
運命なんてないけれど、映画の「断言」に少し救われる
人は断言に弱いらしい。
占い師も、たいてい「あなたはこういうところがありますね」と断定的な言葉を口にする。占いに頼る時は、何かに迷っていることが多い。そんな時の心は、断言の中に答えを見つけたような錯覚に陥る。
「その年頃の子どもって、みんなそうなのよ」
先日、ベテランそうな美容師さんと他愛無い話をしていた。子育てを成し遂げてきたベテランの断言。彼女が自分の子育ての中で得た、確信に満ちた気づきなのだろうと思って、その言葉に軽く頷いた。
以前はそうやって決めつける人が少し苦手だった。
けれど最近は、「この人は過去に、自分なりの解答を得たのだろうな」と、思うようになった。
「答えは一つ」だと思っていた頃
今の私は、ほとんど曖昧だ。
以前は、断言することが多かった。
両親が真面目で、「答えは一つしかない」と子どもながらに信じていた。恥ずかしながら、大人になってからもしばらくは、「自分の信念」みたいなものを持ったつもりになっていた。厨二病みたいなものだ。
断言は、強い。
ある側面から見ると、それはまったく正論に見える。そこに理由を重ねていけば、強固な理屈ができ上がる。人は一度「納得」という考えに辿りつくと、思考がそこに囚われてしまう。
占い師が何の根拠もないタロットカードを元に、「あなたの恋愛は◯◯です」と言われた時、「そうかも……」と信じてしまうように。
占いを否定するわけではない。人は問題に答えを見つけて安心したい。それで、気持ちが救われる人もたくさんいるから、占いには需要があるのだ。
私はたぶん、
断言していた過去の自分が嫌いなのだ。
虚無の中にある、消えない感情
最近、ディズニープラスに入ってアニメ映画を毎日観ている。その中で、一際心に刺さった作品がある。『ソウルフル・ワールド』。
産まれる前と死んだ後の魂、そして「今」を描いた映画だ。産まれる前の無垢な魂が、この世界の何でもないひとコマに心をときめかせる。
私は、人に運命などないと思っている。
出会う人も過ぎ去る日々も、いつか消えてしまう、尊くて儚い時間。
それを虚しいと思うし、生きている意味さえ見いだせない気持ちになる時もたまにある。
けれど、私は人の「感情」に強く価値を見出す。
亡くなった祖母が見せたあの時の涙や、飼い犬を看取れなかった時の、あの子の孤独や寂しさ。
それを、何年経っても忘れることが出来ずにいる。
いつかは全て消える虚無を思う一方で、もういない誰かの感情を、私はいつまでも心の中に宿したまま、それは消えない。
映画がくれた、優しい「断言」
『ソウルフル・ワールド』は、人が瞬間に感じるときめきを優しく描いている。それは、道端に咲く紫陽花を見た瞬間の、私の感情と同じものだ。
同じく名作の『リメンバー・ミー』。
誰かの心にあり続ける記憶が、その人を死後の世界でも生き続けさせるという物語。
それなら、私の祖母も、犬のあの子も、私が忘れない限り、死後の世界で生き続けていることになる。
ディズニー映画は、私の気持ちを少しだけ救いのある答えへと導いてくれる。
「そんな世界はある」と映画の設定が「断言」する。
それを「そうであったらいいな」と願うのは、占いと同じようなものだ。手放しに理由のない何かを受け入れられるほど、私はもう純粋ではない。
けれど映画を観ている時の、溢れるような想いや、言葉にできない感情は、間違いなく私の中だけの真実だ。
そんな映画の「断言」に、私は少しだけ救われているみたいだ。