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東京女子プロレス、声優オタクをフォールする――私のプロレス観戦入門

    2026年6月7日。水道橋にある格闘技の聖地・後楽園ホール。
    東京女子プロレスの後楽園大会で、私は試合開始前に今日の対戦カードを確認していた。

    【本日開催!当日券あります】

    今日の予定が決まっていない方へ!

    KAWAII×DREAM×STRONG
    ~明日が楽しみになるプロレス~

    本日11:30開始、TJPW後楽園ホール大会!
    ⁰初めての方も大歓迎です。
    迷っているなら、今日!

    「TJPWのこと少し気になる」⁰そんな方はぜひ当日券でご来場ください。#tjpw pic.twitter.com/ZbgmWUmRBl

    — TJPW 東京女子プロレス (@tjpw2013) June 6, 2026

    メインイベントは、プリンセス・オブ・プリンセス選手権試合。王者は荒井優希選手。挑戦者は上福ゆき選手。荒井選手にとっては三度目の防衛戦であり、上福選手にとってはこのベルトへの初挑戦になる。

    王者がまた防衛するのか。
    挑戦者が初挑戦で届くのか。
    そのあと、次は誰が動くのか。

    そんなことを考えながら、私は対戦カードを見ていた。

    そして放送席ゲストには、声優の上坂すみれさんの名前があった。

    思えば、あれは遠い昔のこと……ではない。
    今年の3月である。
    そう、たった2か月ちょっと前である。

    振り返るには、あまりにも短い。
    しかし、そのたった2か月ちょっと前の私は、東京女子プロレスの大会ページを見ても、上坂すみれさんの名前くらいしか意味を持って読めなかった。

    もちろん、ほかの名前も文字としては読める。
    だが、それはまだ私の中で、人の顔や声や試合の記憶を伴った名前ではなかった。

    知らない名前が並んでいる。
    その中に、知っている名前がひとつある。

    それが、私にとって最初の東京女子プロレスだった。


    2026年3月29日、両国国技館。


    東京女子プロレスの大きな大会に、上坂すみれさんが出演する。

    そう聞いて、私は行くことにした。

    動機はかなり単純だった。
    上坂すみれさんが出るらしい。
    せっかくだから、一度くらい生でプロレスというものを見てみるのも面白いかもしれない。

    その程度だった。

    この時点で、私は上坂すみれさんが東京女子プロレスに「出る」ということの意味を、ほとんど分かっていなかった。

    「出る」。

    シンプルな言葉である。

    イベントに出る。
    舞台に出る。
    ライブに出る。
    トークパートに出る。
    花束贈呈に出る。
    ちょっとした応援ゲストとして出る。

    いろいろな「出る」がある。

    だから、私はその意味を掴み損ねていたのである。
    セレモニー的なものなのかもしれない。
    ラウンドガール的な役回りなのかもしれない。
    キャラクターショー的な温度感で、少しコミカルに絡むくらいなのかもしれない。

    何しろ分からない。

    女性声優である。

    リングに上がる?ベルトを争う?

    まさか。そんなまさか。分からん。本気か?

    分からないから、心配のしようもない。

    二階席で両国名物のやきとりを食べながら、開始直前だというのに何も頭に思い描けなかった。

    始まりはアイドルのライブだった。なるほど、大きな大会らしく華やかだ。

    ライブが終わり、プロレスが始まった。

    実際に試合が始まって、最初に思ったのは、とても単純なことだった。

    痛そう。

    いや、痛そうである。

    リングの上で身体がぶつかる。
    マットに落ちる。
    ロープが揺れる。
    受け身を取る。
    また立ち上がる。

    二階席にいても、音が届く。
    身体のぶつかる音が届く。

    プロレスを何も知らない人間の第一印象としては、たぶんこれ以上ないくらい素朴で、これ以上ないくらい正直だったと思う。

    痛そう。


    普通に痛そう。

    ただ、不思議なことに、それは一方的な暴力には見えなかった。

    技を受ける側だけが身体を張っているわけではない。
    技をかける方も身体を張っている。なんならかけている側も痛そうである。
    互いに身体を使って、何かを成立させているように見えた。

    もちろん、その時点で私にプロレスの文法が分かっていたわけではない。
    技の名前も、試合の流れも、誰がどんな文脈を背負っているのかも分からない。

    それでも、目の前で起きていることが、ただ相手を痛めつける行為ではないことだけは、なんとなく感じた。

    痛そうなのに、ただの暴力には見えない。

    その違和感が、最初の引っかかりだった。

    そして、その引っかかりが生まれたあとで、遅れて心配がやってきた。

    ここに、上坂すみれさんが出るのか。

    出る。
    どこへ。
    ここへ。

    試合を見ているうちに、「出る」という言葉の重さが変わっていった。

    いや、まさか。

    第2試合は、最初はコミカルだった。

    これなら大丈夫なのかもしれない、と思った。
    キャラクターショー的なものに近いのかもしれない、とも思った。

    だが、試合が進むにつれて、だんだんプロレスになっていく。
    時間ごと、次々選手が入場する。
    攻防が生まれる。
    身体がぶつかる。
    客席の空気が変わる。

    ここに来るのか。
    本当に来るのか。
    だ、大丈夫か。

    そう思い始めたところに、彼女は現れた。

    上坂すみれさんは、サーベルを持っていた。

    サーベルである。
    声優が。
    両国国技館で。
    サーベルを持っている。

    情報量が多い。

    観客席へ向かって威嚇する。
    会場が湧く。
    私の中の古いプロレス知識が、頼んでもいないのに起動した。

    タイガー・ジェット・シンだ。

    もちろん、厳密に同じだとか、正しい引用だとか、そういう話ではない。
    ただ、私の中にあった断片的な昭和プロレスの記憶が、サーベルという小道具で急につながった。

    そして、もっと不思議だったのは、それが場違いに見えなかったことだ。

    少なくとも私には、その場の文法に乗り、観客の感情を動かす役割を引き受けているように見えた。

    心配していたはずだった。

    けれど、サーベルを持って現れ、客席を威嚇し、リングの文脈に乗っていく姿を見ているうちに、その心配は別の感情に変わっていった。

    すごい。マジで戦うのか。

    声優として、歌手として、舞台に立つ上坂すみれさんは何度も見てきた。
    けれど、プロレスのリングに接続された彼女の姿は、私の知っているすみぺでありながら、私の知らないすみぺでもあった。

    ただのお祭り企画だと思っていたわけではないにせよ、どこかで「まあ、ゲスト枠だろう」くらいの気持ちはあった。
    でも、実際には想像していた何十倍も「プロレス」だった。

    雰囲気だけ借りた何かではなかった。ちゃんと技を受け、ちゃんと攻防があり、ちゃんと試合が成立していて、その中にすみぺがいた。

    正直、最初はやっぱり心配だった。

    すみぺ大丈夫かな、という気持ちがかなりあった。
    技を受ける場面では普通にハラハラしたし、見ていて身構える瞬間もあった。
    でも試合が進むにつれて、その気持ちが少しずつ変わっていった。

    心配よりも、「すごいな」が勝ってくる。

    プロレスのリングで、自分自身の身体で、すみぺは戦っていた。

    「すごいな」が、そのまま「かっこいい」に変わっていく。

    ここが面白かった。

    最初は、どこか見守る側に近かった。

    途中から完全に観客として試合に引っ張られていく。

    大丈夫かな、ではなく、見届けたい、になっていく。

    この感情の変化が、自分でも意外だった。

    最後にビクトル式ヒザ十字固めで決めた場面は、かなり見入ってしまった。

    終わった時には、心配していた気持ちよりも、よくここまでやったな、かっこよかったな、という気持ちの方がずっと大きくなっていた。

    きょうの両国国技館「GRAND PRINCESS‘26」にて、アイアンマンヘビーメタル級王者のベルトを…獲りました!なんて重みっ…!!(すみぺ) #tjpwGP26 pic.twitter.com/nDaGWyr4hz

    — 上坂すみれ_official (@uesaka_official) March 29, 2026


    すみぺの試合が終わった後も、個性豊かな試合が続いた。

    スーパー戦隊とのコラボ。デカいパンダとの戦い。他団体選手との試合。そしてベルトをかけた戦い。

    同じリングの上で、これだけ違う温度のことが起きていた。

    コミカルな場面で笑っていたのに、気づけば真剣勝負に引き込まれている。さっきまでふざけていたはずのリングが、いつのまにか別の顔をしている。

    プロレス。たった4文字の中に、これだけの振れ幅があるのか。

    最初は「せっかくだし一回観てみるか」くらいの気持ちだったのに、終わる頃には、これはもう一回観てもいいな、と思っていた。
    少なくとも、自分の中で「痛そう」だけでは終わらなかった。
    そこにはちゃんと、かっこよさがあり、美しさがあり、思っていた以上に豊かなものがあった。

    すみぺの試合を見に行ったはずなのに、帰るころには、他の試合の場面も妙に残っていた。

    名前まではまだ追いつかない。

    それでも、知らない名前のまま通り過ぎたはずの人たちが、あとから少し気になり始めた。

    両国国技館から帰ったあと、私は東京女子プロレスのことを少しずつ見るようになった。

    両国大会のあと

    週刊プロレスを読む。
    過去大会配信を見る。
    感想を書く。
    また会場へ行く。

    こう書くと、なんだか順調な学習記録のようだが、実際はそんな整ったものではない。

    分からない名前が多い。
    知らない流れが多い。
    ベルトの意味も、団体の文脈も、選手同士の関係も、すぐには分からない。

    それでも、両国で見た名前は、少しだけ違って見えた。

    誌面に並ぶ名前が、ただの文字列ではなくなる。
    あの試合に出ていた人。
    あの場面で印象に残った人。
    あの声援を受けていた人。
    あの表情をしていた人。

    名前の向こうに、少しずつ顔や身体や音が重なっていく。

    プロレスを知るというのは、単に技の名前を覚えることでも、歴史を暗記することでもないのかもしれない。

    名前に記憶がつく。
    文字列に身体がつく。
    知らない一覧が、自分の見たものの目次になっていく。

    それは、かなり静かな変化だった。

    ある日突然、「分かるようになった」と叫びたくなるようなものではない。
    もっと地味で、もっと曖昧だ。

    気づけば、読めなかったものを読んでいる。
    気づけば、知らなかった名前に反応している。
    気づけば、次の対戦カードを見ている。

    怖いのは、その変化にあまり驚かないことである。

    人は意外と、変わった自分にすぐ慣れる。

    私は、すみぺが出ない大会にも行った。

    一文で書くと簡単だが、これは自分の中では大きかった。
    最初の入口は、確かにすみぺだった。
    けれど、その入口の向こう側に、自分の足で入っていった。

    その中で、風城ハル選手という名前も、少しずつ気になる名前になっていった。

    最初は、対戦カードの中にある名前のひとつだった。
    それが、試合を見るたびに、表情や動きや声援と結びついていく。
    勝てば嬉しい。
    負ければ悔しい。
    次はどうなるのか、少し気になる。

    名前に感情がつく、というのは、たぶんそういうことだった。
    観戦後には、AIにもプロレスの話を投げてみた。

    何が面白かったのか。
    なぜ痛そうなのに暴力には見えなかったのか。
    勝敗以外に、自分は何を見ていたのか。
    何故?なんで?どうして?

    人間相手なら遠慮する量の質問を、夜な夜な投げた。

    AIは引かなかった。
    引かないので、こちらも遠慮しなかった。

    結果、睡眠時間が削られた。

    便利な時代は、人間を寝不足にする。

    ただ、そのやりとりで何か明確な答えが出たわけではない。

    プロレスが分かった、とは言えない。
    むしろ、考えれば考えるほど、分からないことが増えていった。

    そして、見始めたからこそ、気になることも増えた。

    身体を張る姿はかっこいい。
    立ち上がる姿に胸が熱くなる。
    だが、その身体には本当に痛みが残る。

    怪我で療養する選手の名前を耳にする。
    欠場の知らせを見る。
    無理をしてほしくないと思う。

    それでも、リングに立つ姿を見たいと思ってしまう。

    この感情を、手放しで美しいとは言い切れない。
    けれど、見ないふりもできない。

    誕生日には、新宿FACEのリングサイドにも座った。

    名前として知り始めていた選手たちが、身体として目の前に来る。
    ロープが揺れる。
    マットに落ちる音がする。
    表情が見える。

    近い。
    近すぎる。

    生々しい。
    いや、むしろ現実感がない。
    いやいや、やっぱり生々しい。

    自分の処理能力が追いつかない。

    遠くから見ていたものに近づけば、もっと分かると思っていた。
    けれど、近づいたからこそ分からなくなることもあるらしい。

    プロレスは不思議だ。
    遠いと大きな物語に見える。
    近いと身体に見える。
    近すぎると、目の前で起きていることが処理しきれなくなる。

    そして6月7日。


    私は、また後楽園ホールにいた。

    座席は東側の二列目で、リングにはかなり近い。

    近い席は、よく見える席だろうと思っていた。

    だが違った。

    近い席は、よく見える席ではなく、巻き込まれる席だった。

    確かに遠くからでは見えないものが、ここでは見える。

    ロープの音が近い。
    マットの衝撃が近い。
    選手の声が近い。
    表情が近い。

    その一方で、見えないものも増える。

    ロープが重なる。
    選手同士が重なる。
    カメラマンが重なる。
    反対側の場外が見えにくい。
    前列の人の動きで視界が切れる。

    遠い席なら、リング全体をひとつの画面として見られる。
    近い席では、目の前で起きる局所に視線を持っていかれる。

    見えないところで攻守が入れ替わる。
    実況を聞く。
    モニターを見る。
    首を動かす。
    周囲の反応を読む。
    リングに戻る。

    忙しい。

    観客席に座っているだけなのに、ずっと判断している。

    肉眼で見るか。
    実況を聞くか。
    モニターを見るか。
    写真を撮るか。
    撮るのをやめて目で見るか。

    紙テープも投げた。

    場外の攻防で、少し退く場面もあった。

    ほんの少し立ち上がって2,3歩退くだけである。
    それだけなのに、客席が完全に安全な鑑賞席ではなく、試合と地続きの場所に変わったように感じた。

    目と鼻の先で、選手が戦っている。

    ここでのプロレス観戦は、ただ見るだけではなかった。

    見る。
    聞く。
    補う。
    反応する。
    少し退く。
    投げる。
    待つ。

    観客の身体も、意外と忙しい。

    そして、この日の放送席ゲストには、上坂すみれさんがいた。

    3月の私は、すみぺが東京女子プロレスに「出る」という言葉の意味を分かっていなかった。
    6月の私は、すみぺが「放送席ゲスト」として来ると知っていた。

    放送席ゲスト。
    今度こそ、さすがにリングの外だろう。

    そう思っていた。

    しかし、東京女子プロレスは油断ならない。

    すみぺは、アイアンマンヘビーメタル級王座の流れに巻き込まれ、中島翔子選手にベルトを奪われた。

    放送席にいるはずの人が、プロレスの文法に巻き込まれる。
    ゲストでさえ、ただ外側に置いておかれない。

    ベルトはその後も目まぐるしく移動していった。

    3月に「出る」の意味が変わった。
    6月には「ゲスト」の意味まで怪しくなった。

    どうしてこうなった。

    いや、たぶん、それがプロレスなのだ。

    大会後、風城ハル選手の特典会に参加した。

    この日、実況で印象的な情報を聞いていた。
    上坂すみれさんが両国大会に出るにあたって、道場でロープワークに触れた時、その先生をしていたのが風城ハル選手だったという話だ。

    気になって、本人に聞いてみた。

    「実はそうなんです」

    風城選手は少し照れながら笑ってそう答えてくれた。

    先生。
    いや、師匠。

    自分が東京女子プロレスを見るきっかけになったのは、すみぺだった。
    その後、自分は風城ハル選手を応援するようになった。

    きっかけのきっかけに携わった人。
    奇遇ですね。

    いやいや、そうだったんか。

    最初に意味を持っていた名前。
    あとから意味を持ちはじめた名前。

    その二つが、ロープワークというプロレスの基礎でつながっていた。

    名前に意味がつく。
    その名前同士が、線でつながる。

    2か月前には、そんなことになるとは思っていなかった。


    画像
    上坂すみれさんの先生、風城ハル選手


    そもそも2か月前には、すみぺの名前くらいしか意味を持って読めなかったのだ。

    プロレスが分かったとは、まだ言えない。
    東京女子プロレスを語れるようになったとも思わない。

    けれど、もう出場選手一覧を、ただの文字列として見ることはできない。

    名前の向こうに、見た試合がある。
    聞いた声がある。
    マットの音がある。
    場外で少し退いた感覚がある。
    投げた紙テープがある。
    特典会で聞いた「実はそうなんです」がある。

    たった2か月前、私は上坂すみれさんの名前しか意味を持って読めなかった。

    いま、私は次の対戦カードを待っている。


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    #風城ハル
    #エッセイ

     
     
    好きなもの、現地で見たもの、作品の感想、生活の工夫。 日々の体験を、AIと一緒に言葉へ変えていく実験場です。 感動した理由も、引っかかった理由も、なるべく丁寧に整理しています。 ロコロコ (roko roko)が運営する、小さなラボ「doradolab」です。

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