「もう宿に帰ろうか」が言える人と旅をする|女子旅編
女子旅に必要なのは、旅哲学と体力
女同士の旅は、結果ケンカして終わるとか、その後の付き合いを考えてしまうとか、あまり良くないイメージもあるかと思うけれど、私は今のところ、女同士で行く旅は最高だなと思っている。
前のnote「旅行は好きなほうがいいと思い込んでいた」も見てもらえたらと思うのだけど、まず旅を共にする仲間として、同じような旅哲学があり、同じような体力があることが最も重要だと思っている。
女同士はおしゃべりが大好きだ。
車の中でもほとんどぺちゃくちゃ喋っている。
流れる景色を見て思うことが全部口に出ている。言い間違いにすらいちいち笑えてきて、高校生なのかなと勘違いしてしまうほど。
それだから早く疲れてしまい、休憩やカフェの時間が多い。
ゆったりしながら、たまに旅の目的を果たす。
それくらいが私にとったらいいペースなのよね、と思う。
私より先に疲れてしまったら、口数が減るからわかる。
そんな時は「もう宿に帰っちゃおうか」と提案する。
ご飯を食べたら復活する、というのはデフォルトである。
一緒に行ける人は、案外少ない
細かいことや、見たいものが具体的で綿密な人とは一緒に行かない。
その仲間を見つけるのが大変難しいのだが、私は歳を重ねてから、そういう仲間が増えたと思っている。
と言っても数えるほどだし、何度も一緒に旅をしているわけではない。
どうしてだろうと考えると、たぶん私は、
「私はこうである」という主張と、「ここは全然こだわりないの」
という部分を、以前よりうまく伝えられるようになったからじゃないかなと思う。人として一緒にいられるかの「査定」が、されやすくなったのかもしれない。
実際、私は神経質なところもあれば、驚かれるほどフリーな部分もある。
でも今までは、神経質なところばかりが知られることが多かったように思う。
人はわかりやすい人と一緒にいたいものだと思う。
私は「私」を出せるようになった
どうしてフリーな部分も理解してもらえるようになったのか。
単純だけど、フリーな部分をありのままに出していけるようになったからだと思う。
今までは、私にはこんな部分やあんな部分もあるよ、と心では思いながら、それをあまり人に出すことはしなかった。
色々な部分を知ってほしいと思っていても、最初に知られるのは自分が出している「大きめのオーラ」であり、その陰にある小さいところまで丁寧に、根気よく探してくれる人がたくさんいるわけではない。
当たり前か。
どうして出してこなかったかというと、なんとなく本当の自分を出していくのは少し恥ずかしいし、下品なことだと思っていたからだ。
自分を装っていたわけではない。
でも、なんとなく「みんなが知っている私」が自分であり、それ以外の、他の人が思う「私らしさ」から外れる部分を見せるのは、あまりよくないことのように捉えていた。
ややこしいな、自分。
それが出せるようになったのは、自分のことを以前より理解してきたからだし、自分に優しくなってきたからだと思う。
もしかしたら周りからは、
「自我が出てきたな」とか、
「急に主張するようになってきた」
と思われているかもしれない。
でも、自分の特性を知り、それを出せるようになってきた。
そして、それを理解してくれている人たちとの日々はとても楽しい。
その人たちと、さらに非日常の「旅」を分かち合えるのは、素晴らしい時間だ。
そんなわけで、勝手知ったる女子との旅は最高である。
特に、気の置けない仲間たちと、温泉と食と素敵なものを探す旅。
いつもではない場所へ行って、
同じものを見て、
同じような感性で、
「素敵だね」と言い合える旅。
で、女子じゃなくてもいいのでは?
……と、最後まで書いてみて思った。
感性が同じ相手だったら、それは男女関係ないのでは?
確かにそうかもしれないね。
これから男性にもそんな人が現れたら、この文章の題名も変わってくるかもしれない。
今度はどこに行こうか。
ゆったりしたいな。
