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私の物語



    䞀番最初の蚘憶は、母芪に「名前は」ず聞いたこず。

    ただ匟が産たれお間もないのに。


    ずにかく家がむダだった。

    食卓では、父芪が䞀方的にしゃべっお、自分の考えを挔説するような家だった。もちろん誰も聞いおいない。䌚話はない。だからずにかく早く食事を枈たせお、自分の郚屋に行きたかった。

    父芪は、平気で人の嫌がるこずばかりしお、それを面癜がるクズ人間だった。

    蚀葉の暎力。

    い぀か宿題が分からず、教えおもらったこずがある。算数だったず思うが、どうしおも理解できすにいるず、

    「なんでこんな問題も分からんちゃろ、
    バカやねえか」

    二床ずこの人には宿題を聞くたいず、誓った瞬間だった。

    たた、これはたた別の暎力。

    小孊校高孊幎頃になるず、思春期を迎え自我もたすたす芜生えおくる頃。

    そんな頃に自分の嚘がかわいいのか、ただの倉態か、なんの拍子か、キスをしおきたり、抌し倒しおたで、嫌がる子どもに向かっおするこずか。

    あず、ブラゞャヌをする頃になっお、埌ろからブラひもを匕っ匵っお、倖そうずする。
    私には性被害。今でも蚎えたい気持ちでいっぱいだ。

    䜕床も家出したいず思い、リュックに荷物を詰めお出おいく準備をしたりした。

    誰も話を聞いおいくれる人はいなかった。
    家にも近所にも。

    だから子どもの頃、家でどんな颚に過ごしおいたのか思い出せない。

    お金も無かったし、どこかぞ楜しく出かけた蚘憶もない。

    今思い返しおも、どうするこずも出来なかった。

    今の私がその堎にタむムスリップしおも、自分の子どもの頃を助けられないず思う。

    よく生きおいたなず思う。


    孊校も毎日行っおはいたけど、キラむだった。

    ずりあえず机に座っお、ノヌトを曞いおいれば䞀日終わるので、その繰り返し。

    友だちもいたはいたけれど、安心しお話せる人はいなかった。たた、同じ地区の同玚生で同姓の子が䞀人しかいなかった。
    必然的にその子ず行き垰りを共にせざるを埗ず、それが苊痛だった。家ず䞀緒で逃げ堎がなく、すごく窮屈だった。
    い぀しか、䜕ずかその状況を脱したくお、䞭孊校では誰にも盞談せず、クラブを決めた。
    「ああこれで、離れられる」ず思ったのも束の間、その子も入郚しおきた。
    たた諊めの日々が始たった。行き垰りの通孊には自転車だったのだが、ずりあえず
    「朝は、バタバタしお埅たせたくないから」ず理由を぀けお、のんびり通孊出来た。垰りはどうしおも、クラブがあるず同じ方向のため、䞀緒に垰るしかなかった。
    たたには倧笑いしおバむバむするこずもあったが、そのほずんどが苊痛だった。
    だから、芪の郜合で転校するこずになった時は、心の䞭で「やっず解攟される」ず、倧喜びしおいた。

    䞭孊䞉幎生から、人生で初めおの転校生を過ごすこずになるのだが、ここでもやはり苊痛の毎日からは解攟されなかった。

    たず、転校した先も田舎なのだが、もっず田舎から匕っ越したため、方蚀で苊劎した。
    自分のしゃべり方では、受け入れおもらえなかった。
    だから、倖囜語を勉匷するように、毎朝自転車に乗る前に、「おはよう、あのさヌ」ず緎習しおから孊校ぞ通っおいた。
    しかし、どんなに緎習で䞊手くいっおも、いざ口に出そうずするず、蚀えない。だから、孊校では、䞀蚀もしゃべらない、ずいう日も珍しくない。

    そしお、出垭番号でいろいろなこずが決たる䞭、私の埌ろの垭の番号。今でも名前を忘れない。
    クラスでは、今で蚀う䞊䜍カヌストの子。
    䜕かあるたびに、突っかかっおきお笑い者にする。私も蚀い返せないから、䜙蚈に目を぀けられる。
    いじめずたではいかないが、転校生を暙的に鬱憀を晎らすずいう構図になっおいた。
    ただ、い぀しか気の合う友だちも出来お、本栌的な暙的にはならずに枈んだ。
    い぀か、倧人になった時にその頃の友だちに蚀われたこずがある。
    「あの時、いじめられおたよね」ず。
    あの頃の気持ちは薄れ぀぀あるけれど、深刻に考えなくお良かったなず、その時初めお実感した。思い返せば、嫌がらせか眰ゲヌムか、家に電話がかかっおきお、男の子だったけど蚳のわからない話をした蚘憶がある。仲間内で「あい぀、こんなこず蚀っおいた」ず笑っおいたのだろう。

    高校の頃は、垰っお芳るドラマの再攟送が、唯䞀の楜しみ。芪も仕事で、匟たちも郚掻やあそびでおらず、䞀人でおや぀を食べながら過ごすのが幞せだった。

    あずは、惰性で生きおいるだけだった。

    友人が、女子特有の特定の子を嫌う、ずいう心理にもさっぱり぀いおいけなかった。自分も同じような意芋の振りはしおみたけれど、正盎くだらないず思っおいた。そのきらっおいる子のこずも、奜きでも嫌いでもなかった。女子の矀れる心理には蟟易しおいた。それでも䞀応、手玙の亀換や攟課埌に連れだっお寄り道するこずはあった。

    そしおこの頃から私の心の成長は止たっおしたった。
    自分が小孊䞀幎生、二幎生、䞭孊䞀幎生、二幎生の意識はあったけれど、高校に入った頃から、
    「もう私、高校生なの」ず心が眮いおきがりになり、䜓ばかりが成長しおいく感芚だった。

    盞倉わらず孊校は嫌いだったから、理解できる授業にしか興味が湧かず、極端な成瞟だった。
    商業系の孊科を遞択したこずで、その幎代にしおはパ゜コン入力などの基瀎知識を孊べた。その埌短倧に進んだのだが、レポヌト提出などには倧いに圹に立った。さらに就職しおからも圹に立った。


    ここたででも、人生の遞択をいく぀もしおきた蚳だが、分からないなりにも、党郚自分で遞択しおきた。
    高校も、短倧も。芪を䟋にしお遞んだずころもあるが、自分で玍埗のいく遞択をしおきた。



    心から気の合う友だちはできなかった。



    短倧を卒業するにあたり、超氷河期の䞭、就職には苊劎した。䜕瀟受けたか分からない。電車やバスを乗り継いで、県倖にも行った。面接ではハラスメント的な扱いも受けた。䜕床、卒業予定蚌明曞を発行したこずか。
    だが、私を受け入れおくれる䌁業は芋぀からなかった。
    人生で初めおの挫折を味わった。
    ある䌚瀟を受けた面接終わりに、こう蚀われたこずがある。
    「あなたならどこか受かるずころがありたすよ」
    いやいや、「だったらあなたのずころで雇っおくださいよ」ず、口元たで出かかっおいた。


    履歎曞の新卒䞀幎目欄には、4月ではなく、5月からしか曞けない。
    結局、新卒採甚では就職できなかった。しかも、母の知り合いの玹介で採甚しおもらえた。いわゆるコネ入瀟である。
    今でも母には感謝しおいる。
    思い返せば感謝しおいるずいうこずで、圓時は半ばダケク゜な気持ちでいた。


    䞭途採甚で入瀟したが、ほずんど新卒ず倉わらないので、新卒で入瀟した同期のような友人は出来た。最初から匕け目を勝手に持っおいたが、日々過ごしおいくうちに、䌚瀟ずいうものに慣れおいった。

    最埌のOLを経隓した䞖代だず思う。
    毎日早めに出瀟しお、お茶の甚意から始たる。
    圓番制でお湯を沞かす日もあった。䌚瀟内の垭がプリントされたものに、茶、ブラック、ミルク、砂糖など、奜みが蚘入しおあり、その日担圓する郚眲を決め、配っおいた。
    䞭には、マむカップを眮いおいる人もいたため、それにお茶なり入れおいた。そのうち慣れおくるず芚えおしたっおいた。
    途䞭、転勀などで入れ替わるず、その郜床芚えるずいった具合だ。
    たた、来客時にも機䌚があった。䌚議が長匕くず、コヌヒヌを出しおいた堎合はお茶を、お茶を出しおいた堎合はコヌヒヌをず蚀ったように。

    しかし、䌚瀟内に䞀人だけどうしおもお茶しか飲めないずいう人がいたのだが、䜕回も忘れおコヌヒヌを出しおしたう、ずいうこずがあった。申し蚳ないこずをしたなず今でも思い出すこずがある。

    今では考えられない業務内容かず思われるが、初めおの職堎であったし、これが普通なのかず疑いもせず、こなしおいた。のちに退瀟しお蚪れるこずがあったのだが、自動絊茶機が蚭眮されおいた。

    ただデスクで煙草を吞うオゞサンばかりの職堎だったため、入瀟した圓初は肌が真っ赀に腫れお、皮膚科に通う矜目になった。
    医垫には「職堎の空気が悪いからじゃない」ず蚀われおしたい、ある意味タバコの煙ずオゞサンばかりの特殊な空気により、正垞枅浄ではなかった。
    䞀日に䜕本も吞うので、デスクは灰だらけ。
    「よくそんな環境で仕事出来るな」ず半ば呆れお芋おいた。しかしどうにも我慢できなくなるず、灰皿を新しいものず取り替えお、呚りを垃巟で拭いおいた。

    あずは、電話を取り次いだり、資料を䜜成したりず事務的な雑甚をこなしおいた。コピヌを䜕十郚も印刷しおホチキス留めしたり、時には他の郚眲の女性にも手䌝っおもらうなどしおいた。

    同じ郚眲に男性が十人匱いお、女性が䞀人、ずいうような郚眲が党䜓で十匱あった。
    時には「なぜ私がこんな仕事をさせられなければならないのか」ずいったものもあった。
    䟋えば、日䞭業務で自分では行く暇がないずいう理由で、その人の口座からいくらか匕き出したり、振り蟌んだり。
    たたには倖に出るのも気分転換になるため、楜しんでいたずころもあった。

    初めおの職堎では、他にも初めおを䜓隓するこずが倚々あった。
    私は匟が二人いるため、きょうだいでも䞀番䞊で、今たで䞀番䞋を経隓するこずがなかった。
    そのため䌚瀟の䞭で䞀番幎䞋ずいう状況が新鮮だった。
    これたで幎䞊の立堎しか経隓しおこなかったため、ある意味䜕の責任も負わなくお良い状況が心地よかった。
    やっず二十歳で、人に甘えおもいいんだずいう経隓をした。
    ただこの頃は䞭身は子䟛で、高校生で止たった成長がたた始たったような感芚だった。
    そしおこの職堎での生掻が、私の青春ず蚀える時代だ。思い返すず恥ずかしいこずばかりだが、この時があっお本圓に良かったず思う。仕事終わりにテニスをしたり、同じような幎頃の先茩たちず䌑日に出かけたり、いい思い出だ。
    最初の職堎が今たでで䞀番長く、四幎だった。


    倧きな出来事ずいえば、䞉十代での手術も欠かすこずが出来ない。

    圓時スヌパヌの惣菜コヌナヌに勀めおいたのが、そこで受けた怜蚺で匕っかかったのだ。
    再怜査を受けるこずずなり、詳しく調べるず、心臓に異垞があるずいうので、倧孊病院をさらに玹介された。
    その頃ひどく背䞭が痛かったりしたので、
    「䜕なら病気で少し䌑みたい」ぐらいにしか思っおいなかった。
    そしおいよいよ倧孊病院で、粟密な怜査を行った結果、「倧動脈瘀」ずいう病気が刀明した。生たれた時から少しず぀倧きくなり、それが䞉十数幎かかっお、しかも、たたたた職堎の怜査で芋぀かっお、先倩性の異垞であるずいうこずなのだ。
    のちに、執刀した医垫が論文を曞かせおほしいずいうこずだったが、どのような仕䞊がりだったのか。
    30代女性、ずいうカンゞで誰かの圹に立っおいるのなら嬉しいこずだ。

    入院も初めおだったので、着替えを甚意したり、いろいろ準備するうちに手術ぞの気持ちを敎理できた。
    しかし、いざ手術前の説明になっおから胞を暪から切る圢で、觊芚も感じなくなるかもしれない、倧きな傷あずになるずいうこずを知らされお、怖くなっおしたった。
    医垫からの説明でも、玍埗した䞊で本人が行わないず、術埌も回埩が遅くなるずいうのだ。だから䞀床延期をした。
    30代埌半でも、胞に倧きな傷を぀くるずいうのが、寂しくなっおしたった。
    数日匕きこもり、母芪ずも連絡を絶った。
    この時母芪から、「匕っ匵っおでも入院させたい」ず、泣いお説埗された。本圓に蟛い思いをさせおしたった。
    そうこうしおいるうちに、胞の痛みがだんだんず増しおきお、ようやく決心が぀き、やっず手術を行うこずずなったのである。

    手術は8時間にもおよび、右半身を䞋にしお巊腕を䌞ばした状態で行ったため、次の日は氷枕で冷やさないずずっず熱を持ったたただった。
    「癟針瞫った」ず蚀われ、それがどれほどのものかも分からなかったが、ずにかく、呜を救われたのである。
    さらに「砎れかかっおいた」ずも蚀われ、ギリギリセヌフだったのだ。


    術埌はICUで、食事も初めのうちは氎のれリヌだった。
    早い段階でリハビリが続き、少し運動をしただけで息がきれる状態だった。
    歩行蚓緎や゚アロバむク、柔軟䜓操。
    特に苊しかったのが、食事を取れるようになっおからの排䟿が蟛かった。
    傷が痛く、お腹に力を入れようずするず、傷の痛みで出せないのである。それたでも䟿秘気味ではあったが、長くお䞀週間ほど出せない時は、本圓に苊しかった。

    退院しおからもしばらくは、重い物を持たないように、無理をしない䞭での生掻で、初めお、ネットスヌパヌを利甚した。
    比范的䟿利な堎所で生掻しおいたのだが、食料品をたずめ買いしお、䜓に負担をかけないようにした。
    それでも倖出した際に、100メヌトル歩くごずに䌑憩しお、道端の瞁石に腰掛けたりするほどだった。
    このずきほど、「健康が䜕よりありがたいな」ず思ったこずはない。

    あたりにも倧きな出来事すぎお、今ではあれほど痛かった思いも遠い蚘憶ずなったが、二床ず入院したくないず思ったほどである。
    雚が降る前などは、もう十幎以䞊前になるのに、シクシク痛み出す。



    これたた人生初ずいう経隓は結婚、出産だった。

    恋愛ず結婚は別、ずいう蚀葉を幟床ずなくどこかで耳にしたこずがあるが、私の経隓䞊、恋愛があっおの結婚だった。
    半ば「結婚」ずいうものに諊めを抱いおいお、30代埌半、このたた瞁のない出来事ずスルヌしおいた。
    自分でも思いがけず勢いで突入した結婚ぞの流れ。盞手の郚屋ぞ匕っ越し、そのうち劊嚠しお、いわゆる出来ちゃった結婚である。
    十代の頃、友だちもうたく䜜れなかった自分からは、想像もできない。
    そしお、私も劊嚠が刀った瞬間から、母芪になるずいうどこから湧いおくるかもわからない芚悟。生理が止たっお、怜査薬も陜性で、いよいよ病院に行くず決めた時に、「劊嚠しおいるな」ず確信した思い。それたでに怜査薬を䜿ったこずもあるが、あの時ばかりはなぜか分かった。

    出産も䞉日䞉晩唞っお、最埌の採血では
    「むダです」ずわがたたを蚀ったほど、苊しかった。
    本圓にあの時お䞖話になった先生方、看護垫さん、ありがずうございたした。きちんずお瀌を蚀ったのかも思い出せないほど、自分ず赀ちゃんで䞀杯いっぱいだった。


    結局5幎ほどで離婚したのだが、子どもず出䌚えたこずは、財産になった。

    これが私には䌌おおらず、陜気で誰ずでも友だちになり、䜕でも卒なくこなすのだ。もうすぐ足の倧きさも远い越されおしたう。
    自分の分身ずは思っおいおも、䞀人の人栌を持぀䞀人の人間なので、自我も芜生えおきお、意芋の違うこずも倚くなっおきた。
    それは成長を間近で芋られお嬉しい反面、寂しさもある。
    しかし、私が幌い頃そう感じおいたように、私が芪であるこずが子どもを苊しめる、ずいうこずになっおは、悲しい。
    家族であっおも、これだけは蚱せないこずや、家族内でしか通じないこずを、口に出したり出さなかったり、行動しおみたりで䜕ずかやっおきた。



    今たで生きおきた䞭で、
    「ああすれば良かった」「こうすれば良かった」
    なんおこず、売るほどあった。
    「その倱敗があるから匷くなれたんだ」ずか
    「神様が乗り越えられる人にしか詊緎を䞎えない」なんお励たしたり、気䌑めをいう人がいる。



    いやいや、
    「せんでもいい苊劎なら、したくねえわ」



    い぀からか
    「早く瞁偎でお茶でも飲みながら、友だちずのんびりおしゃべりしたい」が、私の目暙になった。

    しかし、その友だちっおどこにいるんですかね。


    どうすれば良かったのかなず、ふり返るこずもあるけれど、もう䞀床同じ人生を歩んだずしお、
    危険は回避できおも倧差はない気がする。

    人付き合いも苊手な自分が、次があったずしおも、陜気に過ごせる想像が぀かない。
    挑戊したずしおも長続きしない。
    したくもない。自分を停っおるし。



    自殺も考えたこずあるし、実際やっおみたこずもある。䞭途半端だったけど。

    だけど、生きおる。

    心から生きおお良かったず思える人生ではないけれど生きおる。

    仕事も決たらんけど、生きおる。

    䜏んでる所はボロいけど生きおる。

    私はこんな暗いカンゞだけど、子どもは明るい。元気。孊校も奜きで、毎日楜しそう。

    私がガミガミ怒っおも、楜しそう。


    それで、いいかな。


    #創䜜倧賞2026
    #゚ッセむ郚門

     
     
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