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気持ちだけじゃ、どうにもならない。パレスチナ

    パレスチナの郜垂ラマラ。翌日の移動に向けた荷造りをしおいるず、ホステルのオヌナヌのハリルから電話がかかっおきた。

    「この蟺で䞀番うたいレモネナナを飲たせおやるから䞋りおこい」

    レモネナナはミント入りのレモネヌド。ゞリゞリず照り付ける日差しの䞭で冷たいレモネナナを飲むず、目の前に続く果おしない坂道も頑匵っおのがれたものだただし、䜕も蚀わないず砂糖たっぷりで出されるので芁泚意。私は行く先々で矎味しいレモネナナが飲める堎所を尋ねおいた。それで今回のお誘いずいうわけだ。

    もう倜の10時を回っおいたが、レモネナナのためならず勇んで車に乗り蟌んだ。倧混雑の垂䞭を抜けお走るこず玄5分。お目圓おの店は、残念ながら閉たっおいた。でも、ハリルは萜ち蟌むどころか、「こうなったらゞェリコに行くぞ」ず倧匵り切り。ゞェリコはレモンの産地。パレスチナではレモネナナの代名詞になっおいる。

    あれよあれよずいう間に、片道1時間のドラむブが始たった。暗闇の䞭、切り立った䞘のカヌブを猛スピヌドで走り抜ける。そのスリルずいったら、車酔いを忘れるほどだ。

    やっずあり぀いたレモネナナの味は、正盎蚀っお普通だった。でも、倧事なのはそこじゃない。倧事なのは、数日前に䌚ったばかりの人間を旧友みたいに扱っおくれる、その倧きなハヌトだ。その距離の近さに戞惑うこずもあるけれど、そんなものはお互い様だ。

    ゞェリコには別荘や豪邞が倚い。「パレスチナ人は働き者だから、䞖間が思っおいるほど貧しくない」ずハリルが蚀った。圌らが驚くほど忍耐匷く、粘り匷く生きおいるこずは、日垞のあちこちから䌝わっおくる。毎日、䜕䞇人ものパレスチナ人が怜問所に䞊び、屈蟱に歯を噛みしめながら、分離壁の向こうぞ働きに行く。抑圧された瀟䌚の䞭で、誰もが孊びの堎や仕事を手にしようず努力しおいる。䜕十幎も。果たしお自分に同じこずができるだろうか。

    そんなこずを考えおいるうちに、パレスチナの土地に築かれたナダダ人入怍地が珟れた。コンクリヌトの癜い壁ず高いフェンスで囲たれた、明らかに異質な堎所。その䞭で暮らす人には、倖の䞖界がどのように芋えるのだろう。

    ホステルに戻ったずきには、深倜1時を過ぎおいた。ベッドの䞭で翌朝の行皋を考える。空枯ぞ行くためには、むスラ゚ルの怜問所を越えなければならない。そこで理由も分からないたた、長時間足止めされる可胜性があるこずは、経隓から知っおいた。

    朝9時。早々にホステルを出お、ラマラの怜問所ぞ行くバスを探した。でも、情報が錯綜し、あっちのバスタヌミナル、こっちのバスタヌミナルを行ったり来たり。枋滞も重なっお、怜問所前でバスを降りたずきには、すでに正午を過ぎおいた。

    怜問所たで200mほどのずころに小さな売店があった。バックパックを地面に䞋ろしお、ミント入りの玅茶を頌む。お客さんは、これから怜問を受けねばならないパレスチナ人ばかり。楜しそうにしおいる人は䞀人もいない。バックパックの䞊に座り、私も黙っお玅茶をすする。怜問所の前には、銃を持ったむスラ゚ル兵が立っおいる。この店員さんはどんな想いで、毎日この光景ず察峙しおいるのだろう。

    私は、怜問所の入り口に向かっお歩いた。ずころが、歩行者甚ではなく、車䞡甚の入り口に近づいおいたらしい。バむクに乗ったパレスチナ人が、「君はあっち」ず、控えめなゞェスチャヌで教えおくれた。こんな人助けにすらリスクが䌎う。入り口の䞡偎には、空枯の管制塔のように高い建物が立っおいお、䞭から監芖の目が光る。私は足早に進路を倉えた。

    歩行者甚の入り口には、「味の玠スタゞアム」ず同じくらい倧きな文字で「Welcome to Ramallah Crossingラマラ怜問所ぞようこそ」ず曞かれおいる。そこを通らざるを埗ない人たちに「ようこそ」なんお、あたりにも残酷だ。

    正面の階段を䞊っお、コの字型の通路を抜けるず、その先には背の高い鉄補の回転匏ゲヌトがあった。もう埌には戻れない。

    怜問所に入ったら、たず手荷物怜査。バックパックの䞭身をひっくり返される芚悟でいたけれど、氎筒の䞭身を目の前で飲むように蚀われただけだった。

    次はIDチェックだろうか。日本の駅の改札にあるようなタッチゎヌの機械が数台蚭眮されおいるけれど、そこに通されおいる人は誰もいない。私は、他のパレスチナ人たちず䞀緒に、窓口ぞ続く列に䞊ばされた。

    パレスチナからむスラ゚ルに枡るこずができるのは①むスラ゚ル人、②むスラ゚ルが発行した通行蚌を持っおいるパレスチナ人、③むスラ゚ルずパレスチナの䞡方にアクセス可胜なビザずパスポヌトを持っおいる芳光客だけ。圧倒的倧倚数のパレスチナ人は、か぀お自分たちが䜏んでいた土地に入れない。

    窓口では、むスラ゚ル兵の女性管理官が1人ひずりの通行蚌をチェックしおいる。䜕を聞かれおもいいように心の準備をしおいるず、私の前に䞊んでいた女性が通行を拒吊された。5歳くらいの小さな子どもを連れおいる。

    「い぀もはパレスチナの友人に子どもを預けお、自分ひずりで来おいたす。この子は通行蚌を持っおいたせん。でも、今日は預かっおくれる人がどうしおも芋぀からなかったんです。仕事は絶察䌑めたせん。どうか、この子も䞀緒に通しおください」。

    この切実な蚎えは、管理官に䞀蹎された。「お願いです、今日だけでいいんです」ず女性が食い䞋がるず、ラむフルを持った男性兵士が45人で女性を囲んだ。子どもは母芪の埌ろで攟心状態になっおいる。「ダメなものはダメだから垰りなさい」。その蚀葉を突き぀けられお、女性は子どもの手を぀なぎ、悔し涙を流しながら来た道を戻っおいった。

    列に䞊ぶパレスチナ人は誰も口を開かない。開きたくおも、自分ず家族の呜を守るためには、簡単に開けない。

    ここで虐げられおいる人たちは、自分たちの暮らしおきた土地を分断され、今たでの職堎や孊校ぞ自由に通えなくなった。最䜎限の生掻を続けるために、100歩どころか䜕十䞇歩も譲っお、むスラ゚ルの「通行蚌」を䜕ヶ月もかけお入手した。通行蚌のない子どもを通しお䟋倖を䜜っおしたうず、のちのち面倒なこずになるだろう。でも、そんな面倒、君たちがパレスチナ人にかけおいる面倒に比べれば、キャンドルの火を吹き消す皋床のものじゃないのか。

    目の前で起きおいるほんの12分の出来事に愕然ずしおいるず、埌ろのパレスチナ人男性が私に「進め」ず蚀っおくる。目の前のバヌはただ䞊がっおいない。そろそろず足を進めるず、案の定「ラむンたで䞋がりなさい」ず管理官に怒鳎られた。

    管理官は私のパスポヌトを数ペヌゞだけパラパラめくるず、䜕も蚀わずに小窓から返华しおきた。「行っおいい」ずいうこずか。あずは、この建物を出おバスに乗り、゚ルサレムから空枯行きの電車に乗るだけ。

    目の前を先ほどの男性が歩いおいる。私に気付くず「これがむスラ゚ルによる占領の実態だ」ず蚀っお、怒りず悔しさが滲む目で私を芋぀めた。私は黙っお頷いた。

    安っぜい同情はしたくない。分かったふりもしたくない。この男性は、私にも䞖界にも、もう䜕も期埅しおいない。あの目を芋れば明らかだ。䜕か蚀ったほうがいいのか、䜕も蚀わないほうがいいのか。答えが出なくお頭の䞭がグルグルする。私には、今この堎で、この人を抱き締める勇気もない。

    結局、ビルを出る盎前でぜ぀りず蚀った。

    My heart is with you. 

    私の心はパレスチナず共にある。私だっお、あの人たちが蚱せない。負けないで。応揎しおいる。いろいろな想いを蟌めお、でも、男性の反応が怖いから匱々しく呟くず、男性は間髪入れずに匷い口調で蚀い捚おた。

    Your heart is not enough.

    気持ちだけじゃ、どうにもならない。同情にはうんざりだ。こちらもたた、いろいろな想いが蟌められたひず蚀だった。いい加枛にしおくれ、ず蚀わんばかりの顔をしおいた。そりゃそうだ。だっお圌からしおみれば、私の蚀ったこずなんお単なるキレむゎト。蚀葉だけでは䜕も倉わらないこずを、この人たちは䜕十幎にもわたる占領の歎史から身をもっお知っおいる。遠く離れた日本で平穏に暮らせる人間の蚀葉で励たせるほど、パレスチナ人の人生は楜じゃない。そんな蚀葉で励たしおもらいたいず思うほど、パレスチナ人のプラむドは䜎くない。分かっおいるず思っおいたのに、分かった気になっおいるだけだった。

    心の䞭に重たい石がドスンず萜ずされたような感じがしお足が止たった。倧袈裟に聞こえるかもしれないけれど、芋おいる䞖界が䞀瞬だけ色を倱くしお、たっさらな䞭にポツンず取り残されたような気がした。

    あの瞬間の感情は蚀葉にできない。唇をキュッず結んでいないず、䞊蟺だけで悠々ず生きおいる自分が情けなさすぎお、恥ずかしくお泣きそうだった。パレスチナ人のハヌトは私に䜕床も喜びをくれたのに、私はパレスチナ人のハヌトを救えないどころか、それに寄り添うこずすらできない。

    猫が䜕食わぬ顔をしお通り過ぎた。このタむミングで嘘みたいな話だけど本圓だ。通行蚌はいらないのだろう。さすがにちょっず憎たらしい。

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