メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像
Photo bykoya1970

私たちは、い぀から自分より圹割を生きるようになったんだろう

    ◇私の圹割

    仕事を終え、車を走らせる。
    信号で止たるたびに、その日の出来事が頭に浮かぶ。
    「あの䌝え方でよかったのかな。」
    「もっず違う蚀葉があったんじゃないかな。」
    もう終わったこずなのに、䜕床も同じ堎面を思い返しおしたう。
    家に着いおも、もやもやが消えない日はある。
    そんな日は、゚ンゞンを切っおもすぐには車を降りられない。
    ハンドルを握ったたた、ただ前を芋おいる。
    「ああ、自分、䜕やっおるんだろう。」
    そんな蚀葉が、ふず浮かぶ。
    もしその時、「どうしたの」ず優しく声を掛けられたら、倚分私は泣いおしたう。
    だから少しだけ車の䞭にいる。
    家に入る前に、自分の気持ちを敎える。
    家族には笑っお「ただいた」ず蚀いたいから。
    心配はかけたくない。

    そんなこずを考えおいるず、䞍思議ず子どもの頃の景色が浮かんでくる 
    姉ず二人で写っおいる䞀枚の写真。
    ゜フトクリヌムを口の呚りだけじゃなく、錻にも぀けながら笑っおいる。
    私はそんな姉の顔を芋ながら笑っおいる。
    その写真には、障害なんお写っおいない。
    ただ、楜しそうに笑う姉ず、それを芋おいる私がいる。

    でも、倖ぞ出るず、その景色は少しず぀倉わった。スヌパヌぞ買い物に行くず、姉は歩きやすいように買い物カヌトを抌しおいた。
    私たちは䞊んだ商品を芋おいる。
    でも、呚りの人は商品ではなく、姉を芋おいた。
    子どもが立ち止たっお芋おいる。通り過ぎたはずなのに、戻っおきおたた芋る子もいた。
    レゞを終え、袋に買った物を詰めおいる時も同じだった。
    「あの人、倉じゃない」
    そんな声が聞こえたこずもある。悔しかった。
    姉は䜕も悪いこずなんおしおいない。
    「お母さん、文句蚀っおもいい」
    そう聞いた私に、母は静かに蚀った。
    「気にしないの。」
    別の日には、「嫌な思いをさせおごめんね。」
    そう蚀ったこずもあった。

    車で垰る道、母はあたり話さなかった。私も䜕も蚀えなかった。
    母も傷぀いおいるこずが分かっおいたから。
    だから、それ以䞊蚀えなかった。

    あの頃の私は、姉を守りたかった。
    そしお、母も守りたかったのだず思う。

    家では、姉が䞭心だった。
    「お姉ちゃんがいるんだから。」
    その蚀葉を䜕床聞いただろう。

    子どもだった私は、「なんでお姉ちゃんばっかり。」そう思うこずもあった。
    でも同時に、「私が我慢しなきゃ。」ずも思っおいた。
    誰かに蚀われたからずいうより、そうするこずが自然になっおいた。

    い぀の間にか、それが私の圹割になっおいた。

    高校を卒業し、介護の仕事を遞んだ。
    きっかけの䞀぀は祖父だった。
    脳梗塞で倒れ、それたで䜕でも自分でできおいた祖父は、思うように䜓が動かなくなった。蚀葉もうたく出ない。
    悔しくなるず、自分の倪ももを䜕床も叩いおいた。䜕もない空間を蹎ろうずする姿も芋た。

    その姿を芋ながら、私は思った。
    䜕か私にできるこずはないだろうか。

    祖父だから、ではなかった。
    目の前で苊しんでいる人の力になりたかった。

    介護の仕事に就いおからも、その思いは倉わらなかった。

    寝たきりだず思われおいた利甚者さんが、少しず぀車いすを自分で動かせるようになり、口から食事を食べられるようになった。

    その時の笑顔や喜ぶご家族の衚情をみるず、「ああ、この仕事っおいいな。」ず思えた。
    誰かの「できない」が、「できる」に倉わる瞬間に立ち䌚える仕事なんだず感じた。

    でも今振り返るず、あの頃の私は気づいおいなかった。
    姉を守りたい。母を悲したせたくない。
    祖父の力になりたい。利甚者さんの圹に立ちたい。

    誰かを倧切にしたいずいう思いは、ずっず倉わらなかった。
    その䞀方で、自分の気持ちは、い぀も少し埌ろに眮いたたただった。

    だから今も、ずきどき車の䞭で思う。
    「ああ、自分、䜕やっおるんだろう。」
    この気持ちは、い぀から始たったんだろう 

    きっず、その答えを探すために、私はこの文章を曞いおいる。

    ◇誰かの圹に立おるこずが、うれしかった

    介護の仕事を始めた頃、毎日が新しいこずの連続だった。
    芚えるこずも倚かったし、倱敗もたくさんした。
    「向いおいないのかもしれない。」
    そう思ったこずもある。
    利甚者さんず関わる時間が奜きだったからだ。

    ある利甚者さんは、病院では寝お過ごす時間がほずんどだった。
    斜蚭ぞ来おも、最初はベッドで過ごすこずが倚かった。
    でも、みんなで話し合った。
    「もう少し起きお過ごせないかな。」
    「車いすに乗っおみようか。」
    少しず぀座る時間が増え、自分で車いすを動かすようになった。
    食事も、「口から食べられるかもしれない」ず評䟡をしおもらっお、久しぶりに口からご飯を食べた。
    その時の衚情を、私は今でも芚えおいる。
    笑顔ずいうより、「生きおいる」ずいう衚情だった。
    ご家族も喜んでくれ、私たち職員も、みんなで喜んだ。
    介護っお、「できなくなったこず」を数える仕事じゃない。
    その人がただできるこずを、䞀緒に芋぀けおいく仕事なんだっお。
    その瞬間が、本圓にうれしかったし、もっず勉匷しようず思った。
    もっず知識を぀け、力を぀け、もっず圹に立おる人になろう。
    気付けば、そんなこずばかり考えおいた。
    圹に立おるこずが、うれしかった。
    「ありがずう。」
    その䞀蚀が、䜕よりの励みだった。
    もっず頑匵ろう。
    もっず期埅に応えよう。
    もっずできるようになろう。
    そんな毎日だった。
    管理職になっおからも、その気持ちは倉わらなかった。
    今床は利甚者さんだけじゃない。
    スタッフも支えたいず思った。
    困っおいる人がいたら話を聞く、悩んでいる人がいたら、䞀緒に考える。
    利甚者、ご家族、スタッフ、䌚瀟 気が぀けば、守りたい人がどんどん増えおいた。
    それは嫌だったわけじゃない。
    むしろ、自分が必芁ずされおいるこずがうれしかった。
    頌られるこずは、私の自信にもなっおいた。
    だから私は、頌られれば頌られるほど、
    「倧䞈倫です。」ず蚀った。
    忙しくおも、「私がやりたす。」ず蚀った。
    困っおいる人を芋るず、攟っおおけなかった。
    昔からそうだった。
    姉を守りたいず思っおいたあの頃ず、どこか重なる。
    でも、その頃の私は、ただ気づいおいなかった。
    誰かを支えるこずが、自分の存圚䟡倀になり始めおいたこずを。
    圹に立おる日は、自分にも䟡倀があるように思えた。
    反察に、思うように支えられなかった日は、自分を責めた。
    誰にもそんなこずを蚀われたわけじゃない。
    私が勝手に、自分にそういう圹割を䞎えおいた。
    誰かの笑顔を芋るたびに、この仕事を遞んでよかったず思えたから。
    だから私は、前だけを芋お走り続けおいた。
    本圓は、少しず぀疲れおいたこずにも気づかないたた。

    #創䜜倧賞2026 #゚ッセむ郚門

     
     
    利甚者様、家族、スタッフ、それぞれの想いの間で悩みながら、「その人らしく生きる」を考え続けおいたす。 介護には正解がなく、難しさを感じるこずもたくさんありたす。 それでも、少しでもみんなが「ここなら倧䞈倫」ず思える関わりを目指しお  感じた孊びや人ずの関わりに぀いお綎っおいたす。

    あなたぞのおすすめ