問いを回収しなかった会議
その会議は、時間通りに終わった。
資料は事前に共有され、論点も整理されていた。費用、工期、想定リスク、過去事例。意思決定に必要な材料は、一通り揃っていた。
誰かが強く反対したわけではない。
一方で、合意形成が十分に成立したとも言い切れなかった。
司会が締めの言葉を探す間、資料をめくる音だけが静かに続いていた。
結局その日は、結論を出さなかった。
議事録は整っているが、決裁欄は空白のままだった。
会議後、「判断が遅い」という評価が返ってくる可能性は理解していた。
準備不足と言われれば、形式上は否定できなかったと思う。
それでも、その場で結論を出さない判断を選んだ。正確には、決断に必要な前提条件が、まだ揃っていなかった。
判断材料は存在していた。
しかし、そのまま線を引けば、後工程に説明責任の歪みが残ることも見えていた。
この違和感には、当時、明確な名称がなかった。ただ、ここで決めてしまうと、将来の調整余地が失われる、という感覚だけが残っていた。
担当者の準備不足として差し戻す選択肢もあった。そうすれば、意思決定としては一応の形が整う。
だが、それは個人の能力に責任を押し戻す対応でもある。それによって、判断構造そのものが見えなくなると考えた。
この案件で扱っていたのは、単純な是非ではなかった。今この判断を下した場合、どの工程にどの負荷が集中するか。その負荷が、最終的に誰のリスクとして顕在化するか。
そこまで含めると、意思決定の条件は十分ではなかった。
結論を出さなかったことで、判断が軽くなったわけではない。
むしろ説明責任は増えた。
「なぜ今回は結論を出さなかったのか」
「いつ、どの条件が揃えば決めるのか」
そうした問いに、都度、言葉を用意する必要があった。
それでも、その問いをその場で回収しなかった。判断を先送りしたのではない。
結論を出さないという意思決定を行っただけだ。
翌日の会議でも、進め方は変えていない。
形式や資料構成も同じだった。
ただ一つ異なっていたのは、共有されている前提だった。
「これは個人の問題なのか、それとも構造の問題なのか」
その問いが、チームの中に残された。
結論は、まだ書かれていない。
決裁欄は、相変わらず空白のままだ。
それでも、あの会議を失敗だったとは考えていない。何も起きなかった一日を、意思決定の放棄とは捉えなかった。
正解を出さなかったその判断が、
いちばん高いコストだった。
※この文章と同じ問いを、別の角度から書いたものをまとめました。