
耳鳴り潰し456(The vanished book of philosophy.)
マッドカプセルマーケッツ「PULSE」が頭から離れず、仕事中小声で口ずさんだりしていた。英語の歌詞を和訳するようにChatGPTに頼んだら、そもそも元の歌詞をフィーリングなヒヤリングで持ってきてむちゃくちゃなものになった。気にしないでおこう。
マッドがデジタルな音に変わった高校生当時、反発を覚えつつも、キャッチーになったメロディなどに惹かれてもいた。リズムが隙間なく鳴らされ続けるのは、耳鳴りと共に生きる今となってはむしろ心地よい。隙間だらけの音だと、隙間から耳鳴りが顔を出すから。
昼休みに観ていた「攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG」第十二話「名も無き者へ」の一場面が午後からの仕事中、ずっと頭の中でぐるぐる再生されていた。ある思想書に導かれて活動していたテロリストたちが集い、同じ車の中で話し合っている。彼らのバイブルとも呼べるその思想書、胸元に入れていたそれを探し出す一人。だが見つからない。他の者も同様に。彼らが信条としていたそれは、電脳に遅れられていたウィルスに過ぎなかった。ありもしないものに振り回され、人を殺し、自らも殺されていく者たち。絵空事とは思えないものを感じて、子どもたちが将来そんなものに巻き込まれたら、といったことまで想像してしまった。
息子の帰宅時間に雨が降り出していた。今日は公園遊びはないなと思っていたら、同じアパートの三階に住む友だちの家で遊ぶという。部屋番号も分かっているので、送っていく必要もないと思っていたら、「階段が滑りやすいからついてきて」とのこと。一階住みなので普段は利用しない非常階段は、閉じられた空間で、確かに不気味さも感じた。もう一人の子と合流して、家の中へ。一人帰る際に見た、いつもより少し上から見る近所の景色は新鮮だった。
帰宅した息子は「〇〇君のパパは〇〇歳やって、ママと一緒やな。△△君のパパとママは32歳で」
「若いな」最近赤ちゃんが生まれたところだ。
でも思えば、娘が生まれた時、私も32歳だったわけだ。そんなことをお風呂の際に息子と話す。あとどういう流れか忘れたが「人は人と関わることが一番の勉強になるんだよ」といったことも話した。
「一人でいると、自分の価値観が全てだと勘違いしてしまう。人と関わることで、好きなもの、やりたいこと、苦手なことなどがそれぞれ違うということを知ることができる。自分と価値観が違うからといって、仲の良い子の好きなものを否定したりしないだろ? 人と関わらないでいると、そうじゃなくなってしまうことがある」といったことを。半分聞いて、半分聞いてなかったような。
妻を交えてのけん玉練習。けん玉の経験のない妻は、玉を受ける際に迎えに行ってしまい、余計な力を玉に加えて弾いてしまいがち。息子が妻に教えている様子を見ると、ほんの数か月でとても自然なけん玉の扱い方になっていると気が付く。力の繊細なコントロールの練習を自然にできている。
娘の悩み事の際に呼ばれるのは妻だ。女同士だからというより、「パパに話しても仕方ない」と思われている節もある。
町田康「記憶の盆をどり」を読み始めた。
英語教材風AIイラストネタ。日傘ネタ。



今日の一枚「歯磨きしながらスクワット」
