
私という意思は、いったい何者なんだろう?
※今日は分子的な解説ではないです…
子供たちが寝静まった後、私は書斎でひとりお酒を飲む時間が好きです。
仕事も育児も終わって、ようやく訪れる静かな時間。体は疲れているのに、フル回転させた頭だけがまだアイドリングを続けている。そういう夜は決まって、妙な方向に思考が転がり始めるんです。
この問いが頭に住み着いたのも、そんな夜のことでした。
「なんかこいつ、浸ってんなー」とか思ったかもしれませんが、まさにそれです!笑
そもそも、人間の意思って何なんだ?なんで思考できるんだ?僕という人格ってそもそもなに?という事が気になり出したんです。
生まれてこの方、自分が一つの意思や人格を持つことは「当然の事実」でした。「今日は早起きしよう」「息子にもっと優しくしたい」——そういう思いが自分の中から湧いてくることを、疑ったことすら一度もありませんでした。それは空気を吸うのと同じくらい、当然のことだったんです。
でも、一回気になるとそのとたんに普通が普通じゃない感じがしてきたんです。
私は製薬企業で働く、分子生物学の研究者です。どこにでもいる普通の分子オタクです。日々、実験をしながら分子たちがどう動くか、薬に対して生体がどんな応答をするのかを研究しています。
その仕事を通じて骨身に染みていることがあります。
分子も、細胞も、結局は物理化学的な仕組みで動いているだけの存在だということです。
これまで数回noteを書くなかで、分子の働きを擬人化してご説明してきました。まるで意思を持ったようにうまいこと動く分子たちは、知れば知るほど適材適所で働いてくれています。でも、実際には分子たちは単なるタンパク質でしかないんです。
このタンパク質でしかない分子たちは、高いところに置かれたボールが勝手に落ちていくように。磁石のNとSが勝手に引き合うように。物理化学的に決められたルールに従って、ただ動いているだけなんです。
神経細胞の発火だって、科学的に書いてしまえば、イオンの濃度差と電気信号の話。濃いジュースと水をコップに入れたら勝手に混ざるように、濃度の差が勝手になくなる方向に動いたよって話なんです。細かいところはどうでもいいですが、ジュースと水が混ざり合うだけの反応に、「意思」が入り込む余地はどこにもない——ってのはイメージできますよね。
なのに。
人間はその物理化学的性質に従う分子たちの集合体なのに、「お腹が空いたけど、ダイエット中だから我慢しよう」とか「眠たいけど、この本を読み終えるまで徹夜しよう」とか、体が欲している自然な流れをガン無視する、よくわからない「意志」という存在が搭載されている。
物理化学的なルールだけで動いているはずの分子の集まりが、なぜか物理化学的なルールを超えることができる。
これは、あまりにも科学的に理にかなっていなさすぎる!!って思ったんです。
ね!ただの普通の分子オタクでしょ?笑
この仕組みは、科学的にはまだわかっていません。どういう仕組みで成り立っているのか、どんな分子たちが働いているのか、是非覗いてみたいという欲にかられてしまいます。
でも一方で、「科学的に解明できる」ということは、「介入できる」ということでもある。
意思をコントロールする薬ができるかもしれない。記憶や感情を書き換える治療が生まれるかもしれない。いちから人工的に、意思を持った生命を組み上げることだって、理論上は不可能じゃなくなるかもしれない。
研究者として血が騒ぐのと、人間として怖気が走るのが、ほぼ同時に来るんです。
うちには、二人の息子がいます。
急に泣き出したり怒ったり、時には理不尽な要求を突きつけてくることもあります。でも、気付いたら満点の笑顔で駆け寄ってくるときもある。いま、まさに人格形成、思考の形成過程の真っ最中です。
その二人の意思は、私にとって生命の神秘そのものです。
でも、もしその意思が完全に解明されてしまったら。分子とシグナルの連鎖として、余すところなく説明されてしまったら——その尊さは、どこへ行くんでしょうか。
うまく言葉にできないんですが、不思議だから価値がある、というものが、この世界にはある気がするんです。解明されないままの方が、価値があるものが。
いつか必ず、この問いに科学が答えを出す日が来ると思っています。
過去、「なぜ傷が治るのか」も「なぜ病気になるのか」も、かつては神の領域でした。それが今は分子レベルで解明され、薬になり、人の命を救っている。意識の謎だって、きっとそうなる日が来る。
ただ。
その日が来るまでのあいだ、書斎でひとりお酒を飲みながら、この問いをぐるぐると転がしている時間が、私はわりと好きです。
答えが出ていないから、今夜もまた考えられる。
それでいい気がしています。