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ついに豚タンを食べた話── AIに裏切られ、あごに試練を与えられた夜


    #創作大賞2026 #エッセイ部門

    ついに豚タンを食べた話── AIに裏切られ、あごに試練を与えられた夜

    ついに豚タンを食べることができた。

    ここまで書くと、なんだか壮大な夢を叶えた人みたいだが、実際は「豚の舌」である。

    しかし私にとっては、かなり長い戦いだった。

    先日、私はわざわざ池袋まで出向いた。目的はもちろん豚タン。
    しかも今回は事前にAIに確認済みだ。

    「その店なら確実に豚タンが食べられます」

    そうAIは断言していた。

    未来を変える存在みたいな顔をしておきながら、結果として豚タンはなかった。

    店の前で私は思った。

    「AI時代とはいったい……」

    たぶん近い将来、人類はAIに仕事を奪われるのだろう。
    しかし少なくとも“豚タンの在庫確認”については、まだ人類の勝ちである。

    そんな中、息子夫婦からは「豚タンはあまり旨くない」と聞かされていた。

    「なんか気持ち悪い食感」

    と言う。

    だが、そう言われるほど気になるのが人間というものだ。

    調べると、牛タンよりコリコリしているらしい。

    私は急に興味を持った。

    コリコリとは何だ。
    どれくらいコリコリなのだ。
    こんにゃく寄りなのか。軟骨寄りなのか。
    もう気になって夜しか眠れない。

    そしてついに、仕事終わりに最寄り駅近くのやきとん屋へ入った。

    すると、あった。

    普通にあった。

    池袋まで行ったあの時間は何だったのかと思うほど、地元に自然体で存在していた。

    人生とはこういうものである。

    必死に遠くを探していたものが、実は近所にある。

    豚タンも、幸せも、だいたいそんな感じなのかもしれない。

    実際に食べてみると、確かにコリコリしていた。

    しかし私は「これは旨い」と思った。

    ただし問題があった。

    噛んでも噛んでも終わらないのである。

    一皿に7個ほど乗っていたのだが、後半はほぼ“あごの筋トレ”だった。

    私は中学時代から筋トレを続けているが、まさかこの年齢で「あご」を鍛える日が来るとは思わなかった。

    途中から、
    「私は今、食事をしているのか、それとも咀嚼修行をしているのか」
    わからなくなった。

    私は定年後、現在マンション管理人をしている。

    仕事を終え、駅前のやきとん屋で一人飲む。

    その時、ふと PERFECT DAYS を思い出した。

    役所広司 が演じる主人公は、都内でトイレ清掃をしながら、毎日決まった店で静かに酒を飲む。

    映画の前半、彼はほとんどしゃべらない。

    店でも注文を口にしない。
    いつもの酒と、いつものつまみ。

    黙っていても出てくる。

    あの独特の静けさが、妙に印象に残っていた。

    もちろん、私とは仕事内容も違うし、生活も違う。

    ただ、仕事帰りにふらっと店へ入り、一人で飲みながら妙な満足感を味わう感じには、少し共鳴するものがあった。

    違うのは、向こうが芸術映画で、こちらは豚タンと格闘している点くらいだろう。

    ただまあ、人生にはそういう夜も必要なのだと思う。

    ポップコーンと前の人の頭に負けた話── 映画館で映画を観なくなった理由


    昔は映画館によく行っていた。
    大きなスクリーン。
    迫力ある音響。
    非日常感。
    映画館には映画館の魅力がある。
    それは今でも認めている。
    しかし気がつけば、ここ何年も映画館へ行っていない。
    理由は映画が嫌いになったからではない。
    むしろ逆だ。
    映画に集中したいのに、映画以外のものが気になりすぎるのである。

    他人の笑い声に敗北感を覚える

    コメディ映画を観ていると、
    会場がドッと笑う場面がある。
    ところが私は、
    「え? 今のそんなに面白かった?」
    と思ってしまうことがある。
    すると、
    映画を観に来たはずなのに、
    なぜか
    「自分だけ笑いの波に乗り遅れた人」
    になった気分になる。
    映画代を払っているのに、
    なぜか損した気分になるので不思議だ。

    映画より会話が盛り上がる人たち

    映画館は映画を観る場所だと思っていた。
    ところが時々、
    上映中にもかかわらず、
    「今の誰?」
    「この人前にも出てたよね」
    と解説を始める人がいる。
    お願いだから映画評論は上映後にしてほしい。
    こちらはストーリーを追い、
    向こうは会話を追っている。
    もはや別の作品を鑑賞している気がする。

    ポップコーンの存在感が強すぎる

    映画館の定番といえばポップコーン。
    しかし静かな場面になるほど、
    カリッ
    ボリッ
    ガサガサ
    という効果音が際立つ。
    時には映画のセリフより存在感がある。
    さらにバターの香りが漂ってくると、
    映画の内容より
    「今夜は何を食べようか」
    という思考が始まる。
    集中力は意外と弱い。

    スクリーンの一部を占有する頭部

    映画館では時々、
    前の席に座った人の頭が絶妙な位置にくる。
    よりによって重要人物の顔の部分だけ隠れる。
    主人公の感動的な表情も、
    犯人の意味深な視線も、
    全部シルエットの向こう側だ。
    私は映画を観ているのか、
    頭の輪郭を観察しているのか分からなくなる。

    家のテレビが進化しすぎた

    昔は映画館に行く理由があった。
    家のテレビが小さかったからだ。
    ところが今は違う。
    大画面テレビ。
    高画質。
    サウンドバー。
    配信サービス。
    昔なら「映画館でしか味わえない体験」が、
    かなり自宅で再現できてしまう。
    技術の進歩は恐ろしい。

    自宅映画館の快適さ

    そして何より大きいのがこれだ。
    自宅なら、
    トイレに行きたくなったら停止。
    電話が鳴ったら停止。
    お茶を入れたくなったら停止。
    主人公が命懸けで戦っている最中でも停止。
    なんなら翌日に続きを観ることもできる。
    映画側からすると迷惑な客だろう。

    ソファは人類の発明

    自宅ならソファで寝転びながら観られる。
    途中で姿勢を変えても誰にも迷惑をかけない。
    足を伸ばしてもいい。
    クッションを抱えてもいい。
    映画館で同じことをしたら注意されそうだ。

    飲食も完全自由

    さらに自宅なら、
    コーヒーでも、
    お菓子でも、
    みかんでも、
    好きなものを食べられる。
    しかも周囲の人に気を遣わなくてよい。
    誰かに
    「ガサガサうるさいな」
    と思われる心配もない。
    なぜなら周囲に誰もいないからだ。

    それでも映画館はなくならない

    ここまで書いておいて何だが、
    映画館には映画館の魅力がある。
    あの大画面。
    あの音響。
    あの一体感。
    自宅では完全には再現できない。
    ただ私の場合、
    年齢とともに
    「映画を観ること」
    より
    「快適に映画を観ること」
    を重視するようになったらしい。
    結局のところ、
    映画館が嫌いになったのではない。
    快適すぎる自宅に負けたのである。

    二人のお爺さんの話


    駅に向かう途中でお爺さん二人が喧嘩をし始めたところに遭遇した。

    ひとりはスポーツウェアを着て、腕をしっかり振り、ウォーキングをしていた。それはいいのだが、時々、気合いを入れるのか、奇声を発して、ガッツポーズのような格好をする。

    すれ違うタイミングで奇声を発せられた女性などはビクッとしている。

    その後、自転車に乗った老人が逆方向からやって来た。

    ちょうどすれ違いざまにウォーキング老人のガッツポーズと自転車が接触してしまったようだった。

    それでウォーキング老人は自転車老人に食ってかかった。自転車老人も相手が勝手にぶつかって来たと言う意識があるので、自転車から降りて口論になった。
    お前が悪い、何だと等のやり取りがあった。止めるべきか迷ったが、急いでいた事もあり、また大きな喧嘩にはならないだろうという判断からそのまま通り過ぎた。

    男性の老人は一般的にいって、柔軟な考えが苦手になり、自分の身体が以前ほど動かなくなるもどかしさから、頭に血がのぼる事が多いと聞く。

    自分はそんな老人にならないように、注意して年を取りたいと思っている。

    【衝撃の事実】私は“ほとんど見えていなかった”──物差しで気づいた視界30〜50cmの世界と夜の恐怖


    私は実は何も見えていない。試しに物差しで計ったところ、裸眼では、30cmから50cmの距離のものしかピントがあっていないことがわかった。夜になるとなおのことで、周りが見えなくなる。そんな状態だから、夜に車を運転することは自殺、他殺行為である。
    会社勤めの時は、3つの眼鏡を使い分けていた。同僚には短距離砲、中距離砲、長距離砲と説明していた。通勤の時は、長距離砲、スマホを見るときは近距離法である。皆さんは残りの中距離砲はどういうときに使うのかわかるだろうか。
    それは業務用のパソコン画面を操作するときである。中距離砲はZOFFで焦点距離を調整したレンズを作ってもらった。眼鏡をいくつも持ち歩くので、いつも邪魔だと思っていた。
    そんなある時、古い日本映画だかで眼鏡レンズが斜めに持ちあがっている高齢男性の姿をみつけた。
    これだと思った。これなら眼鏡をひとつ減らせそうだ。
    この眼鏡をネットで探し始めた。商品名が分からないので、「レンズが斜めに持ちあがる眼鏡」、「レンズが動く眼鏡」などと検索した。その後やっと「跳ね上げ式眼鏡」という商品であることが分かった。
    次はどこで売っているかである。
    眼鏡スーパー、眼鏡市場、ZOFFなど大手チェーンのサイトを探したが、どこも取り扱いがない、あっても1種類しかなくて恰好悪い、デザインの選択肢がないのだ。それにしくみが複雑になるため、普通の眼鏡より高い。こんなに便利なものなのに、売れていないものなのか。
    みんなこの商品のことを知らないのか?
    だから、おじさんたちは新聞を読むとき、眼鏡をカチューシャのように
    おでこの上にかけているのか?
    大手チェーンにはもっと宣伝をしてほしいものである。
    この眼鏡はあまり流通していないためか、私が電車のなかでレンズを「跳ね上げ」てスマホをみていると時々、眼鏡に視線を感じることがある。
    多分、この眼鏡が珍しいのだろう。
    そんな時、私は誇らしげに、レンズのしくみが分かりやすいように、自然な感じでレンズを少し上下に動かして見せてあげる。

    【杖デビューを回避した】


    通勤の道すがら、ちょっとした気づきがある。
    駅から会社までの数分間で、だいたい5〜6人は「杖ユーザー」に出会うのだ。
    しかも驚くことに、いわゆる「おじいちゃんおばあちゃん」ではない。
    どう見ても50代くらいの、まだまだ現役感バリバリの人たちである。
    (あれ……これ、未来の自分じゃない?)
    そんな不穏な予感を抱きながら、私は彼らをスーッと追い抜いていく。
    内心ではちょっとだけ勝った気になりつつ。




    ■ しかし、その日常は突然終わる

    ある日、膝がやられた。
    診断名は変形性ひざ関節症。
    名前からして強そうである。絶対に仲良くなりたくないタイプだ。
    痛い。とにかく痛い。
    階段?無理。早歩き?論外。
    「普通に歩く」という人類の基本動作が、急にレアスキルになった。
    そのとき、ついに頭をよぎる。
    (……杖、ありか?)




    ■ しかし見た目問題が立ちはだかる

    ここで最大の敵が現れる。
    それは痛みではない。
    見た目である。
    杖をついた瞬間、急に「人生のベテラン感」が出てしまう気がする。
    いや実際ベテランなのかもしれないが、心はまだ若手でいたい。
    ということで私は決断した。
    「杖は使わない。びっこでいく」
    結果どうなったか。
    めちゃくちゃ遅い。
    そして、めちゃくちゃ抜かれる。
    通勤ラッシュの中、私は静かに追い越され続ける存在となった。
    女性にも軽やかに抜かれ、なんならちょっと申し訳なさそうに避けられる始末。
    (あれ……これ、杖の人たちのほうがかっこよくない?)




    ■ 救世主、現る

    そんなある日、ネットの海を漂っていると出会ってしまった。
    「北国の恵み」
    名前がもう強い。
    なんかすごく効きそうである。
    半信半疑で試してみたところ——
    数日後、痛みが消えた。
    え、そんなことある?
    昨日まで「びっこ界のエース」だった私が、普通に歩いている。




    ■ サプリ界の政権交代

    実は私は、それまでサプリ界のヘビーユーザーだった。
    DHCのサプリを10種類以上飲むという、ちょっとした常連客である。
    特に膝のためにはコンドロイチンも長年飲んでいた。
    しかし、正直なところ——
    変化、なし。
    数年レベルで飲んでも沈黙を貫く膝。
    それが「北国の恵み」で一発逆転。
    あまりにあっさり改善したので、
    コンドロイチン、戦力外通告。
    サプリ界にも世代交代はあるらしい。




    ■ そして私は再び追い抜く側へ

    今ではすっかり元通り。
    あの通勤路で、再び「追い抜く側」に戻ってきた。
    杖の人たちを見るたびに思う。
    (わかる、その気持ち……でも私はギリ回避した)
    ちょっとした優越感と、ほんの少しの共感を胸に、今日も歩いている。

    ■ 結論

    人はいつ、どこで「杖を持つか問題」に直面するかわからない。
    だがもしそのとき、あなたが私と同じように
    「見た目がちょっとなあ……」と悩むタイプなら、こう伝えたい。
    びっこは、普通にしんどい。
    以上である。

    世の中にはすごい人がいる


    先日、YouTubeを見ていて「これはすごいなあ」と思う人を見つけた。

    その人は毎日やることを細かく管理していて、なんとTODOリストが100項目以上あるという。そして、それを毎日欠かさず実行しているらしい。

    100項目である。

    私も人のことは言えない。毎日やることがそこそこ多いので、自分なりの「やることリスト」を印刷し、終わったらチェックを入れている。

    ところが世の中には誘惑が多い。

    本を読んでいると「これもやった方がいい」と思い、YouTubeを見れば「これも習慣にすると人生が変わる」と言われる。

    結果として、私のTODOリストは時々メンバー交代が行われる。

    まるでプロ野球の一軍登録抹消である。

    新しい習慣が期待の新人として昇格し、続かなかった習慣は静かに二軍へ落ちていく。

    しかし、そのYouTubeの人は違った。

    特に驚いたのが、

    「毎日本を1冊読む」
    「毎日映画を1本観る」

    という習慣だ。

    本なら、もしかすると特殊な速読術の達人なのかもしれない。

    ページをパラパラめくるだけで内容が頭に入るような、超能力に近い能力を持っているのだろう。

    しかし映画はどうだろう。

    映画は普通、2時間前後ある。

    もし毎日1本観るなら、それだけでかなりの時間を使う。

    もしかして4倍速だろうか。

    いや、8倍速かもしれない。

    だとすると主人公が何か悩み始めたと思ったら、次の瞬間には感動のラストを迎えている。

    恋愛映画なら、

    「君が好きだ」

    の0.3秒後には結婚式である。

    サスペンス映画なら、

    「犯人は……」

    まで聞こえた瞬間にエンドロールが流れる。

    それは本当に映画を観たことになるのだろうか。

    私には少々疑問である。

    映画の面白さはストーリーだけではない。

    静かな場面の空気感や、俳優の表情、絶妙な間合いも魅力のひとつだ。

    4倍速では、登場人物よりも視聴者のほうが忙しい。

    さらにその人は、毎日ダンスの練習もしているという。

    そして実際にその成果を披露してくれた。

    確かにダンスだった。

    間違いなく体は動いていた。

    しかし、私にはそのジャンルがまったく分からなかった。

    もしかすると最先端のダンスなのかもしれない。

    あるいは私が知らないだけで、世界的には有名なスタイルなのかもしれない。

    いずれにしても、私が真似をしたら「ダンス」ではなく「足元にハチが飛んできた人」になることだけは確信できた。

    世の中には本当にすごい人がいる。

    100以上のTODOをこなし、本を1冊読み、映画を1本観て、ダンスまで踊る。

    私など、TODOリストに書いたことを終えたあと、

    「今日はよく頑張った」

    と満足しながらお茶を飲んでいるうちに昼寝してしまう。

    それでもまあ、比べる相手は昨日の自分でいいのかもしれない。

    そう自分に言い聞かせながら、私は今日もTODOリストのチェック欄を一つ埋めるのであった。

    あなた誰でしたっけ?…いや、私も思い出せません


    先日、近所を歩いていたときのことです。
    向こうから、どこかで見たことがある顔の男性が歩いてきました。
    「絶対に知っている人だ」
    そう確信した私は、失礼にならない程度に……いや、たぶん少し失礼なくらい、その人の顔をじっと見ました。
    すると不思議なことに、その人も私の顔をじっと見ています。
    お互いの表情はまるで同じ。
    「誰だっけ?」
    「いや、どこで会ったっけ?」
    脳内の記憶検索エンジンが全力で動いているのが伝わってきます。
    会社の同僚か。
    小学校、中学校の同級生か。
    昔の取引先か。
    それともジムで時々みかける人か。
    候補だけは次々に出てくるのですが、肝心の答えが出てきません。
    そして二人の距離はどんどん縮まります。
    あと10メートル。
    あと5メートル。
    あと2メートル。
    「今ならまだ思い出せる!」
    そう願ったものの、結局お互いに答えが出ないまま、軽く会釈だけしてすれ違いました。
    通り過ぎたあとも振り返りたい気持ちを抑えながら歩き続けましたが、結局その日一日思い出せませんでした。
    もしかすると相手も同じだったかもしれません。
    家に帰ってから、
    「あっ!」
    と突然思い出せれば良かったのですが、それすらありません。
    年齢を重ねると、人の名前が出てこないことは増えます。
    しかし本当に困るのは、名前どころか『その人が誰なのか』まで出てこないことです。
    しかも相手も同じ症状だったらしい。
    あの日の私たちは、まるで故障した顔認証システム同士だったのです。
    もしこの記事を読んでいて、
    「あの日、あなたも私を見ながら必死に思い出そうとしていましたか?」
    と思い当たる方がいたら、ご連絡ください。
    私もまだ、あなたが誰だったのか思い出せていません。

    【時代遅れのビジネスシューズ】


    最近はソフトソールのビジネスシューズが主流のようだ。私も変形性膝関節症になってから、膝への衝撃を和らげるため、アシックスのソフトソールを履いている。
    ひと月ほど前の事だが玄関の下駄箱を整理していたら、以前履いていたハードソールのビジネスシューズが二足出てきた。ヒールもすり減っておらず、まだ新しい。捨てるには惜しく、また一方でこれを履いたら膝がまた痛くなるのではないかという危惧もあった。
    しかし勿体ないという気持ちが勝って、試しに通勤に履いてみた。翌日膝が痛くなったら、履くのをやめればいいと思った。結局、膝は痛くならなかった。今でも履いている。
    これを履いて気づいたのだが、男性で靴音を鳴らして歩いている人がいないのだ。コツコツと靴音を鳴らしているのは、女性ばかりだ。自分だけ、古臭く靴音を鳴らしながら、歩いているのが恥ずかしくなる。
    早くすり減って捨てても惜しくない状態になればいいと思いながら、履いている。二足を順番に履くと長持ちしてしまうので、毎日同じ靴を履いている。

    【セルフカット】


    10年以上、美容室にいっていない。
    以前は麹町の美容室に通っていた。その後、転職をしたことと、その美容室の担当の美容師が辞めてしまったことで、そのお店にはいかなくなった。
    〇〇ハウスが自宅のそばにできたので、そこにしばらく通ったりした。
    値段は安いのだが、自分の希望の髪型にならないことが分かったので
    そこもやめてしまった。
    どんな注文をしても必ず同じ髪型になった。しかもいつも短すぎる。
    短髪にしたい場合は、いいのかもしれない。
    そんなこともあり、Amazonで電動バリカンセットを買ってみた。
    髪の毛をとかすようにカットできるので、失敗しずかった。
    ただ、刃の部分に髪の毛がつまって、その手入れが面倒だと思った。
    そして今度は、はさみのセット(普通のはさみとすきばさみ)を買ってみた。これは刃の手入れも不要でざくざく切れた。自分の後ろは手の感触で長さを確認しながら、カットしていく。自分はすそがカールしているので、その処理が難しい。
    ちなみにカットをする場所はトイレである。カットした髪の毛の掃除が楽だからである。パンツ一丁になってカットする。終わると小さなほうきで髪の毛を集めて、ごみ袋に捨て、こまかい毛はハンディ掃除機で掃除する。
    問題は冬である。冬のトイレは寒いのだ。国の省エネ施策で二重窓にしてもらったが、やはり寒い。そこで速攻で温風がでるミニヒーターを買った。
    ミニだが、せまいトイレには十分でトイレはすぐに温かくなる。
    カットが終わるとすぐに浴室に直行し、洗髪をする。
    セルフカットのよいところは、無料であることはもちろんだが、
    自分の好みにカットできることだ、最初は後頭部のカットが難しかったが
    だんだんと慣れてきた。ただ、長めにしているから、雑なカットでも
    目立たないだけで、短く借り上げるのは無理だ。
    YouTubeでカット技法を調べてみたが、ボリュームを抑えるため縦にはさみを入れたりしている。でもその技はなかなか難しく、髪の先の部分をすきばさみでカットして良しとしている。
    小中学生の時代、私の兄弟たちは父にカットしてもらっていた。
    年頃の私はそれがすごく嫌だった。友達に「とーちゃんに切ってもらっている。貧乏ー。」と馬鹿にされるからだ。
    「床屋で切ったんだ」と嘘をついても、もみあげのカットの特徴で
    ”とーちゃん床屋” がバレてしまう。父が切ると必ずもみあげの形が三角になるのだ。
    それが私の孫たちは何のためらいもなく、娘にカットしてもらっている。
    むしろ美容室にいくように言われても、娘にカットしてもらいたがる。
    時代は変わったものだ。

    【未婚の友達】


    定期的に飲む社外の年の近い同性の友人が5、6人いる。その内の1人は結婚歴の無い独身である。彼は3年前から結婚したいと思い、結婚相談所で婚活を始めた。20年ほど前、親から勧められた相手がいたが、彼に全く結婚の意思はなく結婚は成立しなかった。

    それがどうして結婚したいと思い始めたのか訊いてみた。その理由はひとりで死んで行くのが寂しいと思うようになったそうだ。

    結婚相談所に入会してから3年になるが全く結婚できない。高望みをしなければ、相手は見つかるのではないかと思うが、どうしても欲が出て自分より10才ぐらい若い女性を選んでしまい、競争率が高く相手に選んでもらえなかった。
    それで女性の年齢を自分と同じくらいで希望を出して、時々、1回目のデートは出来るようになった。しかし2回目のデートは相手から断られて後が続かない。

    付き合いの長い私にはその理由が分かる。彼は口を開けて咀嚼するのでクチャクチャ音がするのだ。いわゆるクチャラーだ。私も彼と食事をすると、クチャクチャ音で毎回不快な気持ちになってしまう。それを指摘したのだが、長年の癖でどうしても治らないようだ。彼曰く、今まで誰からも指摘されなかったそうだ。

    そのため彼とはスナック程度の飲みにして、がっつりした食事は設定しないようにした。

    実は私も大学生の頃、クチャラーだったが、バイト仲間から指摘されて食べ方を修正した経緯がある。指摘された時は嫌な気持ちになったが、今はその友人に感謝している。「あの時、言いにくいことを教えてくれてありがとう」


     
     
    日々の生活で気になったことや、考えたことを発信していきたいと思っています。 少しでも皆さんの共感を得られたら嬉しいです。 どうぞよろしくお願い致します。

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