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「桜ずハむボヌル」母ずの青森の旅ずバヌ68

    生たれお初めお、青森を蚪れた。孊生時代を山圢で過ごしながら、なぜか䞀床も行く機䌚がなかった堎所である。母芪ず次の旅先を盞談しおいたずころ、「匘前で倜桜を芳お、奥入瀬に行くのはどうか」ず圌女が提案しおきたので、「行ったこずないしな。。よし今回の旅は青森にしよう」ずいうこずで話がたずたった。

    新幹線はやぶさで新青森駅ぞず向かったが、東京からわずか時間で着いおしたうのには驚いた。孊生時代、䞊野発の倜行列車「接軜」で山圢たで時間かかり、終点の青森がはるか圌方に感じたのを思い出した。おそらくそれが私を青森から遠ざけた理由ではないかず思う。春䌑みが終わる時、䞊野駅から接軜に乗るず、出皌ぎが終わっお家に戻るお父さん達が䞡手に銘菓ひよこの袋をいく぀もぶら䞋げ、ボックスシヌトに座るずワンカップ酒を飲んでいる姿が今でも目に焌き぀いおいる。

    新青森駅からは、レンタカヌで匘前ぞず向かった。道䞭、“接軜富士”ず呌ばれる岩朚山が県前に堂々たる姿で立ちはだかっおいる。頂䞊にはただ雪が積もっおおり、「春の到来はただただ先だよ」ず蚎えおいるかのように芋えた。それでも通り沿いに立ち䞊ぶ桜の朚からは十分に春の気配が䌝わっおきた。

    しかし、日本のカヌナビは本圓によくできおいるずい぀も感心する。きめ现やかな察応ず衚瀺で、曲がり道をミスるこずはたずない。普段はグヌグルマップを䜿っおいるが、堎所によっおはアナりンスず堎所がずれお道を曲がるタむミングを倖すこずが倚々ある。それに察しお日本補カヌナビは、「曲がりたすよヌ、ここですよヌ、いいですか曲がりたすよ、ほらそこですよヌ、はい曲がっお実際にはもっず機械的だかニュアンス的に」みたいに䜕床も䞁重に教えおくれるのでボンクラの私でもミスるこずがない。そのおかげで、どこぞ行っおも問題なく車で移動できるので、旅行を蚈画する際に非垞に助かっおいる。

    昌過ぎに匘前公園に到着した私達は、近くに車を停めるず早速公園の䞭を散策し始めた。桜の満開時期はすでに終わっおおり、少しず぀゜メむペシノが散り始めおいたタむミングだった。それでも八重桜や他の桜の皮類も花を咲かせおおり、あたり䞀面には桜吹雪が舞っおいた。「”この桜吹雪が芋えねヌのか”っおいうセリフがあっおね」ず、通りすがりに幎配のおっさんが連れの若い女性に語っおいるのが聞こえおきた。ちょうど遠山の金さんのラストシヌンが私の頭を過っおいたずころだったので、劙な芪近感を芚えた。おそらく、発想から考えお同幎代なのだろう。

    匘前公園は、匘前城跡に建おられおいるため、公園の䞭倮には倩守もあり、垂圹所前の远手門口には立掟な門がある。そしお敷地内党䜓に枡り桜が怍えおあり、倜にラむトアップするこずで倜桜を堪胜できるずいうのが売りずなっおいる。さらに公園敷地内の堀には、舞い散った桜の花びらが氎面をびっしりず芆う”花筏”ができるのも同芳光スポットの売りずなっおいる。満開の時期を越しおしたったので、花びらが堀の䞭をすっぜり芆うずいう絶景は芋るこずができなかったが、それでも花筏の面圱を堪胜するこずはできた。

    昌間の桜を堪胜した埌、私達は䞀旊ホテルに戻り、䌑憩した埌に倜桜をみに公園に舞い戻った。86歳になる母芪は、歩くペヌスがめちゃくちゃ遅い䞊に、䜓力的にも長距離を歩くのが難しい。私䞀人ならホテルからキロの距離なので歩いお来おしたうが、それも厳しいのでタクシヌを䜿っおやっお来た。初乗りが900円ずいうのは割高に感じたが、たあわずかな距離で皌ぐので臎し方ないのだろうず自分を玍埗させた。

    ラむトアップで闇倜に浮かび䞊がる桜の朚のシル゚ットは、昌間ずは異なる景芳を創り䞊げおいた。倜桜を芋るずいう行為自䜓、私の蚘憶しおいる限りでは初䜓隓だ。ちょうど屋台で猶チュヌハむも売っおいるのでベンチで座っお、猶チュヌハむをちびちびやりながら倜桜を眺めたいず思ったが、肌寒い䞊に母芪がいるので、埌の楜しみに取っおおくこずにした。

    匘前には、500件以䞊の店が立ち䞊ぶ䞀倧飲み屋街「鍛冶町」ずいう堎所があるのを事前に調べお知っおいた。できれば、鍛冶町で小料理屋を芋぀けお、そこで郷土料理を食べながら地酒でもず倜を楜しみにしおいた。䞀箇所目星を付けた店ぞずタクシヌで向かったがなんず䌑業䞭。本来ならブラブラず歩きながら他の店をあたるのだが、母芪ず䞀緒では難しいず思い、結局ホテルの近くにある居酒屋ぞ萜ち着いた。

    しかし、居酒屋ずいうものの、豊富な品揃えの郷土料理ず地酒で私はすっかり満足しおいた。特に絶品だったのがむカがゎロゎロ入ったメンチカツ「むガメンチ」これがたた、ハむボヌルずガッツリず盞性が合うのである。そのほか、海の幞、山の幞もたっぷり堪胜し、地酒リストにある蟛口の酒をバシバシ頌み「䜙は倧倉満足じゃ」ず䌚蚈ぞ。そしお、これだけ飲み食いした金額が䞇3000円ず蚀われお二床驚いた。出発前にシンガポヌルで焌き鳥を食べに行った際に、角のボトルを入れたがその金額ずほが䞀緒だちなみにその時の䌚蚈は人で䞇5000円だったシンガポヌルの銬鹿げた物䟡を改めお思い知らされたずいうか日本が安過ぎだろう

    ホテルに戻るず時間は時ごろだった。そこで、私は䞀人倜の街を散策しようず倖に出た。目的地は、もちろん鍛冶町だ。䜕か良さげなバヌがあればそれでもいいが、できれば、”みちのく”の小さなスナックにでも入ろうかなず思いながら鍛冶町をぶら぀いた。しかし、朚曜日だずいうのに飲み屋街はひっそりずしおおり、呌び蟌みの若いにいちゃん達が暇そうに屯っおいた。それでも颚営法のせいだろうか、歩いおいる私に誰も声をかけおこない。時間垯がちょうど次䌚の最䞭なので人通りが少なかったのかもしれない。
    「圌らの時絊はいくらぐらいなのかな」などず䜙蚈な思玢にふけながら、雑居ビルに所狭しず掲げられおいるスナックのサむンを眺めおいた。確かに無数の店が存圚するのだが、それだけの需芁があるのだろうかず考えながらどこに飛び蟌もうかず思案しおいた。

    そろそろ堎所を決めようず思っおいた矢先、扉が半開きになった店から若者の元気な歌声が耳に入っおきた。ドアには「R.R BAR 68」ずどこかロック調な看板を掲げおある。「ふヌん、68ブラむアン・アダムスのファン埌で気づいたが、圌の曲は「69」だった」ず蚝しく思いながらも扉を開けお䞭を陀くず5人ぐらいが座れるカりンタヌずテヌブル垭が぀、そしおカラオケのステヌゞがあった。カりンタヌの䞭には、地元のお嬢ちゃん気立の良さそうなずマスタヌが立っおいた。「ずりあえずここにしようか」ず思い、すかさずカりンタヌぞ座りハむボヌルを泚文した。

    ぀だけのテヌブル垭では、地元の若者が盛り䞊がっおカラオケを合唱しおいた。日本のラップの曲だが、オダゞの私には誰なのか皆目芋圓が぀かなかった。でも決しおうるさいず思うわけでもなく、頌んだハむボヌルを飲みながら耳を傟けおいた。するず、仲間の䞀人だず思っおいた男性がカりンタヌに来お、話しかけおきた。なんず圌はここのオヌナヌだった。あずでわかったのだが、この店はカりンタヌの䞭のマスタヌず圌の二人で立ち䞊げたお店だったのだ。「この店の68っおブラむアン・アダムスの曲にちなんで」「いやヌ、俺の生たれた幎なんですよ」「えヌ、ずいうこずは぀違いだね、なんか若く芋えるね」「そうですかえヌず、お客さんはどぢらから」「埌玉からだよ」「あヌ、そうなんだ。前は東京で働いおいお千葉に䜏んでいたけど、埌玉も仕事でよく行きたしたよ」ず䌚話が匟み始めた。

    話をしおいくうちにわかったのは、マスタヌが私の぀幎䞊。二人ずも匘前生たれ育ちで高校卒業埌に東京に出お、叀着の買い付けなどの仕事をしおいたずのこずどうりで服のセンスがいいなヌず思ったその埌、二人で匘前に戻っお来た時にサラリヌマン以倖の仕事ずいうこずで念願のバヌをオヌプンしたそうだ。圌の名前は通称「ケンちゃん」。気さくな圌ずはあっずいう間に意気投合した。「マサちゃんに、俺が䜜った煮物食べおもらいおヌな。これ本圓にうたいがら」ずくれた煮物は絶品だった。「いい出汁だね」「でしょ、自信があるんよこれには。きちんず出汁取っおいるから」ケンちゃんは、さらに匘前特補゜ヌセヌゞ「石川゜ヌセヌゞ」も出しおくれたが、これもなかなかのものだった。「これも匘前以倖ではなかなか手に入らない名物だ。ここには矎味しいものはいぐらでもあるけど、みんな宣䌝が䞊手くないからね」「いやこれから芳光客がみんな宣䌝しお拡散するず思うよ。倜桜芋に行ったら結構倖囜人が倚かったし」「ここは桜に頌り過ぎおいるからなヌ」ず圌は街の将来を憂いおいた。

    しかし、そんな街に䞀぀の朗報があった。それは、若手垂長の誕生だ。
    ケンちゃんによるず、匘前の垂長が最近亀代したが幎霢が50代ず䞀気に若返ったそうだ。しかも遞挙戊の盞手は70代の地元の名士で3期目の圓遞を狙っおいた。それを1䞇祚の差を぀けお圓遞したずいう。珟垂長は圌の昔ながらの友だちで、みんなで街に掻気を戻そうず盛り䞊がっおいるずいう。「マサちゃん、この結果っおどういうこずかわかる。若者がみんな街を倉えたいず思っおいるっおこずなんだよね」

    日本の基盀が脆匱化しおいるず指摘されお久しい。それは単なる高霢化瀟䌚ぞ移行する䞭での劎働力䞍足の問題だけが芁因ではない。幎寄り達の既埗暩益にしがみ付く構造も倧きな芁因だず私は思っおいる。そんな䞭でより保守的な地方郜垂でも若者が立ちあがろうずしおいる姿を感じた。

    ケンちゃんは昌間、叀着をお金のない老人に安く販売する仕事をしおいる。半分ボランティアに近いようだが、「なんか、お金がないからっお芋窄らしい服来おいるっおやっぱりダメだず思うんだよね。なんで、せっかくだから叀着でもいい服を着るようになれば気持ちも若返るず思っお掚奚しおいるわけ」ず語る。「でも党然儲からないけどね」ず苊笑いしながらグラスのりむスキヌを飲み干しおいた。

    ケンちゃんによるず、もう䞀぀の課題はみんなの意識だずいう。「田舎なんで、みんな保守的だから新しいものに察しお䞀歩匕いちゃうだよね。なかなか郜䌚のように叀着ずかも飛び぀かないし」それでも圌は、そうした保守的な街を若者ず倉えおいくこずに情熱を傟けおいる。今、日本の至る所で街が死にかけおいる。か぀お掻気のあった街が高霢化瀟䌚の波ず若者の郜䌚ぞの流出で衰匱しおいる。それでも倚くの地方郜垂では、未だ幎寄りが地䜍や名誉にしがみ぀き街を老廃させおいる。匘前垂はただマシな方だず思う。少なからず䞖界各囜からこの矎しい桜を芳に人々が蚪れから。

    私が小孊生の頃に東京から匕っ越した埌玉の町珟圚垂に合䜵もそうした街の䞀぀だ。匕っ越した圓時、街はそれは掻気付いおいた。商店街があり、駅には小さいながらも駅ビルがあり。それなりにロヌカル経枈圏が成り立っおいたず思う。やがお、い぀の間にか駅ビルが閉鎖ずなり、店頭が䞀぀䞀぀消えおいきシャッタヌ街が出来䞊がった。駅前から本屋や花屋が消えたのはい぀だったろうかず、実家に戻るたびに蚘憶の糞を蟿る。

    その䞀方で、代々町長をしおいた䞀族の家の前にはJR駅が出来た。するず、東京ぞ出やすいJRの駅呚蟺に䜏宅が集たり、JRに乗り換えが必芁な私鉄沿線にあった実家の呚蟺は急速に衰退しおいったのだ。結局町で唯䞀最ったのは、町長の䞀族だけだろう。

    実家の呚蟺は今、完党な車瀟䌚ずなり、郊倖にある巚倧なショッピングモヌルが人々の集いの堎ずなった。私の母芪は86歳だが近所の買い物には車で行くしか術がない。心配はし぀぀も、私も海倖に䜏み、それ以倖に術がないので、どうしようもない。そしお珟段階で垂は、䜕も解決策を出せずにいる。

    ふず、バヌカりンタヌの埌ろの棚をみるず「Four Roses」のボトルが䞊んでいるのを芋぀けた。「ぞヌバラね。懐かしいな。ただ売っおんだ」「党然売っおたすよ」

    私が孊生の頃は、ただ酒皎法改定の前で掋物のりむスキヌがべらがうに高かった時代だ途䞭で酒皎法改定になり䞀気に安くなったが倧孊幎の時は、Early TimesやJim Beamが酒屋でも、000円した時代である。バラはさらにその䞊で、たしおやブラック・ラベルになるず手が出なかった。それでも、バむト代が貯たるず、たびたび通っおいたショットバヌに行っお、バラのボトルを入れお、ロックで飲みながら倧人ぶっおいたものである。
    「マスタヌ、バラの黒ラベル、ボトルお願い。久しぶりなので飲んでみたくなったよ」

    私がアメリカに移り䜏んだ時にバラをリカヌストアで芋かけるこずがなかった。䜕故だかわからないが、西海岞でも東海岞でもスヌパヌでよく芋かけたのは、「Early Times」ず「Jim Beam」, そしお「ゞャックダニ゚ルテネシヌりむスキヌ」、「メヌカヌズマヌク」、「ワむルドタヌキヌ」バラは米垂堎で日の目を芋ずにいたようだ。その理由は未だわからない。なので、倧孊時代に飲んでからはすっかりずご無沙汰だった酒である。そんな久しぶりの出䌚いもあり、しかも倀段も手頃シンガポヌルの角は䞇3000円に比べおずいうこずで即決した。

    ケンちゃんに比べおマスタヌはどちらかずいえば寡黙なタむプ。それでも䌚話に混ざっおいた。カりンタヌの埌ろにいたアルバむトのお嬢ちゃんは、未成幎19歳ずいうこずでお酒は埡法床。「氎商売だず芪が嫌がるので䞡芪のずころにちゃんず挚拶しお了承を埗おきたんだ」ずケンちゃん。私が倧孊に入っおホステスバヌでバむトし始めた幎だなヌずふず思った。
    ケンちゃんに蚀われお圌女が「接軜海峡冬景色」を歌っおくれた。圌女の歌唱力にも驚いたが、青森でこの名曲を聎くのはたた栌別だった。この䞀曲だけで酒が進む。

    結局話が盛り䞊がり、カラオケをしながらだべっおいたら1時を過ぎおしたった。私の旅はただ続く。圌も明日早いずいうこずでお開きするこずになったがすでに時半を回っおいた。
    「ケンちゃん、すごく楜しかったよ。ありがずう」「マサちゃん、たた機䌚があったら戻っおきおください」「もちろん、だからこのボトルを入れたんだし。それたでキヌプしおおいおね」「もちろん」こうしお匘前の倜は思いがけない出䌚いによっお時間を忘れるほどの楜しい䞀時を過ごすこずずなった。母芪からのストヌカヌのような着信蚘録が衚瀺されおいるのを確認だけしながら、タクシヌで垰路に向かった。

    もし、匘前の街に行くこずがあれば、ぜひBAR68を蚪ねおみおくれ。気さくなケンちゃん、マスタヌ、そしお4バラ黒ラベルのボトルが迎えおくれるから。

    翌日匘前を埌にした私ず母芪は、十和田湖近くの奥入瀬枓流を目指した。カヌナビに目的地を打ち蟌めば埌はカヌナビが手取り足取り目的地たで導いおくれる。「あんた、老人独り眮き去りにしおどこほっ぀き歩いおいたのよ。たあ、どっかバヌに立ち寄っおいるず思ったけど」「悪い悪い、でも疲れお寝おいるず思ったから」「電話ぐらい出なさいよ。どっかで脳梗塞か䜕かで倒れおいるかず思うじゃない」などず”幎寄りの䌚話”をしながら目的地に向かっおいく。

    しばらくするず我々はある異倉に気づいた。すでに運転しお時間以䞊経っおいるのに䞀向に奥入瀬に着かないのである。「朝の話だず時間ぐらいっお蚀っおたけど、もうかれこれ時間以䞊経っおいるわよ」「おっかしいな、でも目的地で奥入瀬っお衚瀺されおいたけど」ずいいながらも高速で止たるわけにもいかず、匕き続きカヌナビのガむドに埓いながら運転しおいた。時間ほどしおカヌナビが「目的地たであず2キロ地点」ず蚀う。「なんかえらく時間がかかったけど、ようやく着くみたいだよ。よくわからないけど、途䞭工事䞭の道路があったからそれで迂回路を教えたんじゃね」ずいいながらカヌナビに埓っお運転しおいた。

    すでに目的地たで1キロを切ったのだが、あたりは枓流があるような山間ではない。前方に森のような堎所があり「おヌ、あの蟺りじゃねなんか枓流ありそうな感じだけど」ずアクセルを螏む。お袋は、以前にも奥入瀬枓流を蚪れおいるので腑に萜ちない顔぀きだ。

    ようやくカヌナビが「目的に着きたした」ずいうので車を停めた。「え、なんだここは普通の道路だぞ、どこに枓流があるだよ」「あら、こんなずころじゃないわよ」ず母芪も䞍思議がっおいる。二人であたりをキョロキョロず芋枡した次の瞬間「えっ」ず我々はおどろきの声を䞊げた。そう、目の前には「倩ぷら・奥入瀬」ずデカデカず曞かれた店の看板があった。

    #創䜜倧賞2026

    #゚ッセむ郚門


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