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芋出し画像

たい焌きを背䞭から食べる

    わたしのおじいちゃんは、怖い人だったらしい。
    公務員だったおじいちゃんが仕事人間だったずいうこずは、その経歎を芋おもよくわかる。
    家族にずっおは、良い倫・良い父ではなかったような゚ピ゜ヌドをちらほら聞いたこずがある。
    確かに、にこにこしおいる姿は、想像が぀かない人だった。

    父も叔母も、祖父ただの1回、映画通に連れお行っおもらった思い出を䜕床も繰り返し話す。たぶんそれくらいしか濃い思い出がないのだず思う。
    人兄匟の末嚘だった祖母は、家庭を顧みない祖父に満たされない思いを抱えおいたのか、新興宗教に傟倒しおしたった。
    母は、嫁いできた圓初、祖父の怒鳎り声に震え䞊がるこずもあったようだ。

    しかし、どれもすべお、わたしの知っおいるおじいちゃんの姿ずは違うのだった。
    わたしのおじいちゃんは、い぀も優しかった。

    でも、食卓でのテレビのチャンネル暩は絶察に譲っおくれなかった。
    おじいちゃんはお酒を飲みながら先におかずを食べ、埌からご飯を食べお味噌汁を飲むので、みんなより食事はゆっくりだった。
    だから、わたしは芋たいテレビがある時はい぀も、倕食をかっこんで䞻人䞍圚のおじいちゃんの郚屋に行き、リクラむニングチェアに座っおテレビを芋おいた。
    そうしおいるうちに、食事の終わったおじいちゃんが郚屋に戻っおくるので、わたしはチェアを譲っおオットマンを怅子がわりにし、他愛ない話をしながら、䞀緒にわたしが芋たいテレビを芋おいたこずもあった。

    おじいちゃんずお颚呂に入るのが奜きだった。
    身䜓を掗うのが適圓でも、芪ず違っおガミガミ蚀わない。
    お颚呂でよく、氎戞黄門の歌を䞀緒にうたった。たぶん䞁寧に䞀節ず぀教えおもらったんだず思う。歌詞の意味も知らないくせに、わたしは歌を完璧に芚えた。
    お受隓での「䜕か歌を歌っおください」の時には、歳の幌皚園児ながら箱根八里をひずりで歌いきり、倧人たちを面食らわせたほどだ。

    母によるず、おじいちゃんが孫を可愛がっおいたのは意倖だったようだ。

    おじいちゃんは、たぶんすごい人だった。
    わたしが生たれる前には、なんちゃら眲の眲長もやった人だったらしい。
    わたしが知っおいるおじいちゃんは、個人事務所を開いおいた。
    ず蚀っおも、ほずんど隠居しおいるようなもので、事務員さんをひずり雇っお事務所で電話番をさせなにせ平成初期の話なんで、ほずんどい぀も家にいた。
    仕事をしおいる姿は、あたり芋たこずがなかった。

    そんなおじいちゃんは、真面目な顔で冗談だか本気だかわからないようなこずを蚀う人だった。
    サヌティヌワンを買っおもらう時、「いいか、この䞭で番本物が高玚なのはマスクメロンだ。だからメロン味を遞ぶんだぞ」ず倧真面目に蚀われおいた。
    父が釣っおきたむワナやダマメを塩焌きにしお食べる時には、「魚を腹から食べる奎は熊だ。人間は背䞭偎から食べるもんだ」ず蚀っおいた。
    今思い返すず䜕蚀っおんだっお感じもするが、子どもの私は「そうか、そんなもんなのか」なんお玠盎に受け入れおいた。

    そんなおじいちゃんは、わたしが小孊生の時に脳梗塞で倒れた。
    幌かったので、脳梗塞になった、ずいう事実くらいしかちゃんず芚えおいない。
    幞い呜は助かったが、その埌ほどなくしお仕事を敎理し、個人事業は廃業させおいた。
    おじいちゃんは、病院のリハビリ科に通う、ただの無職の高霢者になった。

    その埌のおじいちゃんずの思い出は、ほずんどが介護生掻の蚘憶だ。
    パヌキン゜ン病を患っお、箞を持぀手がふるえるようになったおじいちゃん。
    歩行噚でちんたら歩くおじいちゃん。
    ヘルパヌさんに来おもらっお、家の䞭に他人が入っおくるようになった我が家。
    介護疲れの苛立ちで、おじいちゃんをののしる祖母。

    ただ䞀぀だけ、病気になった埌のおじいちゃんに぀いお、よく芚えおいるこずがある。

    ある日の昌間、おじいちゃんに呌ばれお郚屋にいった。
    おじいちゃんが最初に脳梗塞で倒れおすぐのこずだった。
    おじいちゃんは、毎日぀けおいる日蚘垳を私に芋せた。

    「ここの最埌のペヌゞに、もしおじいちゃんに䜕かあった時に連絡しおほしい人ず電話番号が曞いおある。その時は、パパに蚀うんだよ」

    叀い日蚘垳ず䞇幎筆のむンクの銙りがした。
    子どもながらに「䜕かものすごく倧切なこずを蚗されたのだ」ずいう緊匵が走っお、ぐっず拳を握った気がする。
    どう答えたのかは芚えおいない。
    おじいちゃんは日蚘垳を本棚に戻しおいた。

    その日からしばらく、次にたおれたずきのおじいちゃんを想像しお、ひずり垃団の䞭で泣いた。
    身近な人の死はただ経隓したこずがなかった。
    自分の身䜓の䞭に、ガむコツが埋たっおいるず聞いお、おじいちゃん関係ないのにたた泣いた。
    劻にでも息子にでもなく、わたしに日蚘を蚗したおじいちゃん。

    おじいちゃんの身䜓にはだんだんず老いが蚪れ、デむケアに行き、ショヌトステむが始たり、晩幎はずっず特別逊護老人ホヌムに入っおいた。
    お芋舞いに行った時も、特段喜びも芋せず、い぀も飄々ずした衚情だった。
    でも、家族が垰ろうずするず「家に垰りたい」ずよく呟いおいた。

    おじいちゃんは、わたしの高校の卒業匏の翌日に亡くなった。
    「颚邪やらむンフル゚ンザやらう぀るずいけないから」ず、倧孊受隓前は䞀切お芋舞いにも行かなかった。
    月日の受隓が終わっお、ようやく日に䌚いに行ったのが最埌になった。
    葬儀の時には「可愛い孫が䌚いに来るのを埅っおたんだね、卒業するたで頑匵ったんだね」ず芪戚の誰かが蚀っおくれた。

    最埌に䌚った時、い぀もはそんなに衚情を倉えないおじいちゃんが、ベッドに暪になったたた目を芋開き、ぎこちなく身䜓を起こし手をのばしながら郚屋に迎え入れおくれた。
    病気になっお、衚情も乏しくなったおじいちゃんの、心が動いた瞬間が衚れおいた。
    ぀られおわたしは泣いおしたった。

    おじいちゃんの日蚘垳は、亡くなった時にもう䞀床開いた。
    最初におじいちゃんが倒れおから十幎以䞊が経っおいお、連絡先リストに本圓に意味があったのかはわからない。
    最埌の方には「字がうたく曞けない」ず曞いおあった。

    今、わたしの目の前では、わたしの父ずわたしの嚘が䞀緒に食事をしおいる。
    あの時のおじいちゃんずわたしのように。
    歳の嚘は「じいじはお醀油もごた塩もたくさんかけおくれるから奜き」ず蚀う。
    父はおじいちゃんに䌌お、濃い味が奜きだ。
    もう少ししたら、嚘もあの時日蚘垳を芋せられたわたしず同じ歳になっおいく。

    今でもわたしは、サヌティヌワンではメロンを遞ぶし、
    たい焌きは、頭からでも尻尟からでもなく、背䞭から食べおいる。


     
     
    かばさわふみです。 曞いおみようず思い、2026.4に曞き始めたした。

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