すき焼きの湯気の向こうに見えた、家族のかたち
昨日、「もうひとつの保健室」に、一組の家族が遊びに来てくれました。
ご主人は、私が通っている美容室の美容師さん。
奥さんは、私が通っているネイルサロンのネイリストさん。
そして、いつもニコニコしている4歳の男の子。
なんとも不思議なご縁です。
美容師さんとは、髪を切ってもらいながら話しているうちに、不思議なくらい話が合うことがわかりました。
「今度、おうちに遊びに行きたいです」
そんな話になり、昨日、わが家ですき焼きを囲むことになりました。
大人たちが話し込んでいる間も、4歳の男の子は、とても自然体でした。
よく笑い、よく遊び、素直に話を聞く。
無理に大人の顔色をうかがうでもなく、かといって困らせるようなこともありません。
ただ安心して、子どもらしくそこにいる。
子どもらしい子どもに会えると、なんか、とても安心します。
奥さんには、前の結婚で授かった思春期のお子さんたちもいます。
今は反抗期の真っただ中、だそうです。
でも、奥さんは笑顔で、そんな反抗期さえも嬉しそうに話しています。
それぞれの家族には、他人にはわからない、簡単ではない歴史や関係がありますよね。
それでも、この若い夫婦はとても自然で、いい雰囲気なのです。
「子どもたちを、上手に育てているね」
私が素直にそう伝えると、奥さんから返ってきたのは、少し意外な言葉でした。
「200%、夫のおかげです。子どもたちに本当に献身的に関わってくれている。素晴らしい父親だと思って、尊敬しています」
その言葉には、単なる感謝以上のものがありました。
この人は、私たち家族にとって大切な人なのだという、深い敬意。
夫婦が互いを尊ぶこと。
それは、相手が立派だから認めるということではありません。
自分とは違う考え方や弱さを持つ相手を、それでも大切な存在として扱うことです。
そのように父親を尊ぶお母さんと、血のつながりを越えて子どもたちに献身するお父さん。
その二人の間に流れているものが、4歳の男の子の安心した笑顔にもつながっているのではないかと思いました。
食事をしながら、夫婦のこれからについても話しました。
お二人の実家には、それぞれ事情があり、年を重ねた両親が夫婦二人で暮らす姿を、身近に見てきたわけではないそうです。
だからでしょうか。
わが家で過ごしながら、コーヒーやギターを楽しむ夫と、「もうひとつの保健室」の活動を楽しむ私を見て、
「歳をとっても、こんな夫婦になりたいです。何か秘訣はありますか?」
そんなまっすぐでピュアな問いかけに、私はこう答えました。
「真正面から向き合わない…ことかな。夫婦は他人だもの。他人と暮らすのは大変なこと…」
そう静かに答えて、さらに言葉を続けました。
「意見や考えが合わない時に、ガッツリ向き合うと、ガチンコ対決するしかないよね。だから、それはしないの」
「じゃあ、どうするんですか?」
若い夫婦は身を乗り出すようにして、聞きました。
「私たち、天を見上げるの」
二人で、天を見上げること。
言い換えれば、二人で神に目を向けることです。
私たち夫婦が長く一緒に歩いてこられた、いちばんの秘訣は、同じ信仰を持っていることなのだと思います。
天を見上げると、自分もまた、不完全で、赦され、支えられて生きている一人なのだと気づかされます。
「私が正しい」という思いから少しずつ解放され、目の前の人を、自分と同じように大切な存在として見ることができるようになります。
相手ばかりを見ていると、
「私をわかってほしい」
「私の思うとおりにしてほしい」
「私のほうが正しい」
そんな自分中心の思いに、いつの間にか捕らわれてしまいます。
けれど、二人で天を見上げると、自分もまた、不完全だけど、赦され、支えられて生きている一人なのだと気づかされます。
相手を変えようとする前に、自分の心を整えていただく。
相手に満たしてもらおうとする前に、すでに与えられているものに目を向ける。
自分の正しさを通すことよりも、二人にとって大切なものを選んでいく。
そうすると少しずつ、「私が、私が」というエゴから解放されていきます。
もちろん、同じ信仰があれば、夫婦の問題がなくなるわけではありません。私たちにも、いろいろな時がありました。
それでも、互いだけを見つめて行き詰まったとき、二人で見上げる場所がある。
夫婦の真ん中に、神様がいてくださる。
それが、私たち夫婦を今日まで支えてきたのだと思います。
何か特別な暮らしをしているわけではありません。
夫は美味しいコーヒーを淹れ、ギターを弾く。
私は花を飾り、居心地のよい部屋をつくり、みんなで楽しく食べるものを用意する。
それぞれに好きなことを持ちながら、同じ家で、同じ食卓を囲んで生きている。
ただそれだけです。
家族には、いろいろなかたちがあります。
最初から同じ道を歩いてきた家族もあれば、途中から家族になった人たちもいる。
一つの家で暮らす家族もあれば、離れて暮らす家族もいる。
血のつながりがある家族もあれば、それを越えて結ばれていく家族もいます。
大切なのは、「正しい家族のかたち」に自分たちを当てはめることではなく、今、目の前にいる人を尊ぶことなのかもしれません。
夫婦が互いを尊び、子どもを一人の人として尊ぶ。
子どももまた、やがて親を尊ぶことを知っていく。
すき焼きの湯気の向こうで、4歳の男の子が笑っていました。
家族に必要なのは、きっと、尊び合うこと。
「もうひとつの保健室」が、そんなことを思い出せる場所になっていったら。
それもまた、私がここでやりたかったことなのかもしれません。
