
【ダンマパダ 75】得したい?安らぎたい?(草稿)
●はじめに
仏教、仏典につきましては以下のような見解で述べさせて頂いております。
何卒ご容赦賜りますよう願います。
●ダンマパダの75
75 一つは利得に達する道であり、他の一つは安らぎにいたる道である。
ブッダの弟子である修行僧はこのことわりを知って、栄誉を喜ぶな。
孤独の境地にはげめ。
こちらは、ダンマパダという仏典を中村元さんが現代語訳したものです。
第五章「愚かな人」に収録された一節です。
この章では、執着に囚われた人を「愚かな人」として、
「今は得しているようでもいずれは”報い”を受けますよ」
ということを説いているのかなと思っております。
●因果応報だから…
正直者が損をして、不誠実で「うまく」立ち回る人が得をしているような、そんなイメージがあります。
ですから、私などは「世の中不公平だ」と恨み節をこぼしたくなるものです。
ですが、ダンマパダの第五章を読んでいくと、そんなことはなくて、むしろお釈迦様は
「タイムラグはあるけど”報い”を受けることになる」
と表現を変えて何度か説かれています。
それはいわゆる「因果応報」といわれるものかと存じます。
たとえば
「しぼり立ての牛乳のように、すぐに固まることはない。(徐々に固まって熟する。)」
と、「ダンマパダの71」にあります。
この一節も何かの折にあらためて取り上げ考察してみたいです。
●だからと言って…
かといって、
「アイツは悪いヤツだ、せいぜい今のうちに笑っておれ、そのうち天罰が下るのだ!」
と「人の不幸を喜ぶ」のも、「法(ダルマ)」に反する在り方ではないかと(個人的見解です)。
前に少し取り上げた「スパイト行動」らしき心理かなとも思います。
ですから、「なんでアイツばかり得してるの!!」と考えない方がいいのかもしれないですね。
と、自分に言い聞かせておる次第です。
●「利得」と「安らぎ」さあどっち?
結局は「自分」という、これまたいつも通り(?)でありきたりな結論に向かうのですが、
後で”報い”を受けて後悔する今の「利得」
「利得」に執着せず至る「安らぎ」
どちらを選ぶかという話なのだと思います。
ちなみに「2.」はいわゆる涅槃(ニルヴァーナ)でその境地は「無上の幸せ(前掲書籍より一部引用)」と「ダンマパダの23」にあります(そのうちこの一節も取り上げてみようかと)。
お釈迦様は「2.」が「断然オススメ」と仰っているみたいですね。