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Roots of Freedom アメリカ村の蚘憶

    倱われた村を蚘憶の䞭で建お盎すプロゞェクト

    プロロヌグ 八朚 克人

    ある日、こんな倢を芋た。

    代くらいの若い父が、癟メヌトルほどの高台の林道をひずりで歩いおいる。
    しばらくするず、朚々の間から、県䞋に小さなハりスが点圚する村が芋えおきた。
    額の汗を袖で拭い、

    「あそこがアメリカ村かぁ」青幎が声を䞊げた。

    その瞬間目が芚めた。
    しばらくその声が耳に残った。

    幎以䞊前に他界した父は、最近よく倢に出おくる。
    が、こんな青幎の頃は初めおだった。

    代の父が、ただほずんど日本人が䜏んでいなかった、
    狭山の「アメリカ村」に、単身で暮らし始めたこずは知っおいる。
    けれど、どんな経緯でそこに蟿り着き、
    やがお母ず䞀緒に暮らすようになったのか―
    その詳しいこずは、䜕も知らなかった。

    父ず母だけでなく、その堎所には䞍思議な匕力でもあるかのように、
    次々ず颚倉わりな人たちが集い、暮らし始めおいた。

    この倢をきっかけに、アメリカ村に魅せられた人たちのこずを知りたくなり、圓時そこに䜏んでいた人たちに話を聞いた。
    圌らの蚘憶を呌び起こし、玡ぎ合わせながら、「アメリカ村の蚘憶」を曞こうず決めた。

    なお、父のパヌトに぀いおは、史実をもずに、わずかな想像を亀えながら、僕自身が代筆しおいる。

    第章 消えおしたった村の地図 八朚 克人

    ※この章は、実圚した「アメリカ村」ずいう堎所を、蚘憶を頌りに描き盎すための、最初の地図である。

    か぀お埌玉の狭山垂に、「アメリカ村」ず呌ばれおいた小さな自由の村があった。
    僕はそこで生たれお、歳たで育った。
    号線沿いの暪須賀、暪浜、盞暡原、立川、犏生、狭山、柏などにあった日本軍の軍事斜蚭は戊埌、進駐軍に接収され、倧半が米軍基地や米軍斜蚭になった。
    その䞀぀が狭山垂にあった米軍基地「ゞョン゜ン基地」。

    そのゞョン゜ン基地呚蟺のハりス矀は、圓時ただ米軍関係者のアメリカ人が倚く䜏んでいたこずもあっお、通称「アメリカ村」ず呌ばれおいた。
    父がそこに単身で匕っ越したのが幎。しばらくしお結婚し、家庭を持った。
    その埌、アメリカ人が次々ず母囜ぞず垰っお行き、日本人がハりスに䜏むようになる。平家庭付きのアメリカスタむルのハりスで栌安。お金のないアヌティストにずっおは最高の堎所だった。
    ミュヌゞシャン、デザむナヌ、絵本䜜家、画家、金工䜜家、写真家、舞台照明家など、様々なクリ゚むタヌが集たっおいった。

    この䜜品は、そのアメリカ村を知る人たちの蚘憶をたどっお、消えおしたった颚景をもう䞀床、蚀葉ず物語で建お盎しおいく旅である。

    第章 たどり぀いた堎所 八朚 正仁

    ※ここから語られるのは、この物語の起点ずなる人物の蚘憶。なぜ父は、この堎所にたどり぀いたのか。

    小さい頃から絵を描くのが埗意だったので、高校幎の時に、東京矎術孊校珟圚の東京藝術倧孊を受隓する。
    しかし䞀次詊隓で萜ちた。
    幎、高校を卒業するず、矀銬県倪田垂から䞊京した。
    お茶の氎矎術孊院ずいう予備校に通うようになり、そこで生涯の芪友、堀越ず出䌚うこずになる。
    浪人生掻は郜内での貧乏暮らしだったが、同じ志を持った友人達ず毎日絵を描く生掻は楜しかった。

    結局二浪しお、珟東京藝術倧孊の図案科珟圚のデザむン・工芞科に合栌した。
    共に晎れお藝倧生になった堀越ずは、倧浊ずいう孊食堂で、豆腐ずモダシをバタヌで炒めるだけの名物料理「バタ䞌」を毎日のように食べおいた。

    倧孊では最初、陶芞をやっおいたが、、幎ではIDプロダクトデザむンを専攻した。
    しかし就職掻動をする段になっお、グラフィックデザむンも埗意ではあったし、広告業界にも興味があったので広告系の䌚瀟を受けたのだった。
    最終的に決たったのは、広告代理店の電通。

    入瀟幎目から忙しく、やりがいのある仕事で充実した毎日を送っおいた。
    でも、朝早くから満員の電車に乗っお、遅くたで残業する日々が続き、ぞずぞずになっおいた。

    入瀟しお幎経った頃、久しぶりに芞倧の友人䞉人で寿叞屋で飲んだ。
    僕ず、堀越、根本。
    堀越は芞倧では陶芞を専攻しおいたが、ID系の䌚瀟、GK蚭蚈に入り、YAMAHAの゚レクトヌンのプロダクトデザむンに携わっおいた。

    堀越ず共に、お茶の氎矎術予備校時代から仲が良かった根本は、四浪しお芞倧に入ったので、その時はただ四幎生。
    TBSに内定が決たっおおり、前途掋々だった。

    それぞれがクリ゚むティブの道で明るい未来に胞膚らたせ、酒も進んで孊生時代の話で盛り䞊がった。
    僕は芞倧時代からずっず茚城にある根本の実家に居候しおいたが、その前は、東宝の撮圱スタゞオで䜏み蟌みのバむトをしおいた。そこによく堀越が泊たりに来おいた。
    ある日、二人でその郚屋に垰っお来た時、点けっぱなしになっおいた熱いアむロンが畳に眮いおあり、慌おお堀越がアむロンを取り䞊げたら、挫画みたいに畳にアむロン型に焊げ目が぀いおいた、ずいう話。
    「よく火事にならなかったよなヌ」ず僕の肩をばんず叩く。
    これは堀越が飲む床に話す鉄板ネタだ。

    思い出話が䞀通り終わっお気持ちよく酒が回った頃、

    「そうだ、堀越に報告があるんだ。」ず切り出した。
    「クラスメむトだった茅かやちゃんっお芚えおるだろ」ず堀越に向かっお蚀った。
    「確か、西巻君ず結婚したんだよな」ず堀越。
    芞倧クラスメむトの西巻君ず結婚しお、今は䞖田谷で子䟛に絵を教える「子どものアトリ゚」を開いおいる。確か日本版画協䌚展で新人賞を取ったばかりだったはずだ。

    「そうそう。二人は埌玉の狭山垂の号線の近くにアメリカみたいな村があっお、そこのアメリカ匏のハりスに䜏んでおさ。八朚ちゃん興味ないっお蚀うから芋に行ったんだよ。」

    「号ず蚀えば、あの蟺は、瞄文時代から人がたくさん䜏んでたし、幕府が移っおからは、今の号沿にいく぀も城が䜜られおたらしいしな。日本軍が郜心を囲むように暪須賀や犏生、狭山に航空基地を配眮したのも頷ける。特に歊蔵野台地は頑䞈で平らで、昔から䜏みやすかったんだろうな」ず根本が盞倉わらずの知識を披露する。

    「しかし、茅ちゃんらしいな。そんな堎所芋぀けるなんお。」堀越が枝豆を口に攟り蟌みながら蚀う。

    「なんでも、同じクラスだったドンちゃんの実家が狭山で、そこから情報が来たみたいよ」茅ちゃんから電話で聞いたこずを話した。

    「俺もい぀たでも根本の実家にお䞖話になっおる蚳にもいかないし。実は、この間行っお芋おきおさ、匕っ越しするこずにしたんだ」

    「ほんずかよヌそりゃ人生の転機だな根本は知っおたのかよ」堀越が目を䞞くしお根本の方を向いた。
    「急に匕っ越すっお蚀うもんだからびっくりしたよ」根本は嬉しそうに僕の肩に手を眮いた。
    「では、八朚の新しい人生のスタヌトに、也杯」
    「也杯」
    䞉人でグラスを合わせ、ぬるくなったビヌルを䞀気に飲み干した。

    酒が匱い僕は、酔いが回り過ぎる前に、二人にアメリカ村を蚪ねた時のこずを話した。

    西歊池袋線の皲荷山公園駅の改札で、埅ち合わせおいた茅ちゃんず䌚った。二人しお申し合わせたように、ポケットから煙草のHOPEを取り出し、火を぀けた。
    真っ青の空に煙を吹きながら、米軍私有地のハむドパヌク沿いの坂道を䞋っおいった。
    その公園は、N.Y.の同名の公園を暡しお蚭蚈されたらしく、敷地内には米軍の立掟な家が点圚しおいる。

    「たるでアメリカみたいだなぁ。」金網越しにハむドパヌクに建぀屋敷を芋ながら呟いた。
    「そう、この゚リアは米軍の将校さんたちが䜏む堎所だから家が立掟でしょ。」煙草を挟んだ指で園内を指した。

    しばらく歩いお坂を䞋っお行くず、ぜ぀ぜ぀ず小さいハりスが芋えおきた。

    「この山の䞋の゚リアは、さっきの将校さんたちより䜍が䜎い、米軍関係者が䜏んでる゚リア。私の家はあそこ。」
    指差した家は淡いピンク色の可愛いハりスだった。

    その蟺りは、僕が挠然ずむメヌゞするアメリカず、日本の田舎が混じった䞍思議な光景だった。

    ただ段ボヌルだらけの茅ちゃんハりスにお邪魔した。
    虫陀け甚の網のドアがある二重扉が独特だ。日本の家屋ずは党く違った䜜りで、残された家具もアメリカンアンティヌクのようでなんずも蚀えないデザむンだ。

    ただ矀銬の倪田に䜏んでた頃、アメリカに䜏んでいたおばさんから、服や猶詰やお菓子がよく届いた。段ボヌルを開けた瞬間に嗅ぐ、倖囜の匂いが奜きだった。胞に刺繍が入ったボヌリングシャツ、キャンベルのスヌプ猶、ポップコヌン。いかにもアメリカっぜいデザむンで、い぀も刺激を受けおいた。
    僕が挠然ずアメリカンカルチャヌぞ憧れるようになったのは、間違いなくこの定期的なプレれントが原点だった。

    「他にもただ空いおるハりスあるのかな」キッチンに向かっお聞いおみた。
    「䜕軒かあるみたいよヌ」玅茶を入れながら茅ちゃんが答えた。
    「ほんず芋おみたい」立ち䞊がっおキッチンに入った。
    お茶も早々に倧家さんを玹介しおもらうこずになり、空いおいる物件を芋せおもらった。

    呚りのハりスに䜏んでいるのはアメリカ人ばかりらしく、庭で癜人の子䟛達が遊んでいる。ほんずうにアメリカに来おしたったような感じだ。

    山沿いの道を歩くず、庭に䞀本の倧きなヒマラダ杉の朚が、守護神のように聳える暪に、癜い壁の䞀軒のハりスがあった。芋事に自然の䞭に調和しおいた。

    「ご家族で䜏むんですか」ず倧家さんに聞かれ、
    「えヌず、䞀人です」
    「いや、家族で䜏みたすそのうち」ず蚀い盎した。

    䞭を芋お益々気に入った。
    入っお正面にリビングルヌムがあり、右偎に日圓たりのいいダむニングキッチン。リビングの奥に郚屋。
    䞀人暮らしには広すぎるが、自然に囲たれたこのアメリカンスタむルに心を掎たれおしたった。
    「ここ借りたす」䞀通り郚屋を芋た埌に、そう告げおいた。

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    ハりスず䞀本杉ずオヌスチン・ヒヌリヌ

    その翌週には、土浊の根本の家を匕き䞊げ、狭山ぞず匕っ越した。
    ハりスに䜏むようになっお、暇な䌑みの日には、歩いお分くらいの茅ちゃんハりスに時々遊びに行った。
    ハりスの裏の、山沿いの砂利道を歩きながら、「自分もずうずうアメリカ村の䜏人だ」ず自然ず足取りが軜くなった。

    幎にアメリカ村に䜏み始め、翌幎の冬に堀越ずいっこちゃんが3軒隣に匕っ越しお来お、翌幎に二人は結婚した。
    僕はず蚀うずずっず独り身で、しょっちゅう堀越家に遊びに行っおいた。

    幎のある日、茅ちゃんの家に遊びに行っおいる時のこず、
    「そうだ、今床うちに友達が䜕人か遊び来るから八朚ちゃんもおいでよ。䞀緒にこぐた瀟で働いおる神楜坂のお嬢さんも呌んでるのよ」ず誘っおくれた。䌚瀟の幎末進行の忙しさも終わり、特段やるこずもなかったので、参加させおもらうこずにした。

    圓日来たのは䞀組のカップルず神楜坂のお嬢さん。長い髪、ロングブヌツにミニスカヌトの女性が遅れお珟れた。それが玀子さんだった。
    ブヌツを脱いでいる姿をリビングのテヌブル越しから芋おいるず、䞀瞬芖線が絡み、自然ず笑みが溢れた。

    倖は垫走の寒さだったが、人で鍋を぀぀きながらワむンを飲んで、なんずも心枩たる時間だった。
    玀子さんずはすぐに意気投合しお、僕は芞倧の頃の話や、倏に出匵したN.Yのこずなどを話し、圌女は、茅ちゃんがいた描いおいる絵本第䞀䜜目の『ボタンのくに』がいかに玠敵かを熱く語っおいた。
    茅ちゃんから『お嬢さん』ず聞いおいたので最初は少し緊匵しおいたが、話しおみるず、きさくで明るくお、それでいおどこか倉わっおいお、䞍思議な魅力を持った女性だった。
    僕はいっぺんに玀子さんのこずを気に入っおしたった。

    それからしばらくしお玀子さんず付き合うこずになり、䌚えない日には毎日のように手玙を曞いおは送った。
    玀子さんは、堀越ずいっこちゃんずもすぐに打ち解け、お互いのハりスでよくご飯を食べたり、堀越家の長男たっくんの手を匕いお、号の道に車を芋に行ったりしおいた。
    出䌚っお半幎しか経っおいなかったが、結婚したのは自然な流れだった。
    そしお翌幎の幎の春、堀越家の次男が生たれた3ヶ月埌に、長男の克人が生たれた。

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    ハりスの裏の山道にお

    第章 八朚ず俺ずアメリカ村 堀越 韍男

    ※父を最も近くで芋おいた芪友の芖点から、圓時のアメリカ村の空気が立ち䞊がっおくる。

    八朚ず出䌚ったのがい぀からだったか定かではない。埡茶ノ氎矎術孊院ずいう予備校で、デッサンの垭取りもたたならない受隓生の䞭にいお、気が぀いたら朚炭デッサン甚の食パンを、昌食代わりに二人で食べおいた。

    二人は東京芞術倧孊を目指しお、朝の時から時たで脇目もふらず銬車銬のごずくデッサンを描きたくっおいたが、「桜咲く」の電報を長野の実家に打おる迄には幎が掛かった。

    裕犏ずはいえない家庭に育った二人には、孊費の高い私倧は論倖であり、囜立の芞倧しかなかったこずず、地方出身ずいうのが二人を結び付けたのかもしれない。

    䜕ずか二浪で二人揃っお芞倧の工芞科旧図案科に入れた。

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    毎日のように八朚ず倧浊で食べた昌飯

    八朚は東宝撮圱所の倜譊の仕事、そしお俺は朝倕の新聞配達のバむトをしおおり、少し改善されたのは、昌の食パンの切れ端から、孊食「倧浊食堂」名物のカツカレヌにグレヌドアップしたこずであった。

    着おいる物ず蚀えば、アメ暪で円で買った、ベトナム戊争の兵隊が着おいた血の跡が残ったパンず、芪父の着叀した背広のチョッキ。
    豊かな森の䞭には西掋矎術通、博物通、動物園の䞀隅に䜍眮する芞倧の孊生生掻は、毎日が刺激的で楜しく、頭の䞭にはロヌリングストヌンズやボブ・デむランの曲が流れおいた。
    お金が入った時は、䞊野界隈の『蜜蜂』ずいう、人気のパヌラヌやお汁粉を食べに甘味凊を巡るこずであった。    
    八朚にはアメリカに䜏む芪戚がいお、そこから送られおくる貎重なNESCAFEを飲みたくお、ある日八朚のバむト先に行くこずになった。
    二人で戞を開けお䞭を芋るず、奥ががんがんりのようにほんのり明るかった。近付いおみるず、熱せられたアむロンが赀あかず畳に沈み、その呚りから立ち䞊る煙に光が映えおいるのであった。危機䞀髪、倧惚事になるずころであった。        

    孊生生掻も行く末を考えなくおはならない時が来お、八朚はID工業デザむンでは食えないからず電通を受けるこずを遞択し、俺は本田技研の入瀟詊隓を受けた。最終詊隓の面接䌚堎には背広を着た面接者の右端に、癜いツナギを着た県鏡のおじさんが立っおいた。
    「君は車は奜きかね。免蚱は持っおいるのかね」ず聞かれた。食べるのに必死な状況䞋で免蚱を取れる筈もなく、それが原因かは䞍明だが、結局䞍採甚ずなった。

    埌から考えるず仕事を遞択する堎合の芚悟ず本気床を詊されおいたのではず気付かされた。暪に立っおいたツナギのおじさんは、なんず本田宗䞀郎であった。
    困り果おた末の遞択は、ID教授の小池岩倪郎のむニシャルを事務所の名前に冠した「デザむン研究所」であった。
    壷を颚呂敷に包んで抱えお面接䌚堎に行った。面接官はGK創蚭者の䞀人、岩厎信治だった。圌の第䞀声は「圌女はいるかね」だった。

    結果、めでたく採甚ずなり、入瀟埌はIDの基本からいろいろなこずを孊ばせおもらった。

    俺ず八朚が就職しお幎目の頃、予備校時代から぀るんでいた䞉人で久しぶりに䌚った。
    それぞれの近況を話す䞭で、狭山のアメリカ村ず呌ばれる所に匕っ越す、ずいう話を八朚から聞いお、その「アメリカ村」ずいう堎所に興味を持った。

    八朚が匕っ越しおから少し経った頃、結婚を考えお家を探しおいた俺は、早速生涯の劻ずなる、同僚のいっこさんず行っおみるこずにした。

    アメリカ村は、未だ単線であった西郚新宿線で、高田銬堎から時間ほどの所に圚り、随分遠い所に来おしたったなぁ、ずいうのが最初の印象だった。

    皲荷山公園駅の埅合宀には暖炉があり、いきなり西掋文化の入口に立たされた気がした。駅を出るず目の前には、癜い階建おの家が点圚する緑豊かな公園が広がっおいた。蟺り䞀垯には、元豊岡陞軍士官孊校の跡地に駐留軍のゞョン゜ン基地が圚った。

    線路沿いの緩い䞋り坂を分皋歩いおいくず、壁に四桁の番地代わりの数字が印された平屋の癜い䜏宅矀が珟れた。八朚の家は背䞭に傟斜地を背負っおアメリカ杉が玄関わきに聳える瀟排な家だった。前庭には免蚱もないのに買ったずいう、オりスチンヒヌレが駐車しおあった。
    䞭に入るず畳のリビング、ダむニングキッチン、二぀の寝宀があり四畳半䜏たいの二人にはこれ以䞊ない空間が広がっおいた。䞀も二もなく気にいった我々二人は、八朚の家から軒隣りのハりスに䜏むこずにした。

    近くには入間川が流れ、埌ろにはタヌザンごっこにもっおこいの、朚の生い茂る傟斜地もあり、子䟛たちが遊ぶには栌奜の堎所。近所はアメリカ人ばかり。

    アメリカずいう蚀葉に察する憧れは、子䟛時代に育った長野での䜓隓が関係しおいた。長野は、倪平掋ず日本海を繋ぐ動脈ずしお、進駐軍が滞圚しおいた。
    階の窓から戊車䞊の兵隊に、手を䌞ばしお叫ぶ「GIVE ME CHOCOLATE!!」は最初に芚えた英語だったし、図曞通の掋曞から挂うレヌズンのかおり、プラム、絊食のコッペパン、脱脂粉乳はアメリカを意識させる原䜓隓であった。

    アメリカ村は、初期から䜏んでいた絵本䜜家、デザむナヌや、我々䌚瀟勀めのデザむナヌに加えお、埌に鍛金、圫金デザむナヌ、グラフィックデザむナヌ、ミュヌゞシャンに加えお、写真家等々が䜏むようになり、次第に芞術村の様盞を呈しおいった。
    特にアメリカのポップアヌトやアメリカンコミックのテヌストに満ちたグラフィックを描くデザむナヌや、スタンダヌドミュヌゞックやカントリヌ゜ング、ゎスペル等をルヌツずし、圓時䞻流であったフォヌクヌ゜ングずは違う志を持぀ミュヌゞシャングルヌプが、アメリカンミュヌゞックにむンスパむアヌされお、新しい日本の音楜をここから発信しようずしおいた。

    その゚ネルギヌは、アメリカのりッドストックで行われたミュヌゞックフェアヌに魅了された若い䞖代に、裟広がりのパン、ベルボトムず共に受け入れられおいった。

    それず、アメリカ村での駐留将兵によっお繰り広がれる生掻颚景である、週末のバヌベキュヌ、クリスマスの食り付け、カントリヌ゜ング、将兵のファッション、乗甚車のスチュりドベむカヌ、ゞヌプ、ステヌキハりスのニックスは、子䟛の頃の原䜓隓の珟実化であり、胃袋から生掻様匏迄を占領された、文字どうり衝撃的なカルチャヌショックであった。

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    ステヌキハりス ニックス

    特に基地を行き来する『口玅から機関車迄』の著者であり、䞖界的に有名なむンダストリアルデザむナヌの、レむモンド・ロりむヌが手がけたアメリカの工業補品を代衚する、矎しい流線圢のスチュヌドベむカヌを芋るに぀け、デザむナヌずしお工業補品の宿呜である、䞖界的マヌケットで勝負しなければいけない身にずっおは、『日本のデザむン』を真剣に考えさせられる巚倧な存圚であった。

    第章 アメリカ村を思い出すず冬ばかり 堀越 郁子

    ※堀越さんのパヌトナヌ。暮らしの蚘憶は、出来事よりも季節ず結び぀いお残るこずがある。この章には、そんな時間の感觊が詰たっおいる。

    幎の冬、狭山垂のアメリカ村に先に䜏んでいた旧友、八朚さんの玹介で、私ず堀越さんはアメリカ村に匕っ越すこずになりたした。
    そしお、匕っ越しお間もない幎月に結婚しお、アメリカ村での新たな暮らしが始たりたした。
    東京から西歊線を䞋り、所沢駅を過ぎる蟺りで気枩が床くらい䞋がり、䞀気に空気が冷たくなりたす。䜏宅街から矎しい雑朚林の緑ぞず倉わっおいく、車窓からの景色を眺めるのが奜きでした。
    アメリカ村の最寄り駅の皲荷山公園駅は、圓時は朚造で、暖炉ずベンチが䜜り付けおある可愛い駅舎でした。線路は単線。平日の朝でも䞀本逃すず分も埅たなければならず、遅刻は必至でした。
    ある雚の朝、本逃しお䌚瀟に遅刻しお蚀い蚳をしたら、
    「本逃しお分埅ち、っおどんな山の䞭から来おるのよ。」ず、泥の付いた長靎をちらりず芋お、同僚は笑っおたした。
    あの頃は、郜心ぞの通勀圏は遠くおもせいぜい所沢駅たでだった時代。匕っ越したばかりの頃は、通勀電車の䞭で、「随分ず田舎に行っちゃったな  」ず思ったものです。

    皲荷山公園駅から緩やかにカヌブした坂道をどんどん䞋るず、皲荷山䞋に米軍ハりスのアメリカ村がありたす。ハりスの壁は癜、薄いピンクや氎色などに塗られ、それぞれハりスナンバヌが手曞きでペむントされおいたした。郵䟿物は「入間川アメリカ村ハりスNO.」で届くずころが、埌玉の田舎のアメリカ村を象城しおいたした。
    倧雪が降った翌日は、八朚さんや西巻さんら倫の同玚生仲間ず、駅からの緩やかなカヌブでスキヌをするのが楜しくお、誰かが転ぶ床に倧笑いしおいたした。
    クリスマスが近づく月になるず、ハむドパヌク(皲荷山公園)の䞭にある将校ハりスは、家が色ずりどりの電球で食り付けられ、倧きな杉の暹はクリスマスツリヌになっおピカピカず光っおいたした。真っ暗で薄靄のかかる静かなのハむドパヌクに、光に包たれた倧きなハりスや䜕本ものクリスマスツリヌ。ずおも幻想的で、たるで絵本の䞖界のようでした。
    䞀般人が立ち入るこずができなかった空間だったので、䜙蚈に幻想的に芋えたのかも知れたせん。
    幎にハむドパヌクが米軍から返還されおからは、誰でも䞭に入っお遊べるようになりたした。
    皲荷山公園駅を出るずすぐの公園の入り口を入るず、以前MPが立っおいたゲヌトから、コンクリヌトの広い車道が真っ盎ぐに䌞びおいたす。呚りは広い芝生、よく手入れされた倧きな暹朚が点々ず怍えられおいお、日本の公園ずはたったく違った雰囲気でした。
    冬、雪が降るず子䟛達は公園内を゜リで滑ったり、雪合戊で雪たみれになっお倢䞭で遊んでいたした。
    アメリカ村のこずを思い出すず、なぜか冬のこずばかり。ハりスにはそれぞれドラム猶が備えられおいお、倧きなストヌブに石油が匕き蟌たれ、ゎヌゎヌず炎が燃えおいたので、党宀がい぀も枩かく、お颚呂やシャワヌ、キッチンの氎道からは、貯湯匏のボむラヌ経由でい぀でもお湯が出たした。そういった点では圓時の日本家屋ずは違っお、寒い冬は䟿利で快適でした。
    匕っ越した圓初は、お隣もお向かいも近隣はアメリカ人の家族がほずんどで、その暮らしぶりを垣間芋るこずができたのも新鮮でした。
    時折ふず、自分たちが遠いアメリカのどこかの村にいるような気がするこずもありたした。

    今思えば、ただ小さかった子䟛たちず、自然の䞭で自由でのびのびした生掻は毎日が楜しく貎重な時間だったな、ず時々アメリカ村を思い出したす。

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    週末の倩気のいい日はい぀も八朚家ずハむドパヌク

    第章  埌玉の桃源郷 宮沢 癟合子

    ※堀越倫劻のGKの同僚、宮沢倫劻の奥さん。この章は、アメリカ村の「内偎」ではなく、少し離れた堎所から芋た蚘憶である。

    GKは楜しい職堎で、皆仲が良かった。倉わった人が倚く、仕事に情熱を捧げ぀぀、楜しく遊ぶこずも倧切にしおいた。
    なので、自然ず職堎恋愛職堎結婚が倚かった。
    特に、堀越さんず郁子さんカップル、そしおコロちゃんず仲良くしおいた。
    コロちゃんは、䞖田谷の䞊町の実家から䌚瀟に通っおいた。よく遊びに行ったが、麻雀で遅くなった堀越さんが、しょっちゅう倜、転がり蟌んでは泊たっおいた。
    四人兄匟のコロちゃんの家は、リビングで垃団を敷いおゎロゎロず寝おいお、合宿所のようだった。
    幎に堀越さんず郁子ちゃんは埌玉の狭山垂に匕っ越しお、結婚した。
    スキヌ堎で開催された二人の結婚匏は盛倧で、スキヌの䞊手いコロちゃんが束明を持っお滑り、その埌に続いお皆で滑っお行った、あの幻想的な景色は忘れられない。

    私はコロちゃんず付き合うようになり、幎に結婚しお歊蔵関に䜏み始めた。
    その幎に、堀越家が䜏むアメリカ村に初めお二人で遊びに行った。その時玹介されたのが近所に䜏む八朚さんだった。
    ハりスに䜏んでいる日本人は、倧抵倫婊だったが、八朚さんは独身で䞀人暮らしをしおいた。堀越さんずは予備校時代からの芪友で、よく家を行き来したり、䌑みの日はテニスをしおいるようだった。
    確かにアメリカの村のようなその雰囲気は、埌玉の田舎ずは思えない西掋の銙りが挂う玠敵な空間で、桃源郷のような所だった。
    「空きが出たらコロちゃんたちも䜏んだら」ず堀越さんに蚀われたが、
    「魅力的だけどねぇ。でもここから毎日目癜に通勀するのは倧倉だなぁ」ずコロちゃん。
    「慣れちゃえばどうっおこずないよ。八朚なんお銀座たで毎日通っおんだぜそれも車で」ず笑った。
    それからずいうもの、よく䌑みの日はGKの人たちず䞀緒に、堀越家のホヌムパヌティヌに呌ばれた。ただみんな子䟛もいなくお気楜に遊んでいた。

    翌幎の幎に堀越家に長男が生たれ、皆の茪の䞭に赀ちゃんが䞀人加わった。
    そしお、幎埌の幎。月に堀越家の次男、月に八朚家の長男、週間くらい たった月にはうちに長女が誕生し、䞉人の赀ちゃんが増え、䞀緒にいる時は床にころころず䞉人が兄匟のように転がっおいた。

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    巊から、私ず氎くん。玀子ちゃんず克くん。いっこさんず歩。

    八朚さんの奥さん玀子ちゃんずも仲良くなっお、郁子さんず䞉人でそれぞれ赀ちゃん抱えお、堀越家に集たったものだ。
    合宿ず称しお、私ず赀子の歩あゆみだけでよく堀越家に泊たっおいた。

    第章 僕のルヌツ 八朚 克人

    ※ここからは、子どもの目に映っおいたアメリカ村の颚景である。

    幎の春に生たれ、僕は歳になるたでアメリカ村で育った。
    ハりスに䜏んでいた頃、毎日のように母に絵本を読んでもらっおいた。
    「こぐたちゃんの絵本」「ちいさいおうち」「ひずたねこざる」など。
    僕が生たれ育った家は、「ちいさいおうち」によく䌌おいお、庭には倧きなヒマラダ杉が立ち、りサギがたくさんいた。
    同じ歳でアメリカ村に䜏んでいた、りんごちゃんずコヌちゃんずは仲が良かった。
    特に、斜向かいに䜏んでいたりんごちゃんハりスにはよく遊びに行った。
    䞀歩䞭に入るず甘い匂いがしお、いろいろな骚董品が所狭しず䞊んでいる。䞍思議な博物通のようで、い぀も興味接々だった。
    リビングから奥の郚屋ぞず続く廊䞋では、りんごちゃんが䞡手䞡足を噚甚に壁に぀け、スパむダヌマンのように登っおいく。その様子を芋おは、よく笑っおいた。
    りんごちゃんのママはずおも矎人で優しかった。たたに芋かけるパパは、髪が長く、ズボンの裟が広がっおいお、少し怖い印象だった。
    コヌちゃんハりスは、少し離れた坂の䞊にあった。い぀も掟手な暡様の、ふんわりずしたワンピヌスを着たお母さんが、お菓子を出しおくれた。
    庭にはシトロ゚ンが停たっおいお、家の䞭には叀いカメラずレコヌドがたくさんあった。コヌちゃんは、ブリキのおもちゃを次から次ぞず芋せおくれた。
    ずいぶん埌になっお、お父さんがカメラマンだったず知る。

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    卒園匏。りんごちゃんずコヌちゃんず。

    よく䞀緒に遊んでいたのは、堀越家の兄匟だった。父同士が昔からの友達で、家族ぐるみで付き合っおいた。
    長男のたっくんは四぀䞊、次男の氎くんはか月䞊だが孊幎は䞀぀違い。
    たっくんは、わんぱくで冒険奜きで、無謀ずも思える行動力だった。
    歳の僕からするず、歳の小孊生の行動力は、たさに「無謀」に映った。
    い぀も裏山を䞉人で登り、秘密の掞窟に行っお捕たえた蛇を飌ったり、金網の穎を抜けおハむドパヌクに忍び蟌んだりした。山の斜面にずころどころ口を開けた巚倧なお怀状の穎。戊時䞭に萜ずされた爆匟でできたクレヌタヌだず埌から知った
    その瞁の朚にロヌプを結び、タヌザンごっこをしたこずもある。
    のんびり屋だった僕には、どれも少し怖い䜓隓だった。尻蟌みする僕に、たっくんは
    「か぀わん、やっおみろ 早く飛べ」ず声をかける。
    萜ちたり、転んだりしお半べそをかいおいるず、氎くんが泥の぀いたズボンをはたき、脱げた靎を履かせおくれた。そんなボヌむスカりトのような毎日を過ごすうちに、のんびり屋の僕も、少しず぀持ち前の運動神経が目を芚たし、足腰や肩が匷くなっおいったような気がする。

    僕は䞉人兄匟の長男だけど、いわゆる長男タむプではない。きっずそれは幌少の頃、兄貎のような二人がい぀も䞀緒だったからのなのだろう。
    歳くらいの頃だっただろうか。軒隣に䜏んでいた堀越家が、山の䞊のハりスぞ匕っ越しおいった。山の䞊のハりスは、もずもず䜍の高いアメリカ人将校が䜏んでいた家で、䞋のハりス矀より倍ほどの広さがあった。
    ある日、僕は䞀人で堀越家ぞ遊びに行った。子どもの足で分以䞊かかる、倧冒険だった。䜕かあった時のために、拟った朚の棒を手に持ち、家の裏手の山沿いの道を歩いおいく。
    あやちゃんの家を過ぎたら右に曲がり、山の䞊ぞ続く坂を登る。
    山道を登りきったあたりに、鎖が長く぀ながれた犬がいる。そこが、僕にずっおの第䞀関門だった。
    しきりに吠える犬を前に、走っお抜けられるか考える。鎖の長さが分からず、恐怖で足がすくむ。匕き返すこずも頭をよぎったが、ここたで来たら行くしかない。
    棒を構えおダッシュした。犬は勢いよく向かっおきたが、なんずか逃げ切った。
    軜くちびった。
    次は、あるハりスの暪の现い道。庭に攟し飌いの犬がいお、金網越しに吠えながら远いかけおくる。たた半泣きでダッシュし、これもクリアした。
    巊手に巚倧な氎色の䞞いタンクが芋えおきたら、あず少し。振り返るず、朚々の間から小さなハりスが点々ず芋え、その先には山々がうっすらず連なっおいた。
    幌心に、倧きな達成感が湧き䞊がった。

    そこから分ほどは平和な道が続く。棒を振りながら、りルトラマンセブンの歌を口ずさみ、ようやくたっくん家に蟿り着いた。
    いっこちゃんず氎くんに迎えられ、
    「よく来たねぇ、か぀わん」
    ず頭を撫でられた時の嬉しさを、今も芚えおいる。
    堀越家に遊びに行くず、よくたっくんや氎くんず䞀緒に、隣に䜏むアミちゃんハりスにも行った。アミちゃんパパのチュヌさんは、髪が長く、髭を生やし、ズボンの裟がラッパだった。僕には、りんごちゃんのパパずの芋分けが぀かなかった。
    リビングには倧きなビリダヌド台があり、倧人たちがビリダヌドをしおいる間、僕らにずっおは台の䞋が最高の基地だった。カラフルな玉が頭の䞊をゎロゎロず転がる。
    たっくんが、
    「か぀わんはオレンゞず緑を芋぀けろ」
    「ブン氎くんは黄色だ」
    ず指什を出す。
    転がる玉を捕たえおポケットに入れるず、
    「誰だ、玉を取ったのは」
    ず、長い棒を持ったチュヌさんが台の䞋を芗き蟌む。
    それが鬌のように怖くお、
    「わヌヌヌ」
    ず䞉人で叫びながら、台の䞋から逃げ出した。

    アメリカ村のハりスは、どこに行っおも普通の家はなかった。倉わった倧人たちばかりだったが圓時はそれが普通だず思っおいた、みんな子どもに優しく、どの家も楜しい空間だった。
    䜕幎も経っおから、りんごちゃんのパパが圓時パむオニア的なデザむナヌだったこず、アミちゃんパパが有名なミュヌゞシャンだったこずを知った。
    長髪で髭のおじさんたちは、実は皆、すごい人たちだった。
    アメリカ村で過ごした幌少期の幎間。
    思い返すず、いく぀もの絵本の䞭を行き来しおいたような、幻想的で幞せな日々の連続だった。
    あの時間が、知らないうちに、今の自分の茪郭を぀くっおいたのだず思う。

    第章 誰よりも䜏み続けたアメリカ村 䜐藀 甲

    ※この章の蚘憶は、1977幎以降もアメリカ村に暮らし続けた、幌少期の克人の芪友。本曞では、その䞭から初期の時間を切り出しおいる。

    アメリカ村には、結果的に幎近く䜏んだこずになる。
    カツワン克人の倍以䞊だ。
    子どもの頃の家の蚘憶は、音や匂いず䞀緒に残っおいる。
    FENから流れるカントリヌずゞャク゜ン・ブラりン。
    ストヌブの䞊で煮蟌たれるトマトスヌプず、クリスマスのリンゎパむ。
    建お増しした郚屋の暖炉、爺ちゃんのアトリ゚に挂う油絵具ずパむプの匂い。
    庭には氎色のシトロ゚ンが停たっおいた。

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    懐かしきハりス

    どこかの家の庭で、䜕床かバヌベキュヌをした蚘憶もある。
    圓時、アメリカ村以倖の狭山で、そんなハむカラなこずをしおいる人たちは、ほずんどいなかった気がする。たあ、日本初の宅録でアルバムを䜜るようなミュヌゞシャンが䜏む堎所なのだから、䞍思議ではなかったのかもしれない。
    仲が良かったカツワンは、超合金ガむキングのおもちゃを持っおいお、それで遊びたくお、い぀も登園バスの時間より早く八朚家ぞ行っおいた。
    家の前にはミニクヌパヌが停たっおいた。
    カツワンの斜向かいにはりんごちゃんの家があり、よくカツワンず遊びに行った。
    りんごちゃんの郚屋はピンク色で、ずにかくおしゃれだった。
    颚呂堎には、メカゎゞラずキングギドラの超合金があった。
    りんごちゃんのパパは少し怖かった。でも実はすごいデザむナヌで、りんごパパがデザむンしたトム・りェむツの日本公挔のポスタヌは、今でも僕の宝物だ。

    アミちゃんのパパ、チュヌさんは、圓時人気絶頂䞭のムキムキマンを狭山みたいな小さい町に呌んでくれた人だ。
    アミちゃん家が匕っ越す時、チュヌさんがレコヌドを捚おるずいうので、段ボヌル箱分ものお宝を貰った芚えがある。その䞭にあった゚むプリル・フヌルのアルバムが栌奜良くお、擊り切れるほど聎いたものだ。
    トムズキャビンの麻田さんからは、車やバむク、自転車、掋服や音楜を教わった。
    しょっちゅうサンプル盀のレコヌドをもらいに行った。
    ある日、あのゞャク゜ン・ブラりンが西歊線に乗っおアメリカ村に遊びに来たこずがある。そしおなんず我がハりスに来たのだもちろん麻田さんが連れお来た。
    圓時はその凄さに少しも気づいおいなかったけれど、今思うず震える゚ピ゜ヌドだ。
    ゞョン・レノンがお忍びで日本に来た時、行き堎のないマネヌゞャヌが麻田家に泊たった、ずいう話も埌から聞いた。
    あず、うちに现野晎臣さんがご飯を食べに来たこずが䞀床だけあったらしいが、本圓に残念ながら芚えおいない。
    そんな、今思えばすごい人達が出入りしおいたアメリカ村。でも圓時の僕ら子䟛にずっおは、普通の髭のおじさんたちだった。
    幎代埌半くらいから、みんな少しず぀匕っ越しおいき、ハりスは埐々に取り壊され、歯抜けのようになっおいった。
    戻る堎所がなくなっおいく感芚は、たるでダムに沈んでいく村のようだった。
    いよいよ麻田さんが匕っ越した時は、アメリカ村の終焉を感じた。
    ハむドパヌクのハりスすら、もう無くなっおしたった。

    狭山ではない、どこかの山の䞊に、アメリカ村はただ残っおいる。
    今でも、たたにそんな倢を芋る。

    あの家にはもう別の誰かが䜏んでいお、僕はそのすぐそばに家を借りおいる。もう䜏んでいないこずに寂しさを感じながらも、ただ取り壊されおいなくお安堵する。
    無くなっおしたったのは寂しい。
    でも、あれほどカルチャヌに満ちた環境の䞭で、倚感な時期に過ごせたこずは、本圓に幞せな時間だったのだず、今になっおしみじみ思う。

    第章 よく倢に出おくる村の思い出 井川真鍋りんご

    ※克人ずよく遊んだ幌銎染。子どもの蚘憶は、ずきに倢ず珟実の境界を越える。この章は、そんな感芚のたた語られおいる。

    幎秋生たれ。高校卒業たで、短倧の途䞭たでアメリカ村で育った。
    䞋北沢の家や今の䜏たいは、倢に出おこないのに、䞍思議ずアメリカ村の家がよく倢に出おくる。
    アメリカ村の家の間取りは、倧きく分けおパタヌンあった。ひず぀はリビングに面しお郚屋が䞊ぶタむプ、もうひず぀はリビングから䌞びた廊䞋に沿っお郚屋が配眮されおいるタむプ。うちは埌者。その廊䞋の壁に手足を突っ匵っおペタペタ登るのが奜きだった。
    ハりスは日本の家ずはだいぶ違っおいた。でも、生たれたずきから䜏んでいたから、それが圓たり前だず思っおいた。たずえば颚呂はナニットバスのような造りで、バスタブずトむレず掗面台がひず぀の郚屋にたずたっおいた。脱衣所はなかった。小孊校の友達が遊びに来るず、たいおい驚かれた。
    幌いころのテレビ番組の蚘憶がほずんどない。䞡芪に聞いたこずはないけれど、きっず家にテレビがなかったのだず思う。
    小孊校幎くらいから番組の蚘憶があるので、その頃に導入されたのかもしれない。代わりに、家には倧量のレコヌドがあっお、い぀も音楜が流れおいた。
    絵を描いたり人圢で遊んだりするのが奜きだったけれど、倧人しい子ではなかった。近所の克くんの家にはレゎが倧量にあっお、倢䞭になった。特に、透明のプラスチックがはたったリアルな窓のパヌツには、うっずりした蚘憶がある。
    女の子の友達では、䞀぀䞋のアミちゃんずよく遊んだ。しっかり者でハキハキしおいお、人圢遊びでは意地悪なキャラず優しいキャラをうたく挔じ分けるのが䞊手だった。い぀も面癜かった。アミちゃんのお母さんはふんわりず優しい人で、お父さんも私のこずをアミちゃんず同じように可愛がっおくれた。怒られるこずもあったけれど、それも含めお察等に接しおくれおいたず思う。
    圓時、お父さんが歌手だずいうこずはなんずなく知っおいたけど、特に意識はしおいなかった。今思えば、たしかに通る良い声をしおいた。

    保育園の頃たで、䞡芪は若くお掟手な栌奜をしおいた。でも特別なこずだずは思わなかった。たわりの倧人たちも䌌たような雰囲気だったから。
    小孊校に入り、アメリカ村の倖の友達ず遊ぶようになっおから、うちはちょっず倉わっおいるのかもず気づきはじめた。
    だけど、恥ずかしいずも誇らしいずも思わなかった。倧人になるたで、他人の目をあたり気にしない性栌だった。歳のずきに匟が生たれたけれど、「お姉ちゃんになるんだ」ずいうより、「䞻圹の座を奪われる」ずいう気持ちのほうが匷かったように思う。

    今になっお客芳的に振り返るず、「アメリカ村に䜏んでいる」「仕事がよくわからない若い倫婊の子」「“りんご”ずいう倉わった名前の女の子」に察しお、䞖間は意倖ず優しかった気がする。今ならネットで叩かれおいたかもしれないけれど、あの頃はただ、そういうやわらかな蚱容が残っおいたのかもしれない。

    第章 MU!!の原点 真鍋 立圊

    ※りんごちゃんのパパ。この章で、アメリカ村がただの䜏宅地ではなかった理由が芋えおくる。

    絵は小さい頃から埗意だった。
    高校幎になっお芞倧を受隓するために、お茶の氎矎術孊院の倜間郚に通い始めた。
    そこで䞭山泰ずいう男に出䌚った。話すず気が合い、すぐに友達になった。
    最初の受隓で䞭山は桑沢デザむン研究所に合栌しお、さっさず入孊しおいった。
    私は芞倧は叶わず、䞀浪しお桑沢の二次詊隓を受けお入孊するこずになった。
    入るず䞭山は䞀幎先茩だったが、二幎に䞊がったずきに䞭山はだぶっお結局、同玚生ずなった。
    䞀緒に入孊した奥村ずも趣味が合い、仲良くなった。
    そしお䞉幎目にリビングデザむン科のグラフィックに䞉人揃っお進玚し、叀矎術がわかる、ずいう共通点もあり、よく぀るむようになった。
    卒業したら「そのうち䞀緒に䌚瀟をやろう」ず䞭山を誘った。
    幎の幎末、桑沢を卒業しお䞀幎も経たないうちに、WORKSHOP MU!!を䞭山ず二人で蚭立し、衚参道に工房を構えた。
    奥村は数ヶ月経っおから、時々手䌝うようになった。

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    ミヌコこず真鍋矎䜐子は、桑沢の四孊幎䞋のドレス科だった。
    幎に卒業し、倖囜のブランドのプレスずしお雇われ、服を制䜜したり、モデルをしたりず、矎人で目立぀子だった。MU!!に加わった圌女は、いろいろな郚分で䌚瀟を支えるミュヌズ的な存圚になった。
    幎月にMU!!の連䞭を連れお、飯胜のミヌコの実家に遊びに行った。理髪店をやっおいたミヌコの家で散髪しおもらうためだった。
    その日の埌玉新聞を芋たら、狭山垂が垂営䜏宅ずしお、ゞョン゜ン基地呚蟺の、「米軍ハりス」の居䜏者を募集しおいる、ずいう蚘事が目に飛び蟌んできた。
    その頃、お腹の倧きいミヌコにずっお、衚参道の階の事務所を階段で登り降りするのは日々倧倉になっおいたし、生たれおくる子のこずを考えたら、狭山垂の皲荷山公園呚蟺の環境は自然に囲たれお最高だった。

    私の実家は石神井公園にあり、近くには広倧な米軍基地「グランドハむツ」があった。呚蟺には米軍の家族たちが生掻しおいお、垣間芋える店や颚俗、聞こえおくる音楜はアメリカそのもので、幌いながらもその空気感に憧れのようなものを感じおいた。
    い぀も、ミヌコず電車で飯胜に行く時、西歊線の窓から芋える皲荷山公園駅近くのゞョン゜ン基地、ハむドパヌク内のハりス矀は少幎期に芋おいた、憧れのグランドハむツを思い出させた。
    ミヌコの実家で散髪をしお、ややすっきりずした我々MU!!メンバヌず、桑沢時代の文化祭で出䌚ったミュヌゞシャンの小坂忠の四人は、その蚘事を芋お垂圹所に車ですっ飛んだ。先着順ず曞いおあったからだ。
    物件はこれたで既にミヌコずドラむブデヌトをしお、充分に把握しおいた。

    そこにはただアメリカ人が䜏んでいお、その集萜䞀䜓がアメリカのようだった。通称「アメリカ村」ず聞いお玍埗した。日本人のファミリヌも既に䜕件か借りおいるようで、倧家さんによるず、芞倧出の人たちが倚いようだった。
    䞀戞建お庭付きで䞇千円ずいう栌安な家賃。圓時には珍しく、床がハヌドりッドの板匵りで、たさにアメリカの䜏宅のような造りでモダンだった。

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    我がハりスのリビングで。MU!!のメンバヌ Photo by Mike Nogami

    私ずミヌコはすぐに気に入り、䜏居ず仕事甚に䞀軒ず぀借りるこずにしお、月から入居するこずになった。

    ちょうどその頃、小坂忠がマッシュルヌムレコヌドの第䞀匟ずしお、傑䜜アルバム『ありがずう』のレコヌディング最終段階に取り掛かっおいた。それは、ハりスに移ったMU!!でのレコヌドゞャケットデザむンの蚘念すべき第䞀匟だった。

    しばらくしお、青山時代からMU!!に出入りしおいたカメラマンの野䞊真宏が、『はっぎいえんど』の裏ゞャケット撮圱のためにアメリカ村にやっお来た。
    现野晎臣、倧瀧詠䞀、束本隆、鈎朚茂を連れお。

    その幎の月には、小坂忠が結婚を期に近所のハりスに匕っ越しお来お、翌幎には现野晎臣倫婊も忠の隣のハりスに入居した。
    现野は幎春より自宅録音の初゜ロアルバム『HOSONO HOUSE』の制䜜を始める。収録曲の『パヌティヌ』はアメリカ村で開催した野球倧䌚のテヌマ゜ングずしお现野が䜜曲したもの。『川沿いの道』は狭山垂䞭心郚を流れる入間川ずその呚蟺の景色からむメヌゞされたものである。

    このように、アメリカ村のハりスにはミュヌゞシャン仲間が集たっお来お、日々新しい音楜、絵やデザむンが生たれた。

    そしお月には埅望の長女が生たれた。

    幎に、桑沢の卒業制䜜で『りんご』をモチヌフに描いた䜜品が、あるデザむン䌚瀟の人の目に留たり、仕事の䟝頌が来お埌にMU!!が誕生した。
    人生を倉えおくれたその䜜品ぞのセルフオマヌゞュの意を蟌めお、子䟛の名前を『りんご』ずした。

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    MU!!が生たれるきっかけずなった卒業制䜜䜜品

    第章 小坂忠ずの思い出の堎所 小坂 高  叡華

    ※小坂忠さんのパヌトナヌ、ペンさんこず叡華さん。この章に語られるのは、音楜ず生掻が地続きだった時代の蚘憶だ。

    幎、私はミッキヌカヌチスさんのアシスタントディレクタヌずしお、蚭立したばかりのマッシュルヌムレヌベルで仕事をしおいたした。
    レヌベルの第䞀号アヌティストずしお、小坂忠が録音に参加しおいたした。
    そしお、月に『ありがずう』ずいうアルバムがリリヌスされたのを機に、私たちは結婚するこずにしたした。
    そのリリヌスず同時に新しいバンドを䜜る事になり、メンバヌを捜しおいた頃、日倧芞術孊郚䞉幎の、スティヌルギタヌを挔奏しおいた駒沢裕城ず出䌚いたした。
    小坂は、圌を䞭心のバンドにしようず考え、他のメンバヌ探しをしおいたした。
    メンバヌが決たったら、狭山に家を探そうず話しおいお、その間、駒沢は私たちの家にしばらく居候するこずになったのです。
    月の結婚匏埌、新婚旅行から垰っお来るず、
    「お垰りなさい」
    ず駒沢が迎えおくれたので、私は笑いながら、
    「お手䌝いさんみたいね。これから駒子コマコっお呌がうかな」
    これ以来、圌の愛称は“コマコ”に定着したした。
    その埌、林立倫、束任谷正隆、埌藀次利らも加わり、『小坂忠ずフォヌゞョヌハヌフ』が誕生したした。

    小坂はその数ヶ月前に、デザむナヌ集団のWORKSHOP MU!!の真鍋くん達ず䞀緒に、狭山の米軍払い䞋げのハりスが集たる村に足を運んでいたした。真鍋くんはすっかり気に入っお、その堎で軒のハりスを契玄しおいたした。その暪で小坂は、「バンドが結成した暁には俺もこの村に匕っ越そう」ず考えおいたようです。

    アメリカ村に匕っ越した私たちのハりスは、舗装された道路から山道たでの間に軒䞊んでいた䞀番山偎でした。リビングからの窓の景色は、山の緑が借景のように景色を豊かにしおくれたした。雪景色も、春に芜吹く珍しいカタクリの花も、満開のツツゞの景色も、どの季節も矎しい思い出です。

    ある朝、朝食を食べながら窓から山道を眺めおいるず、䞀頭の牛が倧きな足音を立おお、巊から右ぞず駆け抜けお行きたした。
    「なんだ今の牛がどっからか逃げ出したのか」
    そんな話をしおるず、その埌から猛スピヌドでお巡りさんが自転車に乗っお牛を远いかけお行くのです。たるで挫画のシヌンのようで、朝から二人で倧笑いしたした。

    我が家にはいろいろなミュヌゞシャンが遊びに来たした。リビングの窓は、アヌリヌアメリカン颚のカヌテンを掛け、米軍の払い䞋げ品のバタフラむテヌブルや、コヌルマンのストヌブなどを眮いおいお、たるでアメリカのハりスそのものの様な内装だったので、アルバムのゞャケット撮圱に来る人たちもいたした。
    フォヌゞョヌハヌフのメンバヌは、我が家の六畳間の窓に、防音のために毛垃を匵っお緎習をしおいたした。そんな時、よく遊びに来おいた友人の现野晎臣は、そのハりスでのラむフスタむルをすっかり気に入っおしたい、ずうずう我が家の真裏の家を借りおしたいたした。
    台所同士が向き合っおいたので、遊び半分に糞電話で話したりしおいたした。そこは、埌に『HOSONO HOUSE』を録音したハりスです。

    圓時はただ米軍の達がアメリカ村に点圚しお䜏んでいたした。右斜め前の家には若い黒人の倫婊が䜏んでおり、歳ぐらいの可愛い男の子がよく遊びに来たした。そのうちお父さんのスタンリヌず小坂は仲良くなっお、ゞョン゜ン基地のボヌリング堎に連れお行っおもらっお遊んだりしおいたした。スタンリヌは麻雀が奜きで、自分でアメリカ人甚に䜜られた麻雀パむのセットを小脇に抱えお家に遊びに来るようになり、私たち倫婊ずおみちゃん现野晎臣氏、スタンリヌで
    「゜りズはバンブヌ、ピンズはボヌル、ハクはホワむト、レッド、グリヌン」
    などパむを英語読みにしお倧いに楜しんだものです。

    アメリカ村での生掻は本圓にのんびりずしおいたした。ただ小さかった子ども達は䜕軒かの友人の家になだれ蟌んで、そこでおや぀を食べるずいうこずも日垞茶飯事。どこの芪もそれを自然に受け入れ、村党䜓がひず぀の家族のようでした。
    「ワヌクショップMU!!」の真鍋くん家のりんごちゃん、我が家のあみ、现野家のあやちゃん、そしお堀越家の、たっくん、みずくん、八朚家のか぀くん、ペット、ヒデト。皆䞀緒に狭山の䞃倕祭りや、ハむドパヌクのピクニックを楜しんだり、ずおも仲良く遊んでいたした。
    入間川河川敷のグランドで開催しおいた、ミュヌゞシャン察抗の野球倧䌚も仲間の倧むベントでした。おみちゃんこず现野晎臣が、その倧䌚のための曲を曞き䞋ろす気の入りようでした。

    どれもこれも、幎代のアメリカ村での生掻は、圓時でなければ埗られない貎重な䜓隓でした。その埌も私たちはハりスを移りながら幎間も䜏むこずになったのです。
    子ども達にずっおも玠晎らしい自然䜓隓で、今でもハむドパヌクでの楜しい思い出は暖かく心に残っおいたす。

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    ハりスの裏の山道で

    第章 絵本に暮らした幎間 八朚 玀子

    ※正仁のパヌトナヌであり、克人の母。郜心の暮らしから埌玉の田舎、アメリカ村に飛び蟌んだ幎間。

    幎倧孊卒業埌、先茩の仕事を手䌝うかたわらデッサン教宀に通い、垰りは友人䞉人ず喫茶店で絵本・童話勉匷䌚をしおいた。
    クリスマスも近い或る日、新聞に茉った絵本の䞭の二冊が目にずたった。
    『぀きがみおいたはなし』『ほしのひかったそのばんに』。子どもの頃からなぜか空を芋䞊げるのが奜きだったからか、そのタむトルにひき぀けられ、すぐ本屋に行った。
    しかし䜕軒回っおも、そんな出版瀟は知らないず蚀われ、数軒たずねた末、ようやく手にしたその暪長の絵本に私はたちどころに魅了され、抱きしめるようにしお持ち垰った。

    そしお翌日、感動のあたり初めお耳にする『こぐた瀟』に手玙を出した。するず数日埌、「遊びにいらっしゃい」ず電話があり、そのたたそこのスタッフに加わるこずになった。
    閑静な青山のマンションの䞀宀に、その絵本䌚瀟はあった。
    狭い和宀のテヌブルを囲み、六、䞃人が意芋を出しあいながら䞀぀の䜜品を䜜っおいく。ワむワむガダガダず実に楜しげに、郚屋にはい぀も笑いがあふれおいた。
    私の圹目は䞻に、䜜家、画家の先生方のお宅に原皿を受け取りに行くこず。
    時には重いゞンク版亜鉛の印刷板数枚を持ち運ぶずいう、もっぱら倖回りが倚かった。先生方はいろいろ興味深い話をしお䞋さり、毎日が勉匷になる、忙しいが充実した楜しい日々だった。

    䞁床私が入ったず同時期、新進の女流画家、西巻茅子さんの絵本制䜜が始たり、芪しく蚀葉を亀わすようになった。四、五歳䞊ず思われる茅子さんのその萜ち着いた物腰ず、䜕よりその独特の可愛い絵からあふれ出るあたたかいものに、ひず目であこがれおしたった。圌女ずの出䌚いが私の将来を決めるこずになろうずは、その時知る由もない。

    幎月に圌女の絵本が出版され、続いお月には私の拙い物語もベテラン画家の先生のお力で矎しい絵本ずなり、倢のような䞀幎であった。
    翌幎も順颚満垆ずいう感じで、次々ずすばらしい絵本を出版しおいった。でもやがお少しず぀瀟内の雰囲気が倉わっおいった。倧手出版瀟から来た経営局、瀟屋も移転。それたで出入りしおいた人たちもあたり顔を出さなくなり、日䞭、瀟内にいるのは経理の女性ず私だけになった。
    私はこれたでのような仕事もなくなり、居心地の悪さを芚えるようになり、幎始め、自ら退瀟を申し出た。
    仕事もなく、創䜜勉匷もはかばかしくなく、プラむベヌトでも悩み倚く、その頃の私は、さながら空気の抜けた颚船のようであった。

    しかし転機はたたしおも蚪れる。
    月の初め、歳の誕生日を迎える頃、友人の぀おで突然グアムに飛ぶこずに。
    初の海倖、ドル円、ただ倧阪経由で矜田からは週䞀䟿ずいう頃である。
    芳光化されおいない島は玠朎でおおらかであった。南の島で過ごしたひず月䜙りの日々は、たた別の物語になるので省くが、芋ず知らずの私を家族の䞀員のように可愛がっお泊めお䞋さった暖かい珟地の人達、䜕よりも末っ子の少幎ず過ごした日々は、忘れかけおいた䜕かを思い出させおくれた。
    気づけばしがんだ颚船は倧きくふくらんで、南囜の青空を飛んでいた。

    幎
    島から戻り、䜕か吹っ切れた私は、時折PR誌の仕事を手䌝ったり、突然叀いキャンバスを匕っ匵り出しお油絵を描いおみたり  ず、淋しいながらも、それなりに自分を楜したせおいた。そんな或る日、茅子さんから個展のDMが届いた。
    その幎の月に絵本出版瀟を蟞めお以来だったので、懐かしさにすぐ銀座の画廊に赎いた。
    平日の昌間で来客も少なかったこずを幞い、茅子さんずゆっくり話すこずができ、その埌のこずなどあれこれ話がはずんだ。
    話が少し途切れた時、
    「玀子ちゃん、結婚する気ないの」唐突に圌女が蚀った。
    「えっ」ちょっず蚀葉に぀たったが、
    「そりゃあ、ありたすよ。だれかいい人いれば  」私は調子を合わせお半ばふざけお蚀った。するず、
    「それがいるのよアメリカ村に䜏んでいる芞倧のクラスメむトがいお  」ず、いきなり身を乗り出しおたくしたおた。
    埌幎思い出そうずするず䞍思議なのだが、その時聞いた話で、圌女のクラスメむトずいうこず以倖䜕も芚えおいないのだ。
    い぀ものこずだが、兄匟や埓兄匟も男ばかりに囲たれお育った私にずっお、その手の女子䌚話がひどく䞍埗手だ。その時もどう反応しおいいか戞惑い、ただ黙っお聞いおいただけなのだろう  。

    その埌、䜕ら音沙汰もなく、ほが忘れかけおいた月の暮近く、圌女から
    電話が来た。
    「りチで鍋するからいらっしゃいよ。䟋の圌も呌んでるから。䜕も知らない友人倫婊も䞀組いるから気楜にね」
    冗談じゃなかったんだ  、ず思い぀぀も折角のお誘いに乗っおみるこずにした。
    母には、「茅子さんの家に忘幎䌚に誘われたので行っお来る。」ずだけ告げた。
    その頃、お節介な叔母が、次々ず持っお来るお芋合い話に党く耳を貞そうずしない私に、おっずりした母たでが、
    「のこちゃん、䌚うだけでも䌚っおみたら  」などず蚀うようになっおいたからもあり、倉に気を回されるのが嫌だった。
    䜕故か「䞀生を共にする盞手」ずいう人のむメヌゞが党く湧いおこなかった。盞手の幎霢や仕事などに関心がなく、特に理想ずいう像があたりなかった。ひず぀蚀えるずすれば、ただ穏やかで䞀緒にいお、自分が自分らしく自然にいられる人が良い。そのくらいだった。

    神楜坂から皲荷山公園駅たで時間半。電車を降りるず、郜内より℃䜎いず思われる冷たい北颚が吹き抜けたが、むしろ心地良かった。
    皲荷山公園駅から続く匧を描く長い坂を、い぀ものように空を芋䞊げながら歩いた。東京の空ず違っお星がたくさん茝いおいた。
    茅子さん家のハりスに到着し、玄関を開けるず、おいしそうな匂いのする暖かい空気に、冷え切ったミニスカヌトの身䜓がフワリず぀぀たれた。
    土足が基本のハりスは、玄関ず宀内はわずかな段差だけ。私は右手を壁に぀き、ロングブヌツを巊手でぬぎながら、ふず顔を䞊げた。郚屋の奥に座っおいる笑顔の人ず、いきなり目が合った。
    瞬間、「あっ、この人です」頭の䞭に声がひびいた。

    そしお圌、八朚正仁氏ずは、翌幎月日に結婚した。
    知りあっお半幎も経っおなかったが、その間に飛び亀った䜕十通もの手玙がその短さを埋めるに十分だった。
    匕越しずいっおも、すでに圌は䜕でも持っおいたので、私は童話ず絵本、愛読曞が入ったダンボヌル数個の他は、愛甚のラむティングビュヌロヌず、わずかな手持ちの衣類だけずいう、実に簡単なものであった。

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    よく二人で料理をしたハりスのキッチン

    二人でペンキを塗った小さな癜い家での初日の朝は、ギャヌギャヌずいうにぎやかな鳎き声で目が芚めた。飛び起きお裏山に面する窓のカヌテンを開けるず、青い倧きな鳥が雑朚林に矀れおいる。カラスや雀くらいしか芋慣れおいなかった私は声を䞊げた。
    「うわあ、青い鳥が  いっぱい」
    「オナガだよ、ほら、尟が長いでしょ。」ず、背埌で笑いを含んだ声がした。
    ドアを開け攟したずたん、網戞を開けお猫が我が物顔で入っお来た。私を芋䞊げお䞀瞥したが、やおらスリスリず足の間をたわるず、しゃがんでいる圌のそばに行った。しばらくゎロゎロずのどを鳎らしお甘えおいたが、たた倖ぞ出おいった。
    「ボクがいる日は必ず朝来るんだよ」ず圌は蚀ったが、私が䌚ったの最初で最埌。あの日以来、もう姿を芋せるこずはなかった。
    「あんたももう心配なさそうね」ずでも、圌に蚀ったのだろうか  。
    猫は来なくなったが、代わりに時々犬がやっおくるようになった。動物が出入りする光景を芋おいるず、䞀幎前の冬、グアムで過ごしたひず月ばかりの幞せな日々がよみがえった。人は勿論、猫でも犬でも、ニワトリたでが気楜に出入りしおたっけ。思えば、もっず広かったが、同じような䜜りの癜い家だった。きっずあれも米軍のハりスだったのであろう。
    ブロック塀に囲たれた、雚戞のある郜内の実家から、アメリカ村のハりスにすぐに銎染んだのは、あのグアムでの生掻があったからかも知れない。

    よく家で聎いおいたビリヌ・ゞョ゚ルの歌声、サむフォンから立ちのがるコヌヒヌの銙り、オレンゞ色のカヌテン  。玄関を出るず目の前にある倧きな倧きなヒマラダ杉に守られるようにしお、ふたりのハりスでの生掻は、こうしお始たった。
    たるで絵本のペヌゞ目のように。
    翌幎月に長男誕生。幎埌幎埌ず次男、䞉男が続き、私は䞉児の母ずなり、たちたち家事、育児、小児科通い  ず远われながら、たたたく間に楜しく幞せな幎が過ぎおいった。

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    こどもたちに䜜った手線みのセヌタヌ

    第章「村」はずれより歳児の原颚景 菊川 圩乃

    ※最も幌い芖点から芋たアメリカ村の蚘憶。そこには、説明できない感芚だけが残っおいる。

    『アメリカ村』ぞ私たち䞀家が移り䜏んだのは、私が生埌ヶ月の幎月。父の写真を通じお公私共に芪しくさせお頂いたJICC珟宝島瀟の蓮芋枅䞀瀟長が匕越された埌に滑り蟌んだず聞いおいる。
    りチのハりスは東の村はずれ。旧HOSONO HOUSEの隣ず気付いたのは歳過ぎにあり、䞀宀は父の寡黙な暗宀だった。父の謎の収集品や花瓶が所狭しず食られ、クラッシックや埌期ビヌトルズ、タむムボカンなどのレコヌドがランダムに掛かるリビングで、元舞台女優の母は玫炎を燻らせよく歌った。
    畑をしたり䞍仲では無さそうなのに、䞡芪は自己䞻匵をめぐる掟手目の喧嘩をちょいちょい。知的障害を持぀兄・぀よしをめぐる悲喜亀亀の時間もあっお、お倩気暡様が読めないような家だった。

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    兄ず私

    私はずいうず、基地の⟶⟏機の蜟⟳に過敏で、富⌠⟒保育園を歳で䞭退以来、絵本に退屈するず『アメリカ村』の村内を⌀⌈探怜しお✇䞭は過ごした。䜕ずなく〈坂忠さんのお宅ぞ䞊がり蟌み、堀越家のいっこちゃんに保護捕獲された歎もあった。倜は぀よしの発䜜で䞭途芚醒し、朝は誰より早くに起きた。毎朝、時半、SONYの型ブラりン管でTBSのりルトラマンを鑑賞しながら「M星雲じゃない。わたしの故郷の星はどこ」ずがんやり思玢する⟵倉わりな⌊、そんなこんなで楜しげな⌊どもたちの集団ず波⻑を合わせお遊ぶのが䞋⌿くそな「圏倖感」に悩める歳児だった。

    そんな私にも、朚枯らしのある日、転機が蚪れた。

    「あやの。わたし、のりこちゃん。わかるかな」

    道端にしゃがむ⟝⻑㎝の私が⟒䞊げたその声の䞻は、✩っぜい服を着た⌥の⌈で、鎻鵠こうこくのように⻑くお真っ盎ぐな⟜を折り畳みきちんず揃えお私の芖界に降り✎った。

    「どうしおわたしを、しっおるの」ず、凝芖するず、じっず私に目線を合わせお、
    「぀よしちゃん、ママずおずもだち。⌌配ないのよ」ず⟔っお、ずっくりのセヌタヌの裟で拭こうずした私の⻩⟊⿐を、サッず取り出したポケットティッシュですかさず拭っおくれた。

    八朚家の玀子ちゃんだ。その日は兄の通院か䜕かでお留守番圹を匕き受けお䞋さったのだろう。招き入れられた玀子ちゃんちのハりスは絵本のようだった。倕飯を頂いた赀いギンガムチェックのテヌブルクロスの食卓は、呚囲がすっかり暗くなっおも煌々ず明るく茝いお芋えた。

    倏には八朚家や堀越家の子どもず垂営プヌルに連れお行っおくれた。それから「子どもたちがお留守の間はいいのよ」ず、八朚家の超かっこいい補助茪付き自転車の借甚蚱可たで䞎えおくれた。

    「あのな、人んちの自転車、乗るなよ」
    ず長男カツワンには腕組みされ、同い歳ずいうだけでおたたごず、いいなづけにされた憂き目に次男ペットには半泣きされた。䞉男ヒデトは安心毛垃を抱えお、玀子ちゃんの長い足の埌ろに隠れた。八朚パパには最高の笑顔で、
    「やあきみが林檎ちゃんか」
    ずい぀も決たっお人違いをされた。ずいった具合に、八朚家に歓迎されおいたかどうかは疑問だったが、玀子ちゃんがいるだけで、地球はいいずころのように思えた。もしかしお、カヌリヌヘアで笑顔の玀子ちゃんは、
    「日曜孊校で習った、倩䜿ではないだろうか」
    ず真剣に思案をめぐらせた。
    家族以倖にもらった初めおのクリスマスプレれントも、玀子ちゃんからだった。
    『おやすみなさい フランシス』ずいう絵本の扉に「あやのぞ 幎月日 クリスマスに のりこちゃんより」ず綺麗な楷曞で青い䞇幎筆で曞かれおいたそれは、飛び䞊がるほど嬉しかった。ただその反面、そのただならぬ特別感に、い぀になく埮かな違和感を感じたのも蚘憶しおいる。

    数ヶ月埌。玀子ちゃんちが匕っ越したず聞き、動転した私は八朚家のハりスに走った。

    カヌテンが倖され、ガランずしたハりス。呌びかけには反応なく倩䜿も、自転車も、いいなづけもいなくなったこずを知り急に膝に震えがきおうずくたり、しくしく泣きながら牛歩の足取りで裏山を歩いお垰った。そうしお同じ頃、別の保育園入りが決たった私の䞀人探怜生掻にも終止笊が打たれた。

    思えばあの『アメリカ村』の《堎》にあった裏山や桜䞊朚などは『借景』ずいうらしい。
    借景に借家。同じ圢状の米軍ハりスが軒以䞊。『アメリカ村』はアヌティストやクリ゚むタヌ、暪田の軍人、宣教垫、町工堎や飲食店の経営者など、いろんな職皮や人皮が思い思いに家族を営む、呚波数が豊かなずころだった。ずきは幎代、所有や境界線の抂念も薄かったのだろうか
    䜕より《人》だ。『アメリカ村』には玀子ちゃんのような人たちがたくさんいおくれたおかげで、圏倖感に満ちた歳児も歳を越え、颚倉わりだった兄も自分らしく幎の倩寿をたっずうした。

    アむンシュタむン以降の『量子力孊』によれば《堎》の゚ネルギヌは時空を超えおいるのだずいう。
    目を閉じれば瞌の奥でい぀でも思い出せる「あの感じ」を取り出しお再珟できないものだろうか
    「安心・安党」「陀菌」党盛の昚今、蚝し気な目で芪に睚たれながらも、泣いおいる子を芋るたびに短い足を揃えおしゃがみ、目線が合うのをじっず埅たずにはいられない私のテヌマでもある。

    第章 さようならアメリカ村 八朚 正仁

    ※最終章、アメリカ村を去る瞬間の蚘憶である。物語はここで終わるが、蚘憶は終わらない。

    幎の春、長男の克君が小孊校に䞊がるタむミングでアメリカ村を離れるこずを決めおいた。
    皲荷山公園駅から数駅郜心に近い、所沢に家を建蚭䞭だ。
    幎前には堀越家が皲荷山の䞊の゚リアのハりスに匕っ越した。䞊のハりス矀は䞋のものず比べるず広かったので、クリスマスの時などは、堀越ハりスでアメリカ村のファミリヌや、GKの人たちを呌んで、盛倧にクリスマスパヌティヌをやったものだ。

    五人家族の我が家にずっおも、䞋のハりスでは少し狭いず感じるようになっおいお、だったら思い切っおアメリカ村を離れお家を建およう、ず思ったのだった。

    幎に䞀人でアメリカ村にやっお来たずきは、呚りはただアメリカ人ばかりが䜏んでいたが、芞倧連䞭に噂が広たり、倚くの䜜家が移り䜏んできた。忠さんを初めずしおミュヌゞシャンのコミュヌンもできおいた。
    堀越家のおかげでGKの人たちの集たりにもよく顔を出し、クリ゚むティブな話ができるかけがえのない時間だった。

    初めおこのアメリカ村に来お、ヒマラダ杉のあるハりスを芋たこずを思い出す。勢いで䞀人䜏み始めたが、い぀の間にか幎が経った。気づけば五人家族になっおいお、近所にはクリ゚むティブなファミリヌがどんどん増えお、い぀の間にかアメリカ村は、クリ゚むタヌ村のようになっおいた。

    匕っ越す数日前の日曜日の倜、堀越ハりスで家族で集たった。
    堀越家の長男たっくんは歳、䞀䞁前に倧人のテヌブルに加わっお高い声で色々ず話しおいる。歳の次男氎君はリヌダヌになっお、うちの䞉人男子を匕き連れ、クッションを積み䞊げ基地ごっこをしおいる。たるで五人兄匟のようだ。
    堀越家ずはほんずうの家族のように仲が良かった。これで所沢に匕っ越すず、ご近所ではなくなる寂しさもある。
    玀子ちゃんはワむンが回ったのか、
    「狭山を離れるのが寂しい  」ず蚀っお目頭を抌さえおいる。郁子ちゃんがハンカチを枡しながら、
    「やだ玀子ちゃん、所沢なんお車ですぐじゃない。」ず蚀っお、皆で笑っおいた。
    僕も笑いながら、目尻に溜たったものを指で拭き取った。

    さようなら、アメリカ村。

    ゚ピロヌグ 

    八朚 玀子
    狭山で過ごした蚘憶が、息子たちの䞭で唯䞀色濃く残っおいる長男克人が、このような䌁画を提案しおきた。圌の劄想めいた思い蟌みに最初はいささか危惧の念を抱き、あたり乗り気ではなかった。
    やがお、単なる䞀介の䞻婊ずしお、アメリカ村で忙しく過ごした数幎間もそれなりに意味があるかしら  、ず思うようになり、半䞖玀以䞊も昔になる圓時を振り返っおみた。
    するず、思いがけない懐かしさが胞に迫り、ハりスで過ごした7幎間の様々な堎面が䞀気によみがえっおきた。

    若かった二人。倧倉ではあったが楜しかった幌い息子たちずの日々。
    至犏の絵本タむム。
    癜い粉を顔に぀けパン皮を緎る小さい息子たち。
    日頃のおおんばもどこぞやら、雛壇の前でお柄たし顔のりんごちゃん。目の前で眩しそうにもじもじしおいるコヌちゃん。
    朝のお出かけシヌンを挔ずるアダノずペットの真面目くさった台詞、色違いの長靎はいお、おねんねタオルを匕きずりながら山道に脱走しおた䞉男ヒデト。
    頭䞊に舞いあげた萜ち葉がきらめく䞭で笑っおいたツペシ  。党おが぀いこの間のこずのようだ。

    今やみな50を過ぎそれぞれ父、母ずなり、人生の蟛い郚分も味わっおきたであろう、圌や圌女達に今䌚えば、たちたちあの頃の幌い笑い顔に戻っおいく。

    私は絵本䜜家になれなかったが、あの村での生掻そのものが私にずっおはやはり絵本の1ペヌゞだった気がする。

    こんな幞せな時間に浞らせおくれる機䌚をくれた息子に感謝するず同時に、ひずずきを共有できた友人たちに心からありがずうず䌝えたい。
    早くに旅立っおしたったお父さんもきっず空の䞊からニコニコず眺めおいるこずでしょう。
    初めおアメリカ村で䌚った日、そのたたのやわらかい笑顔で。

    八朚克人
    父が幎から幎間䜏んだアメリカ村。
    父ず母を繋げおくれた茅ちゃんを筆頭に、ある意味パむオニアのように単身で䜏み始め、あれよあれよずクリ゚むタヌが集たり、䞀皮独特なコミュヌンを圢成しおいったアメリカ村。
    いろいろな人が、いろいろな想いで匕き寄せられるように集たっお、それぞれが自分たちの圢で䜕かしら創造し、䞖に発信しおいた。
    ここで生たれ育った僕ら第二䞖代の幌銎染のほずんどが、やはりクリ゚むティブな仕事に携わっおいる。皆アメリカ村ずいう堎所から離れおしたったけど、ルヌツはきっず同じあの堎所なんだず思う。

    倧孊生の頃だったか、車でふらりず狭山に行っおみたこずがある。
    山の麓の道は舗装され、䞋の堀越家があった䞀垯の堎所はコンクリヌの駐車堎になっおいた。そしお、僕が生たれ育ったハりスの堎所には味気ないアパヌトが建っおいた。
    ヒマラダ杉もなかった。
    ハりスは数軒を残しお無くなっおいたか、誰も䜏んでいなく朜ちおいた。
    䜕だか䜓の䞀郚を倱っなっおしたったようで、垰りの車では涙が溢れた。
    でも同時に、幌い頃のあの楜しかったアメリカ村のこずが次から次ぞず思い出された。

    これからもずっず 思い出ず共に、あのヒマラダ杉ず小さなハりスは僕の䞭で生き続けるに違いない。

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    幎育った我がハりス
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    アメリカ村マップ

    原皿提䟛堀越 韍男、堀越 郁子、䜐藀 甲、井川眞鍋りんご、
    眞鍋 立圊、高 叡華、八朚 玀子、菊川 圩乃
    協力宮沢 癟合子、西巻 茅子
    カバヌ写真 Mike Nogami

     
     
    映像ディレクタヌずしお15幎、䞖界を切り取っおきたした。珟圚はドロヌン空撮を通じ、新しい芖点を探求しおいたす。 noteでは日垞の気づきや旅の足跡を、TALESでは心に残った蚘憶を「小説」ずしお再構築しおいたす。実䜓隓ず想像が亀差する、その境界線を描いおいたす。

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