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持続可能なコーヒーを売る、という不安定な仕事

    プロローグ ——「いい豆ですよ」と言いながら、私は原価を数えている


    「これ、環境にいいやつなんですよね?」

    カウンター越しに、常連のお客さんがそう聞いてくる。手元のドリッパーからは、カエルのマークがついたパッケージの珈琲が放つ素晴らしい香りが立っている。私は「ええ、森を残す栽培をしているんです」と答える。全く嘘ではない。一文字も誇張していない。ただ、そう言いながら、私の頭の片隅では別の計算が走っている。世界の生豆価格は去年の1.4〜2倍になった。焙煎で目減りする分を入れると、一杯あたりの原価は——。笑顔で能書きを語る口と、電卓を叩く脳が、同じ体の中で同時に動いている。これがスペシャルティコーヒーを売る、ということの正体だと、私は10年かけて知った。

    きれいな言葉はいくらでもある。サステナブル。フェアトレード。トレーサビリティ。ダイレクトトレード。どれも本当のことだし、私はこの仕事を心から誇りに思っている。けれど、その美しい言葉の一つひとつに、必ず値札がぶら下がっている。理想を一つ仕入れるたびに、収益が一つ削られていく。この商売は、そういうふうにできている。

    私は30歳で、札幌の街中でスペシャルティコーヒーの店づくりに10年関わってきた。店頭でカップを差し出す接客から始まり、本社で通販とBtoBの取引をまわし、いまは複数店舗を統括する立場にいる。この10年、私が所属する会社は数店舗から、その倍以上へと規模を広げた。やり手の社長のそばで、景色が変わっていくのをずっと見てきた。

    その同じ10年で、国内の同業者は次々と姿を消した。全国的な総数で言えば1万件の喫茶店が減少したそうだ。コロナ禍があり、コーヒーの記録的な高騰があり、誠実にやっていた店ほど体力を削られて倒れていった。私の会社が生き延びてこられたのは、カッピングで本当に良いものだけを見極め、世界と日本市場の動きに機敏に対応した取引をし、その品質を正直に売る。それを愚直に続けたからだと見ている。ただ、生き延びる過程で私は、嫌でも気づいてしまった。コーヒーという素材は、資本主義の縮図そのものだということに。そして「スペシャルティ」とは、その素材の上に、さらに競争と格付けを上乗せした仕組みなのだということに。

    世間ではコーヒーは、安定の象徴のように扱われている。毎朝同じ時間に飲む、変わらない一杯。日常そのもの。けれど、その一杯を仕入れて売る側から見える景色は、まるで逆だ。気候変動で産地は揺れ、相場は乱高下し、「持続可能」と名のつくものほど供給は不安定になる。持続可能なものを扱う仕事が、いちばん持続しにくい。この矛盾と妥協の中で、私は毎日店を開けている。

    この文章は、その矛盾の記録だ。理想と収益がぶつかる現場で、私が何を見て、何を諦め、何を諦めなかったか。そして、コーヒーという最先端で不安定な商材の店先から、これからの飲食業がどこへ向かうのかを、当事者として予測してみたい。

    きれいごとは書かない。でも、絶望もしない。一杯のコーヒーの向こう側にある、理想と商売の「ジレンマ」を、できるだけ正直に書いていく。

    第1章 スペシャルティコーヒーとは、結局なんなのか

    話を進める前に、土台を揃えておきたい。「スペシャルティコーヒー」という言葉は、ここ10年ですっかり市民権を得た。サードウェーブ、という呼び名で語られたあの波だ。けれど、その実態を正確に説明できる人は、業界の外にはあまりいない。そして、この商材の正体を理解しないと、なぜそれが「不安定」で「持続可能」で、しかも「儲けにくい」のかが見えてこない。

    まず、スペシャルティコーヒーは「高級コーヒー」とイコールではない。本質は品質の追跡可能性にある。どの国の、どの地域の、どの農園の、どの品種を、どう精製したか——その履歴がすべて明らかで、なおかつ一定以上の品質評価を満たしたものを指す。この品質評価を担うのが、カッピングと呼ばれる官能審査だ。同じ条件で淹れた何十種類もの豆を、香り、酸、甘さ、後味まで点数化していく。私の会社が強みにしてきたのも、まさにこのカッピングでの見極めだった。味そのものより先に、「素性が分かること」と「点数がつくこと」が定義の中心にある。これは食品としては、かなり特殊な性質だ。素材に格付けがあり、その格付けが値段を決める。言ってしまえば、最初から競争を内蔵した商材なのだ。

    なぜ素性と点数が重要なのか。ここに、この商材が背負った歴史がある。コーヒーは長らく、「コモディティ」という、どこの誰が作ったか分からない、ただの国際商品として取引されてきた。
    相場はニューヨークの先物市場で決まり、産地の農家がいくら良いものを作っても、価格には反映されない。豊作でも不作でも、農家の手取りは市場や富裕層の気分次第。
    結果として、産地は疲弊し、若い世代はコーヒーづくりから離れ、品質は底辺へ向かう。この構造への反省から生まれたのが、スペシャルティという考え方だった。良いものには、良い値段を。その理念自体は、まっとうだと思う。

    故にスペシャルティコーヒーは、最初から二つの顔を持っている。一つは、味を突き詰める「最先端の嗜好品」という顔。もう一つは、産地を疲弊させない「持続可能な仕組み」という顔。この二つは、本来きれいに重なるはずのものだった。良いものを正当な値段で買えば、農家も潤い、品質も上がり、消費者もおいしい一杯にありつける。三方よし。そういう美しい絵が、業界の理想として掲げられている。

    ところが、現実はその絵のとおりには動かない。むしろ、理想に忠実であろうとするほど、商売としては不安定になっていく。気候変動は産地を直撃し、ある年は霜害、ある年は干ばつで、収穫量が読めない。小さな農園との直接取引は、関係性こそ豊かだが、ロットが小さく品質の保証が困難で価格交渉力に乏しい。もちろん為替にも左右される。「持続可能」を真面目に追えば追うほど、仕入れは細く、高くなり、読めなくなる。
    冒頭で書いた「持続可能なものほど持続しにくい」という矛盾は、感傷ではなく、この商材の構造そのものなのだ。

    そして、ここに私がずっと引っかかっている問題がある。サステナブル、フェアトレード、ダイレクトトレード。産地を救うために生まれたはずのこれらの言葉が、いまや消費者に「良い気分」を売るためのラベルとして流通している側面だ。もちろん、本気で産地と向き合っている取り組みはたくさんあるし、私の会社もそうありたいと願っている。
    けれど、大手企業では認証マークひとつで価格が一段上がり、その上乗せ分が本当に農家まで届いているのかは、外からは驚くほど見えにくい。理想に値札がつくのは仕方ない。問題は、値札のついた理想が、いつのまにか理想そのものより前に出てしまうことだ。この疑問は、本書を通じて何度も顔を出すことになる。

    そして、この構造を末端で引き受けているのが、私のような立場の人間だ。相場の乱高下も、産地の事情も、認証をめぐるもやもやも、最終的には一杯のコーヒーの値付けという、ごく具体的な決断に落ちてくる。次の章では、その「理想を仕入れる」という賭けが、現場で実際にどんな顔をしているのかを書いていきたい。

    第2章 理想を仕入れる、という賭け

    仕入れの話をすると、たいてい驚かれる。「いい豆を選んで買うんでしょう?」と。半分は合っているが、半分は違う。スペシャルティコーヒーの仕入れは、「選ぶ」というより、ほとんど「賭ける」に近い。

    理由は単純で、本当に良い豆ほど、量が少なく、二度と同じものが手に入らないからだ。ある農園の、ある区画の、その年に採れた分だけ。来年も同じ味が出る保証はどこにもない。気候が一度ぶれれば、去年絶賛したロットが、今年は影も形もない。だから良いと思った豆は、その場で押さえるしかない。試して、考えて、とやっている間に、世界中のバイヤーがそれを買っていく。判断は速く、量はまとめて、価格は相手の言い値に近い。これが「持続可能な仕入れ」の現実。

    私が店頭から本社に移り、更に買い付けの判断を担当したことで、この賭けの重さが身に染みた。店頭なら、目の前のお客さんに一杯を手渡して完結する。けれど買い付けの取引は桁が違う。一度の判断が、数十キロ、数百キロの生豆を動かす。その豆が売れ残れば、鮮度は落ち、価値は目減りし、在庫という名の重りになる。理想を追って攻めた仕入れほど、外したときの傷は深い。特にブラジル産テイストオブハーベストの豆を買った時に感じた、購入時の評価と、販売品のテストで感じた賭け感は人生で忘れることはないだろう。

    ここで効いてきたのが、社長とカッピングの存在だった。私の会社のやり方は、感情で「いい話だから買う」のではない。必ずカップで確かめる。どれだけ産地のストーリーが美しくても、点数が伴わなければ買わない。逆に、派手なラベルがなくても、カップが語っていれば押さえにいく。市場が高騰しているときに動くのか、待つのか。その判断を、舌と数字の両方で下す。理想だけでも、計算だけでも、この商売は続かない。両方を同時に握れる者だけが、賭けに勝ち続けられる。

    それでも、忘れられない苦さがある。あるとき、付き合いのあるニカラグアの産地から、品質の落ちたロットが届いたことがあった。関係を続けたい。でも、うちはカップで嘘をつけない。良いと言えないものを、良いと言って売ることはできない。理想と誠実が、ここでは逆を向く。産地に寄り添うべきか、品質に忠実であるべきか。どちらも正しくて、どちらかしか選べない。仕入れとは、こういう板挟みの連続なのだ。

    理想を仕入れるとは、きれいな言葉を買うことではない。読めない天候と、有限のロットと、相手のある関係性に、自分の判断を賭けることだ。当たれば誇らしく、外せば重い。その緊張感の中で、私たちは毎シーズン、また新しい豆に手を伸ばしている。

    第3章 「高い」の正体

    「コーヒー一杯に800円? 高くない?」——この言葉を、私は何百回と聞いてきた。だからこの章では、その「高い」の正体を、できるだけ正直に分解してみたい。値段の内側を知ることは、これからの飲食を考えるうえで、避けて通れないからだ。

    まず、一杯のスペシャルティコーヒーの原価は、生豆だけで決まらない。生豆の価格に、輸入のコスト、焙煎で2割近く目減りする分、店までの物流、抽出する人の技術と時間、そして店の家賃と光熱費が乗る。近年はそのすべてが同時に上がった。生豆相場は歴史的な高値をつけ、円安が追い打ちをかけ、エネルギーも人件費も上昇した。コーヒーの値上げは、どれか一つの理由ではない。あらゆるコストが、申し合わせたように一斉に上がった結果なのだ。

    ここで、マスと個人店の経済構造の違いがはっきり出る。大手チェーンは、莫大な量をまとめて仕入れ、原価を徹底的に下げ、回転で稼ぐ。一杯あたりの利益は薄くても、数で取れる。一方、私たちのような店は、少量・高品質・手間のかかる抽出で勝負する。一杯の単価は高いが、出せる杯数には限りがある。同じ「コーヒーを売る」でも、戦っている土俵がまるで違う。前者は効率の競争、後者は密度の競争だ。

    問題は、消費者の価値認識が、この違いに追いついていないことだ。多くの人にとってコーヒーの基準値は、自販機やコンビニの100円台、チェーンの300円台にある。そこに600円のカップを置くと、「ぼったくり」に見える。けれど、その600円の中身は、農家への正当な対価であり、品質を見極める専門性であり、目減りや手間という見えないコストの集積だ。高いのではない。安いコーヒーは、本来かかるはずのコストを、どこかで誰かに押し付けて成立しているだけかもしれない。そう考えると、景色が反転するのではないだろうか。

    スペシャルティコーヒーが挑んでいるのは、味の革新であると同時に、この「価格の再定義」でもある。良いものに、本来の値段を。けれど、その正論は、消費者の財布の現実と、いつも衝突する。理想の価格を掲げれば客は離れ、客に合わせれば理想から遠のく。値付けという行為は、この社会がコーヒーや、食べものや飲みものという営みそのものに、いくら払い、かかわる人間をどれだけ尊重する気があるのかを、毎日問い直す作業なのだ。

    第4章 ジレンマの間で商売を続けるということ

    ここまで、理想と収益がぶつかる場面ばかり書いてきた。では、そのジレンマの間で、私たちは実際にどう商売を続けてきたのか。10年の現場で見つけた、いくつかの折り合いの付け方を書いておきたい。きれいごとでも、諦めでもない、現場の答えだ。

    ひとつ目は、理想を「全部のせ」にしない、という割り切りだ。サステナブルも、ダイレクトトレードも、希少品種も、すべてを一度に背負えば、原価も価格も跳ね上がり、店はもたない。
    だから私たちは、看板として理想を体現する豆と、日々の商売を支える堅実な豆を、意識的に分けて持っているのではないだろうか。前者で旗を立て、後者で土台を固める。理想を語る一杯と、生活を回す一杯。その両方があって、はじめて店は続く。理想は、店が生き延びてこそ語れる。これは10年で得た、いちばん実利的な学びだ。

    二つ目は、認証ラベルに頼らない、という姿勢だ。第1章で書いた違和感——値札のついた理想が、理想そのものより前に出てしまう問題。これに対して、ラベルの代わりに「自分たちの舌と言葉」で説明する道を選んできた。この豆がなぜ良いのか、どんな農園で、カップで何を感じたのか。認証マークが保証する代わりに、自分たちが responsibility を引き受けて語る。手間はかかる。けれど、借り物の正しさより、自分の言葉のほうが、結局はお客さんに届く。

    三っつ目は、コロナ禍と高騰の中で、いちばん痛みとともに学んだことだ。あの数年、同業者が次々と倒れていくのを、私はすぐそばで見ていた。良い豆を、誠実に売っていた店ほど、価格を上げきれずに体力を削られた。誠実さは、それだけでは店を守ってくれないことを強く見せられた。理想を持つことと、その理想を存続させる体力を持つことは、まったく別の能力なのだ。私の会社が生き延びたのは、品質への誠実さと、市場を冷静に読む計算とを、両方手放さなかったからだ。やり手の社長のそばで学んだのは、結局これに尽きる。理想は、収益という燃料がなければ、一歩も進めない。

    商売を続けるとは、理想と収益のどちらかを選ぶことではない。両方を、同時に、手放さずに握り続けることだ。片方だけなら簡単だ。理想に殉じるのも、利益に振り切るのも。難しいのは、その二つを両手に持ったまま、毎日店を開け続けることのほうなのだ。

    第5章 コーヒーが教える、飲食業の次の10年

    ここまで、コーヒーという一つの商材の話をしてきた。けれど、この店先で起きていることは、コーヒーだけの話ではない。私は、コーヒーが飲食業全体の「先触れ」だと考えている。最後に、この10年の景色から見えてくる、これからの飲食業を予測してみたい。

    第一に、「安さ」を競う飲食は、いよいよ限界に近づく。コーヒーで起きたコストの全面的な上昇は、コーヒーに固有の現象ではない。気候変動、円安、人件費、エネルギー。これらはあらゆる食材を等しく襲っている。原価を押し下げて安く出す、という長年の勝ちパターンは、押し下げる余地そのものが消えつつある。コーヒーが先に直面したこの壁に、これからすべての飲食が突き当たる。

    第二に、だからこそ「価格を説明できる店」が生き残る。これは私が現場で確信したことだ。値段の理由を、自分の言葉で語れる店は強い。なぜこの値段なのか、その対価として何を差し出しているのか。それを語れる店にだけ、客は納得して財布を開く。逆に、ただ安いだけ、ただ高いだけの店は、説明を持たないぶん、淘汰されていく。スペシャルティコーヒーが「価格の再定義」に挑んできた経験は、これからすべての飲食店に求められる技術の、先取りなのだろう。

    第三に、「持続可能性」は、もう飾りではいられなくなる。これまでサステナブルは、付加価値として、いわば上乗せのオプションとして扱われてきた。けれど、産地が気候変動で実際に痩せていくのを見ていると、これは綺麗ごとではなく、供給そのものの生死の問題だと分かる。持続可能でない調達は、近い将来、文字通り「調達できなくなる」。理想だったサステナビリティが、これからは事業継続の前提条件に変わる。コーヒーの産地で起きている縮小は、その最前線の警告だ。

    そして最後に、未来の飲食業に残るのは、おそらく両極だ。徹底的に効率化された圧倒的安価なマスと、理由のある価格を語れる情報的に密度の高い店。そして、中間の「なんとなく続けてきた、説明と哲学のない店」が、いちばん苦しくなるだろう。コーヒー業界で先に起きたこの二極化は、飲食全体の地図を塗り替えていくだろう。私たちは、その地図の、ほんの少し先を歩いているにすぎない。

    エピローグ   それでも、明日も店を開ける

    冒頭の、あの一杯に戻ろう。

    「これ、環境にいいやつなんですよね?」と聞いてきた、常連のお客さん。私はあのとき、笑顔で能書きを語りながら、頭の中で原価を数えていた。理想を語る口と、原価の計算をする脳。その二つを同時に動かす自分を、ずっと後ろめたく思っていた時期もある。きれいな言葉の裏で電卓を叩く自分は、不誠実なんじゃないか?と。

    10年かけて、私はその後ろめたさと折り合いをつけた。理想を語りながら原価を数えるのは、不誠実なのではない。むしろ、その両方を手放さずにいることこそが、この商売における誠実のかたちなのだ。理想だけを語って潰れた店を、私はいくつも見送ってきた。計算だけで理想を捨てた店に、私はなりたくなかった。ジレンマの間に立ち続けること。
    それが、私の選ぶ誠実さだった。

    持続可能なコーヒーを売るのは、不安定な仕事だ。相場は常に動き、産地は疲弊し、理想には値札がぶら下がり、その値札を客の財布と毎日すり合わせる。安定とは程遠い。
    けれど私は、この不安定さの中にこそ、これからの飲食の、これからの商売そのものの、いちばん大事な問いが詰まっていると思っている。
    理想と収益は、どこで折り合うのか。その問いに、毎日カップ一杯で答えを出し続ける仕事を、私は誇りに思う。

    だから明日も、私は店を開ける。コーヒーの香りを立てて、笑顔で能書きを語り、頭の片隅で原価を数えながら。
    その一杯の向こうに、産地と、揺れる相場と、それでもコーヒーを諦めたくない人たちの顔を思い浮かべて。

    きれいごとは書かないと、最初に約束した。
    だからこれも、きれいごとではなく、ただの事実として書いておく。理想と収益の挟まれ続けることは、とても苦しい。
    けれど、その苦しさを引き受けることでしか、たどり着けない場所がある。
    一杯のコーヒーは、いつもそれを私に教えてくれる。

     
     
    無口で崇高な職人の技に、字幕をつける。そんな無粋な趣味をしています。ここは中の人の頭の中を徒然なるままに。 https://subfold.jp

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