
Podcast_#16【ゲスト:人類学者・久保明教】多様性のために「対話」は有効なのか?〜久保明教『内在的多様性批判』を読み解く②
みなさま、こんにちは。ソトのガクエン代表の小林です。
ポッドキャスト「哲学する哲学対話」の最新回、第16回【ゲスト:人類学者・久保明教】多様性のために「対話」は有効なのか?~久保明教『内在的多様性批判』を読み解く②が公開されました。
前回に引き続き、人類学者久保さんをお招きし、『内在的多様性批判』をベースにお話を伺っています。
今回は、当番組のタイトルにある「対話」をめぐり、哲学と人類学の違いが浮き彫りになった回でした。今回話した内容はこちらです。
哲学と人類学の対話/主体は変様する?/人類学における比較の話/哲学における比較は理性?/形容詞を書くと怒られる/価値判断と哲学/こうでしかあり得ない/哲学者が言っているからというからと言って、それが思考するに値するとなぜ言えるのか/菅野盾樹先生と久保さんの書き方/スペルベルとギアツ/今回の本は苦しんで書きましたか?/5年かけて書き上げたこと/多様性を認めるために対話は必要なのか?/人類学における「対話」の変遷〜ポストモダン人類学から存在論的転回/対話可能性を前提としない対話/猪瀬浩平『野生のしっそう』の兄との対話/「私の味噌は誰が買ってくれるんですか?」/規範性なしに多様性を捉える/市民(civil)の概念のずれ/
【本日登場した本】
哲学において、あるいは哲学対話において、当然ながら、対話者とは異なる他者が想定され、その他者との対話を経て、対話者自身が変化することも想定されています(プラトンの対話編などは典型的です)。しかし、そこで想定されている他者とは、あくまでも同じ「言語」を共有している(いわゆる「話せばわかる」)限りでの他者であり、対話者の変化もまた、私の同一性が崩壊しない限りでの変化に過ぎません(ソクラテスは対話者のなかにあらかじめ備わっており、自覚されていない知を引き出す仕方を「産婆術」になぞらえています)。そこでは、決して明言されないままに、他者にも変化にも、あらかじめ何かしらの制限がかかっている。そのような対話においては、久保さんが猪瀬浩平さんの本『野生のしっそう』を紹介しながら言われていた、障害のある兄の叫びや、公的な場で発せられる「私の味噌は誰が買ってくれるんですか」といった発言は想定されていません。この意味で、哲学における対話は、あくまでも対話可能性を前提にしているし、対話可能性の範囲内での他者と対話者の変化のみが想定されているのではないか。ここに、人類学における対話との大きな相違点がある気がします。
もちろん、哲学にはそうならざるをえない目標設定と歴史的な文脈があり、当然、人類学には別のそれがあるので、一概に対照させることはできないかもしれませんが、個人的に「対話」というものを省みるひとつのきっかけになりました。
久保さんゲスト回はまだまだ続きます。
次回もまた、多様性を肯定することは実は苦しいことだ、けれどこれしかない、ならばどうする?という本質的な話をしております。ぜひご期待ください!
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◎この番組は、オンラインの哲学講座ソトのガクエン代表の小林卓也と、企業内哲学研究者の佐々木晃也が、社会と哲学をつなぐ可能性について考え、語り、提案する哲学対話プログラムです。
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