自分の出来る、出来ないが線引き出来るから。
そして、その線引きを決めるのが身体だった。
身体が土台になって初めて、思考に余裕が生まれる。
そこに気がついたら、景子は、めちゃくちゃ面白くなった。
恭さんにしつこく言われ続けたのが「力を抜け」だった。
動き回れる体力はついた。
なのに、力を抜けと言われる。
力を入れるのは簡単。意識すればいいだけ。
逆に意識をして力を抜くと、抜きすぎて「ぼーっと」なる。
すると、セリフや動きのテンポが悪くなる。
意識をクリアにした状態で、身体の力を抜く。
この矛盾した状態が
一番動けて一番無理が無い。
でも、これは意識した途端、別物になった。
人は24時間すべての事に意識を向けて力を入れているわけじゃない。
無意識の時間がほとんど。
その無意識を意識的につくる。
鈴江の時、裾をつかまれパニックになった私は、「無意識」でパニックを表現していた。
景子は、これを自分の意思で作る必要があった。
この無意識を意識的に作る事が、役が一番自然になるのだと気が付いてもそれが一番難しい。
セリフを意識した瞬間、それは無意識でなくなるから。
でも、笑いは、その無意識のポロっと出た本音に宿る。
どうやって意識を保って力を抜くか。
うまく出来なくて最初から最後まで恭さんに
「できるから、焦らない、おちつけ。」
と何度も言われ続けた。
観客の何人かに「あれは素?」って聞かれた時
「意識」を持ちながら、まるで本音に聞こえる無意識をつくれた事が証明された。
この役の一番の難所。
最後のエピローグで、娘が母の景子を語る場面がある。
観客が、舞台上にいない私の演じた景子を思い出し笑う。
それは、舞台上に私がいないからこそ、観客が私を思い出して笑える印象を残せたかどうか、その答え合わせのような瞬間だった。
客席からのクスクス笑いが、確かに私の耳に届いた。
ちゃんと私の景子は観客に、笑いという印象を残せた。
できたという、静かな達成感があった。
才能はなくても、努力だけでも、ここまでできたという喜びがあった。
役者としてだけでなく、照明スタッフとしても同様だった。
私は、初演公演のラストシーン、背後からスッと照明が入る感じがかっこよくて好きだった。それはプロの照明スタッフが作った、完璧なあかりだった。
好きだったからこそ、そのイメージが呪縛のように自分についてまわった。
何をどう考えても、同じようなあかりに辿り着いてしまう。
「舞台装置も音響も全く違うのだから、カドキのあかりも違うよ。」
恭さんの言葉をきっかけに、私は「かつての正解」を追うのをやめた。
今の役者の動き、今の装置の形。
それだけを見て、何個も考え、現場で試しては捨て、ギリギリまで粘った。
そうして出来たあかりは、前回とは全く違うけれど、私にとっては会心の出来となった。
「ラストシーンでなぜか涙が出た。」
舞台を見た知人の言葉で、最後の最後まで足掻いた私の行動は無駄では無かったのだと確信した。
泣ける話ではないはずなのに、光の加減が、物語の奥にある何かを観客に届けたのだ。
そう思えると、鼻の奥がツンと熱くなった。
役者も照明も、努力は私を裏切らなかった。
そして、この舞台の打ち上げからの帰り道。
恭さんが私にこう言った。
「カドキの景子は、私を超えた。」
震えるほどに嬉しかった。
独りよがりの達成感ではなく、確かに私はやり切ったのだという確信となった。
才能のある人に、自分なりの方法でも諦めなければ追いつけるのだと思えた。
才能がないと知っていた。
それでも続けた。
その5年間が私に残したのは、役者としての技術でも自信でもなく、次の役をやってみたいという、ただそれだけの気持ちだった。
与えられた一人の人生を、全力で生きてみたい。
その欲が、私をこの場所に縛り付け続けた本当の理由だったのだと、この夜初めて気がついた。
私の役者としての10年の詳細はnoteで書いています。