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方言か共通語か、ではなく——ことばを選ぶ力Beyond Dialect or Standard Japanese: The Ability to Choose How We Speak

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    私は東京で生まれ、東京で育ちました。
    子どもの頃から共通語を中心に生活してきたので、方言を話せる人をとても羨ましく思うことがあります。

    方言には、その土地の空気まで一緒に運んでくるような温かさや親しみを感じるからです。

    亡き恩師の一人に、東北出身の方がいました。 
    日本語音声学の世界では、知らない人はいないくらい有名な方から学んでいました。

    あるとき、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』を東北の方言で読んでくださったことがあります。

    いつも知っている『雨ニモマケズ』なのに、響きがまったく違いました。

    とても感動しました。

    方言には、共通語とはまた違う温かさがあるのだと感じたことを、今でも覚えています。

    そんな私が、あるとき出雲弁を学ぶ機会を持ちました。

    出雲弁クラブを立ち上げ、月に一度くらい、みんなで出雲弁を聞いたり、学んだりしていました。

    そして、実際に出雲にも行きました。

    ところが、私が訪れたときには、出雲弁を耳にする機会がなかなかありませんでした。

    そんな中、おばあさんが方言を話しているのを耳にしたときは、
    「あっ!」
    とうれしくなりました。

    もう一つ、印象に残っていることがあります。

    ATMを使ったときです。
    操作を終えると、「ありがとう」の意味で、
    「だんだん」
    ということばが聞こえてきました。

    機械から方言が聞こえてくる。
    それがなんとも面白く、うれしく感じられました。

    方言には、その土地の歴史や暮らし、人と人とのつながりが宿っているように感じます。

    だから私は、方言がこれからも受け継がれていってほしいと思っています。

    一方で、ことばには「誰に、どこで、何のために話すのか」という側面もあります。

    普段は方言を使っている人でも、共通語を話す人と話すときには共通語になったり、大勢の人が集まる公的な場では共通語を選んだりすることがあります。

    ここで大切なのは、
    「方言がよいか、共通語がよいか」
    という二者択一ではないのではないでしょうか。

    方言で話せる。
    共通語でも話せる。

    そして、相手や場面に応じて選ぶことができる。

    日本語教育に携わっていると、これはとても大切な「ことばを使う力」なのではないかと感じます。

    文法や語彙をたくさん知っていることだけが、「日本語ができる」ということではありません。

    友人と話すとき。
    子どもと話すとき。
    仕事で話すとき。
    大勢の前で発表するとき。

    相手や場面が変われば、伝え方も変わります。

    私自身、日本語教師として授業をするときは、基本的に共通語を使っています。

    でも、各地へ行けば、その土地の方言を聞き、学ぶこともできます。出雲弁を学んだ経験も、その一つでした。

    共通語を使えることと、方言を大切にすることは、どちらか一方を選ぶことではありません。

    「今、この人に、この場所で、どんなことばで話すのか」を選べること。

    そして、自分とは違うことばに出会ったとき、それを知ろうとすること。

    そこにも、ことばを使う力と、ことばの豊かさがあるのではないかと思います。

    あなたには、聞くとほっとする方言や、忘れられないことばがありますか?

     
     
     
    ことばを通して、世界とつながる。 本・朗読・日本語・日本文化、日々の経験や気づきを綴っています。 大学講師|研究者(日本語音声学)|朗読家|翻訳家|茶道|書道|墨画

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