見出し画像

努力の方向性を間違えていませんか?

昔、漫画家を目指していた知人がいた。

ある日、彼が描いた漫画を見せてもらう機会があった。
当時見た漫画の内容は、ほとんど覚えていない。

ただ、彼の描いた絵にはこれといった特徴がなかった。
ストーリーにも独自性は見当たらない。
何が伝えたいのか、そのメッセージ性すら皆無だった。

私が抱いた感想はそれだけだ。

私は感想を言うことができなかった。
口を開けば、辛辣な言葉しか出てこないと思ったからだ。

私の沈黙をどう受け止めたのか。
知人は少しきまり悪そうに口を開いた。

「まだ絵は下手なんだけどね」 そう言いながら、彼は見せた漫画を回収していったような気がする。

しかし、その時に違和感があったという事実だけは覚えている。

問題は、絵の上手さではない。
ド直球に言ってしまうなら、話の内容が空っぽだったこと。
それこそが一番の問題だと、私は思った。

しかし、知人にはその認識が全くなかった。

「いや、その前にやることあるんじゃ」
当時の私は、そう言葉を濁して伝えることしかできなかった。

今の私であれば、もっと違う言葉を伝えることができただろう。

言葉を使わなくても、本を勧めたり、映画に誘ったり。
漫画の話を構成する要素を育てるために、手伝えることがあったはずだ。

当時の私には、今ほどの言語化能力はなかった。
言葉を使わずに相手を支えるような、気遣いができる人間でもなかった。

だから、あの頃の私たちの関係が決裂してしまうことは、逃れようのない過去だった。

あれ以来、彼は私の話を聞かなくなった。


その後、彼は自作のネームを編集者に見せるため、持ち込みを繰り返していたようだ。

直接話はしなくなり、私も彼のことを気にしなくなっていた。
けれど、お節介な周囲の人間は、彼の努力を見ろとばかりに彼の話を私に聞かせる。

しかし、知人の話を聞く限り、彼は絵の上達に執着しているようだった。

プロの編集者にネームを見せたのであれば、当然、プロも私と同じ違和感を持ったはずだ。
私とは違ってプロはそれをしっかりと言語化し、話作りに関する課題を彼に突きつけていただろう。

それなのに今の姿なのだとすれば、彼が漫画家になるのは難しい。
そう思った。

私の言葉を拒み、プロの言葉すら切り捨て、ひたすら「絵の上達」という自分にとって取り組みやすい作業だけを選んで没頭する。

その先に、漫画家という輝かしい未来はきっとない。

その事実に、彼も、彼の周囲も気づいていなかった。
それでも私は、もう言葉を伝えることを諦め、遠巻きに見守るだけにしていた。

誰が言っても聞かないのであれば、自分で気付くしかない。
手遅れになる前に、自分で気付けることを祈るしかなかった。

私の祈りも虚しく、彼は相変わらず絵の上達に執着し続けた。

やがて進学の時期になり、彼は絵の専門学校へと行った。
それを機に、彼と会う機会もなくなってしまった。

そしてしばらく経ち、風の噂で、彼が漫画家になれなかったことを知った。

ここで皆さんに問いかけたい。

彼のやっていたことは、本当に努力だったのだろうか。

私は、違うのではないかと考えている。
目標達成に必要なことをしていなければ、目標には絶対に近づけないからだ。

例えば、マラソン大会で優勝したい人がいるとする。
その人が、毎日ひたすら腕立て伏せや腹筋ばかりをしていたら、誰でも違和感を覚えるだろう。
走る練習をしなければ、マラソンで勝てるようになるはずがない。

努力とは、そういうものではないはずだ。

私が考える努力とは、まず目標から必要な要素を分解すること。
そして、それらすべてを手に入れるためのロードマップを逆算して組み立てることだ。

そうすることで初めて、目標達成までの道のりが見える。
自分が今、どの方向へ向かって努力すればいいのかも、ようやく理解できる。

最初にロードマップを引かずに始める努力は、あまりにも無謀だ。
それは、海図も羅針盤も持たずに、イカダで大海原に乗り出すようなものである。

そのような無謀な行動を、私は努力とは呼びたくない。

知人は、本当に懸命に絵を描いていた。
それを見て、彼を応援している周囲の人々もいた。

ただただ懸命な姿を見せられると、人は応援したくなってしまうらしい。
たとえ、その努力の方向性が決定的に間違っていたとしても。

確かに彼の姿は、傍目には必死に見えた。

しかし、私自身は冷めた目で知人を見ていた。

必死に頑張っている自分を演じ、周囲と同情的な応援を味方につける。
その時間は、彼らにとってすごく美しく、目標に向かって進んでいるように見えたことだろう。

だが、現実は違う。
やりたくないことから逃げ続けるための、ただの逃避だ。

私たちは今、自分のロードマップから目を背けていないだろうか。

本当に必要な、痛みを伴う要素から逃げてはいないか。
自分の得意なやりやすい努力にすり替えて、満足していないだろうか。

何者かになることを目指すにした私は、いつも自分の心に問いかける。

「方向性を見失っていないか?」

「今の努力の目的はなんだ?得られるものは?」

この問いかけによって手に入るものがある。
それは、目標地点と道筋の確認だ。

つまり、目的地が書いてある海図と羅針盤である。

両方を持たなければ、海で迷って沈むだけだ。

もう一度問いかけよう。

あなたの努力の方向性は、合っていますか?

▼目標設定について語っている記事もあります。よければ読んでくださると嬉しいです。


いいなと思ったら応援しよう!

かつぶし|相互フォロー よろしければ応援お願いします!!頂いたチップはnote記事のクオリティを上げる為の技術や体験に使わせていただきます!!