
気絶の原因
中学生の時、国語の授業で気絶した。森鴎外の『高瀬舟』を取り扱う単元の最初の授業で、単元の最初はその小説の朗読を聞くのが私の学校のやり方だった。
高瀬舟は意外と長く、20〜30分くらい朗読があっただろうか。ほとんどの場合、生徒にとって朗読は「寝れる時間」だったし、その時もほぼ全員沈没しかけていた。私はちゃんと聴いていた。まじめだったから。いや、正確には「勉強はできないけど授業態度だけは良い生徒」だった。どうにも寝ることができなかったのだ。
朗読は淡々と進んでいく。私も真面目に聞いていた……はずだったのだが、中盤あたりから妙に気分が悪くなってきた。
「なんだろう。気持ち悪い。」
授業態度とかもうどうでも良い。とりあえず机に伏せる。
少しは落ち着くだろうと思った。
ところが、次に目を開けたとき、私は床に転がっていた。
どうやらそのまま意識まで手放していたらしい。目を開けると世界が少し白んで見えて、周りがざわざわしてるのだけが耳に届いていた。徐々に覚醒して意識は戻ってきたけど、何が起きたのかよく分からないまま、私は担架で保健室に運ばれた。
当時は下げパンという、上の服を捲るとパンツが見えてしまうファッションが流行っていて、私も恥ずかしながら下げパンをしていた。担架に載せられるとき、「あ、パンツ見えちゃう」とか妙に冷静に考えてた。
自分が思っていたより大ごとになってたようで、教頭先生も保健室に様子を見に来ていた。でもその時には私の気分はすっかり良くなっていて、少し休んですぐ教室に戻った。
なぜ気絶したのか。それは高瀬舟の内容のせいである。高瀬舟は、自殺を試みるも死にきれず苦しむ弟を見て、兄が弟を手にかけるという内容だ。死にきれず苦しむ弟の描写が生々しかった。
私は朗読を聴いていただけだ。別に長時間立たされていたわけでもないし、生まれつきの持病があるわけでもない。森鴎外の『高瀬舟』の朗読で気絶したのだ。森鴎外も100年後に、自分の小説のせいで失神する者が出るなんて思ってもなかっただろう。
それ以降の授業では、異様に先生に気を使われた。先生、もう大丈夫だから毎回確認するのやめてくれ。
一生のうち気絶するという経験をする人はどれくらいの割合なんだろうか。調べてみたら約2割程度とのこと。5人に1人か。結構多いな。
今私が心配しているのは、きっと立ち会い出産はできないということだ。事前に立ち会わないことを表明するなんてデリカシーがないとも思わないでもないが、よくよく考える。自分が死ぬ気で命を生み出してる最中に夫が気絶してたら腹が立たないか?なんでお前が失神するんだよ!ってなる。自分だったら、絶対に。だから私は立ち会い出産はできない。未来の妻へ謝罪申し上げたい。まぁ、その心配をする前に、まずは相手を探すところからだが。