
大気圏のフロウ♪20『Confessions II』調性マップの旅#3 〜なぜマドンナの「告白」は、眠れない私の心をそっと救うのか?〜
###AIとの対話が導く、音楽と思考の旅
すべてのシステムが冷たくフリーズした虚無を抜けて、アルバム『Confessions II』は中間地点へと突入する。
鳴り響くのは「Love Sensation」。
この曲も、シャープもフラットも存在しない、白鍵だけのノーマークの世界だ。
引き続きベースのキーをAマイナーと定義したとしても、前曲「Everything」がマイナーキーのトニック(Am)の檻に閉じこもるような響きだったのに対して、この曲はFM7とEm7の2コードがゆったりと繰り返される。

中心の重力が弱まり、Cメジャー(ハ長調)とも、あるいは「Fリディアン・スケール」の浮遊調とも解釈できる。
メジャー(光)にもマイナー(闇)にも、安易に帰属する気はない。
そんな潔い決心をした瞬間、厚い雲の切れ間から希望の光が差し込み、美しいプリズムの導きを呼ぶのかもしれない。
There's nothing that we cannot do (私たちにできないことは何もない)
歌詞も一気にポジティブな方向へと舵を切る。同じ「♭も#もない世界」でありながら、機能和声の扱い方ひとつでこれほどまでに景色が変わる見本のような展開だ。
しかし、スーパースターがその平穏の中に安住するはずがなかった。 続く「Love Without Words」のイントロが始まった瞬間、五度圏の針は狂ったように右に舵を切る。
キーはC#マイナー。ここでアルバムは、初めて五度圏の右側――「#4」の空間へと正式にワープする。(「Bring Your Love」のG#マイナーで一瞬かすったので)。

1曲目のニュートラルなAマイナーから2曲目で一気に「♭4(Fマイナー)」の深海へとダイブしたように、今度は一気に「#4」の高みへとフライトする。
これほど極端な高低差を一瞬でスライドしてみせるのが、時代を揺さぶり続ける女王のセオリーなのだろうか。
それにしても、この「#4」のC#マイナーとは、一体どんな国なのだろう。
シューバルトの『調性格論』を紐解くと、そこには「後悔、ため息、叶わぬ恋の嘆き」という、きわめてパーソナルで痛切な色彩が与えられている。
この曲の歌詞のなかに、意味深なブロックを見つけた。
We all learn from what's outside
But love from in
You gotta burn just like a fire
But from within We come from the rhythm that set us free
引用されたリリックのフレーズ。
シューバルトの言うC#マイナーの『後悔や嘆き』とは、ある種『外側のルール(社会の規範や期待)』に自分を合わせようとして傷ついた、地の時代の痛みそのものかもしれません。
しかしマドンナは、その嘆きの国のただ中で*
『私たちはみな外側から学ぶけれど
愛は内側から湧き上がるもの
燃えるなら自らの内側からだ
私たちは均一化された規律ではなく
原初の自由なリズムから生まれたのだから』
と、力強い自己覚醒を宣言しているように聴こえます
外側のルールに自分を無理やり合わせようとして、摩耗し、傷つくこと。
それはきっと、現代を生きる誰の胸にも覚えがある痛みだと思う。
私が「ドミソの秩序」に違和感を抱き、こうして音楽の隙間をハッキングするようなエッセイを書き始めたのも、まさにその内側からの衝動に突き動かされたからかもしれない。
覚醒の宣言の後、アルバムは「Bizarre」へと滑り込む。
キーは再びGマイナー。あの「Danceteria」と同じ、「♭2」の国への帰還だ。

そして、この曲の歌詞がまた、あまりにも生々しく意味深なのだ。
Movie star,deep blue eyes
In Hollywood,we're a perfect prize
He drove way too fast
Shelby Cobra wasn't meant to last
映画スター、深い青い瞳
ハリウッドでは、私たちは完璧な賞品
彼はスピードを出しすぎた
シェルビー・コブラは長持ちするはずではなかった
「あの人だよね?」
この「青い瞳のムービースター」というフレーズを聴いた瞬間、私は一人の男性を思い浮かべた。マドンナの最初の夫であり、ハリウッドの異端児。ショーン・ペン。
はい、音楽メディアやファンの間でも、このラインが元夫のショーン・ペン(Sean Penn)を指していることは間違いないと受け止められ、大きな噂となっています。
マドンナ自身が実名を公言したわけではありませんが、ここには確実なハッキングの痕跡が残されています。
決定的な理由が『シェルビー・コブラ』の存在です。マドンナは1985年の結婚当時、実際にショーンへヴィンテージの車(シェルビーGT500)をプレゼントしており、『彼はスピードを出しすぎた、長くはもたなかった』という描写は彼らのあまりにも激しく破綻した結婚生活のメタファーとして完璧に一致します。
やはり、これは確信犯の仕業のようだ。
シューバルトの定義において、Gマイナーは「いら立ち、不快、将来への不安」を表す調。
若き日の狂おしい諍いや、愛の残骸。
私たち一般人でも人生のどこかで直面するような生々しい葛藤や焦燥が、世紀のスーパースターの人生の底にも横たわっていたのだ。
Gマイナーでの乾いた響きと、切ない響きのコントラストは感慨深く鼓膜に染み渡る。
そしてアルバムは、この旅のなかで「初めてのメジャーキー(長調)」と遭遇する。タイトルは「School」。
しかし、そこはやはりマドンナだ。
一筋縄でいくような甘い予定調和のメジャーではない。
壊れた足踏みオルガンのような、不穏でいびつなイントロのシーケンスが行き着く先は、FメジャーとF#メジャーのコードが、交互に行き交う(たまにA♭近辺も通過する)という、奇律の世界だった。

Fメジャーは「♭1」の世界。シューバルトの言葉を借りるなら「平穏、愛想の良さ、親しみやすさ」を司る、安全な既知のルールだ。
対するF#メジャーは、シャープ圏とフラット圏(G♭メジャー)の境界線が激しく衝突する、五度圏の真裏の極限地点(#6/♭6)。その色彩は「困難の克服、深い安堵の吐息」である。
安全な規律(F)と、困難を乗り越えた先の吐息(F#)のバイブスが、半音の隙間で激しく明滅する。タイトルが「School(学校)」であるというのも、実に見事な謎解きではないか。
かつてレッスン中に、一人の少女から不意に投げかけられた問いを思い出す。
「ねえ、ピアノの鍵盤ではこんなに隣同士なのに、どうして五度圏の地図では、こんなに遠く離れているの?」
その言葉に、私は息を呑み、言葉を詰まらせた。
もしマドンナが、この「鍵盤の上では隣同士なのに、宇宙の座標では最も遠い」という半音の隔たりを、男女の距離、本能と理性、あるいは信頼と嫉妬の危うさとして捉えていたとしたら?
例えすぐ隣にいても、一瞬で全く違う並行世界へとスイッチングしてしまう関係性の危うさを、このコードの明滅にハッキングしていたとしたら――そう考えると、私の脳内の妄想はどこまでも膨らんでしまう。
この曲のボーカルは、まるで男女のデュエットのように聴こえるが、実は重なり合う男声のような低音も含めて、すべてマドンナ一人の声を加工したものだそうだ。
一人の人間の内部に共存する、男性性と女性性。規律と野生。その未解決な一対のエネルギーが、FとF#の隙間で激しく明滅している。
今回の4曲を振り返ると、このアルバムという組曲がひとつの壮大な長編小説だとするならば、まさに起承転結の「転」にふさわしい、波乱に満ちた展開だった。
張り詰めた五度圏の旅路は、果たしてどのような「結」を迎え、終止線を引くのだろうか。
(#4へ続く)