メインコンテンツへスキップ
見出し画像

かたづけの森 

    「あの高校もレベルが落ちましたしね」
    中学3年生の秋、塾長に言われた。
    長男の高校入試。
    第1志望は、地域で伝統ある進学校。

    その塾には、中学1年生の頃から通っている。
    3年生では、進学校別のクラス分け。
    秋になっても、なかなか成績が上がらない。
    不安になり、塾長に尋ねた。

    「第1志望、大丈夫でしょうか」
    その返答であった。

    私は帰宅するなり、即行で塾を探し始めた。
    近隣の大手個別塾にも足を運んだ。
    しかし、ここなら任せられる、という手ごたえがない。

    長男の成績はよくわかっている。
    「レベルが落ちたから合格できるだろう。」
    そうですか、と安心することも、納得することもできなかった。

    このままでは合格できない。

    元々近隣に塾が少ない地域で、選択肢が限られていた。
    隣町に実績ある塾があるのは知っているが
    往復2時間。ここに時間はかけられない。

    通塾は無理と考え
    全国から、指導力ある講師を選べるという
    オンライン塾に決めた。
    英語・数学・国語の3教科をお願いした。
    大学受験指導真っ只中のところ、3人の講師が
    引き受けてくれた。

    「普段は、大学受験生を教えているのですが」
    と3人とも前置きがあり、授業がスタートした。
    長男も、必死でついていっているように思えた。
    そして、成績の伸びを実感できるようになった。

    受験直前、数学の先生が
    「理科も教えられるけど、気になる単元ある?」
    と1単元だけ理科を教えてくれた。

    入試後長男に聞いてみた。
    「理科で教えてもらった単元でた?」
    「でた」
    正確に解答できたという。
    お願いしてよかったね、と2人で喜んだ。

    長男は第一志望校に合格した。

    突然の依頼、受験まで4カ月、長男のミスの癖、問題傾向。
    どの教科の先生も、「受験のプロ」としか言いようがなかった。
    合格へと導いてくれた講師陣からは
    「合格させる」という勢いを感じた。
    今ならわかる、大学受験講師の指導力が生む勢いであったと。

    通塾をやめた時、同じ塾に子供を通わせていたママ友が
    「この時期に塾変えるって、何か知ってる?」と
    私には直接聞かずに、共通のママ友に尋ねていたそうだ。

    以前の私なら
    1年生からお世話になっているし…。
    難易度が下がってるなら大丈夫かもしれないし…。
    と、不安がありつつも、塾をやめる決断はしていなかっただろう。
    つまらないことに気を引かれ、やめられなかったと思う。

    あれがいいか、これがいいか、くよくよ迷う。
    ママ友からのLINEの返信に、いちいち迷う。
    自分が出せない。人に合わせるのは得意。
    そして、人に気を遣う性格に落ち込んでいく。
    私はそういう人だった。

    では、なぜ私が、このままでは合格できない、と確信し
    受験直前というリスクがあるにもかかわらず
    塾を変える決断ができたのか。

    それは、
    日々の決断の訓練。そぎ落とす無駄な思考と切り替えの訓練。
    これに尽きると思う。

    この受験から遡ること5年。
    当時のわが家のリビングは
    本当にひどい状態であった。
    夫の両親と同居しており
    私たちに与えられた部屋は2階。
    6畳和室と、12畳のリビング、3畳ほどのミニキッチン。

    6畳の和室は4人の寝室。
    12畳のリビングには
    壁一面の大容量クローゼットがあり
    食事、着替え、学習、暮らしの全部を賄う部屋となっていた。

    想像していただきたい。
    父・母・中学1年生長女・小学5年生長男の
    暮らしに必要なものがある12畳の部屋。

    画像
    AI画像

    ちがう💦ちがう💦
    当時の写真がなかったので
    AIを使ったけど、こんなに整然とした部屋ではない。

    画像
    AI画像

    かろうじて、通路は確保していたものの
    ほぼほぼ、写真と同じような散らかりよう。

    3人掛けのチェアは、衣類の仮置き場。
    次に着るまでの仮置きなので、結局ずっとそこにある。
    2人の学習机は教科書をはじめ、学校で必要な物で溢れ
    勉強は食卓を兼ねたテーブル。

    夫に言われた。
    「もう、棚は買わないで。」
    否定される片付けの手段。

    12畳の部屋を有効活用するためには
    縦の空間を活用するしかない。
    隙間があれば棚を買い
    そこに物を入れていた。
    しかし、その棚でも間に合わない。
    今ならわかる、買うけど捨てない負のループ。

    独身の頃は、片付けが気晴らしになるほど
    片付けが好きだったのに。
    どうしてこんなことになってしまったのだろう。
    片付けられない原因は何なのだろう。

    その頃、長女は中学1年生、部活動が始まり
    5年生の長男は野球チームに所属。
    私はパートからフルタイムの仕事に切り替えていた。

    土日がつぶれていき、余暇がなくなった。

    長女の試合の送迎や、頻繁にある長男の練習試合。
    今はなき、監督・コーチへのお茶当番。
    暮らしを回していくことに精一杯で
    物は増えるが、片付けられない。
    みるみるうちに、部屋は物で溢れていった。

    山積みの学校からのプリント。
    以前使ったのはいつなのか、それさえわからない物たち。
    クローゼットの衣装ケースには、服が詰め込まれ
    奥に何が入っているか知ろうともしない。
    気まぐれに取り出してみても、要・不要の判断ができず
    またしまい込む。

    混乱したくない。

    部屋が乱れているのはわかっている。
    片付けなくてはいけないのもわかっている。
    でも、私はこの部屋の景色に、とても疲れている。
    どこを向いても物だらけ。

    片付けようとすると、混乱してくる。
    必要な理由はいくつも出てくる。
    しかし、不要な理由が見当たらず
    何も捨てられないから、片付かない。
    考えることで、何がしたいのかわからなくなり
    何も変えられない自分に、嫌気がさす。

    それは、まるで、深い森の中。
    動くと余計に迷うから動けない。
    進む方向を知るすべがない。
    先が見えずに、ただ呆然と立ち尽くしている。
    どこにも進めないのに、時間だけが過ぎてゆく。

    こんな汚い部屋…。一体どうしたらいい?
    ソファに座り、働かない思考で、夜中の2時まで
    ぼーっと部屋を見ていることもあった。

    私の片付け方は、間違っている?
    疲れすぎたある日の夜、浮かんだ言葉。

    私は、片付けを学び始めた。

    片付けができる、そう思っていたのに
    こんなに散らかる部屋になるのは
    必要な知識がないから。

    早速、片付けの講座を受けた。
    体系的に、個々の物に対して秩序ある持ち方を学び
    思考面でも
    ・物を選ぶときの優先順位
    ・必要な目的
    ・なぜ必要なのかを自分に問う中に知る、自分の価値観
    等を自分の中に収めることができた。
    学ぶことで、物との向き合い方が変わっていった。

    さらに時を同じくして、わが家に大きな転機が
    訪れた。
    義父が亡くなり、義母も施設への入所が決まった。
    必然的に、1階が空室となり
    4人の居住空間が一気に広がった。

    築30年のリビングダイニング。
    照明も壁紙も、古く汚れていたので取り替えた。
    家具もテーブル以外すべて処分。
    もう以前の面影がない部屋。
    そして、物がない部屋になった。

    私は徹底した。
    この部屋に、招き入れるものに妥協しない。

    TV台、食器棚、食器、キッチンツールも
    価値観を固定し選んだ。
    今の自分に必要かどうか。
    基準を持たないことで迷い、決断がブレていた以前の私。
    片付けを学んでからは
    手放すことを知り、選ぶ意味が定まっていった。

    増えがちなキッチンツールで例えてみる。
    キッチンツールは、時短とか便利とうたわれるものが多い。
    買う前にいったん考えてみる。
    それを使ったメニューを自分が作れるのか
    →手の込んだ料理は時間がないから作れない
    洗うのは簡単か→洗うのが面倒→あっても使わなくなる
    置き場所はあるか→ないから買わない
    固定した価値観を持っていれば
    「時短」や「便利」という言葉に惹かれ
    簡単に買うこともなくなる。
    よって、物は増えにくい。

    これは物だけの話しではない

    人との付き合いや、時間の使い方
    全てに関係してくる。
    人に会うのも、時間の使い方も
    決断の結果である。
    この決断を、物と向き合うことで訓練している。
    決断の、選択の訓練。
    それは
    自分の価値観が、研ぎ澄まされていく感覚。
    自分の気持ちを無視した無駄な思考をそぎ落とし
    簡単に手に入る利益に寄っていこうとする思考を切り替える。
    目の前に出された時
    本当に必要なものと、必要でないものを
    迷いなく決めることができる。

    そしてその価値観は、螺旋階段のように
    新たな価値観に出会いながら、自分を高めていく。
    だから変わることができる。

    この日々の積み重ねが
    長男の受験期の転塾について
    迷わぬ決断を生んだといえる。

    あのひどい部屋のままでは
    転塾の決断はしなかったであろう。
    「このままでいいんだろうか」と
    グズグズと思い悩んでいただろう。

    その後も、父の通院の見極めや
    職場環境の悪さに気付き、3日で仕事を辞めたことなど
    迷いのない決断が、暮らしを支えている。

    しかし、全部がうまくいっているわけではない。
    片付けで起業したけれど、収入と結びつかずやめた。
    試行錯誤はの日々は、苦しくもあり、無力感も味わったが
    有益なこともたくさんあった。

    起業の世界の現実を見ることができ
    CanvaやAIを知るきっかけとなり
    言葉についても学んだ。

    人と関わる起業は
    自分には向いていないのだということも
    納得することができ、あきらめもついた。

    今は、大学で単位取得するため
    仕事をしながら
    日々テキストと向き合っている。

    単位取得後どうするのか、何がしたいのか?
    その先はわからない。
    今はわからなくていいと思っている。
    学びたいことを突き詰めたその先にしか
    見えてこないものもあると思うから。

    かたづけの森から抜け出した今は
    おだやかに、自分を高めるものだけに囲まれて暮らしている。
    そして、まだ見ぬ自分に出会う、道の途中である。

    片付けで迷っている人へ伝えたい。
    片付けようと思ったその先には、出口に続く道があることを。
    そして、出口の先には
    迷わない清々しい暮らしが待っていることを。

    画像
    かたづけの森 


    #創作大賞2026 #エッセイ部門


     
     
    片付けられない人はいない。ただ「決める」ことをしていないだけ。 ——決めることから始まった、暮らしの再構築。 何ものかになりたかった5年前。何ものかになれると、本気で思っていた。 何ものにもなれていない私は、また正社員として働きながら、それでも人生はまだ途中だと思っている。

    あなたへのおすすめ