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『播磨人の密かな野望』  ―黎明編―第九話【牛頭天王の骰子】

    一

    「牛頭天王の本宮は広峰神社にあり」と播磨の神人たちは言う。京の神人は鼻で笑い、「いやいや我らが八坂神社の牛頭天王こそ元祖である」と祇園の社を拝んで言う。
     両社は由緒を争いながらも、互いを完全には否定することもできず、今日まで並び立っていた。が、その一方である広峰神社の神人たちの間で――いつの頃からか――誰が持ち込んだとも知れぬ博打が、にわかに流行りだした。
     神社の離れにある小屋に、夜な夜な人々が集い、呉座を敷いて賽を転がし、蝋燭の灯りで照らされた盆を、息を止めてじっと見入るようになっていった。
     その噂は播磨五箇荘の守護屋敷にまで聞こえたが、神社には不入の権があると意識して、見て見ぬふりを続けた。
     武士たちが黙視している間に博打はますます盛んになった。

     この博打は四一半とよばれるものであった。
     ふたつの賽を転がし、その出目の強弱で勝敗を決する賭博で、四と一の目が同時に出ると胴元が賭け銭の半分をとれる、というところから、四一半と名付けられた。勝負が早く、銭の少ない下人でも参加できたため、広がりやすかったのであろう。
    『広峰神社文書』に残された鎌倉遺文の記録でも、神社にそれが流行していたことがうかがえる。
     この賭博をする者は初め『四一半打』と呼ばれていたが、しかしそれでは言いにくかったためか。やがてシイチ、シイハンチと略されるようになった。
     シイハンチたちは銭を賭け、勝っては奪い、負けては奪われ、夜ごと酒に酔って眠った。
     そうして年号が暦仁(一二三八)と改暦されたばかりの、十二月の寒い日。その夜も一通り骰子を転がし、酒が出されてしばらくした頃、
    「のう、お前ら。牛頭天王の骰子、知っているか?」
    と、一人の男が妙なことを言いだしたところから、話が始まる。

     この男、名をヒコサトという。
     漢字では彦里とでも書くのであろうが、文献では平仮名で記されている。紛らわしいので、今回はヒコサトと書くことにする。
     そのヒコサトが半分酒に酔った口調で、こんな話をはじめた。
    「昔、吉備真備という貴族がいて、唐の国へと渡った」
     唐では陰陽道を深く学び、鬼や蜘蛛の助けを借りて様々な逸話も残しているが、帰国後は聖武天皇のもと、それらの知識をいかして政務に勤しんだと知られている。しかし今回話すのはそれら業績のことではない。この人物が唐から日本に帰る時に持ち込んだ珍しい品々のこと。
    『天の星を見る機械』『張良の所持していた兵書』『美しい五弦の琵琶』など、幾多も伝えられた品々、
    「さあ、それらの中の一つとして、牛頭天王の骰子もあったのだよ」
     ヒコサトは、「どうだ」という顔で一同を見回した。しかし一同の反応は、冷たかった。いや、どう反応していいのか分からないという表情であったのかも知れない。
     こいつ何を言い出したのか? と訝しげな顔でお互いを見回し、
    「のう、ヒコサト。もっとわかりよう説明してくれ。キビだんごなんか知らねえしよ。それでその骰子、どうかしたか?」
     悪そうな顔の神人が聞いた。
     ヒコサトは一瞬鼻白んだが、それでもすぐに体勢を立て直して一同をグルリと見回した後、「その骰子を、盗んで来たのよ」と声をひそめて言った。「骰子は書写山圓教寺の経蔵の奥に封じられていると聞いてな。ついフラフラと魔が差して、な」
     一同は一瞬しんとした。その後わっと笑い出した。
    「おいおい、何を馬鹿な事を言っている。お前また法螺話を吹いているな?」
     問丸の下人風の男が歯をむいて騒いだ。
    「嘘じゃねえ。こう言わなきゃわからねえだろうが、実はアッシの知り合いに圓教寺の僧兵がいるんだ。そいつが偉い坊さんたちの話を盗み聞きしたのをアッシに教えてくれたのだ」
     ヒコサトはムッとした顔で怒鳴ると、「お前らは見たものしか信じないから嫌いだ」と低くつぶやき、懐から小さな布切れを取り出した。そして布に包まれたものをひとつずつ、盆の上に置いた。
    「なんと。綺麗な骰子ではないか」
     一同はハッと息をのんだ。
     並べられたのは半透明な玳瑁の、ふたつの骰子であった。
    皆の驚きを見て、ヒコサトは満足したように頷いた。
    そして、「見ろ、少し色が違うだろう? この黒が少し入っているのをゴズ、赤が混ざっているのをスサと言い、ふたつを合わせて牛頭天王の骰子と言うんだ」と説明を加えた。
     一同は固唾を飲んでしばらくそれに見入っていた。が、やがて、
    「これで、一勝負、やらないか?」
     と、神人が悪そうな目でヒコサトを見た。
     ヒコサトは待っていましたとばかり勿体をつけ、首を左右に振った。
    「いや、それは止めたほうがいい。この骰子を振ったが最後、これまで聞いたこともないような疫病が蔓延し、多くの者が死に絶えるということだ」
     神人は骰子から顔を離して鼻を押さえ、
    「疫病だと、馬鹿野郎。そんな危険なもの、どうして持ち込んだ」
     と下がった。
    「疫病そのものじゃねえ。疫病を起こす骰子だっていっているんだ。だから牛頭天王の骰子だ」
    ヒコサトは神人を軽く突いた。そのあと、低い声で言った。
    「ただな。四と一の目さえ出せれば、疫病は起こらないと聞いている。牛頭天王は災いを鎮めて、賽を振ったその者に幸福をもたらすという話だ」
    「なるほど。危険と幸福が表裏一体。それで長らく圓教寺の経蔵に封印されていたわけだ。お前、怖いものを持ってきたな?」
    神人がじっと骰子を見た。
    「シッピンか」
    問丸の下人がペロリと舌なめずりをした。
    「そいつを出せばいいだけじゃねえか?」
     と、誰かがつぶやいた。
     すると奥に座っていた犬神人が布から目だけをぎょろつかせて、
    「世間に疫病が流行ろうと、ワシには関係なかろうよ」
     と言ったかと思うといきなりむずっと骰子をつかみ、――そして投げた。
    骰子はコロコロと転がり、四と一が表を向いた。
    「で、出たぞ」
     犬神人が興奮して叫んだ。その時、不意に外でぶおぅという、まるで大きな牛が鳴くような音がし、強い風がガタガタガタッと小屋を揺らした。蝋燭の火がふっと消え辺りが真っ暗闇となり、誰かが、「ひえっ」と悲鳴をあげた。
     その時、扉がバァンと二つに割れて、そこから黒いカタマリが飛び込んだ。
    「ごっ、牛頭天王様じゃ、牛頭天王様が現れなすった」
    シイハンチたちは肝をつぶし、真っ暗な小屋を逃げ惑った。そんな彼らを黒い影は静かに手際よく捕え、 「わあ、喰われる、喰われる」 とうろたえる者たちを組み伏した。
     一通りの騒ぎが終わったあと、誰かが蝋燭をともすと、その灯りに揺ら揺らと揺れる影が言った。
    「播磨守護代、真弓願西だ。博徒ども、神妙にせよ」
    シイハンチたちは恐る恐る顔を上げ、化け物と思った相手を確認した。
    「人間であったか?」
     半分呆けたような顔で問丸の下人はべそをかいた。
    「ワシの幸福は、これなのか?」
     犬神人は両手を縛られながら布の奥で呻いた。
     そして盆に転がる骰子を見て、「アッ」と叫んだ。半透明の骰子は、二つともなくなっていた。

     追捕劇が終わり、四・五人のシイハンチたちが繋がれ引きずられて行くのを、ヒコサトは大木の暗がりからじっと眺めた。そして辺りに静けさが戻ると、一散、西の方角へと走った。手に黒い半透明の骰子を握り、ひたすら西へと向かった。西には賭博で知り合った男がいる。その者のもとにしばらく潜もうと考えていた。
     同じころ神人は東へと走っていた。神人はもともと祇園社に仕えていたので、その伝手を頼ろうと考えた。手を開けて骰子を見ると、うっすらと赤い色の見える透明の骰子であった。「スサの賽か」神人はつぶやくと、悪そうな目をしてニヤリと笑った。

    二

     広峰神社での追捕を皮切りに幕府は全国各地にいるシイハンチの取り締まりを強化した。
     またこれと同時に、「平民や甲乙人を神人としないこと」「地頭は神人を使って年貢の取り立てをしないこと」などの指示が出された。神人の立場が盗賊や博徒の隠れ蓑とみなされたためである。
     しかし、いくら取り締まっても神人の数は増え続けた。
     さらには幕府の配下である地頭たちも神人の乱暴な取り立てを年貢徴収の有力な手段と見なしていたため、口では否定しながらも、両者の関係は深くつながっていた。このため神人と幕府の鼬ごっこはいつまでも続いた。
    そんな中、京の祇園社付近の賭場がひとつ、検非違使によって押さえられるという小さな事件が起こった。そしてここで多くのシイハンチが捕えられた。
     博徒たちは動物のように縄でつながれ京の町中をて歩かされ、やがて八条の問丸の前にさしかかった時、そこから物憂げに顔をのぞかせた葉室定嗣の目に留まった。定嗣は、「何とも哀れなものだな」とつぶやきそのまま過ぎようとしたが、不意にハッと息をのみ、振り返った。
    「久範? あいつ?」
     曳かれゆくシイハンチの中に自分の知った顔を見つけてしまった。
     定嗣は隣の男に聞いた。
    「あの者たちは何をした? どんな刑に処されるのだ?」
     男は振り返らずに答えた。
    「そんなの、あんた。鼻を削がれるか指を落とされるか、どっちかに決まっておりますやろ。博打は重罪でおすからのう」
     定嗣は目を見開いて驚き、もう一度、見間違いでないかと男を見た。
     少し大人びた顔になっていたが、それの姿は間違いなく赤松久範であった。
     定嗣は急ぎ、先に出てきた問丸に引き返し言った。
    「人を貸してくれ。急ぎ検非違使庁に行き、一人の男の身柄を預かって来てもらいたい」
     問丸の主人はにんまりと笑って言った。
    「難しい話どすな? 高くつきますぜ、葉室の旦那」
     定嗣は青白い顔をして黙って頷いた。

     左囚守草安丸は放免であった。かつて罪人であったが刑期を終えたのち鉾持として検非違使庁に雇われ、派手な衣装で牢を警固する役を担っていた。その草安丸のもとに問丸の若い者が来て、少し話をしたあと、銭の束を握らせた。草安丸は頷いて、鍵束を持って牢へと歩いて来た。
     悪そうな顔をしたひとりの神人が牢の中から、その様子をじっと見た。
    「誰か銭で出される奴がいる」
     そう考えながら懐から透明の骰子を取り出し、様子をうかがった。
     草安丸は鍵を開けると、「ヒサノリという者はいるか?」と声をかけた。
     神人の近くで不貞腐れて転んでいた若者がゆっくり首をもたげた。
    「こいつか」と神人は察すると、そのヒサノリの手をつかみ、「これを預ける。これでオレも出してくれ」と骰子をひとつ握らせた。
     ヒサノリは、「ああ?」とよくわからない返事をして立ち上がり、骰子を袖の下に入れて、「オレが久範だ」と草安丸に言った。
    「出ろ。九条家からのお迎えだ」
     草安丸はぶっきらぼうにそう言い、久範を牢から出した。
     久範は何も言わず牢を出て、何もなかったように囚人たちに背を向けて歩き出した。
     その久範の後姿を眺めながら、「ああ、九条家か」と草安丸はつぶやいてまぶしそうに目をしばたいた。

     問丸の若い者に連れられて八条の問丸に入ると、葉室定嗣がいた。
    「ああ、あんたか」
     久範は興もなげに一瞥すると、「で、何かまた利用するわけか?」と見世の中に唾を吐いた。
    「あきまへん、あきまへん。そんなとこに唾を吐いたらあきまへん。銭を払ってもらいまっせ」
     問丸の主人が真っ赤になって怒鳴った。
    「銭はそいつからもらってくれ」
     久範は顎で定嗣をしゃくるとさっさと問丸の外に出た。
     定嗣がすぐに追いかけてきた。
    「何か食べるか?」
    「いらねえ」と答えたあと、腹がぐうっと鳴った。
    「食べるか?」と定嗣は少し笑って問いかけた。
     久範はぷいっと横を向いたが、先に歩き出した定嗣のあとをついて歩いた。
    「あの時は悪かった」
    「何が」
     白い飯を頬張りながら久範はぶっきらぼうに言った。
    「お前を東福寺の造仏長官から降ろしたこと。いや、私がしたわけではないが、関白殿がもう辞めさせてよかろうと言われれば、誰も反対できなかった」
    「気にしねえよ」
     相変わらず米ばかり頬張り、久範は答えた。
    そして、「大仏は出来たし、よかったじゃねえか」と言うと茶碗を置いて立ち上がった。
    「どこへ行く?」
     定嗣は尋ねた。
    「しょんべん」
     久範はそう言って部屋を出て、しばらくすると戻ってきた。
    「出ていくかと思ったぞ」
    「また用事ができたんだろう? 手伝ってやるよ」
     久範はそういって席に座り言った。
    「オレは関白殿は嫌いだ。子供を大きな役に就かせて、それを裏から操作するやり方、まるで傀儡師だ。十二歳で造仏長官に任命された時、オレはまったく馬鹿だったから、素直に喜んだけれど、オレがその役になったため、親父が大金を寄付しなければいけなくなったと知った時は何やら嫌な気がしたよ。そうして寄付が集まればもうオレはお払い箱だ。工匠・物部為国がいれば実際に大仏はできるからな。いらなくなった傀儡は捨てられるだけ。何とも腹が立つやらみじめやらで、それでオレは播磨にも帰らずシイハンチの群れに身を投じたよ。関白は本当に傀儡をつくるのがうまいな。四歳だった自分の子を将軍にして鎌倉とよしみを通じ、また二歳の孫を天皇に据えて、すっかり天下を我が物にしちまった。あんな傀儡師はこれまで見たことも聞いたこともない。畜生。あんたを手伝う前に言いたいことだけ言わせてもらう」
     それだけ言い切り、ガブガブと白湯を飲んだ。
    「しゃべって喉が渇いたか」
     定嗣は微笑み、もう一杯白湯を注いでやった。そして久範の怒りが少し収まったのを見て言った。
    「お前が言った傀儡、ふたつとも駄目になったんだよ」

    三

     四条天皇が崩御したのは十二歳の時であった。二歳で天皇の位に就き、祖父九条道家の影響下にある朝廷でわがまま放題の十年間を過ごした天皇は、その日、近習や女房たちをすべって転ばして遊ぼうと思い立ち、廊下に滑石の粉をまいた。滑石は目に見えないほど小さな板のような粒状の粉で、高級な白粉の成分として使われていた。四条天皇はそれを板敷きの廊下に擦り込むようにまき、誰かが通って転ぶのを楽しみに待っていた。ところがどうしたはずみか、その上を自分が歩いたため滑って転んで頭を打ち、そのまま死んでしまった。
    「すべり具合を試そうとされたのかも知れない。急にお手洗いに行きたくなり、その上を走られたのかも知れない。ともかくお前の言う傀儡のひとりは、そうしてあっけなく崩御されてしまったのだ」
     定嗣は少し目を伏せて言った。
    「もう一人の傀儡、鎌倉の将軍も死んだのか?」
     久範はまっすぐに尋ねた。
    「三寅様は生きておられる。しかし、将軍職を解かれ、京に送り返されてしまった」
     定嗣は淡々と、しかし声を沈ませて言った。
    寅年・寅月・寅刻に生まれたため三寅と名付けられた九条道家の三男は、実朝将軍が暗殺されたため、次の将軍となるべく四歳で鎌倉に下った。子供のうちは良かった。北条家をはじめとする鎌倉の武士も神輿として敬い、執権北条泰時の采配もあり安定した関係が保たれた。しかし大人になるとそれが崩れた。北条泰時が死去すると、執権政治を快く思わない者たちが将軍のもとに集まり、北条家の打倒を画策するようになった。京の道家も裏で糸を引いていたと噂された。
    「それでとうとう、北条家の逆鱗に触れ、将軍職を解かれたうえ、京に送り返されてしまった。四歳で鎌倉に行った三寅様は二十九歳で鎌倉を追われたのだよ。そしてそれに追い打ちをかけるように宝治合戦が起こって、九条関白家は今まさに窮地に立たされているのだ」
     宮騒動で将軍を京に送り返し、宝治合戦で北条家に次ぐ勢力であった三浦泰村を討つと、幕府は次の矛先を九条道家に向けた。将軍や三浦氏を陰で操ったのは九条家であるという噂を審議するために六波羅探題の使者が何度も九条家を訪れた。
    「幕府に荘園を没収されかけ、関白殿は青くなった。六波羅の者に幾度も無罪の釈明をし、何とか没収だけは免れたが、そうして弱った九条家を今度は荘園の代官たちが侮るようになったのだ」
     定嗣はそこで言葉を切り、久範をじっと見た。
    「嫌だな。早く言ってくれよ。頼み事はここからだろ? 黙っていられちゃ怖くなるぜ」
     久範は顔をしかめて言った。
     定嗣は目をつむり一度思案してから言った。
    「私は明日、佐用荘にたつ。お前にも同行して欲しい」
    「家に顔を出し辛いな」
     久範は顔をしかめた。
    「家範殿には私がうまく言っておく。九条家の秘密の仕事を任せていたとか、な。お前がシイハンチだったことは黙っておく。お前もいつまでも家に帰らぬわけにはいくまい」
    「親父はうすうす知っているぜ?」
     定嗣は頷いて言った。
    「まあ、そこは任せておいてくれ。とにかく一緒に佐用に行こう」
     久範はしばらく考えたのち、「わかったよ」と小さく言った。
     そして懐に手を入れると、骰子に手が触れた。
    「あ、そういえばあの神人に何か頼まれたような」
     そんなことをふと思い、「あとひとり、連れて行きたい奴がいるけど、いいか?」と尋ねた。
     定嗣は、「ああ」と短く答えた。

    四

     牢から連れ出した悪そうな顔の神人を見て、定嗣は眉をひそめた。
    「お前が播磨に連れて行くというのはその男か?」
    「そうだ。こいつはオレの家来で、名は・・・、ええと何て言ったっけ?」
    「助三でございやす」
     神人は名乗った。
    「へえお前、助三って名前か。助平のほうが似合いそうだな?」
     久範はそう笑って神人の背中をパンパンと叩き、「とにかく約束は守ったぜ」と笑った。そこに左囚守草安丸が派手な衣装で久範に駆けよって来て言った。
    「九条様、ワシも家来にしてください。ワシはしがねえ放免だが、鉾の腕は天下一品。損はさせませんぜ」
     久範は少し当惑し、「オレは九条じゃねえぜ?」と定嗣の方を見て言ったあと、「しかしまあ、旅は多いほうが面白かろう。よし、お前も家来にしてやる」と草安丸の背を叩き楽しそうに笑った。
     定嗣はますます困惑した表情になったが、もう何も言わなかった。

     鴨川から船に乗り四人は長洲御厨まで川を下った。長洲御厨につくとちょうど家範の船が入港していたので手代と交渉してそれに乗り、瀬戸内を下った。坂越からは陸路で赤松屋敷を目指そうとしたが、定嗣は長旅に疲れてしまい、座り込んでしまった。
    「これだから公家は甘いんだよ」
     久範はブツブツ言ったあと、民家の軒に落ちていた藁の敷物の四方を縄で結び、天秤棒に引っ掛けて、「網代の輿、一丁上がりだ」と笑ったかと思うと、「ほら、草安丸は前、助平は後ろを担げ。さあ、葉室の旦那。輿にのってつかあさい」と言った。
     三人は妙な顔つきでお互いを見回したが、結局その不細工な輿を引き連れて久範が先を歩くという形で赤松村に入った。

     赤松屋敷に入ると家範が驚いて玄関から飛び出し、天秤棒にぶら下がった藁の中から定嗣を担ぎ出した。
     定嗣は言葉も聞けないほど疲労困憊し、草安丸と助三もその場にへたり込んだが、久範だけは元気な顔で、「よお、親父。帰ってきたぜ」と笑った。
     家範は苦い顔をしたが何も言わず、とにかく定嗣を背負うようにして座敷に運んだ。
     久範は草安丸と助三を馬小屋に運び、馬の水を土器にくんで、「ここなら飲み放題だ。馬には悪いが人間様が先だ」と二人に土器を手渡した。
     馬糞の匂いがぷうんと漂い二人は困った顔をしたが、「さあさあ、遠慮はいらないぜ。お前らオレの家来じゃないか」と背中を叩かれ、また喉も乾いていたので二人はグビグビとそれを飲んだ。
     久範も土器を持ち出して馬の水を汲んでグビグビと飲み、「よし、主従の盃だ」と笑った。

     何杯かの水を飲んで草安丸が厠に行くと助三が久範ににじり寄って言った。
    「なあ、そろそろ骰子を返しちゃくれないか?」
     久範は何の話かとしばらく助三をみていたが、ようやく思い出したらしく、「ああ、あれか」と言ったあと、「オレがもらっといてやるよ。お前を救出してやった手間賃だ」と笑った。
    「ばっ馬鹿なこと言うな。あれはスサの賽という貴重な品なんだぞ」
    久範はゴツンと神人の頭を叩いた。
    「親分に向かって馬鹿とはなんだ。お前はオレの家来だろ? 骰子ひとつくらいいいじゃないか?」
     助三はばっとつかみかかった。
    「力づくでも奪い取るぜ」
    「なんだとこの野郎」
     久範は助三のいかにも悪そうな顔を蹴り上げ、「喧嘩か? 喧嘩なら買ってやるぜ」と襟首をつかみ押さえつけた。
    「いててて」
     助三はうめいた。
    「あっ、どうした」と、そこに草安丸が駆け付けた。
    そして二人の様子を見てとるとばっと膝をつき、芝居じみた仕草で久範に頭を下げて、「親分、こいつの不始末はどうぞお許しください」と言った。
     久範は助三から手を放し、「スサの賽と言うんだな」と懐からそれを出して眺めた。
     半透明な骰子の白い模様が揺らいだように見えた。

     座敷で白湯を飲まされて、葉室定嗣はようやく人心地ついた。そして前にかしこまって座る家範に言った。
    「佐用からの年貢が届かなくなった。それでどうなっておるか、家範殿に聞いて参れと関白殿がおっしゃられ、それで私が使いに参った」
     それを聞くと家範は改まって頭を下げ、「いや、申し訳ござらん」と謝ったあと、「されど宝治合戦で被害を受けたのは、九条様ばかりではなく、播磨も同様でござって」と顔を上げて言った。
    「鎌倉の合戦で、なぜ播磨が被害を受けなさる?」
     定嗣は不思議そうに訊いた。
     家範はあぐらに座り直し、
    「されば、あの合戦。見た目は幕府に対する三浦の反乱という構図ですが、実質は安達一門による三浦家征討でありまして、三浦なきあと各地に勢力を拡大しましたが、この播磨にもいよいよ力を入れてまいったのです」
     言葉は丁寧だが少し砕けた様子で語りだした。
    「安達家は承久の乱ののち山野里に屋敷を構え、山陽道のかなめ、船坂峠を押さえてそこで関料を稼いでおりました。それを今回の合戦後さらに充実させたうえ、今度は近隣の市をまわり警固料を支払うよう命じてきたのです。オレの兄も久崎に市を開いておりますが、それにも警固料を払うよう言ってまいりました。その申し出を兄は断り、これで山野里と久崎は一触即発の危機です。兄は慌てて飯ノ山城を堅牢なものに建て替えねばならず、兵も新たに増やさねばならず。そんなこんなで集めた年貢はすべて使い果たしてしまいました」
    「そ、そんな理屈がありますか」
     定嗣は少し気色ばんで言った。
    「あるから仕方ないのです。ない袖は振れないのです」
     家範は再び慇懃に頭を下げた。

    五

     高鼻和氏は武蔵国足立郡を拠点とする一族であったが、頼朝の奥州合戦に随行してのち目覚ましい活躍もないまま、時代の中に埋もれていた。それを同じ武蔵国足立郡に拠点を持つ安達景盛が推挙して播磨の下揖保荘の地頭として送り込んだ。高鼻和有景が着任したのは元仁元年(一二二四)十二月であったというから、承久の乱ののち行われた地頭給分であることが知れる。高鼻和氏は安達一門の被官ではないが、その播磨進出の一環を担う強力な仲間であった。そして宝治合戦ののちは安達勢力のますますの拡大を図るため、山野里の安達屋敷の代官のような立場にもあった。
     葉室定嗣が赤松村に入ったちょうど同じころ、その高鼻和有景の前にひとりのシイハンチが後ろ手に縛られ転がされた。
    「船越の関を無銭で抜けようとした輩です」
     家人はそう言い足で軽くけった。
     シイハンチはもう相当痛められたらしく顔も腕もあざだらけであった。
    「ワシの前に連れてこずとも、お前たちの好きに処理したらよかろう?」
     高鼻和はその名の通り天狗のような大きな鼻をひくひくさせて言った。
    「普段はそうするのですが、コイツがあまり強情なので、少し手に負えませんで」
     家人の一人が言った。そして縛られた手を指差し、「コイツ、何か大事なものを握っているようで、この手をひらきません」と言った。
     「そいつの握っているのは、どうも骰子のようです。懐から転がり出たのを慌てて拾っているのを見ました」
     別の家人が言った。
    「骰子のう? まあシイハンチらしくて良いが。さて、なぜそこまで強く握っているのか。それは少し気になるのう」
     高鼻和は立ち上がり転がされているシイハンチの鼻を指でつまんだ。その時シイハンチが少し顔を上げて言った。
    「安達の代官様。もしアッシを助けてくれるなら、この骰子をやってもいい。秘密を教えてもいい。この縄をほどいてくださらぬか?」
     鼻をつままれたまま言ったので声は鼻声であったが、言っている意味はわかった。
     高鼻和はちっと舌打ちし、「ワシは安達の代官ではないわ」と言いながらびっと鼻を引っ張るように指を放し、家人に顎でしゃくった。
    「久崎での攻防も硬直し、幾分退屈している。この者の話を少し聞いてみるのもよかろう」
     そのあとギロリとシイハンチを睨み、「つまらなかったら、即、首が飛ぶぞ」と脅しつけた。シイハンチは赤くなった鼻で顔をしかめた。家人はその横にしゃがみ、小刀で縄を切った。シイハンチは鼻をさすりながら起き上がりポツポツと話し出した。
    「アッシはヒコサトと申すつまらん博打うちです。もとは広峰社で下人のような事をしていましたが、手癖の悪さが災いして、こう転々とする羽目に陥りました」
    「手癖の悪さというと、広峰で何か盗んだか?」
    「いいえ、盗んだのは広峰社のものでなく、圓教寺のものでしたが、これが恐ろしい代物で」
     そこまで言って初めて手を開いて握っていたものを見せた。
     それは半透明の骰子であった。わずかに混ざった黒色がやや不穏な気はしたが、高鼻和はそれも含めて、「美しい」と思った。

    六

     山野里のごく近く、安室川が千種川に合流するあたりに竹万の大避神社がある。
    「その境内で最近チョボイチが流行っているみたいですぜ」
     葉室定嗣と久崎の市を見て回り、屋敷に帰った久範の袖を引いて助三が耳打ちをした。
    「チョボイチ?」
    「そうチョボイチ。漢字では樗蒲一と書くんですがね」
     そう言いながら助三は木の枝を拾い、割に上手にその漢字を地面に書いて見せ、「骰子ひとつ振ってその出目を当てるってだけの、単純な博打でやすがね」とチロリと上目で久範を見たあと、「親分、ちょっと覗きに行きませんか」とニヤリと笑った。
     久範も一時はシイハンチの群れの中にいたくらいだから博打は嫌いな方ではない。
    「胴元は誰だ?」と、すぐに小声で訊き返した。
    「さあ、そこまでは分からないんですがね? そいつの振る骰子ってのが、半透明に黒い模様の綺麗なやつだっていうから。ほら、親分がワシから巻き上げたあの骰子の対のような気がしまして」
    「巻き上げたとは人聞きが悪い。あれはお前を牢から出した報酬としてオレがもらったんだ」
     久範は少しむくれたが、「でもしかし、この骰子には対があるのか? この骰子は透明に赤だけれど、そっちは透明に黒なんだな?」と興味深げに懐からスサの賽を取り出して眺めた。
    「あっちはゴズの賽っていうんでさ」
     助三は悪そうな顔で久範の表情を盗み見た。
    「よし、行こう。対の骰子とは面白い。あわよくばそいつももらってしまうか?」
     久範は屈託なく笑った。

     竹万の大避神社に行くと、鳥居の横に木箱に入ったイザリがいた。木箱には車輪がついていて、イザリは舟をこぐように地面を杖で突いて移動する。久範と助三を見るとカラカラと音をさせて近づいて、「旦那さま方、お恵みを」と意外に野太い声で言った。久範が懐から小銭入れを取り出すと、「テラ銭は十銭となっております」と書いた板をイザリは背中から出してチラリと見せ、また元の場所に戻した。
    「どこに行けばいい?」
     銭をイザリに渡して久範が聞いた。
    「本殿の奥に藪があり、その中に小屋があります」
     イザリは小声でそう囁いたあとお札を渡し、「お恵み、ありがとうございやす」ととぼけたような大きな声で言った。

     藪に入ると壊れそうな小屋があり、二人は黙ってその戸を押した。
     中から出てきた大男にお札を渡すと、奥に通された。中は案外広い土間で、ムシロが敷かれていた。中央に派手な着物をもろ肌脱ぎにして晒で胸を巻いている女がいて、「さあ、ようございますか?」と案外丁寧な物言いをして一同を見回した。
     場には一から六までの数字を大きく書いた板が置かれ、そこに木の駒がバラバラと置かれていた。
    「単純なものです。客は駒を買って、ああして数字に張るだけです。その数字が出れば賭けた駒が四倍となり、負ければすべて胴に取られる。それだけです」
    「なるほど」
     久範は助三に頷き、先ほどの大男に近づくと銭と駒を交換した。そして六の上に三枚、駒を置いた。
    「では参ります」
     女はそう言うと小壺の中をカラカラといわせ、そして盆の上にそれをうつぶせに置いた。
     そしてゆっくり小壺を上げた。一同は息を飲んで見守った。
     骰子は三を指していた。駒は回収されてしまった。しかしそんなことよりも久範はその骰子に目が奪われ、「なるほど、似ている」とつぶやいた。
    「ゴズの賽だ」
     助三がゴクリと喉を鳴らした。

     何度か駒を張り、勝ったり負けたりを繰り返して、そろそろ場になじんだかと思う頃合いをみて久範は隣の男に聞いた。
    「あの綺麗な姐さんは誰だい?」
     男は久範をチラリと見たあと、「壺振りの涼香だ」と四に張りながら答えた。
     久範も四に張りながら、「やっぱりここの胴元の、いい女なんだろうね?」と聞いた。
    「いい女かどうかはさあ、知らねえが、まあそうなんだろうなあ」
     男は女をチラリと見てすぐに視線を四に戻した。それから面白いことを言った。
    「ここの胴元、もとは広峰でケチな博打ばかり打っていた男だったそうだがな。それが安達屋敷に連れて行かれて、急に金持ちになったのだ。何でもそいつの持つ骰子を高鼻和の旦那が欲しがったが、そいつは頑として譲らない。それで両者はその日から、一日一回の賭けを始めたというんだ」

     安達屋敷の縁に座り、高鼻和は言った。
    「お前はシイハンチであるというから、ワシとひとつ賭けをしよう。これからお前は一日一回ここにきてその骰子を振れ。チョボイチだ。ワシは先にひとつの数字に賭けておく。もし外れれば銭をやる。しかしもし当たったその時は、その骰子とお前の首をもらう。どうだ?」
     顔も体もあざだらけのヒコサトは庭のムシロに座りなおして頷いた。
    「その勝負、受けて立ちましょう。アッシはケチな盗人ですが、それでも博徒の端くれです」

    「まあ、こうして百日も過ぎたが、そのヒコサトという男はまだ生きていて、銭をたんまりと集めて、こうして賭場を開けるほどになったのだ」
     男が語り終えた。久範がふうんと頷き、横にいる助三をチラリと見たると、助三は口をあんぐりと開けて、「ヒコサト、やはり」とつぶやいていた。

     竹万からの帰り道、やけに考え込んでいる助三に久範は声をかけた。
    「あれの胴元を、お前、知っているんだな?」
     助三はハッと振り返り、それからポツポツ話した。
    「ヒコサトと言って、もとは祇園社に住んでいた法螺吹きな盗人でしたよ。もう正直に言ってしまいますが、親分に取り上げられた骰子も、もとはアイツが盗んで来た対の骰子のひとつです」
    「オレは取り上げちゃいない。報酬としてもらったんだ」
     久範は憮然として言ったが、助三はそれを聞き流し先を続けた。
    「その賽はなんでも牛頭天王の骰子と呼ばれた代物で、ふたつを振って四と一が出れば、何でも願いが叶うそうなのです」
    「ほほう。何でも願いが叶うのか?」
    「そう、何でも願いが叶うのです」
    「では京からわざわざ取り立てに来た葉室の旦那にも年貢を払ってやれるな」
    「年貢? ですか?」
    「ああ、年貢だ。九条の家も困っているらしい。オレにとっちゃ腹の立つ奴らだが、まあ困っているなら仕方ない。少しは助けてやらんとな?」
    「あ、いえ。その。もっと大きな願いはないのですか?」
    「大きな願い? さて、なんだろう? 造仏長官はもうこりごりだしな」
     久範は少し首を傾げたが、「ああ、そうだ。いいことを考えた」とポンと手を打ち、「お前も賭場を開くのだ。苔縄の須賀神社の奥に良さそうな小屋があった。お前が胴元をしろ、壺振りは草安丸。あいつは派手で役者みたいだからもってこいだ。色気はないがそれもご愛敬。いいぞ、早速はじめよう」と助三の背中をバンバンと叩いた。
    「そ、そんなことするには元金が」
     助三が言いかけるのをさえぎり、「金なら問丸にあるんじゃないか? そこでちょいとちょろまかせばいい」
    「でも、もし捕まったら」
    「そしたら胴元であるお前の首が飛ぶだけだ。あはは」
     まったく無邪気に笑い飛ばした。そして、「これだけ近い場所で対の賽が振られれば、いずれ何かの拍子にふたつが一緒になるかも知れぬ。お前、そこを逃しちゃいけない。両方ともをさっと袖の下に隠してオレのところに持ってこい」と言った。
    「なんともずさんで乱暴な計画だ」
     助三はがっくりとしたが、それでももしかすると成功するかも知れないと考え、翌日からひっそり賭場を始めた。

    「年貢を納めてくれるのはありがたいが、賭場を開いて銭を集めて、となると、私としては賛成しかねる」
     久範が意気揚々と話すのを葉室定嗣は困惑の表情で遮った。
    「何が困る? どこから集めても銭は銭だ。九条家もこれで安心だろう?」
     久範は少し怒って言った。
    「賭博というのはやはりいけない」
     定嗣は凛として言い、久範は少しひるんだ。
     定嗣は続けた。
    「賭博は基本、胴元が勝つようにできている。最初のテラ銭集めから、駒交換の手数料、そのほか最初から負和の原理で動いていて、まったく胴元に有利にできている。こんな公平でない場でお金を集めるなど、もっての外だと思わないか?」
     久範はキョトンとして尋ねた。
    「勝たねば意味がないじゃないか。それに胴元が圧倒的に強いからこそ、それを倒すことに快感を覚えるもんだぜ?」
     定嗣はさらに困った顔で言った。
    「それに博打は負生財の遊びだ。そこから何も生み出さず、銭があちこちと回るだけだ」
    「銭が回って何が悪い? 銭が銭を産むんじゃないか。そういや昔、偉い人が言ったというぜ? 自分の手で働いて銭を稼ぐ奴は三流だ。人を働かせて銭を稼ぐのも所詮二流だ。一流というのは銭に銭を稼がす奴だ、ってさ」
     定嗣は額を押さえ、「それでも、博打で稼いだ銭を年貢としてもらうわけにいかん」とつぶやいた。
     久範はぷいっと横を向き、「ああ、それならこっちも年貢は払わねえ」と言い捨ててさっさとその場を立ち去った。
     それを戸の陰でうっかり聞いた家範は少し顔をしかめたが、「しかしまあ、久範もなかなかやりおるな」と、すぐ笑顔になった。

    七

     翌日、須賀神社の境内にイザリが座った。
    人が来ると、「お恵みを」と下から相手の顔を見上げ、「あんたチョボイチしにきたか? 銭だしな」と言った。参拝客は気味悪がって急いで神社から立ち去った。木の陰から慌てて助三が駆け寄って言った。
    「相手を脅してどうするんですか、親分。それにそんな話しかけ方じゃ、ここで博打をしていますって幕府の奴らに知らせているようなもんですぜ。ここはもういいですから、帰ってください」
     久範は木の箱から起き上がり、「ちぇっ。オレ、この役がやりたかったのにな」とぼやいた。
    「そこまで真似なくて良いですから、もう帰ってください」
     助三は久範の背を押した。

     助三の賭場は時々開かれ、はじめは少なかった客も徐々に増えていった。草安丸が壺を振りスサの賽を転がす様が堂々として何やら役者めいていると、近所のおばさん連中の間で噂が広がり、その層が顧客となった。
    博打をするというより舞台芸能でも見る感覚で人が集まり始めた。
     一方、ヒコサトの賭場のほうでも助三に客を取られまいと、こちらは涼香を薄着にして、さらに色気を上げたので男の客が増え、農民も職人も仕事そっちのけで、このどちらかの賭場に出かけるほどになっていた。
    「これはまるで疫病だ。博打という疫病が村人たちの心をむしばんでいるようだ」
     定嗣はそれを遠く眺めながら臍を噛んだ。
    「このままでは、赤松村も山野里も、両方駄目になりますよ」
     家範に話した。
     家範も、「うむ」と唸り、「やはり久範をとめるべきであったか」と思ったが、何やら後の祭りのような気がした。
     そうしたある日、ヒコサトの賭場に震撼が走った。
    「とうとう高鼻和の旦那が賭けに勝たれたぞ」

     ヒコサトの首が安室川の河原にさらされた。
     罪状は賭場を開いたことと、人心を惑わせたことと書かれた。
     目はカラスにつつかれ、鼻はすでにもげていた。
    「こいつはワシも危ねえな」
     助三は急ぎ自分の賭場に戻り、まだ誰もいない小屋の中で骰子を探した。
     骰子は初めのうちこそ、毎回久範のもとに返して、賭場のある日に改めて取りに寄ったが、この頃では久範も横着になって、小屋の中にある祭壇に置きっぱなしになっていた。
     助三はその祭壇を見た。
    「おや、ないぞ?」
     スサの賽が見当たらなかった。
     転がったのかと地面も探した。
     しかしやはり、どこにも見当たらなかった。
    「畜生。あれさえ取り返したら親分のもとから逃げ出して、また祇園社にでも紛れ込んで隠れるのに」
     助三はペタリと土間に座りそんなことを思った。

     スサの賽を持った草安丸が久範にそれを差し出しながら、いつもの縁起がかった仕草で、「助三は悪い奴だが、オレに免じて許しておくれ」と頭を下げた。
     久範は骰子を指でもてあそび、「まあ、そうだな」と興もなげに言った。そこに草安丸と対をなすような派手な衣装を着た女、涼香が飛び込んできた。
    「あの人が殺されちまったよ」
     涼香はそう言いながら、懐から何かを取り出した。
    「あ、骰子」
     草安丸は自分の振っていたのとよく似た透明の骰子を見て、それから女を見た。
    「高鼻和の旦那はこれが欲しいがため、あの人を殺しちまった。ねえ、アンタならあの人の仇、とれるだろう?」
     涼香はそう言いながらゴズの賽を久範に渡した。
     久範はそれを受け取った。
     ふたつの骰子が十年ぶりに出会ったためか、まるで互いに共鳴し合うようなキインという高い音が響いた。
    「ふたつ揃うと牛頭天王の骰子になるのです」
     戸口を見るとがっくりとうなだれた助三が立っていた。

     高鼻和有景は憤慨していた。
    「あのシイハンチめ。偽の骰子を持って、ワシとの賭けに現れるとは、どこまでずる賢い男だ」
    歯ぎしりをしながら自らの長い鼻をつかみ、ごしごしとしごいた。
    「あいつの女が持って逃げたようです」
     家人のひとりが言った。
     高鼻和はその家人を睨み、「よし。お前。その女を捕えてこい」と命じた。
     家人は数人の部下を連れて安達屋敷を駆け出して、かつてヒコサトが賭場を開いていた竹万の神社を取り囲んで待った。
     そうして数日経ったある日、果たして女は戻ってきた。そして高鼻和の家人たちは瞬く間に女を捕えた。

    「親分、たっ助けてください」と赤松屋敷に草安丸が飛び込んできた。
    「どうした?」と久範は助三と奥から出てきた。
    見ると草安丸は額にびっしょりと汗をかき、顔が蒼白になっていた。
    「涼香が、あの人が。あの人が安達屋敷に捕えられてしまいました」
    「そうか?」
     久範は不思議そうに草安丸を見た。
     助三は指をパチンと鳴らし、「そうかお前、あの女とできたか?」と妙に浮き浮きした顔で言った。
    「うるさい。お前は黙っていろ。ねえ、親分。助けてください」
     草安丸はしゃがみこみ蠅がこすり合わせるように自分の手をこすり合わせて久範を拝んだ。
    「そうか」と久範はまた言った。そして、「安達屋敷と言えば高鼻和。あの女もオレに仇を取ってくれといっていたな」とボンヤリ外を見ていたが、「よし、行くか」と草安丸に笑いかけた。
    「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。安達といえば、いまや幕府で北条家に次ぐ勢力ですよ。そんな危ない所へ好んで行くものはありませんよ」
     今度は助三が半泣きになった。
    「まあいいじゃないか。とにかく行って、あとは出たとこ勝負でいこう」
     久範は厩で馬を選び、「お前らは家来だから走ってこいよ」と振り返って笑った。

     後ろ手に縛られて藁の上に転がされた涼香を見降ろしながら高鼻和は言った。
    「まさかこのワシの目をごまかして骰子を盗み出すとは、お前も悪い女だな」
     涼香はキッと高鼻和を睨み上げて言った。
    「骰子なんて知らないよ。アンタの思い違いじゃないの?」
     高鼻和は涼香の近くにしゃがんで言った。
    「ワシも手荒な真似はしたくない。お前をここで真裸にして探してもよいのだぞ」
     そう言いながら手を涼香の顔に伸ばし、すっとした鼻筋をゆっくりなでた。
    「良い鼻をしておるのう」
     口元を緩め、少しいやらしい顔をした。
     涼香はぎゅっと目をつむり、「知らないものは知らない」と言ったが、高鼻和はもう何も答えないで、その指を鼻筋から鼻の下、鼻の周りとゆっくり動かし続けた。

     しばらくして指の動きが止まった。そして静かに顔から離れた。涼香がそっと薄目を開けると、高鼻和はうっとりと先ほどまで鼻をなでていた指を見ていた。そして言った。
    「その鼻孔に、この指を差し入れてみたくなるのう」
     そして指をゆっくり、再び涼香の顔に近づけた。
    「やっ、やめて」
     涼香が初めて悲鳴をあげた。
    「では申すか?」
     高鼻和は指を涼香の鼻の穴の寸前に突き付けて言った。
    そこに、
    「代官様、変な奴らが来ました」
    と、家人が飛び込んできた。
     高鼻和はあわてて指を引っ込めて、少し頬を赤くして立ち上がった。それから、「ワシは代官ではないといっておるのに」とブツブツつぶやいたあと、「それで何が来たのだ?」と平静な顔つきで尋ねた。
    「馬に乗った若造と派手な衣装の鉾持ちとやけに人相の悪い神人の三人連れが、屋敷の門の前に立ち、たのもう、たのもうと騒いでいます」
     高鼻和はちッと舌打ちし、「楽しみはあとだ」と涼香をチラリと見おろすと家人について藁小屋を出た。

    「本当にこんな真っ向で騒いでいいのですかね?」
     助三は馬上の久範を仰ぎ見て尋ねた。
    「これでいい。武士同士の対面だ」
    「でも高鼻和は出てきますかね?」
    「それは知らぬが、呼ばねば絶対に出てこないだろう? 呼べば出るかも知れない。出るも八卦、出ないも八卦。まあ確率論的には呼んだ方が呼ばないより出る確率は増えるわけだ」
    「涼香、大丈夫でしょうかね」
     草安丸が不安そうに言った。
    「それも八卦だ。気にしていても仕方ない。まあ早く行動を起こした方が助かる確率は増えるであろう」
     そんな話をしていると、安達屋敷の門が開き、家人が三人を取り囲んで言った。
    「代官様がお会いになる。そこで下馬して神妙について参れ」
     久範が木に馬をつなぐと家人たちは刀を抜いた。抜き身の刀を突き付けられ、助三は震えた。
    そして、「草安丸、お前の鉾だけが頼りだぞ」とか細い声で言った。
     草安丸は助三を見て、「合点承知」と少し芝居がかった声で言った。

    八

     奥の間には久範のみが通されて、助三と草安丸は庭で待たされた。
    「こうなったらもう親分が涼香を助けてくれると信じるより他はねえけど、なあ助三。お前なんだか牛頭天王がどうのこうのと言っていたけれど、牛頭天王とはなんだ? こういった時、祈ったほうがいい神様か?」
     家人たちに囲まれながら草安丸は尋ねた。助三は少し考えてから話し出した。

     武答天神の王子は見るからに異形のモノで、七歳にして身長が七尺五寸あり、三尺もある牛の頭と三尺も伸びる赤い角を持っていた。
     成人して王位を継いでも、その異形は相変わらずで、妻を迎えようとしても、その怖ろしい姿のために近づく者などいなかった。悲嘆にくれて酒浸りとなり、荒れた日々を送っていた。
     そこにある時、山鳩が来て、「龍王の娘なら、あなたを怖がらないかもしれません」と告げたので牛頭天王の旅は始まった。
    「この旅の途中で牛頭天王は古単と蘇民という兄弟に会い、裕福な古単は天王を追い出し、貧しい蘇民は天王を助ける。そののち無事に龍王のもとに着いた牛頭天王は龍王の三女と結婚し、七男一女の子をもうけたのち、再び元の国に帰る」
     帰りの道中、古単のもとに訪れた牛頭天王は疫病をそこに流行らせて一族郎党滅ぼそうとしたが、古単の妻のみは蘇民の娘であったので、茅の輪をくぐらせて助けた。そして蘇民の家には牛玉を授けて裕福にし、『蘇民将来の子孫なり』という札を持つ者は疫病から守ると言ったという。
    「これが牛頭天王の縁起のあらましだ。こういった場面で祈るべき神様かどうか、それはワシにもわからんなあ」と最後に首を傾げた。

     久範は座敷に通された。「待つように」と家人に言われて座っていると、横合いから高鼻和が、従者をふたり引き連れて現れて上座に座った。久範は少しムッとして、「地頭なら同等であろう? 偉そうに従者なんぞ連れて来やがって」と毒づいた。高鼻和は鼻で笑って、「生意気な小僧だな? 地頭といっても、それはお前の祖父の代のことであろう? お前の父は問丸で少しは稼いでいるかもしれんが、赤松では所詮代官ではないか」と見下した。
    久範も鼻で笑って言った。
    「オレが誰だか調べさせたか。ふふん。まあ、しかしだ。そう言うお前もこの安達家では家来みたいなもんだろう? 偉そうにしているんじゃねえや」
     高鼻和の長い鼻はみるみる赤く染まり、
    「無礼な奴。ワシは安達とは盟友で、家来ではないぞ。この屋敷も安達殿に何度も頼まれて、断り切れないのでいるだけだ。勘違いするではないぞ」と膝立ちになった。
     久範は落ち着きを取り戻して言った。
    「ともかく女は放してやれ。あれは骰子と関係ない」
     高鼻和の眉がピクリと動いた。
    「女を放せば、面白い話をしてやるぜ?」
     久範はそう言うと、神の結び目の間から骰子をひとつ取り出して床に置いた。
    「あっ、お前が?」
     高鼻和は身を乗り出した。
    「おっと。慌てちゃいけねえ。女を放すのが先だ。それでオレの家来たちと一緒にここに連れてこい。そうしたらこの骰子の由来を話してやるぜ。それで場合によっちゃ、お前にくれてやってもいいぜ?」
     久範は結び目からもうひとつ、骰子を取り出しふたつの骰子を並べて置いた。
    「ああ、ふたつ。ふたつともお前が?」
     高鼻和は目を大きく見開くと、「おい、あの女を放してコイツの家来たちと一緒に連れてこい」と家人に命じた。
     家人は廊下を駆けていった。そしてしばらくして、涼香、助三、草安丸の三人を座敷の後ろの廊下に座らせた。

    「さあ話せ。約束は守った」
     高鼻和は自分の鼻をゴシゴシこすりながら言った。
    「変な癖だなあ」
     久範はその仕草を笑ってから、「あれは牛頭天王の骰子と言うらしい」と胸を張って言った。
     高鼻和は眉をしかめ、「らしい?」と問い返した。
     久範はさらに胸を張り、「ああ、そうらしい。詳しくはオレの家来が話す」と言ったあと、「さあ、助平。話せ」と後ろを向いて助三に命じた。
     助三は少し嫌そうな顔をしたが、「まあそれでは」と顔を上げ、「あの骰子は不思議な骰子で、四と一の目が出れば、願いが叶うのでございます」と簡単に説明をした。
    「願いが叶うのか? ワシの聞いた話と違うな?」
     高鼻和はまた妙な顔をして助三から久範へと視線を移した。
    「まあ、どうでもいいじゃねえか」
     久範はそう言うとおもむろに骰子を拾いあげ、
    「安達屋敷に雷、落ちろ」と言ったかと思うと骰子をコロコロと転がした。
     四と一の目が出た。
     高鼻和はひゃっと息を飲み、助三は首をすくめてしばらくじっとしたのち、恐る恐るあたりを見回した。
     雷は落ちなかった。
    雨も降らなかった。
    牛の声も聞こえなければ、牛頭天王も現れなかった。
    「願い、叶わねえな?」
     久範はつまらなそうな顔をしたあと、助三を睨みつけた。
     その時、高鼻和が立ち上がり、「待て待て。ふたつの骰子を同時に振るな。危ないであろう」と怒鳴った。そして碧い顔をして、「それを振ったら疫病が来るのだぞ」と言った。
    「疫病って何のことだ?」
     久範は不思議そうに助三を見た。
     助三は首を傾げた。
     高鼻和が落ち着きを取り戻して言った。
    「その骰子。願いの叶う骰子などではない。振れば疫病が蔓延するが、シイチが出れば骰子を振った者が幸福になる、そんな恐ろしい骰子だ。あの盗人はそう言っていた。それで牛頭天王の骰子だとな」
    「へえ? そうなのか?」
     久範に聞かれ、
    「ああ、そうだった、かもしれない」
     と助三はポツリと言った。
     そして、「いや、何せずいぶん前にヒコサトが言うのをちょっと聞いただけだから、少し勘違いがあったかもしれない」
     悪そうな顔に笑みを浮かべ少し頭を掻いた。
    「ちっ。役に立たない奴だな」
     久範はぷいっと横を向いた。
     高鼻和は主従のやり取りを見てニヤリと笑い、
    「分かったであろう? さあ、そんな危ない骰子。ワシによこすのだ。お前らでは扱えぬ」
     と骰子に手を伸ばした。
     久範は慌ててそれを拾い上げ、
    「いや、駄目だ。これはオレとアンタが勝負して、それからだ」と言ったあと、「もしお前が勝てば、望み通りこの骰子をふたつとも、お前にやる。しかしもしオレが勝ったなら、そうだな。お前はこの女に謝って、それから一生、その長い鼻に花飾りを巻いて暮らすというのはどうだ?」
     と睨んだ。
     高鼻和の目がキラリと光った。
    「乗った。だが四一半以外でな。二つ同時に振るのは危ない。ひとつずつでいこう」
     久範は頷き、ひとつの骰子を懐に仕舞い、「チョボイチの二回勝負でいこう。一回にひとつずつ骰子を賭ける」と宣言した。

     助三が一から六の数字を書いた板を並べた。
    高鼻和は四の上に瓢箪を置いた。久範は二の上に石を置いた。
    「では、はいります」
     草安丸が芝居がかった奇声をあげて壺を振り、骰子を転がした。
     骰子は三の目が出た。
    「胴元の勝ちだな」
     久範は忌々しそうに瓢箪と石を草安丸に渡し、「じゃあ次の壺振りは姐さんだ」と涼香を見た。
     六枚置かれた数字の上、今度は久範が先に一の上に石を置いた。
     高鼻和は六の上に土器を置いた。
     涼香は凛とした表情になると、すっと片肌脱ぎになり、「入ります」と言って壺を振った。
     骰子の目は、四と出た。
    「またしても胴元の勝ちか」
     久範はそう言って石と土器を涼香に渡した。
    「二勝負は引き分けだ。お前の鼻に花輪はかけねえ。オレの骰子も渡せねえ。はい、これでおしまい」
     久範はそう言って立ちかけた。
    「そ、そんな話があるか。おのれ、斬り捨ててやる」
     高鼻和はおっとり刀で立ち上がり久範に迫ろうとした。
    「やめろ」と久範が怒声を上げた。
     あまりの剣幕に、高鼻和は刀の柄に手をかけたまま止まった。
     久範は言った。
    「お前は所詮、安達家の傀儡だ。人形だ。なんだかんだとおだてられ、関を固めたり市を支配しようとしたり、播磨での権勢を確固たるものにしようとしているようだが、所詮は傀儡だ。裏でうまく糸を引かれて踊るだけの人形だ。オレも十代はずっと九条家の傀儡だったからよくわかる。お前の悔しさや情けなさがな。しかしオレはお前みたいに弱いもんに八つ当たりはしなかったぜ。なあ、高鼻和の旦那。こんなに近くで暮らしているんだ。お互い仲良くやるのが得策じゃないか。つまらない張り合いは止めようじゃないか。叔父の久崎からも手を引け。万事それでめでたしめでたし。たまには一緒に骰子を転がして遊ぼうぜ?」
     高鼻和はガクリと膝を落とした。
     久範は、「さあ行くぜ。家来ども」と三人に声をかけ悠々と座敷をでようとした。すると、高鼻和が少し顔を上げ、毒気の抜けたような顔で言った。
    「ワシは、その骰子を見て、美しいと思った。だから手に入れたいと思った。しかしあの盗人の話を聞いていたから、飾るだけにしようと思った。綺麗な骰子だ。見ているだけでよかった。だからのう、お前らもそれだけにしておけ。少なくとも四一半だけはするな。ワシは骰子の美しさに少しのぼせておった。じゃが四一半だけはするつもりはなかったんだ」
     最後は必死な声になっていた。
    「疫病が蔓延し、四一で幸せって話か?」
     久範は首を傾げた。それからおもむろに再度、ふたつの骰子を取り上げて振った。
     骰子コロコロと転がり、五と三で止まった。
     助三はひえっと言って首をすくめ、高鼻和はがくんと大きく口を開けた。
     しかしやはり何も起こらなかった。
     疫病もおこらなければ、牛の唸り声も聞こえなかった。
    「ま、こんなもんだよ」
     久範は一同に向き直って言った。
    「牛頭天王の骰子、振れば疫病が蔓延するが、四一が出れば骰子を振った者が幸福になる。それでわかったよ。そんなの簡単な謎解きじゃねえか」
    「な、謎解き?」
     高鼻和は自分の鼻を何度もさすりながら、不思議そうに久範を見た。
     久範はへへんと笑った。
    「疫病はつまり博打そのものさ。これはどうしても依存しやすいし、下手すれば死に至る病だ。博打ってのは疫病そのものじゃねえか。また、四一が出れば骰子を振ったものが幸福になるというのも、こう考えれば同じこと。骰子を振る側は胴元だから、シッピンで丸儲け。幸福になるわけだ。牛頭天王の骰子の謎解きはこれで終わりだ。本物の疫病も本物の幸福も来やしねえ。すべて四一半という賭博の上だけでの話なんだよ。博打こそが疫病で、その疫病の中にも幸福がある。それだけだ。モロコシからこの骰子を持ち帰った偉い人は、たぶんその博打の、骰子を振った人たちの、それに憑りつかれる様を見て、博打は恐ろしいもんだと気づいたんだな。だから封印したんだ。考えりゃ簡単な理屈さ」
     それだけ言うと、「さあ、お前ら、帰ろう」と久範は座敷を出た。そして馬に乗りながら、「ほい」「ほい」と草安丸と涼香に何かを投げてよこし、「今日の壺振りの駄賃だ」と笑いかけ、さっさと馬を駆けさせた。
     馬で駆け去る久範を見送ったあと、草安丸が手を開くと、そこには透明に少し赤の混ざったスサの賽があった。涼香の方には透明に少し黒の混じったゴズの賽があった。
     二人ははっと息を飲んでお互いの顔を見た。
     そんな二人を驚愕の顔で見た助三は、
    「ちょ、ちょっと親分。ワシには何もないのかい?」
     と叫びながら馬の後ろを追って走った。

    九

     赤松屋敷に帰ると、葉室定嗣が待っていた。
    「どうしたんだい葉室の旦那?」
     久範は馬から飛び降りて厩に歩きながら聞いた。
     定嗣はいつになく怒気を含んだ声で、それでも感情を抑えるように言った。
    「私はそれでも、賭博はいけないものだと思う」
     久範はキョトンとしばらく定嗣の顔を見て、「ああ、先日チョボイチのことで何か言い争ったかな?」と少し思い出し、
    「いや、悪い悪い。オレも大人げなかったよ。それで何の話をしてたんだっけ?」
     と、軽くかわそうとした。
     その肩を定嗣がつかんだ。
    「いろいろ考えて思いついた。私はやはり博打は駄目なことだと思う。しかしお前の言うことも一理あるような気もする。お互いの意見を言い合っても、これは平行線になる。そこで決めた。私は生涯で一度だけ、お前のために博打をする」
     久範はまったくわけがわからないといった顔で振り向いた。
    「この勝負で私が勝てば、お前は一生博打をしてはいけない。そして九条家の年貢もきっちりと払う。どうだ?」
     久範はニヤリと笑った。
    「それじゃ、そっちの言い分ばかりで賭けにならない。もしオレが勝ったら、そうだな。葉室家には嵯峨の紫野あたりにちょっとした土地があっただろ? あれをオレにくれるってのはどうだ? どうせ空き地だし、いいだろう?」
     定嗣は、「うっ」と少し言葉に詰まったが、すぐに頷いて言った。
    「よかろう。では何で勝負する?」
     そこに草安丸と涼香が並んで帰って来た。
     久範は二人を手招きで呼んだあと、「もちろん骰子だ。今回は白黒の決しやすい半丁で決めようぜ」と、目をきらめかせて言った。

    十

     播磨から帰京してすぐ、葉室定嗣は九条家から辞職した。
     二十四歳で中宮権大進に抜擢されて以降、二十年近く任された九条家の家司を甥に譲り自らは出家した。僧名を心月房定然という。
     承久の乱で父が斬首され、以降、罪人の家となった葉室家であったが、九条道家は定嗣の実務能力を見込み取り立てた。
     葉室定嗣はその恩に報いようと誠実に働いた。
     その彼の、突然の辞職であった。
     性格は謹厳で、上皇に対しても行き過ぎがあれば毅然として諫言する誠実な人物であったといわれる。
     ただ晩年は家督を譲った甥と対立し、人間関係に悩まされたともいう。
     そういった折――時々はあの播磨の青年を思い出し微笑んだかも知れない。「紫野の土地は惜しかったが、まあ、弟に譲ったと思えば腹も立たぬ」と、博打と悪戯の大好きな久範を弟のように懐かしんだかもしれない。

     定嗣が九条家を辞したその同じ年、建長二年(一二五〇)。道家は処分状を書き、自らの荘園を子供たちに分配した。そうして佐用荘は子の忠家に譲られたが、宝治合戦ののちには、実質的に年貢の届かない不知行領となっていたと思われる。赤松を中心とする宇野の一族はここに九条家との縁を切り、新たな道を歩み出した。
     この赤松家のやんちゃくれ久範の孫として、弘安二年(一二七九)、赤松次郎則村、のちの赤松円心は誕生する。

     最後に高鼻和左衛門尉有景とその所領について。高鼻和家が地頭を務めた下揖保荘は、有景の亡き後娘が相伝した。その娘が越前の島津忠行と婚儀を結んだことにより、以降、島津氏の所領となった。これは薩摩の島津氏とは別系統の島津氏で、のちに越前島津氏とか播磨島津氏と呼びならわされるようになる。蛇足かもしれないが、これも播磨の一隅にあった事として書き加えておく。


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    ライフワークとして古事記の紙芝居を制作しています。あとは、その時々に興味のあることしています。

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