Terry Adams - Terrible (1995)

アーロン・ベッカーの「文字のない絵本」がイマジネーション豊かな物語を紡ぐように、優れた楽曲もまた、言葉を介さずとも実に饒舌だ。
NRBQの“Yes Yes Yes”は、その好例だ。「あれは歌入りではないか」という指摘は正しい。確かに初出の『At Yankee Stadium』では、ジョーイ・スパンピナートが甘く歌い上げている。
だが、作者であるテリー・アダムスの1stソロアルバム『Terrible』(1995)には、インストバージョンとして収録されていて、僕がここで言及したいのは、「言葉を脱ぎ捨てた」ほうの“Yes Yes Yes”だ。
オリジナル版もジャズの気配を纏っていたが、『Terrible』版の佇まいはより深淵だ。あたかも「ゴッドファーザー 愛のテーマ」のごとく、厳かなメロディに後から歌詞を添えたのではないか――そう錯覚させるほどの、原曲としての風格に満ちている。
本作はもともと、テリー・アダムスのジャズ・アルバムとして企画された。ニュー・ワールド・レコードの重役アーサー・ムーアヘッドから提示された条件はただ一つ、「“Yes Yes Yes”を収録すること」だったという。
ポップからロックンロール、ナンセンスまでを自在に横断するテリーだが、コンポーザーとしての真髄はやはりジャズにある。それもサン・ラやセロニアス・モンクの系譜に連なる、あのジャズだ。
この曲には、モンクの“Ruby, My Dear”のように、郷愁を誘いながらも、脳の未知なる領域をノックするような、あるいは見たことのない絶景を想起させるような、崇高な美が宿っている。
人間は不完全であるがゆえに、美しい。
そこには、そうした人間観(あるいは思想、といってもいい)が通底する。昨今の政治家に決定的に欠けているのはこの部分。彼らの語る国家観に血が通わず、説得力に欠けるのは、その根底にあるべき人間への眼差しが、実に空虚だからかもしれない。
