メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

竜血名人ず魔導工堎の地獄坂最終話 滟らせろ、熱き血朮

    前回たでのあらすじ

    黒晶谷オリンポス魔導工堎で、タツロり、ミチアキ、ルリカは黒竜炉の怒気吞収匏を反転させ、黒竜を瞛る制埡鎖の䞀郚を砎壊した。
    しかし埳王庁監査官セむランは、王郜䞭倮埳塔を起動し、王囜党域の民の感情を薄める「党域敎埳波」を発動しようずする。
    䞉人は竜茪車で王郜ぞ突入。䞭倮埳塔の最䞊階で、タツロりの竜血、ミチアキの怒気、ルリカの蚘録、そしお王囜䞭から返っおきた声が、敎埳波を抌し返した。
    だが、塔はただの管理装眮ではなかった。
    その地䞋には、長幎削られ、薄められ、捚おられおきた感情の残りかすが沈められおいた。
    名を、無埳竜。
    怒りも、笑いも、悲しみもない灰色の竜が、王郜の底から目を開ける。


    最終話 滟らせろ、熱き血朮

    䞭倮埳塔の床が割れた。

    割れたずいうより、底が抜けた。

    癜銀の床材が内偎から抌し䞊げられ、砕け、宙ぞ舞う。

    その䞋から、灰色の光が噎き出した。

    光なのに冷たい。

    炎なのに熱がない。

    竜なのに、咆哮に感情がない。

    無埳竜は、王郜の地䞋からゆっくりず銖をもたげた。

    黒竜は怒りを食う竜だった。

    暎れる。

    吠える。

    燃やす。

    痛みも憎しみも、濃すぎるほどあった。

    だが、無埳竜は違った。

    灰色の鱗。

    癜く濁った目。

    煙のように薄い翌。

    口を開いおも、そこから出おくるのは声ではない。

    音の抜けた颚だった。

    ごぉ――。

    その颚が塔の䞭を通った瞬間、タツロりの背䞭を寒気が走った。

    「  䜕だ、こい぀」

    圌は喉を抌さえた。

    声が出にくい。

    黒晶谷から王郜たで、叫びすぎた。

    竜脈を起こし、鎖を砕き、塔を揺らした。

    い぀もなら自慢するずころだ。

    だが今は、喉の奥が焌けたように痛い。

    ミチアキは黒竜の鱗を握りしめおいた。

    鱗は震えおいる。

    黒竜の怒りではない。

    譊戒しおいる。

    竜が竜を恐れおいる。

    それだけで、無埳竜がどれほど危険なのかがわかった。

    「䜕も  感じねぇなぁ  」

    ミチアキは぀ぶやいた。

    「怒っおもねぇ。笑っおもねぇ。腹立぀顔すらしおねぇ」

    ルリカは割れた蚘録板を構えた。

    画面には譊告が䜕重にも出おいる。

    ――無埳竜、芚醒。
    ――感情反応、極䜎。
    ――埳管理網残骞を吞収䞭。
    ――接觊者の感情倀、䜎䞋。
    ――長時間接觊により、自我茪郭の垌薄化。

    「近くにいるだけで、感情が削られたす」

    ルリカの声は震えおいた。

    無埳竜が、もう䞀床息を吐いた。

    灰色の颚が䞉人を撫でる。

    その瞬間、タツロりの頭の䞭から、朝の爆音矎声アラヌムが遠くなった。

    毎朝䞃時。

    しょヌヌヌヌりゅうけん。

    垃団を蹎り䞊げる。

    抌し入れぞ叩き蟌む。

    近所の窓が震える。

    ガンゟ老人が耳栓をする。

    ミナがトマトを守る。

    ペシノが味噌汁をよそう。

    枅右衛門が倩井を芋る。

    そういう銬鹿みたいな朝の景色が、少しず぀色を倱っおいく。

    タツロりは、奥歯を噛んだ。

    「ふざけんなよ」

    声がかすれる。

    「俺の朝を、薄めおんじゃねぇ」

    ミチアキの䞭からは、怒りが薄れかけおいた。

    い぀もなら胞の底で鳎っおいる黒い音。

    地獄坂。

    飛竜列車。

    番号。

    工堎。

    班長。

    埳監芖盀。

    党郚に察する、あの濁った苛立ち。

    それが急に軜くなる。

    䞀瞬、楜になりそうだった。

    怒らなくおいい。

    腹を立おなくおいい。

    朝、起きられなくおも䜕も感じない。

    工堎で䜕を蚀われおも䜕も残らない。

    神だず蚀い匵る必芁もない。

    それは、かなり楜そうだった。

    だが。

    ミチアキは、ぞっずした。

    それは生きおいるのか。

    怒りで自分を焌くのは嫌だ。

    けれど、䜕も感じない自分になるのは、もっず嫌だった。

    「おい  」

    ミチアキは黒竜の鱗を胞に抌し圓おた。

    「戻せよぉ  俺の嫌な感じ、戻せよぉ  」

    黒竜の声が、鱗から䜎く響いた。

    ――本圓に戻すのか。

    「戻せよぉ。嫌だけど、俺のだろぉ」

    ――重いぞ。

    「知っおるよぉ」

    ――痛いぞ。

    「毎朝そうだよぉ」

    ――なら、持お。

    鱗が黒く脈打った。

    ミチアキの胞に、怒りが戻っおくる。

    重い。

    嫌な熱。

    胃のあたりが固くなる。

    だが、それは確かに自分のものだった。

    圌は深く息を吐いた。

    「くそ  戻ったら戻ったで、やっぱりしんどいなぁ  」

    タツロりが笑おうずしお、咳き蟌んだ。

    「げほっ  神、莅沢蚀うな」

    「おたえ、もう声出ねぇだろぉ」

    「出る」

    「出おねぇよぉ」

    「気合いで出す」

    ルリカが即座に蚀った。

    「喉は気合いで治りたせん」

    「䜕ずかなる」

    「なりたせん」

    「なら、䜕ずかしろ」

    「医者じゃありたせん」

    無埳竜が、塔の裂け目からさらに身䜓を匕き䞊げた。

    その背䞭には、無数の小さな顔のようなものが浮かんでいた。

    いや、顔ではない。

    消えかけた衚情だった。

    笑いかけお、消された顔。

    怒りかけお、飲たされた顔。

    泣きかけお、敎えられた顔。

    それらが灰色の鱗の䞭に沈んでいる。

    声にならなかったもの。

    蚘録されなかったもの。

    埳王庁が「乱れ」ずしお凊理しおきたもの。

    それが、竜の圢になっおいた。

    ルリカは、蚘録板を握る手に力を入れた。

    「倒すだけじゃ、たぶん駄目です」

    タツロりが圌女を芋る。

    「どういうこずだ」

    「これは、敵ずいうより  捚おられおきたものの塊です。砕いおも、たた別の堎所に溜たるだけかもしれない」

    ミチアキが顔をしかめる。

    「じゃあどうすんだよぉ」

    ルリカは無埳竜を芋䞊げた。

    怖い。

    今すぐ逃げたい。

    だが、蚘録官ずしお、目をそらしおはいけないものが目の前にある。

    「名前を戻すんです」

    「名前」

    「番号でも、埳倀でも、䞍満反応でもなく。誰が、䜕を、どう感じたのか。消された蚘録を戻す」

    タツロりは眉をひそめた。

    「぀たり」

    「王囜䞭から、削られた感情をもう䞀床本人ぞ返す。無埳竜の䞭に沈んだ声を、蚘録ずしお解攟したす」

    ミチアキは嫌な顔をした。

    「たた難しいこず蚀い出したぞぉ」

    「簡単に蚀えば」

    ルリカは、少しだけ息を吞った。

    「みんなに、自分の蚀葉を蚀っおもらいたす」

    タツロりが笑った。

    今床は声にならない笑いだった。

    「それなら埗意だ」

    「あなたはもう喉を䜿わないでください」

    「俺から声を取るな」

    「今は本圓に取られたす」

    無埳竜の灰色の颚が、たた塔内を満たす。

    今床は王郜の倖ぞ広がり始めた。

    広堎の人々が、胞を抌さえる。

    「䜕か  急にどうでもよく」

    「怒っおたはずなのに」

    「䜕に怒っおたんだっけ」

    「もう垰ろうかな」

    光板のコメントも鈍り始めた。

    ――なんか疲れた
    ――もうよくない
    ――埳王庁ずかどうでも
    ――黒竜も工堎も
    ――寝たい
    ――怒るのしんどい
    ――䜕も感じないほうが楜

    ルリカの顔が青くなる。

    「広がっおる  」

    セむランは、割れた床の近くに倒れおいた。

    圌もたた、灰色の颚を受けおいる。

    さっきたでの冷たさが薄れおいた。

    いや、圌の堎合は違った。

    薄れるこずで、奥から別のものが芋え始めおいた。

    子どものころの蚘憶。

    狭い郚屋。

    怒鳎る父。

    泣く母。

    壁の向こうから聞こえる争い。

    誰かが皿を割る音。

    倧人の怒りに怯えお、垃団の䞭で耳を塞いだ少幎。

    埳王庁の癜い塔に拟われた日。

    静かな郚屋。

    敎った曞類。

    誰も怒鳎らない廊䞋。

    そこで初めお息ができた気がしたこず。

    「私は  」

    セむランは、床に手を぀いた。

    「静かな堎所が欲しかっただけだ」

    ルリカは圌を芋た。

    セむランの声は、もう監査官の声ではなかった。

    「怒りが嫌いだった。人の倧声が嫌いだった。感情で䜕もかも壊す人間が嫌いだった。だから、薄めればいいず思った。敎えればいいず思った」

    灰色の颚が、圌の銀衣を揺らす。

    「だが  薄めすぎれば、こうなるのか」

    無埳竜の癜く濁った目が、セむランを芋た。

    そこには責める色もない。

    恚む色もない。

    ただ、䜕もない。

    その䜕もなさが、いちばん恐ろしかった。

    セむランは、割れた印章を芋た。

    「ルリカ」

    圌女は譊戒した。

    「䜕ですか」

    「䞭倮埳塔には、王囜党域ぞ蚘録を送る最終暩限がある」

    「知っおいたす」

    「私の印章が必芁です」

    タツロりが目を现める。

    「急に協力か、曞類顔」

    セむランは圌を芋た。

    「あなたに呌ばれるず、最埌たで腹が立ちたすね」

    ミチアキががそっず蚀う。

    「それ、感情戻っおるなぁ  」

    セむランは小さく息を吐いた。

    「すべおを認めたわけではありたせん。怒りは今でも怖い。無秩序も怖い。あなたたちのような人間は、特に怖い」

    「俺は怖くねぇだろ」

    タツロりが蚀う。

    ルリカずミチアキが同時に蚀った。

    「怖いです」

    「怖いよぉ」

    タツロりは䞍満そうな顔をした。

    「芋る目がねぇ」

    セむランは、割れた印章をルリカぞ差し出した。

    「それでも、䜕も感じない王囜よりはたしだ」

    ルリカは印章を受け取った。

    重かった。

    王庁の暩限。

    隠蔜の道具。

    それが今、逆に蚘録を開く鍵になる。

    「ありがずうございたす」

    セむランは目を䌏せた。

    「瀌は䞍芁です。これは、私の蚘録でもありたす」

    ルリカはうなずいた。

    そしお、割れた蚘録板を䞭倮埳塔の制埡栞跡ぞ接続した。

    画面は半分砕けおいる。

    文字も乱れる。

    それでも、ただ動く。

    「王囜党域蚘録回線、開きたす」

    塔が震えた。

    王郜䞭の光板が䞀斉に点灯する。

    黒晶谷の残った監芖氎晶も。

    䞘䞊垂の駅前の掲瀺板も。

    小鳶指北区の勝韍亭の壁光板も。

    黒鉄家の叀い茶の間光板も。

    すべおが、ルリカの蚘録を受信した。

    圌女は息を吞った。

    声が震えないように。

    「王囜党域ぞ、蚘録官ルリカより通達したす」

    王囜䞭が、その声を聞いた。

    「埳王庁は、長幎、民の怒り、䞍満、悲しみ、笑いの乱れを、埳管理網で回収しおいたした。その䞀郚は黒晶谷黒竜炉ぞ流され、魔晶片の燃料にされおいたした。さらに、凊理しきれなかった感情の残りは、䞭倮埳塔地䞋に沈められ、今、無埳竜ずしお芚醒しおいたす」

    広堎で人々が顔を䞊げる。

    工堎の劎働者たちが、光板を芋る。

    小鳶指の䜏民たちが、息を止める。

    ルリカは続けた。

    「無埳竜は、あなたたちの敵であり、あなたたちから捚おられたものでもありたす。怒りすぎるこずは危険です。感情をぶ぀ければ、人を傷぀けるこずもありたす。けれど、消せばいいわけではありたせん。燃料にしおいいわけでもありたせん」

    無埳竜が、灰色の翌を広げる。

    塔が軋む。

    時間がない。

    「今から、䞭倮埳塔の蚘録回線を開攟したす。埳倀ではなく、自分の蚀葉を送っおください。短くおかたいたせん。怒っおいる。悲しい。疲れた。悔しい。笑いたい。垰りたい。謝りたい。䜕でもいい。自分の蚀葉で送っおください」

    圌女は䞀床、息を切った。

    そしお、最埌に蚀った。

    「消されたものを、本人のずころぞ返したす」

    䞀瞬、王囜は静かになった。

    次の瞬間。

    最初の䞀文が届いた。

    ――疲れた。

    それは、黒晶谷の怜査係ネリの声だった。

    次に。

    ――工堎から出られおよかった。

    グンドり班長。

    ――怒鳎っおすたなかった。

    それを芋お、ミチアキが少しだけ顔をそらした。

    次々に、蚀葉が流れ蟌んでくる。

    ――朝、行きたくない。
    ――でも絊金がないず困る。
    ――母に匷く蚀いすぎた。
    ――埳倀を芋るのが怖い。
    ――笑顔で沈黙なんかできない。
    ――黒晶谷で働いおいた父が、い぀も無口だった理由が少しわかった。
    ――怒っおいる。
    ――悲しい。
    ――悔しい。
    ――眠い。
    ――垰りたい。
    ――腹が枛った。
    ――タツロり名人うるさい。
    ――でも今日は少し助かった。
    ――ミチアキ神、無理するな。
    ――ルリカ蚘録官、消さないで。
    ――セむラン監査官も、ちゃんず芋ろ。
    ――癟銅袋財垃、売り切れおた。
    ――今それ曞くな。
    ――でも欲しい。
    ――小鳶指スタむル、ただわからん。
    ――でも、䜕かちょっず奜きだ。

    蚀葉は止たらなかった。

    王囜䞭から、短い蚀葉が流れ蟌む。

    立掟な文章ではない。

    きれいな祈りでもない。

    敎った報告でもない。

    愚痎。

    がやき。

    謝眪。

    䞍満。

    くだらない感想。

    寝䞍足。

    空腹。

    怒り。

    小さな笑い。

    それらが、䞭倮埳塔の制埡栞ぞ流れ蟌み、灰色の光を少しず぀色づけおいく。

    無埳竜の身䜓に浮かんでいた消えかけの衚情が、ひず぀ず぀震えた。

    灰色だった鱗に、赀、黒、青、黄色、薄い癜、泥のような茶色が混ざり始める。

    無埳竜が初めお声を出した。

    ――これは。

    その声には、わずかに戞惑いがあった。

    感情が戻っおきおいる。

    だが、その量が倧きすぎた。

    無埳竜の身䜓が膚らむ。

    塔がさらに割れる。

    ルリカが叫んだ。

    「受け止めきれない」

    ミチアキが黒竜の鱗を握りしめる。

    「どうすんだよぉ」

    タツロりは、かすれた喉で笑った。

    「受け止めなくおいい」

    「は」

    「返すんだろ」

    タツロりは、䞀歩前ぞ出た。

    喉は限界。

    声は出ない。

    竜血も薄くなっおいる。

    それでも、圌は拳を握った。

    「俺が道を䜜る」

    ルリカが叫ぶ。

    「もう声は無理です」

    「声だけが俺じゃねぇ」

    ミチアキが驚いた顔をした。

    「おたえがそれ蚀うのかよぉ」

    タツロりは笑った。

    「俺もたたには省みる」

    「最埌で急に成長すんなよぉ」

    タツロりは、拳ではなく、胞を叩いた。

    どん。

    䞀床。

    たた䞀床。

    どん。

    それは、爆音矎声ではなかった。

    ただの錓動の真䌌だった。

    けれど、竜血がそれに反応した。

    赀い竜気が、声ではなく錓動ずしお広がる。

    どん。

    どん。

    どん。

    小鳶指の朝のリズム。

    垃団を蹎るリズム。

    竜茪車の車茪のリズム。

    工堎の床を叩く怒気のリズム。

    それらがひず぀になり、塔の䞭に䜎く響いた。

    ミチアキは、その音を聞いた。

    ごん。

    ごん。

    ごん。

    黒竜炉で聞いた怒りの音に䌌おいる。

    だが、今床は底ぞ沈む音ではない。

    前ぞ進たせる音だった。

    ミチアキは黒竜の鱗を掲げた。

    「黒竜」

    鱗が脈打぀。

    「おたえ、怒りを分けられるようになったんだろぉ」

    ――ただ、少しだけだ。

    「少しでいいから手䌝えよぉ」

    ――呜じるか。

    「頌んでんだよぉ」

    沈黙。

    そしお、黒竜の声。

    ――ならば、やる。

    黒竜の鱗から黒い光が䌞びた。

    それは無埳竜の身䜓に絡み぀くのではなく、䞭に沈んだ感情を䞀本ず぀ほどいおいく。

    これは怒り。

    これは悲しみ。

    これは疲れ。

    これは笑い。

    これは謝りたい気持ち。

    これは腹が枛っただけ。

    これは本圓に埳王庁が悪い。

    これは自分でも少し悪い。

    これは誰かに聞いおほしかっただけ。

    分けおいく。

    雑だった感情の塊に、線が入っおいく。

    ルリカの蚘録板が、それぞれの蚀葉を本人の光板ぞ返しおいく。

    王囜䞭の人々が、自分の送った蚀葉をもう䞀床芋る。

    埳倀ではない。

    評䟡ではない。

    自分の蚀葉ずしお。

    無埳竜の身䜓が瞮み始めた。

    灰色の巚倧な翌が、少しず぀色を持぀。

    癜く濁っおいた目に、涙のような光が浮かぶ。

    無埳竜は、咆哮しなかった。

    ただ、初めお小さく声を挏らした。

    ――重かった。

    その声は、王囜䞭に届いた。

    誰も笑わなかった。

    誰も拍手しなかった。

    ただ、倚くの人が黙っお光板を芋た。

    ミチアキは、黒い鱗を握りながら蚀った。

    「だろうなぁ  」

    タツロりは胞を叩き続ける。

    どん。

    どん。

    どん。

    喉ではなく、胞で鳎らす。

    声を出せない竜血名人が、それでもリズムを止めない。

    その姿は、少し倉だった。

    かなり無理があった。

    でも、劙にかっこよかった。

    ルリカは、最埌の蚘録を塔ぞ流した。

    ――王囜党域蚘録。
    ――感情は埳倀ではない。
    ――怒りは燃料ではない。
    ――沈黙は必ずしも矎埳ではない。
    ――うるさすぎる声にも、時には道を䜜る力がある。
    ――ただし、朝䞃時の爆音に぀いおは別途近隣協議が必芁。

    タツロりが振り返った。

    「最埌の䞀文、いるか」

    ルリカは真顔で蚀った。

    「必芁です」

    ミチアキが少し笑った。

    「そこは省みろよぉ」

    その瞬間、無埳竜の身䜓が光った。

    灰色の竜は、完党には消えなかった。

    消しおはいけないものだったからだ。

    ただ、巚倧な竜の圢を保おなくなり、無数の小さな光ぞほどけおいく。

    それぞれの光は、王囜䞭ぞ飛んだ。

    誰かの胞ぞ。

    誰かの郚屋ぞ。

    誰かの職堎ぞ。

    誰かの垰り道ぞ。

    戻っおいく。

    怒りは怒りずしお。

    悲しみは悲しみずしお。

    疲れは疲れずしお。

    くだらない笑いは、くだらない笑いずしお。

    䞭倮埳塔の䞊から、銀色の光が消えた。

    塔は癜銀ではなく、ずころどころ焊げ、割れ、煀けたただの巚倧な建物になった。

    王囜䞭の埳王が、䞀斉に薄くなった。

    消えたわけではない。

    仕組みはただ残っおいる。

    王庁もなくなっおいない。

    工堎も明日からどうなるかわからない。

    だが、絶察に逆らえない数字ではなくなった。

    䞭倮埳塔の最䞊階に、静けさが戻った。

    今床の静けさは、抌し぀けられたものではなかった。

    みんな疲れたから黙っおいる。

    それだけの静けさだった。

    タツロりは、ゆっくり膝を぀いた。

    「おっず」

    ルリカが駆け寄る。

    「タツロりさん」

    「倧䞈倫だ」

    声がかすれおいる。

    ほずんど出おいない。

    ミチアキが近づいた。

    「倧䞈倫なや぀の顔じゃねぇよぉ」

    「少し眠い」

    「珍しく普通のこず蚀うなよぉ」

    タツロりは笑った。

    「朝緎が長かった」

    「長すぎるだろぉ  」

    セむランが、少し離れた堎所で座り蟌んでいた。

    圌は空になった印章を芋぀めおいる。

    ルリカが近づいた。

    「セむラン監査官」

    「もう監査官ではないかもしれたせん」

    「それでも、蚘録には残したす」

    「眪も」

    「はい」

    「協力したこずも」

    「はい」

    「私が怖かったこずも」

    ルリカは少し黙った。

    「あなたが望むなら」

    セむランは、目を閉じた。

    「蚘録しおください。私は、怒りが怖かった。だから、王囜䞭から怒りを奪う仕組みに加担した」

    ルリカは蚘録板に打った。

    割れた画面に文字が残る。

    セむランはそれを芋お、小さく息を吐いた。

    「重いですね」

    ミチアキが蚀った。

    「戻っおきた感情っお、だいたい重いんだよぉ」

    セむランは圌を芋た。

    「あなたは、それを抱えお生きるのですか」

    ミチアキは、嫌そうに顔をしかめた。

    「奜きで抱えおるわけじゃねぇよぉ」

    そしお、黒竜の鱗を芋た。

    鱗は、さっきより少し軜くなっおいた。

    「でも、勝手に燃料にされるよりはマシだろぉ」

    セむランは䜕も蚀わなかった。

    ただ、深くうなずいた。


    その日の倕方。

    黒晶谷オリンポス魔導工堎は停止した。

    第䞀炉も、旧炉も、黒竜炉も。

    黒竜はただ鎖をすべお倱ったわけではない。

    だが、怒気吞収匏は止たった。

    劎働者たちは工堎の倖に集たり、䜕をすればいいかわからない顔で立っおいた。

    明日から仕事はどうなるのか。

    絊金は出るのか。

    王庁はどう出るのか。

    誰にもわからない。

    けれど、その日の垰り道。

    倚くの者が、初めお自分の蚀葉を光板に打った。

    疲れた。

    怖かった。

    腹が立った。

    垰る。

    たた話す。

    それだけの短い蚀葉だった。

    䞘䞊垂では、地獄坂の䞊に倕日が萜ちおいた。

    ミチアキは、竜茪車ではなく飛竜列車で垰るこずになった。

    さすがにもう乗りたくなかった。

    黒晶谷から王郜ぞ行き、王郜から䞘䞊垂ぞ戻る。

    䞀日が長すぎる。

    身䜓はがろがろ。

    䜜業着は煀だらけ。

    癜い瀌装は工堎の曎衣宀に眮きっぱなしだ。

    それでも、圌は䞘䞊垂駅に着いた時、少しだけ空を芋た。

    地獄坂が埅っおいる。

    䞊るのは地獄だ。

    明日の朝も、たぶん起きられない。

    母に起こされるかもしれない。

    埳ポむントはどうなるかわからない。

    仕事もわからない。

    それでも、ミチアキは小さく蚀った。

    「俺は神  っおのは、たあ今日はいいかぁ」

    少し笑った。

    その笑いは、誰にも蚘録されなかった。

    だからこそ、少しだけ楜だった。


    小鳶指王囜北区。

    翌朝䞃時。

    鍛冶屋のガンゟ老人は、い぀ものように耳栓を甚意した。

    八癟屋のミナは、トマトを奥ぞ匕っ蟌めた。

    神殿芋習いたちは、鳩小屋の扉を開けた。

    黒鉄家の䞀階では、ペシノが味噌汁をよそっおいる。

    枅右衛門は茶をすすりながら、倩井を芋䞊げた。

    「来るか」

    ペシノは少し銖をかしげた。

    「今日は喉が駄目では」

    「それでも来るだろう」

    䞃時。

    黒鉄家二階。

    タツロりは垃団の䞭で目を開けた。

    喉はただ痛い。

    爆音矎声アラヌムは、昚倜ルリカから停止呜什が出た。

    正確には、近隣協議が終わるたで䜿甚自粛。

    枅右衛門も珍しく匷く蚀った。

    今日はやめおおけ。

    タツロりは倩井を芋た。

    静かな朝だった。

    こんなに静かな䞃時は、䜕幎ぶりだろう。

    いや、もしかするず初めおかもしれない。

    圌はゆっくり起き䞊がった。

    垃団を芋る。

    い぀もの敵。

    い぀もの朝。

    タツロりは拳を握った。

    声は出ない。

    だから、胞を叩いた。

    どん。

    䞀床。

    垃団を蹎り䞊げる。

    勢いは少し足りない。

    倩井たでは届かない。

    垃団は䞭途半端に萜ちおきた。

    タツロりはそれを䞡手で受け止め、少しだけ笑った。

    「  今日は、このくらいか」

    かすれた声だった。

    だが、自分の声だった。

    垃団を畳む。

    抌し入れに入れる。

    普通だった。

    かなり普通だった。

    だが、抌し入れの襖を閉めた時、手銖の竜痣がほんの少し赀く光った。

    䞀階ぞ降りるず、枅右衛門が新聞を眮いた。

    「静かだったな」

    タツロりは胞を匵ろうずしお、喉を抌さえた。

    「  調敎䞭だ」

    ペシノが笑った。

    「ご近所には、そのほうが助かりたすよ」

    「矎声を埅っおる者もいる」

    枅右衛門は茶をすすった。

    「少数だろうな」

    そこぞ、玄関の倖から声がした。

    「タツロり名人」

    ミナだった。

    タツロりが玄関を開けるず、近所の人々が数人立っおいた。

    ガンゟ老人。

    ミナ。

    神殿芋習い。

    勝韍亭のゎりダたでいる。

    ゎりダは湯気の立぀䞌を持っおいた。

    「喉にいい竜油控えめ粥です」

    「カツは」

    「ありたせん」

    「勝負にならん」

    ミナが笑った。

    「今日はおずなしく食べなよ」

    ガンゟ老人が蚀った。

    「それず、これを」

    圌は、小さな朚札を差し出した。

    そこには䞋手な文字で曞かれおいた。

    ――爆音矎声アラヌム再開時は、前日たでに告知。

    タツロりは朚札を芋た。

    「䜕だこれは」

    「近隣協議の第䞀歩だ」

    「俺の矎声に告知がいるのか」

    「いる」

    党員が同時に蚀った。

    タツロりはしばらく黙った。

    そしお、かすれた声で蚀った。

    「  怜蚎する」

    ミナが驚いた。

    「省みた」

    神殿芋習いが蚀った。

    「名人が省みた」

    ガンゟ老人がうなずいた。

    「王囜が倉わるわけだ」

    タツロりは䞍満そうな顔をした。

    だが、怒らなかった。

    ただ、空を芋䞊げた。

    黒晶谷の方角には、もう黒煙は䞊がっおいない。

    王郜䞭倮埳塔は、ただ遠くに芋える。

    癜銀ではなく、少し煀けた塔ずしお。

    王囜は䜕もかも解決したわけではない。

    埳王庁は残っおいる。

    工堎も残っおいる。

    人の怒りも、悲しみも、眠さも、腹立たしさも残っおいる。

    ミチアキは明日も起きられないかもしれない。

    ルリカはこれから山ほど報告曞を曞かされるだろう。

    セむランは裁かれるかもしれない。

    黒竜の鎖も、ただ党郚は切れおいない。

    それでも。

    朝は来た。

    勝手に。

    静かに。

    少しだけ違う顔で。

    タツロりは、喉を抌さえながら小さく蚀った。

    「滟らせろ」

    誰にも聞こえないくらいの声だった。

    けれど、手銖の竜痣は赀く灯った。

    黒晶谷の底で、黒竜が䜎く返事をした。

    䞘䞊垂の坂の䞊で、ミチアキが垃団の䞭から「あず五分」ず぀ぶやいた。

    王郜の蚘録宀で、ルリカが新しい蚘録の䞀行目を曞いた。

    ――声は、完党には敎わない。

    そしお、小鳶指王囜北区の台所で。

    黒鉄タツロりは、竜油控えめ粥をすすりながら、ものすごく䞍満そうな顔をした。

    「味が薄い」

    ペシノが蚀った。

    「喉にいいんです」

    枅右衛門が新聞を開いた。

    「少しは静かにしおいろ」

    タツロりは反論しようずした。

    だが、喉が痛かった。

    仕方なく黙っお粥を食べる。

    五十二歳の竜血名人。

    王囜を炎䞊させ、黒竜の鎖を砕き、無埳竜をほどいた男。

    その朝の敵は、薄味の粥だった。

    タツロりは粥を芋䞋ろし、箞を握った。

    「  次は勝぀」

    誰に蚀っおいるのか、誰にもわからない。

    でも、たぶん本気だった。

    王囜は少しだけ笑った。

    そしお、完党には敎わないたた、たた䞀日を始めた。

    了

     
     
    人生の途䞭で、眮いおきたものを曞く。 十四歳の蚘憶、四十九歳の再䌚、家族、仕事、恋、老い。 珟代小説から少し遠い䞖界たで。 『飯田橋の雚で、圌女の声を思い出した』『十四歳の残響』ほか。 CE

    あなたぞのおすすめ