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知りたかったこと

    好きな食べ物は何ですか。自己紹介や初めましての人に対する質問としてオーソドックスな問いかけだ。この世に食べ物は溢れているので、あらゆる回答が当てはまるだろう。
     妹に聞いてみた。肉全般だと答えてくれた。今日の夜ご飯は何にする?と聞いても、誕生日には何が食べたい?と聞いても決まってお肉がいいと返すので、予想に漏れない返事だった。
     父に聞いてみた。食感の良いものだと答えてくれた。コーンフレーク、あるいは漬物、はたまたソーセージなど、咀嚼時に小気味よい音がするのが好きなのだという。確かに「私は今ご飯を食べています」と全力で感じられる気がする。
     母に聞いてみた。嫌いなものがないから何でも好きだと答えてくれた。なるほど、そういう人もいる。何でも好きです、という答えもアリかもしれない。そんな母が唯一苦手な食べ物はにこごりである。見た目が受け付けないらしい。
     自分に問うてみた。好きな食べ物は何ですか。考える。難しかった。好きなものがないわけではない。逆に色々思い浮かぶので、これだと言うものを決められない。
     この問いかけをされる時、私はいつも暗に一番を決めろと迫られていると感じる。そこで選ばれた食べ物は金メダルの称号が与えられ、選ばれなかった食べ物は参加賞すらもらえない。どれも等しく好きなのに、あんまりではないか。可哀想だ。悲しくなってきた。罪悪感が襲うような気がしてくる。
     とはいえ、あくまで自分の中身を晒して距離を縮めるための試みがゆえなので、そこに罪悪感を抱く必要はないのだ。人によって質問への答えを変えたって好きという気持ち裏切りにはならない。前に言っていたことと違うじゃないかと責め立てる人もいない。そんなものは幻だ。
     雑念を振り払って改めて考える。好きな食べ物は何ですか。難しい理由は他にもある。食べ物という括りは大きくて範囲が分かりにくいのだ。私はトマトが好きだ。トマトは野菜であるが−−正確には果物であるらしい−−料理ではない。好きな食べ物、という質問に対して野菜というカテゴリの中からピックアップするのは果たしてルールの範疇なのだろうか。やはり、何かしらの料理名を答える方がそれっぽいだろうか。それっぽいなどと思う時点でこの問いに忖度をしていないだろうか……。
     右往左往する思考を元の道に修整し、再び考える。好きな食べ物は何ですか。うんうんと唸りながら、床をごろごろと転がりながら、そのまま眠ってしまった後でもう一度考えた。寝起きの頭はいくらかすっきりしており、とある一つの光が差していた。この文章のはじめの方に、誕生日に食べたいものを聞いても妹は肉がいいと答えていたのを思い出してほしい。
     誕生日に食べたいものは何ですか。これはかなり、好きな食べ物に近いのではないか。今日の主役と銘打たれて、家族や友達からお祝いしてもらいながらケーキを食べられる日。そんな日の夕食に選ぶ食べ物はもちろん自分の大好きなものを並べるだろう。これはいいことを思いついたものだ。
     それでは最後に改まって自分に問う。好きな食べ物は何ですか。私はポテトサラダが好きです。母の作る、枝豆の入ったポテトサラダがとても好きです。納得の行く答えだった。私はずっとこれを探していたのかもしれない。実にすがすがしい気分だった。
     一つ不満を挙げるとするならば、このような質問は大学生になった今では、することも、されることもほとんどない。大体は趣味の話から話が広がっていくものだ。どうしようもなく好きな食べ物の話をしたいこの気持ちはどこへ向かわせればいいだろう。そんな私は、今日の夜ご飯にポテトサラダが出たらいいなと願うばかりである。

    #創作大賞2026 #エッセイ部門

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