
眠らない海 #3つのお題に空想のひらめきを
約700字・ショートショート
世界には二種類の海がある。「普通の海」と、「眠らない海」だ。
普通の海は、規則正しい生活を送る。夕暮れと共に眠りにつき、きっかり八時間の睡眠を取る。
その間、潮の満ち引きは停止し、波一つ立たない。海面は夜空を映す濃紺の鏡となり、沿岸の住民は、その完璧な静寂の中で安心して眠りにつくことができる。
問題は、僕が監視する「眠らない海」の方だ。
文字通り一秒も眠らないその海は、二十四時間体制で唸り、絶えず荒れ狂っている。
波の音は耳栓をしても突き抜けてくる病的な咆哮だ。
海岸線は無秩序な満ち引きに削り取られ、周囲の空気は、塩分と湿気と、張り詰めた緊張感で常に重くよどんでいる。
僕は「海守り」という過酷な仕事に就いている。
僕たちの仕事は、眠らない海に寄り添い、その荒れた波の動きから疲労度を算出し、記録することだ。
この数ヶ月、僕の担当する海の疲労度は常に90を超え、もはや致死量の数字を示していた。
「頼むから少しは眠ってくれよ。このままだと体がもたない」
僕は疲労度のデジタル表示を睨みながら、海に向かって愚痴をこぼした。
それは海に対する苛立ちというより、切実な願いだった。
その日、ついに疲労度が限界値の100に達した。
その瞬間、海は突然、荒々しい波の動きをピタリと停止した。
咆哮が消え、病的な緊張感を孕んでいた空気が一瞬でただの潮風に戻る。
「やった! ついに寝たぞ!」
歓喜の声を上げる僕に、隣の老練な海守りである先輩が、海を見つめたまま静かに言った。
「馬鹿野郎。あれは寝たんじゃない。心臓停止だ」
言わば海の仕事中毒(ワーカーホリック)。
極限まで疲弊した海は休息を選べなかった。
二度と目覚めることのない海を僕たちはただ見つめていた。
また一つ、僕たちの世界から荒ぶる命が消え、「死海」が増えた。
