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【無間の涯】仏花黎明篇 第九話 間章

     外を吹く風は冷たく、その一部は戸を震わせ寝屋にまで入ってくる。
     乾いたそれは火を揺らし、体を冷やし、魂まで凍えさせるようだった。
     斑鳩宮で皇子は床に就き、死を目前にしていた。
     妻も逝き、母も逝き。
     皇子自身も病魔に倒れた。
    「ああ、来世では妻にまた会えるだろうか」
     皇子が悲しみの声を上げた時だった。
     空気がのしかかるような重さになった気がして、あまりの息苦しさに咳き込む。
     人を呼んだが誰も応えない。まるで世界が孤立したようだった。
     静かに戸が開かれ、一人の男が入ってきた。
    「……お師様!?」
     幼い皇子に仏法を説き、慈悲を示してくれた師がそこにいる。それも、かつてと変わらぬ姿で。
    「幻……」
     生きているはずがない。よしんば生きていたとしても、あの時と変わらぬ姿でいるはずがないのだ。
     師は皇子の横に膝をつくと、身体にかけたそっと布を整えた。
     そして、静かに経を上げ始める。

     それは、その昔共に並んで上げた、あの経そのものだった。

     「ああ、お師様……。ありがとうございます……」
     皇子は大粒の涙を流しながら師の上げる経に聞き入り、そしてその魂はゆっくりと、そして安らかに旅立っていった。

     屋敷の者が皇子の様子を見に訪れた時には、すでに息を引き取った後だった。
     しかしその顔は、病にあったとは思えないほど微笑みを湛えていた。

     

     数え切れない程の卵、その一つからその魚は生まれた。
     共に生まれた兄弟たちは、しかし少し泳ぐ間もなく他の魚に呑まれて死んだ。
     自分は運が良かったのだ。
     金色の瞳を持つその魚は、急な流れを誇る川を住処に方方を泳いでいた。
     水底には水草が踊り、時折蟹が石の影に隠れる。
     降り注ぐ陽に暖まった水が岩に当たり、弾けた飛沫も見えるほどに水面に近づく時もあった。
     時折他の魚が鳥に攫われる事もあったが、自分はそこまで迂闊ではないと思っていた。
     時が移ろい、子供も卵から孵り、流れを泳ぐ姿も見届けた後のこと。
     水面に虫が叩きつけられ、そのまま眼前に沈んできた。
     愚かな虫が葉から足を滑らせたのだろう。
     魚は迷わずそれに食いつき、水底に引きずり込もうとした。
     しかし、その抵抗は思いのほか強かった。いや、違う。

     口に鋭い痛みが走り、体が水面に向かって引き上げられる。

     身を捩って抵抗したが、それは意味をなさず、ついに水から上げられ空気にさらされる。
     息ができず、口を大きく開け、閉じ、開けた。
    「見ろよこれ、大きいぞ!」
     魚を捕らえたのは、川の中から時折見かけた動物だった。

     ヒト。

     魚の頭に、何かが形作られようとしたが。
    「うわっ、こいつ目が光ってる!」
     妖しいものに触れたかのように、その動物は魚を地に叩きつけた。
    「川の神様に祟られるんじゃないか? 今日はもう帰ろう」
     そしてそのまま去っていってしまった。

     取り残された魚は、もう跳ねる力すら残っていなかった。
     空気はゆっくりと命を削っていき、苦しみながらその金色の瞳を持つ魚は干からびて、死んだ。

     
     

    Ron

     
     
    Twitterからお題やらなんやら拾って書き散らしています @RONwithYAKINIKU

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