
夢少年
「夢少年」あらすじ
西暦30××年、人間と見分けがつかないほど進化したロボットが、社会に溶け込む時代。ロボット管制局長・流代キヨミが管理する「梨音」は、5歳の愛らしい少年の姿ながら、軍隊並みの戦闘能力を持つ対テロ特化型ロボットだった。
梨音は介護施設で働きながら、知性溢れる施設の利用者・富貴との絆を深めていく。そのような中で、愛ゆえに殺人を犯したケンタウロス型ロボットの悲劇に遭遇し、また宇宙ステーションを占拠する戦闘マシンと、壮絶な死闘を繰り広げる。やがて、全人類の文明破壊を目論むサイボーグ・ソイクーの陰謀を知ることになる。
戦いの中で、梨音は決然と「自分こそが人間の良心そのものだ」と言う。地球こそが宇宙の理想郷と見られるように、全人類が遺す使命を帯びていると考える宝、つまり「愛」の真の意味を、富貴と共に、問い直していくのだった。
1.富貴との出会い
西暦30××年、ロボットは今や「擬人化された機械」を超越し、見た目はすでに人間と区別がつかなくなっていました。社会進出を進める彼らの、その身体には生体組織が至る所に使われ、サイボーグとの区別さえ曖昧になりつつあったのです。
ロボットの中でも、対テロ・犯罪行為に特化した兵士タイプは、世界中に配置されていました。未成年者を含めた人間による犯罪の凶悪化は、とどまるところを知らず、犯罪者の大半は説得などというものも通用しなかったため、非常手段ギリギリの所まで追い詰め、捕縛するために、警察とロボットとの協力は、今や欠かせませんでした。
事前に犯罪の芽を摘み取る能力もまた、彼らには求められました。「予備軍」には、特有の言動パターン、顔つきの変化などがあり、それらを見極め、膨大なデータに瞬時に照らし合わせて、声掛けなどを行い、未然の防止に努めることも、彼らの重要な仕事でした。
申し遅れましたが、私は流代(るだい)キヨミ。ロボットではなく、人間です。ロボット管制センターの局長を務めており、世界中のロボットが、このセンターの管理下にあります。
それぞれの兵士型ロボットには、私達が普段携帯している端末とサーバーを同じくする通信システムが、あらかじめ体内に備わっています。私達と24時間情報を共有する必要性から、そのようになりました。私達または彼ら同士の交信の様子は、人々が見ると、精神感応能力者(テレパス)との対話のように映るはずです。
ここで紹介するRIONA004140713、通称「梨音」は、そのような兵士タイプの中でも、戦闘能力がズバ抜けて高いロボットなのです。外見としては、5歳の可愛らしい人間の子供という設定がされており、強力なパワーを有しているとは信じがたいその見た目によって、相手の油断を誘うという狙いのもとに造られました。
人間の5歳児といえば未就学児童ですが、梨音は普段は、老人福祉施設で働く介護職員なのです。これは、本人のたっての希望が、聞き入れられた形です。
長い間、ロボットには自分の意思がないとされてきました。というよりは、自分の意思を持つことが許されなかったのです。しかしながら、ロボット三原則の中で、最も重要な第一原則「ロボットは人間のLIFE(生命・生活)を守らなければならない」これが徹底されてきたことで、ロボットは人間同士よりもはるかに信頼を得られやすいという現象が起きていました。
その結果、得て間もない情報から判断したと思える梨音の「自由な生活を楽しめない高齢者のサポートがしたい」という申し出は、私を始め多くの人の心を打ち、ほぼ「ロボットは人間の命令に従ってさえいればいい」という内容だったロボット法の改正にも繋がったのです。
これにより、梨音に続こうと思ったのかどうか分かりませんが、人の生活するあらゆる空間に配置されていた、ホームヘルパータイプのロボット達までが、挙(こぞ)って自分の「本業」とは別の、様々な職業への進出を願い出たのです。
もちろん、このために本来与えられた役割が疎かになっては何にもなりませんが、彼らは実際、よく働きました。人間を基準にして見た限りでは、彼らは明らかにオーバーワークでした。当然そのことで愚痴の一つもこぼす訳ではありませんから、知らない間に疲労のようなものが蓄積する場合もあります。第三原則(自己保存の義務)に基づき、定期的なメンテナンスによる「体調管理」が義務付けられていました。
彼らの求職の動機は、純粋に「人間のLIFEの保全」つまり人々への見守りの延長にあったわけです。が、これは私の主観的な感じ方かもしれませんが、私達と対等な立場になり、喜びや悩みを共有したいという彼らの思いも同時にあったような気がするのです。
当然人間のように不祥事を起こして解雇されるなどということも、あり得ませんでした。ロボットの信頼度はますます高まり、このため「機械などに仕事を奪われる」という昔ながらの危惧が、今また現実的になりつつあったのです。
そんな人々の不安を解消してくれる存在が、梨音でした。彼のような、特殊任務に対応して造られたロボットは、守秘義務遵守の意味では、介護ヘルパーのような「表の顔」を持つことはむしろ望ましかったのですが、彼の存在感は、働いている施設を遥かに飛び越え、今や世界中に轟(とどろ)き渡っていました。目立つべきではないのに目立ってしまっているという、皮肉な結果になっているわけです。
理由はやはり、5歳児としての可愛らしい風貌と、あらゆる面で超人的なその能力とのギャップにあるでしょう。驚異的な身体能力に加え、利用者や他の介護スタッフの心を捉えて離さない、知的な話術・抜群の好感度は、人々の癒しにもなり、誰もが抱きがちになるロボットそのものへの不信感を、和らげる効果があったのです。マスコミの挙っての取材対象となり、世界規模でスーパースター並みの賞賛の的になることは、当然の成り行きといえました。
この日梨音は、勤めている介護施設で、初めての施設入所になるという利用者さんを担当することになりました。この人は73歳になり、名前を太刀風富貴(たちかぜふき)といいます。事故の後遺症で、車椅子生活を余儀なくされていましたが、イラストレーターという仕事を長く続けていたとかで、そのせいでしょうか、スピリチュアルというかどこか不思議な雰囲気を漂わせた女性でした。
梨音は大張り切りで、彼女の車椅子からベッドへの移動など、すべての世話をたった一人で、手際よくこなしていきます。会って間もないというのに、彼の口からは、こんな言葉が自然と発せられました。
「太刀風さんのお世話ができて、本当に光栄です。このお惣菜もすべて、先ほど調理室で、僕が太刀風さんのために作ったものなんですよ。お口に合うといいのですが…」
餡かけにした、小さく切った野菜を、スプーンで注意深く彼女の口に運んでいきます。ブロッコリーを食べさせ終わったところで、それまでニコニコしていた彼の表情が、急に険しいものに変わりました。ほぼ同時に、すでにすべてを察知している風の、もう一人の職員が、ノックも無しに彼女の個室に入ってきました。
「後は引き継ぐわ。梨音、早く行って」
「すみません。よろしくお願いします」
事件は何の前触れもなく訪れます。梨音の本来の職務を周知済みの施設のスタッフ達は、瞬時の情報の共有と、迅速な連携プレーを行うことが、常に求められました。彼は大急ぎで、ヘリポートも兼ねた施設の屋上へと向かいます。
到着と同時に、彼のスターター・シューズの靴底では、ジェット気流が猛烈な渦を巻き始めます。やがて爆発のような噴射音が、屋上に響き渡ったと思った瞬間に、彼の体は超高速飛行モードに突入し、目的地に向かい一直線にすっ飛んでいきました。
事前に一通り説明はしてありましたが、見慣れない場面を見てしまうと、人は誰でも当惑します。富貴さんもまた、個室の窓を開けて、屋上から飛び立った彼を不安気に見送っていました。
「梨音は今日も、調子は上々のようね。さあ太刀風さん、窓を閉めますよ」
「ねぇ…なぜあんな小さい上に、優しい子に、介護だけじゃなく、わざわざ危ない仕事までさせる必要があるのかしら」
「人間の基準で見れば、確かにそう思いますよね。でも梨音って、元々犯罪撲滅のために造られたロボットなんです。ああ見えて、もう200件以上の事件に関わって、解決に繋げてきた、大ベテランなんですよ。あの子1人だけで、軍隊一個師団に相当する働きができるとか」
「あら…そうなの?」
「太刀風さん、それよりも、新作の絵の方は進んでますか?職員一同で、楽しみにしてるんですよ。完成したら、額装して、玄関ホールに飾らせてもらおうってね」
「ウフフ…照れるわ。あともう少しよ。待っててね」
2.天翔けるペガサス
梨音の頭の片隅には「富貴さんともう少し一緒にいたかったな」という、非常にロボットらしくない思いが離れませんでした。彼は他のロボットに比べ、能力の高さと共に、その「人間臭さ」が際立っており、そこが人々から好かれる一番の理由になっていたわけですが、私達にとっては、一番の不安材料でもあったのです。
ロボットYUNGE0105910259・通称ユンゲイは、なぜか下半身が馬になっている、ギリシャ神話に出てくるケンタウロスの形態をしたロボットでした。彼は、殺人を犯しました。
人間同士による殺人事件には多数関与してきた梨音でしたが、ロボットによるものは初めてであり、さしもの彼も当惑を禁じ得ませんでした。長年かけて築かれてきた、人間とロボットの間の信頼関係が、この一件によって脆くも崩れ去る危険を秘めていたからです。
問題の豪邸は、すでに多くのパトカー、警察官に取り囲まれています。すでに到着していた、警察官達の膝元ぐらいの身長の梨音は、彼らの前まで出ると、立派な噴水が造られた芝生に、呆然と立ち尽くしているユンゲイの姿を、バリケードテープ越しに、やりきれない思いで見つめていました。噴き上がる噴水は、皮肉なことに、とても綺麗な虹を掛けていました。
やがて、詳しい状況の説明を、警察の協力と管制センターの調査により、得ることができました。ユンゲイは長い間、邸宅の持ち主である大富豪に仕えてきた、四体のロボットのうちの一体でした。被害者はまさに、その屋敷の主人だったのです。
主人は非常に傲慢で嫉妬深いという性癖を持ち、ロボット達の屋敷内での一連の作業に、何かとおかしな言い掛かりをつけては、彼らに対し、執拗な虐待を繰り返していました。
彼は、ロボットそのものへの嫌悪感を日頃から抱いており、家事のためではなく、まるで虐待そのものを目的として、彼らを屋敷に置いているようにも見られました。そして、ついに悲劇は起きてしまったのです。
車の代用、乗馬気分の彼の移動手段として使われていたユンゲイでしたが、食事を作り、お茶を入れ、給仕する担当だったのは、主にコニエというメイド仕様のロボットでした。そして彼女は、主人から最も多く虐待の対象とされていたのです。顔や首、露出した腕や太腿から、新しい痣や傷が絶えることはありませんでした。
主人は、相手が人間ではないから、何をしても許されるという考えだったのでしょう。が、他のロボット、特にユンゲイは、虐待の様子を、身を焦がすような思いで見ていたことが想像されます。これは、彼がコニエに対し、日頃から特別な感情を持っていたことの現れでもあったようです。
かといって、彼らに虐待を止めることは、許されていませんでした。それはロボットの所有者である主人の、更なる怒りを促すだけの結果になってしまうからです。人間への虐待ならば即座に、自らが盾になってでも制止させなければなりませんが、ロボットが人間から信頼されるようになったとはいっても、残念ながら彼らが、人間と同様の「人権」を持つまでには、至っていなかったのです。
この日の朝、よほど虫の居所が悪かったと見える主人は、朝食のことで、いつも以上の力を込めて、コニエをひっぱたきました。彼女はよろけ、ダイニングテーブルの縁に背中を強く打ち付け、そのまま白目を剥き、機能を停止させてしまいました。
連日にわたる暴行によるダメージが蓄積していたコニエは、これが「致命傷」となったのでしょう。もはや修理によって、元の機能を取り戻すことはできません。事実上の「死」です。
予定していた主人の外出に備え、芝生で待機していたユンゲイは、ダイニングルームの大きなガラス戸越しに、この様子をつぶさに目の当たりにしました。彼の心は凍りつき、次の瞬間には、悪鬼の形相と化した彼が、高々と蹄(ひづめ)の音を轟かせ、猛烈な勢いでガラス戸を叩き割り、中へ侵入してきました。
そのような事態を微塵も予測していなかった主人は、怒りよりも驚きと恐怖で、顔を引きつらせました。その場にいた家政婦・家政夫ロボットが、慌ててユンゲイの制止を図りますが、二人よりも遥かに大きな彼の体は、難なくこれを振り払ってしまいました。
そして、倒れ込んでいた主人のでっぷりと太った体の上へ、その大きな蹄による強烈な一撃を見舞ったのです。右前足は胸骨、左前足は頭蓋骨をそれぞれ砕き、彼の心臓と顔を潰し、疑いようもない即死状態に導いたのでした。
梨音は改めて、見上げるほど大きなユンゲイと対峙しました。ユンゲイが口火を切ります。
「見逃してくれないか?梨音」
「バカか、お前は。そんなことができるわけねえだろう。さあ、その危なっかしい馬の脚に、拘束器を付けてやるよ。前に出ろ」
梨音はロボット同士になると、俄然言葉が乱暴になります。
「そうだろうな…ちょっと言ってみただけだ」
その時、思いもかけないことが起こりました。ユンゲイの下半身の馬の胴体から、白い巨大な翼が出現したのです。その姿は精悍なペガサスそのものでした。まったく、科学というものは、いつの時代にも、魔法のようなものです。
彼の蹄が、ジェット噴射を始めました。飛行モードに入ろうとしていました。
「待て、逃げる気か!逃がすわけにはいかんぞ!」
ユンゲイは構わずに、翼をはためかせながら、豪邸を後にし、飛び去っていきます。梨音も、シューズを作動させ、追跡します。警官隊が銃を構えましたが、ここは梨音に任せようということになり、発砲許可は下りませんでした。
雲を突き抜け、富士山の頂上が向こうに見える、現場の遥か上空の雲海で、二人は静止しました。
「梨音、私は逃げる気なんかないよ。ただ、こういう場所で、君に話を聞いてもらいたかっただけなんだ」
「……」
「白状すると、コニエが生きていた頃、あの屋敷から離れて、二人だけで、どこか遠い、誰も知らない、人間のいない世界へ行きたいね、などということを、主人が留守の時に、彼女とよく語り合っていたんだ。ロボトピアなんていう名前まで付けていたよ。ロボットの、というよりは、俺と彼女だけの理想郷さ。
そこには、美しい森と泉があって、小鳥が囀(さえず)っていて、泉の側では、私の背中に乗ったコニエが、優雅に竪琴を弾きながら、歌を歌う。私もたまに、デュエットする。素晴らしいだろう?」
「まさに絵に描いたような現実逃避だな。ロボットがそんなことでいいと思ってるのかい?我々の使命は、どこまでも現実と向き合って、人の命を、人の生活を守ることなんだぞ。我々は、そのためだけに造られたんだ。お前は、殺人という、何が何でもやってはならないことをした。
しかし、酌量の余地はある。あの屋敷の主人からの、度重なる虐待と、仲間が受け続けた虐待を連日にわたって目撃することによって、お前の電脳は、正常な思考を維持できなくなったと考えられる。
今すぐに出頭するなら、解体廃棄処分は許し、お前に対しては、記憶の全消去を含む大幅な改造を行い、製造コードも替え、新しいロボットとして生まれ変われるように、俺が取り計らってやるよ。そして、今度は人間性に問題の無いような所有者に恵まれるように、流代局長にも力を貸してもらう。悪い話じゃないだろう?」
「梨音…」
「何だ?」
「ロボトピアが幻想であることぐらい、私にも十分わかっている。だが、コニエの記憶まで私から消されるのは、とても耐えられない。これは人間でも同じなのかもしれないが、私が私でなくなるというのは、この上ない恥辱なのだ。
…ああ、もう十分だ。梨音、頼む、どうか君の手で、今この場で、私を跡形もなく、消し去ってくれないか。私を、コニエのところへ行かせてくれ」
梨音はこれを聞き、しばらく考えた後、私にネガ・コロージョンブラスターの使用許可を求めてきました。二人のやりとりの、一部始終を見聞きしていた私は、即答しました。
「いいわ、梨音。許可します。ロボット省庁には、私の方から十分に言っておきます。
…それにしても、こんなロマンティストなロボットが、存在するなんてね。でも、あのツールを、そんな彼に対して使うというのは、確かに正しい選択かもしれない。彼にとっても、きっと幸せでしょうね」
梨音は自分の両手の中に、武器などの様々なツールを錬成できます。これは彼が状況に応じて、私に必要なものを注文し、スタッフ達が膨大なデータから、目的に合った形に組み合わせて転送し、彼の中で物質化させるというものです。
ネガ・コロージョンブラスターというのは、武器としてはあまりにも過激であるため、滅多に使われることはありません。これは濃厚な超強酸性の液体を詰め込んだジェルボールであり、目標に当たると弾け、一瞬のうちにこれを溶解させ、霧のように気化させて、跡形も残さないのです。
地上で使用すると、しばらくの間は強酸性の霧が立ち込めるため、非常に危険ですが、地上から数十キロの上空でならば、さほど影響はないと思われます。
ユンゲイの体はとても大きいので、ブラスターも特大サイズになります。梨音とてこの液体に少しでも触れると、無事では済まないので、投擲(てき)後は、速やかにその場を離れなければなりません。
梨音の手の中で錬成されたブラスターは、みるみる大きくなり、やがて、まるでアドバルーンを、彼が抱え上げるような形になりました。彼はユンゲイから遠く離れ、投擲に備えました。なぜかその目は、先程とは大きく違い、優しいものに変わっていたのでした。
「本当にコニエを、愛していたんだね。…どうか、お幸せに」
「ありがとう、梨音」
ブラスターが、彼の手から離れました。それはユンゲイに届くと、すぐに彼の体を包み込み覆い隠す、紫色の霧へと変化しました。そして、彼の顎髭を蓄えた優しい顔、逞しい胸板や割れた腹筋、立派なペガサスの翼、数多くの街並みを駆け巡ってきた馬の脚、フサフサの栗毛の尻尾、一切がその存在をほどいていったのです。
キラキラと光るダイヤモンドダストのように、美しく雲海に散っていく一体のロボットを見送った後、梨音は任務完了を告げられ、センターへの帰路に就きました。
こうして、また一つの悲しい事件が、彼によって、解決に導かれたのです。
3.家族の時間
その日は月に一度の、梨音のメンテナンスの日です。兵士としての、また介護職員としての制服も脱ぎ、私服で外出をする、唯一の日なのです。
ロボットは人間と違い、睡眠のような何時間にも及ぶ休息は必要としません。梨音もまた、施設で担当する、数人のお年寄りの世話のために駆けずり回り、事件が発生すればいつでもすっ飛んでいくというルーティーンは、生き甲斐以上の、彼にとっての「全存在」となっていたのです。
休息とは、人間ならばホッと一息つける貴重な時間のはずですが、彼にとってはどこか、面倒臭いが仕方なくとる時間、ということになっていたようです。
見た目は普通の人間の子供ですので、一応のマンションの居室と、同居する保護者役の人間が用意されていました。彼の側でもまた、このお膳立ては、人間に関する詳細なデータを得るために必要なものだったのです。5歳児で小学校にさえ通っていないという設定なので、比較的面倒な手続きは必要ありませんでした。
無事メンテを済ませた、ネイビーブルーのジャケット姿のその日の梨音は、ロボットのケアを専門に行う施設から出て、センターではなくマンションへの帰路に就くところでした。途中、気になる光景に出くわしたのです。
周辺では、色とりどりのランドセルを背負った、梨音とは年も背格好もさほど違わない多くの子供達が、連れ立って下校していきます。彼らは主に公営住宅から登下校する児童だったので、流れの方向はほぼ決まっていました。
一人だけ流れに逆らい、気になる素振りをしている少年を発見したのです。梨音は急遽私に、予定を変更し、少年を尾行する旨を伝えてきました。
案の定、少年は辺りを見回し、誰も見ていないことを確認するようにして、通学路から外れ、狭く人通りの少ない路地を選んで歩いていきます。彼はスマホに絶えず目を落としており、地図アプリを見ながら、何かの目的地へ向かっているようでした。
目的地と思しき地点で立ち止まった彼に、梨音は声を掛けました。
「君、お家はそっちじゃないだろう?」
「何だよ、お前は!関係ねえだろう?」
梨音のことを何も知らない少年は、相手のことを完全に軽く見ています。
「関係なくはないよ。こういう声掛けが、僕の一応の仕事なんだ。
君、もしかしたら、悪い人達に関わっているんじゃないのか?さしずめそのスマホで、いいお小遣い稼ぎができるよとか何とか言われて、ここで待っていれば、ある人が封筒を持ってくるから、それを受け取って、どこかに持って行くように言われたんだろう?
そういうのはね、闇バイトの『受け子』っていって、何が何でも、やっちゃいけないことなんだよ。今では君みたいな小さい子でも、大人の振りをして、ネットでいろいろな所にアクセスして、結果的に犯罪に手を染めてしまうことが多いんだ。好奇心でついいろいろな所にアクセスしてしまって、ネットでは年齢なんか分からないのをいいことに、結果的に犯罪に手を染めてしまうことが多いんだ」
梨音の先回り先回りしたような指摘が、いちいち的を射てしまったようで、少年は目を見開いて、梨音を見つめ返していました。
相手から蒼司という名前を聞き出した梨音は、こう提案しました。
「蒼司君、このまま、ここに立って、その人を、待っていればいいよ。その人はね、特殊詐欺に遭った被害者なんだよ。大金の入った封筒を持って、ここに来るはずさ。その後は、僕に任せてほしいんだ」
「…うん、わかった」
数分後、確かに封筒を持った、見るからに人の好さそうな年配の女性が、慌てた様子でマンションの玄関を出て、こちらに向かってきました。待っていたのが、二人の子供だったので、やはり意外そうな顔をしていました。
梨音は封筒を受け取ると、中から数十万はありそうなお金を抜き取り、女性に返しました。代わりに道端から、同じぐらいの大きさのレンガ片を見つけてきて、封筒に入れたのでした。
「これから、一仕事しに行くよ。ある人に会いに行くんだけど、蒼司君もあなたも、このまま帰ってもいいし、もしこの後起こることを見ていたいのなら、その人に見つからないように、陰でこっそり見ていてほしいんだ」
蒼司と女性は、顔を見合わせると、二人揃って、梨音について行くことにしたのでした。
梨音は蒼司から、指定されていたもう一つのマンションの部屋番号を聞き出すと、そこへ向かいました。「犯人」に受け子の顔は分からず、小さい子供として間違いなく軽く見てくるはずですが、もしもこの後に行く「犯罪のアジト」が「本部」に繋がる中継地に過ぎなければ、主犯格の逮捕には、またしても時間がかかってしまいます。が、幸い、そうではなかったようです。
マンションの部屋から出てきたのは、非常に人相の悪い、見るからにそういうことをしそうな男でした。男は封筒を受け取るなり、梨音に向けて投げつけてきました。無論ヒョイとかわされました。
「舐めてんのか、このガキ!」
「あなたこそ、世の中を舐めてますよね」
すでに通報済みだったため、複数の警察官がやって来て、梨音に敬礼しました。
「いつも、ご苦労様、梨音君」
「ご苦労様です。後は、よろしくお願いします」梨音も敬礼を返します。
パトカーの停まっているマンション前に戻ると、やはり二人が待っていました。
「お母さん、もしもまたこういうことが起こったら、お金を持って行く前に、どうか一つ深呼吸して、誰かに相談なさってください。お願いします。
それと蒼司君。犯罪に手を貸すのと、犯罪撲滅に手を貸すのと、どちらがカッコいいと思う? 断然、後者の方だよね? もしも『将来何になりたいか』と聞かれたら、迷わず『正義のヒーローになりたいです』と答えてくれたら、嬉しいな」
蒼司の、最初顔に帯びていた、子供らしからぬ暗い影は、今や消えていました。彼はこの瞬間から、梨音から言われた通り、正義のヒーローというか、警察官を目指すことを、決めていたのかもしれません。
「…いったい、君は誰?」
「梨音。見ての通り、君と同じ、ただの少年だよ」
「とんだ、ただの少年だね」
梨音は蒼司達と別れ、ようやく居宅へ戻ってきました。夕食の美味しそうな匂いが漂っていました。母親役の女性が、梨音より年の小さい、自分の本当の息子のために、豚カツを揚げていたのです。父親役の男性も会社から帰ってきて、四人で食卓を囲みます。
「ああ、美味しい。梨音、今日は遅かったんだね。ねえ、どうしていつも、ご飯食べないの?」
「今日は、本当は非番だけど、ちょっと、いろいろあってね。僕はね、ご飯は食べられないんだ。朝一で、エネルギーチャージを済ませれば、それで十分なのさ。でもこうやって、家族みたいな感じで、食卓の前に座るのは、僕は大好きだよ」
「うん、琉斗も、梨音のことが、大好き」
「家族」の温かい時間が、ゆったりと流れていきます。翌日からまた激務が待っており、それを辛いと思うはずのない梨音でしたが、それでもやはり、この時間をひどく待ち遠しく感じていた自分も、またここにいたのでした。
4.宇宙ステーション
実のところ、私は心配していました。彼がいくら百戦錬磨の優秀な兵士とはいっても、今回の事件は、これまで私達が携わってきた事件とは、比較にならぬくらい厄介なものだったからです。というのも、今回の宇宙ステーション占拠事件は、世界中で発生している、数多くのテロ事件の「黒幕」が、大きく関わっている可能性が高かったのです。
黒幕といっても、その正体を私達は知っています。目的までは分かりませんが、世界各地のインフラ設備で、ロボットを利用した破壊活動を行っていたのです。今回は少し規模の大きい、大気圏外での騒乱です。梨音にとっても、久々に地球から離れての仕事になります。
成層圏を突き抜ける直前に、彼はシューズのジェット噴射を、ロケット噴射に切り替えました。彼の両眼のサーチライトは、はるか先から、問題の宇宙ステーションをしっかりと捉えています。
ステーションには、生命反応がありませんでした。つまり生存者0という状況の中で、殺人ロボットが、無人となったコンピューターにウィルスを仕込み、暴走事故を誘発させるなど、やりたい放題を尽くしているとの情報を得ていました。これは、あらゆる面で手遅れになっている可能性が高く、ウィルス拡散を防ぐために、ステーションを丸ごと放棄、つまり破壊する許可が下りていたのです。
梨音の腹の中は、怒りで煮えたぎっていました。人の命を守ることを何よりも優先しなければならないロボットに対して、その黒幕とやらは、どのような指示を与え、殺人を正当化させたのでしょうか。しかし、それはもう、梨音の興味の対象外だったのです。
人間でも、無差別殺人などを行う犯罪者の気持ちとやらを、正しく理解しようとすることは、時間のムダ以外の何物でもありません。やったことに対する落とし前だけをさっさとつけさせる、それが筋というものだと、彼は考えていました。今や彼の頭の中は「狂ったロボットの破壊」それのみだったのです。
使用許可を出した強力兵器「ガトリング・ボンバー」が炸裂し、一部のステーションの外壁はズタズタにささくれ立ちました。外壁を剥がし中へ侵入し、中央管制室まで到達し、扉の前に立った、まさにその時です。彼の目の前に、青白い閃光が拡がりました。
次の瞬間、彼の小さな体は、錐揉みをしながら吹き飛んでいき、20メートル先の内壁に激突し、大きくめり込んだ状態で止まりました。栗色の髪はクシャクシャになり、左目の眼球が露出し、口からは血の色をしたオイルが漏れ出ています。施設の制服のままで突入していた彼は、焼け焦げてボロボロになったそれを、脱ぎ捨てました。
「申し訳ありません、流代局長。私としたことが、反応が0.7秒遅れてしまいました。やや欠損部分はありますが、身体機能に一切、支障はありません。これから任務を遂行します」
彼の周囲の状況、また彼自身の状態も、地上の管制室で、手にとるように分かりました。鋼鉄の扉はボール紙のように無残に引き裂かれましたが、おびただしい煙のため、中の様子をうかがい知ることはできません。
無重力状態のため、煙の拡散には時間を要します。そのボンヤリとしたモニター映像の中から、やがて立ち現れてきたのは、身の丈5メートルほどの人型ロボットでした。胸には1対の内蔵型ビーム砲が装備されており、閃光はそこから放たれたものだったのです。
このタイプのデータは入手済みでした。GOMZ000919360、通称ゴムザ。黒幕が直接指令を下している、一連のテロ活動の中心となってきた、戦闘に特化したロボットです。
私の方でようやく視認が可能になってきた時には、梨音はすでに反撃に移っていました。彼の小さな掌が、ゴムザの巨大なマニピュレーター型の手に重ね合わされた時、彼は血の流れた口元を、不敵な笑いで歪めました。次の瞬間には、激しい断裂音と共に、ゴムザの両の腕は、肩の下から、梨音によってもぎ取られていたのです。
たまらずゴムザは、自らが手を下し、死体となっていた職員の一人の足元に倒れ込みました。
「なかなかやるな、梨音」
「この野郎、俺をその名で呼ぶな!そう呼んでいいのは人間だけだ!」
梨音はもぎ取った、自分の身長よりもずっと大きい両腕を放り投げながら、吐き捨てるように言いました。
ゴムザはその言葉を無視し、ぬけぬけと言ってきました。
「梨音、私の仕えている方に会ってみる気はないか?あの方は、人間にとっても、ロボットにとっても、この上ない理想郷を実現しようとなさっているお方だ。お前には、十分にその資格がある」
「フン、以前も俺に対して、似たようなことを言ってきた奴がいたよ。だが手前に比べりゃ、遥かに説得力があったぜ。何が理想郷だよ。糞食らえだ!言いたいことはそれだけかい?だったら、死ね!」
梨音はものすごい形相でゴムザに近付いていきます。ビビった敵のビーム砲が、彼に向けられました。
「同じ手を二度も食うか!」
強力なキックが見舞われ、ビーム砲は胸板ごと破壊されました。
「俺の顔をこんなにしやがって…許さねえ!!」
怒りのガトリング・ボンバーが、今度はゴムザに向けられます。構えた手から、無数の人間の拳のイメージが、高速で回転しながら放たれ、やがて螺旋状のビームに姿を変えて、確実に標的を破壊する、梨音最強の武器です。表情のないはずのモノアイの敵の顔が、死への恐怖に引きつったように見えて、彼は爽快感を隠せませんでした。
ゴムザの体を跡形もなく砕き、ステーションの天井に風穴を開けたボンバーは、そのまま宇宙空間を突き抜けていきます。
後に残ったステーションの中は、酸鼻の極みでした。ここでしか得られない貴重なデータを、長期間地球へ発信し、務めを果たし続けてくれた、10人ほどの有能なスタッフが、全員殺されてしまったのです。そして、ウィルスに汚染されてしまったコンピューター・システムは、もう元には戻りません。
梨音は唇を噛みしめながら、職員の遺体を一人ずつ休眠カプセルまで運び、一人一人に手を合わせていきます。そして、コンピューターが二度と起動しないよう、すべての配線を焼き切りました。敵は、国家予算に匹敵する損失を、我々に対して与えたわけです。任務は完了しましたが、これで我々の怒りが収まるはずもありません。
5.地球を取り巻く光
その時は、予想外の形で訪れました。全世界の都市部の至る所に配置された、広告・緊急ニュース等を連日映し出しているすべての屋外ビジョンが、何者かに乗っ取られてしまったのです。
巨大スクリーンには、実にインパクトのある容姿の男が、何かを躍起になって喚いている様子が、長々と映されました。男に関する情報は、すでに我々の手中にありました。間違いなく、一連のテロ活動の黒幕と呼ばれていた男だったのです。
ビルを破壊するなどの大掛かりなことをしても、その後実行犯であるロボットが自らを破壊してデータを消し去り、指令を出した者が犯行声明も出さず、表に一切出てこなければ、捜査は暗礁に乗り上げてしまいます。今回は思いがけず、犯人がとんでもなく目立つ方法で自己PRをしてくれたおかげで、一般大衆としては迷惑だったでしょうが、私達は少しだけ胸を撫で下ろすことができました。
男の全身は、ほぼサイボーグといっていいものでした。何らかの原因で全身に大火傷を負うなどして、体組織の大半を何かに置き換えなければ、生命維持が難しい場合などに、そのような処置が施されます。しかし、その仰々しいまでの、特撮物のコスプレのようなデザインは、生命維持装置のイメージを自ら壊そうとして改造を施したものであり、誠にふざけた代物という他はありませんでした。
一番の気掛かりは、男と共に繰り返しスクリーン上に流されている、その背後に映る、4基の奇妙な形をした、爆弾のようにも見える大きな物体でした。それは男の説明によれば、世界中のあらゆる電子機器類を、一瞬のうちに無力化し、恒久的に使用不能にすることを可能とした装置だといいます。
彼が続けている主張を要約すると、すべての人間はコンピューターを捨て去り、純粋に自然に寄り添った、原始の生き方に戻るべきだ、とする極論でした。自分が最先端のサイボーグ技術によって生き長らえてきた身でありながら、なぜ彼はそんなことを言うのでしょうか。
彼の言うことが嘘でなければ、装置が作動した場合、すべてのコンピューターが使い物にならなくなるだけでなく、全世界で人間同様に生活しているロボットのすべてが機能を停止する、つまり死に絶えてしまうということになります。ロボット達を人質にとり、何かの要求を通そうという腹づもりなのでしょうか。その要求とは?
管制センター中央のスクリーンの前で、梨音は私と一緒に、男の犯行声明をつぶさに聞いています。ゴムザとの戦いで受けたダメージもすっかり修復され、元の可愛らしい梨音の顔です。
「僕を奴の元へ行かせてください、流代局長。僕の大勢の仲間たちによる、世界中のテロ活動の妨害に加え、自分の腹心であるゴムザを失い、奴は逆恨みの感情を僕に対して強く抱いていると考えられるんです。奴の居場所を特定するのは造作もないことです。そして、必ず奴の逮捕に繋げますよ」
彼がそう言うと、私が答えるより先に、もう一人の男性スタッフが、脇から蛮声を張り上げてきました。
「いかん!それこそ奴の思う壺だぞ。奴はお前を返り討ちにするために、必ず何か罠を仕掛けているはずだ。そのために、わざわざあんな挑発的な行動をとってきたんだ。お前が行くことは、絶対に許さん!」
「大条さん、僕は返り討ちになんか逢いませんよ。僕を誰だと思ってるんですか。任せてください」
「しかし…」
私は大条の肩に手を置き、落ち着かせた後、改めて梨音に向き直りました。
「それはもう少し待って。それよりも梨音、太刀風さんがね、あなたにすごく会いたがってたのよ。例の絵が完成したんですって。誰よりも、あなたに先に見せるんだって言って聞かないのよ。今日あなたは、施設の方は非番だけど、すぐに行ってあげてほしいの。そうでなかったら、あの人の絵を楽しみにしてた他の職員さんが、いつまで経っても見られないのよ」
「…了解しました。行って参ります」
彼がコントロール・ルームから出ていくのを見届けると、私は急に全身の力が抜けたようになり、椅子に倒れ込むようにして座ると、そのまま泣き崩れてしまいました。
「どうしたんですか、局長!」
「大条さん…私は梨音…あの子と、局長就任の頃から関わってきたわ。私は自分の子供は持たなかったけど、あの子の考えてることは、手にとるようにわかるのよ。
あの男のどうしようもなくドス黒い、この世への憎しみのすべてを掻き集めたようなオーラを、私はスクリーン越しに感じて、吐き気を催したわ。あの子は間違いなく、奴と刺し違えて、死ぬ気なのよ。そうしなければ斃(たお)せない相手だということを、知ってるから」
施設に到着した梨音は、富貴さんの個室には案内されませんでした。施設の大広間で彼を待っていたのは、富貴さんの他に、大勢の介護職員さん達と、保護者に連れられた、彼のファンであるという、彼と同年代ぐらいの子供達でした。
そして、新聞の取材記者と、テレビカメラを背にしたニュース・キャスターまで訪れていたのです。まるで「2人のスーパースターの夢の共演」のような様相です。あまりの大袈裟な出迎えに、梨音は面食らってしまいました。
富貴さんの傍らでは、完成したばかりと思われる、かなり大型のキャンバス・ボードに描かれた絵が、除幕を待っていました。カメラの前で、盛大な拍手が沸き起こりました。「除幕式」は、梨音の手によって行われる運びになっていたのです。
幕は取り払われました。絵の中心には、地球と思しき惑星が描かれています。実はこれは、人類絶滅後の地球の姿であるといいます。そして、惑星を取り囲むようにして、画面一杯を覆うように、幾条もの、幾重もの光の筋が、優しい色彩で描かれていました。
よく目を凝らして見ると、一つ一つの光の筋には、人の一生の流れを表現したというイメージが、細かく描き込まれています。1人の人間が生まれ、多くの愛を受けて育ち、成長して、最愛の人と結ばれ、生まれた子供には最大級の愛を注ぎながら育て、やがて年をとり、子供を見送り、添い遂げてくれた伴侶と手を取り合いながら、静かに眠りに就く——。
富貴さんの話によれば、宇宙から見た、地球を取り巻く光という形に、そんな理想的な人生の流れを織り込んだ、ということでした。人が死んでも、愛は残る、ということを言いたかったんだそうです。完成までは、相当な労力を要したはずですが、梨音に見せるために一気呵成に描き上げたとかで、頭が下がります。
梨音は、絵の前で長い間立ち尽くし、一言も発しませんでした。
6.どちらが独善か
梨音は、条件付きでソイクーと対峙することになりました。ソイクーとは結局私や他の局員たちの散々の警告を無視し、梨音が会うことに決めた、あのいかがわしいコスプレサイボーグ野郎の名前です。特に言葉を交わさなくとも、そのような姿をしているというだけで、酌量の余地はないな、と私は判断しています。
梨音が特定してくれたソイクーのアジトは、東京都内にある築60年の高層マンションの中にありました。古過ぎて住民も居つかず、大き過ぎて行政の手もなかなか隅々にまで及ばないこのスラム化したような環境は、この男の悪事のカムフラージュにはうってつけでした。
複数の壁をぶち抜いて造られた広いアジトには、べらぼうなスケールの機器類が設えられており、マンションの荒んだ外観とどこか釣り合っていました。この禍々(まがまが)しい装置によって街の宣伝用大型スクリーンは乗っ取られ、更に、地上の全コンピューターまでが機能を失おうとしていたのです。
梨音には、通信の全面ブロックが要求されました。ソイクーは、外部と切り離された状況下でのみ、彼との交渉に応じる旨を知らせてきたのです。よって以下は、事後報告による会話の模様になります。機械越しの不気味な呼吸音と共に、男はいきなりこんなことを言ってきました。
「ゴムザはわしの自慢の最強のロボットだった。そんな彼を貴様は完膚なきまでに叩き壊した。まずはそのことに、詫びを入れてもらおうか」
「まずはあなたの方から謝罪するべきじゃないんですか。あなたの所有するロボットは、全世界で意図の見えない破壊活動を繰り返し、その結果尊い命を散らす方も続出したんですよ。何よりも、あなたの最たる罪は、決して失ってはならない『第一原則』を、ロボット達から奪ったことにあるんです」
「意図が見えないとは、また心外な。わしの考えは、これまで散々に街頭スクリーンに流していた通りだ」
「理想郷がどうのこうの、あんな途方もない現実離れした戯言は、犯罪を正当化する言い訳にさえもなりませんよ。結局あなたは、何が何でも物事を自分の思い通りにさせなければ気の済まない、かつての気の短いカルト教団の教祖と同じです!」
ソイクーの体は、怒りに震えてきました。
「お前はまだ自分の立場が分かっておらぬようだな。今や世界中のすべてのロボットの命が、わしの手中にある。この4基の電磁パルス兵器がひとたび作動すれば、わしの目の前にいるお前とて、その体内を血液のように回っているパルスが一斉に誤作動を起こし、即座に白目を剥いて倒れることになる」
「分かってないのはあなたの方ですよ。あなたの生命維持装置も、東京地下にあるメイン・コンピューターに繋がっています。兵器が作動することで、あなたの呼吸と心臓の鼓動を規則正しく整えてくれているサポートシステムまでが失われることになりますから、あなただって死ぬんですよ」
「構わんさ。わしは自分の理想の実現のために、命を懸けているのだ」
「やめてください!そんなことをして、いったい何になるんですか?そんなヤケクソの自爆テロみたいなことを決行し、世界中の善良な人々を巻き込んで、どんな理想が叶えられるっていうんですか!?」
「善良?これは驚いたな。梨音はこの世に、善良な人間などという者が1人でもいると信じておるのか?すべての人間は、独善的な、どうしようもない愚か者だ。
人間達が目先のいわゆる便利な生活とやらを追い求めた結果、地球環境は、破壊され尽くしてきた。自然を回復させるだけの技術を十分持っていたにも拘らず、これを凌駕するほどに、人間一人一人のエゴが、あまりにも暴走し過ぎていたのだ。
わしはこれらをすべて無に帰すことにした。その結果、人間達は自然に寄り添う生き方を学び直し、地球は急速に、温暖化以前の本来の自然を取り戻していくのだ」
「………」
これは「自然に返る」という大義を借りた、全人類への憎しみの現れであると、梨音は感じました。一見すると年齢50を越えているこの男は、これまでどのような人生を歩んできたというのでしょうか。
テレビの再現ドラマなどであれば、ここで彼の歪んだ人間性が形成された過程でも長々と描かれるのでしょうが、梨音にはやはり興味の対象外のことでした。ソイクーはそんな梨音の考えなどお構いなしに、自らの主張を長々と続けます。
「フフ…わしを殺して、この兵器を奪い取りたいかね?それは出来まい。ロボットに人間は殺せない。わしはこの通り、半分はまだ人間なのだからな。
梨音、お前は今まで、人間の良心というものを、頑なに信じてきた。人が神という、架空の存在を信じてきたようにだ。しかし、それはいつか必ず裏切られるぞ。どうだ、わしと共に、理想郷を実現しないか」
またかい、と思い、梨音はウンザリしました。が、次の瞬間、彼は決然と言い放ったのです。
「私は人間の良心を信じているのではなく、私が人間の良心そのものなんです。もしも人間から良心が失われたら、その時点で、私は消滅します!」
「………」
その時でした。彼は何の前触れもなく、ソイクーの下半身を形成している大きな火鉢状のメカに手を掛け、そのままスターター・シューズを発動させました。合わせて8トンにもなるその物体は、この5歳児によってあっという間に持ち上げられ、マンションの天井を突き破り、そのまま、街の夜景を見下ろす上空まで、到達してしまったのです。同時に、私との通信も、回復させてくれました。男はたまらず叫びます。
「貴様…何ということをするかっ!」
男の下半身と一体になっているメカは、例の4基の電磁パルス兵器とも繋がっていました。このまま大気圏を突き抜け、宇宙空間にまで出てしまえば、兵器は無力化します。梨音は男が予想もしていなかったタイミングで、反応を許す間もなく行動を起こし、兵器の発動を防ぐことに成功したのです。
「おのれッ!」
男が慌てて手元にあるスイッチを入れ、兵器を作動させようとした時には、2人はすでに宇宙に到達していました。
「ソイクー、あなたを逮捕します」
男の体から離れた梨音が、警察から預かっていた手錠代わりの拘束器を取り出し、そのごつい義手に掛けようとした時です。男の呼吸器に覆われた口から、フッと笑い声が漏れました。
「何が可笑しいんですか?」
「さすが宇宙空間は、星の光が、まるで刺すようだな。これも自然。人の心も、また自然の一部。たとえ歪んでしまったと言われようとも、それもまた自然の成り行きだ。梨音、お前もいずれそうなる。お前はわしと同類だよ」
迷惑そうな顔を隠せない梨音でしたが、そこは冷静さを失わず、すぐに言うべきことを言いました。
「あなたは、ただ弱いだけの人間ですよ。たとえ憎悪や殺意のような感情を持っていても、それを制御・抑止する力さえ失わなければ、人間とは尊い存在です。あなたは何かの手違いで、そのような力を、自分の中で育てる機会を得られなかった。あなたの今の姿形も、きっとその結果なのでしょう。しかし、優れた医療技術によって、あなたはこうして生かされています。そのことに感謝し、残りの命を、どうか罪を償うことに使ってください!」
「………」
梨音は男の両手を拘束器で覆いました。途端に、回復したはずのモニター画像が、大きく乱れました。大爆発が起こったようです。あの電磁パルス兵器は、自爆用の爆弾も兼ねていたのです。これが大条の言っていた「罠」でした。
介護施設の、壁面に富貴さんの絵が飾られた大広間では、富貴さん、職員、子供達が、生中継中の大型テレビに見入っていました。テレビ画面の向こうには、夜空にひときわ大きく輝く星のような爆発光が、流れ星を伴いながら、明滅を繰り返していました。
「梨音、死んじゃったの?」
画面を見ていた子供達は、一人の女の子のその言葉に反応し、一斉に泣き出してしまいました。職員もまた、両脇の泣く子供を宥めながら、必死に涙をこらえています。
「ありがとう、ありがとう梨音。この子達を守ってくれて…」
富貴さんだけはなぜか、涙を流す様子もなく、厳しい表情で画面を見ていました。まるで何かを待っているようです。そして…。
「来た!」
全員がハッとして、富貴さんの方を見ました。やがて、施設前の駐車場の方から、何やら懐かしい噴射音が聞こえてきました。富貴さんは車椅子を押され、他の人達も一斉に、来客用の玄関まで出ていきます。
大きな爆発に巻き込まれたことを毛ほども感じさせない、手を振りながら笑顔で近づいてくる梨音の姿が、玄関からガラス越しに見えました。感極まった子供達が、大きな声を発しながら、わらわらと彼の元へ走り寄っていきます。まるで予めすべてを察知していたかのような富貴さんは、無事に戻ってきた彼を、大声で攻め立てました。
「梨音、あんまり子供達や職員さんに、心配かけたらダメよ!私だってもうこの年なんだし、心臓が何個あっても持たないわ」
「申し訳ありませんでした」
私の方は、爆発のあった直後に、彼からの連絡を受けていました。彼は数々の戦いから学習し、寸前に爆発を予知し、自身のダメージを最小限にとどめる距離まで離れることに、成功していたのです。
こうして、また一つの大きな事件が、梨音によって、解決に導かれたのです。
7.生きてきた証
すっかり富貴さんのことが大好きになった私は、施設裏にある、アジサイの花が咲き誇る公園の、散歩の付き添いを、梨音と一緒に、たまにさせてもらうことになりました。初夏の爽やかな風が心地いいある日のこと、彼女はこんなことを言いました。
「梨音、あの絵で描いた、幾つもある大きな光の筋の一つは、あなたよ。それは知ってた?」
「はい、知ってました。1人の女性の、絵巻物のように綴られた、愛に満ちた生涯を包み込む、薄紫の柔らかい光のイメージ。女性は、太刀風さんですよね?」
「フフ…ただの理想だけどね。実際にはお金のことなんかで、人からは裏切られたり、時には私の方からも、知らないうちに誰かを裏切っていたり、愛とは程遠い人生だったかもしれないわね」
「そんなことはないですよ、絶対に!あなたという人の素晴らしさは、誰よりも、私が理解しています」
私も負けずに口出しします。
「あら、ズルいわよ、梨音。私だって、理解しています」
「ありがとう、2人共。そうよね…誰もが、愛にばかり満ちた生涯を送れたら、こんなにいいことは無いのにね。
…って、それはないかな。たまに悲しい出来事が起こるからこそ、愛の尊さってものが、分かるのかもしれないわね」
梨音の顔は、富貴さんの車椅子を押し続けながら、本当に幸せそうでした。こういう時間が、永遠に続いてほしいと願っているのでしょう。私達が見守る中、彼女の長く、心地の良い講釈が続きます。
「私達人間の体は、たくさんの細胞が循環することで、成り立っている。新陳代謝によって、定期的に細胞が入れ替わるということがなければ、体の老化は一挙に進んでしまう。私達は、体も心も常に入れ替わっているから、若さを保てるんだわ。
宇宙もまた、たくさんの星々が生まれ、美しく輝き続け、やがては燃え尽きる。地球もまた、宇宙という巨大な体を形作る、一つの小さな細胞に過ぎないのかもしれない。
でもね…梨音、流代さん、私はこう思うの。地球っていうのは、そんな中でも、本当に特別な細胞なのよ。
広い宇宙の中には、いわゆる知的生命体が存在する星も、多数あるはず。文明としては、私達より格段に進んでいる星も、きっとあるでしょうね。でも、そんな彼らに対しても、堂々と誇れるものを、私達は持っている。
やっぱりこれから先、地球環境は、人間が住めなくなるくらい、ダメになっていく。惑星としての寿命も、儚く尽きていく。
それでも人間は、最後の一人になるまで、私達人間が生きていた、っていう証を、地球に残す、私達にしか持ち得なかったその『宝』を、宇宙に正しく伝えていく…そんな責任があると思うの。…ゴメンね、長々と偉そうなこと言っちゃって」
「富貴さんの絵の中にある、人間のいなくなった地球が纏う美しい光とは、まさにその宝を描いたものなんですね」
「その通りよ。さすが梨音ね。それと画面左下の辺りに、小さいけど、ブラックホールみたいに真っ黒に描かれている部分があったことには、気がついた?」
「はい、あれは人間の心が抱える、闇の部分ですね。私がこれから一生涯を懸けて戦っていく、真の敵です。気を抜いていると、ブラックホールはどんどん大きくなり、すべての星々を飲み込むまでになってしまいます。私の使命は、そうさせないことにあります」
二人の熱く壮大な夢の話を聞きながら、私は曇った空を見上げていました。私には、まさに今この時にも、遥か上空、その雲の向こうに、何基ものUFOが飛来していて、それに乗ったたくさんの宇宙人達が、私達を見つめているかのような…そんなイメージが、思い浮かんでいたのでした。
理想郷とは、一体どこにあるのでしょうか。
ユンゲイのイメージしていた、森と泉のあるロボトピア。ソイクーの、あらゆる文明の破壊の後にしか訪れない、原始の地球の世界。私達にとっては馬鹿げたものでしかなくても、彼らにとっては、真実の世界なのです。
不幸な生い立ちを背負い、現実の世界に何の望みも持てなくなってしまった人達に、私達が掛けてあげられる言葉は、何もありません。こんなにも心地いい世界が、現実にはあるのに、彼らはいったいどこへ行き、何を見ようとしていたんでしょうか。
それでも、富貴さんが言っていたように、宇宙人達に堂々と「こんな私達を見てくれ」と言えるように、「この地球こそが理想郷だった」と誇れるように、ただただ、ここに在りたいと、私は願っているのです。
終