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関係が人を生む

    kyomu

     人間とは精神である。精神とはなんであるか。
        
     精神とは自己である。自己とはなんであるか。
        
     自己とは自己自身に関係するところの関係であ る。

     ーセーレン・キェルケゴール『死に至る病』よりー

     人間とは精神である。なんとなくわかる。
     精神とは自己である。なんとなくわかる。
     自己とは自己自身に関係するところの関係である。よくわからん・・・

     ということで今日は『関係』というものについて考えようと思う。
    ちなみに、私は哲学者でもなければ社会学者でもない。単なる市井の人である。ここに記すのはあくまでも私見であるので、専門的なことに関しては各々本を読むなりしていただけると幸いである。

     さて、ところで『関係』についてだが、まず関係と聞いて思い浮かぶ言葉を挙げてみる。
    「人間関係」、「因果関係」、「三角関係」・・・などなど挙げてみればきりがないが、共通していることがある。
     それは、
    【関係が構築されるときは、必ず2つ(以上)のものが存在している】
    ということである。
    何を当たり前のことを、と思うかもしれないがこれは案外重要なポイントのような気がする。自分ひとりではそもそも関係の構築しようがない。他者が存在し始めて関係というものが生まれる。

     上記のキェルケゴールの言葉も言い換えれば、人間=関係となる。つまり関係が成立することで初めて自己(精神)が生まれる。イコール人間という存在である。という風にも読めなくはない。

     そしてそれをさらに飛躍させると、先述したように2つ以上のものが存在している(=関係している)のが人間であるとも言える。有限性と無限性、自由と必然、秩序と無秩序など相反した2つ以上のものが人間には存在する。だが、そのようなものは人間自身が作り出したものではない、元から作り出されていたものである。その元からあったものと関係することで、初めて人間としての存在が生まれるのではないだろうか。これこそが、自己自身に関係するところの関係だと思われる。

     とまぁややこしい文章になってしまい申し訳ないのだが、単純化すると人は他者や2つ以上のモノ・概念などと関係することで自己という存在が確立できる。ということであろうか。

     例えば、何もない部屋でひとりでいる時にそこに関係は無い。だが、その部屋に他者が入ってきた時、明確に自分と他者という関係が生まれる。その時に他者とは異なる自己が確立される。

     このように考えてみれば、ぼんやりとしていた冒頭の言葉も多少はわかるようになってきたように思える。

     今の時代は現実世界での関係の構築よりも、インターネットやSNSなど匿名性が強い不透明な世界で不透明な関係を構築するケースが多くなった。だからより自分という存在を認めてほしいという欲望(承認欲求・自己顕示欲)が膨れ上がっているのではないか・・・
    果たしてその先にある『関係』は健全なものであるのだろうか・・・

     わからない。


     
     
     

    kyomu

     
     
    日々感じたことを綴りたい/基本、雑食、雑感、雑記/音楽を聴き、本を読む。

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