
紫陽花が教えてくれた『満ちる』
ハイドランジア。それは、「水の器」。
雨が降るたび、紫陽花は静かに水を受け取り、その土地の土壌に応じて色を変えていきます。
青にも、紫にも、桃色にも。
同じ花でありながら、その土地が違えば咲く色も違う。
私はその姿を見るたび、人もまた同じなのだと思います。
育ってきた環境。
出会ってきた人。
積み重ねてきた体験。
言葉にならない記憶。
それらが一人ひとり異なる「土壌」となり、その人だけの空気や佇まいを育てていく。
私はこれまで、個人セッションを通して、多くの方と向き合ってきました。
人と向き合うとき、私が感じ取るのは、言葉だけではありません。
その人を包む空気。漂う香り。浮かび上がる色彩。そして、その人が歩んできた時間の質感。
私には、それらすべてが、その人だけの「土壌」として感じられるのです。
私にとって紫陽花が特別な花なのは、この「土壌」という感覚を、何より美しく教えてくれる存在だからです。
そして、その紫陽花には、もう一つ忘れられない理由があります。
それは、母でした。
母は紫陽花が大好きでした。
二年前、年が明けて間もなく、母は桜を見ることなく旅立ちました。
その数か月後。
紫陽花が咲き始めた頃、私は不思議な出来事を体験することになります。
それは、私がオンラインでセッションの募集を始めて間もない頃のことでした。
初めてお会いするお客様との待ち合わせの日。
その方と向き合った瞬間、私は柔らかな温もりに包まれました。
どこか懐かしい空気。
ヨーロッパの風を思わせる香り。
さらにその奥には、イスタンブールを思わせる古い街並みが静かに浮かび上がってきました。
戦いの時代。多くの子どもたちへ教えを説く、一人のシスターの姿。
そんな情景が、静かに浮かび上がってきました。
私は、その情景を受け取りながら、お客様のお話を伺っていました。
(※この出来事の一部は、YouTubeのおしゃべり動画「亡き母との対話」でもお話ししています。)
ところが、お客様は私の顔を見るなり、最初の一言でこう仰いました。
「本当に大変だったね。よくここまで来たね。」
その言葉を聞いた瞬間、私の胸の奥で何かが動きました。
聞き覚えのある話し方。懐かしい響き。
。。。
母が亡くなり、家の片付けを終えた頃、私は悲しみの中にいながらも、不思議な安心感に包まれていました。
まるで、誰かがずっと右側に寄り添ってくれているような感覚。
「きっと母がいる。」
私は、そう感じていました。
目の前のお客様の言葉は、その時の感覚と不思議なほど重なっていたのです。
私たちは近くのお店へ入り、ゆっくりと向き合いました。
私は、お客様から伝わってくる先程の空間を更に数や色、香り、言霊の響として、一つひとつ確かめるように受け取り、情景としてお伝えしていました。
けれど、お客様はどこか別の場所へ意識が向いているようでした。
私が静かに「間」を置いたとき、
お客様は息せき切ったかのように、話し始めました。
「あなたの右側に、お母様がいらっしゃるのが分かる?」
私は迷わず答えました。
「はい。」
私は、お客様のセッションをしているはずでした。
けれど気づけば、お客様が私へ大切な言葉を届け始めてくださいました。
しばらくして、お客様はふっと笑いながら言いました。
「私、このセッションに申し込んだか、わかったわ。あなたに会いに来たのね。お母様に呼ばれたのよ。」
その方は以前から私のYouTubeをご覧くださっていました。
募集が始まった瞬間、気づけば申し込みを終えていたそうです。
しかも、方向音痴で目的地へ真っ直ぐ着くことがほとんどないというその方が、その日だけは迷うことなく待ち合わせ場所へ辿り着いていたと。
道に迷いそうになるたび、目の前に印象深い人物が現れ、その後ろ姿を追うように歩いていた、と仰いました。
私は、その話を聞きながら思いました。
人は皆、それぞれ異なる土壌を持っています。
そこには、その人だけの人生があり、積み重ねた時間があり、言葉にならない記憶があります。
そして時に、その土壌は、自分一人だけで育まれるものではなく、誰かとのつながりや、受け取った想いによって、静かに育てられていくものなのかもしれません。
そのことを、私は母とのある会話を通して、後に知ることになります。
そこには、生前の母と交わした、ある約束にも似た会話がありました。
第二章 小さな蕾が寄り添う、家族の情景(土壌を育てる人)
紫陽花の小さな花びらのように見えるものは、花を支える「ガク」
一つひとつは小さくても、寄り添い合うことで、大きなひとつの花となる。
その姿は、「家族団欒」という花言葉があります。
私にとって家族とは、人生で最初に出会う「土壌」。
母が亡くなる三年前、父がこの世を去りました。
我が家は商売を営み、父と母は仕事も暮らしも、いつも二人三脚でした。
父は食卓でよく笑いながら言っていました。
「この味は、お母さんと二人で作ってきた味なんだ。試行錯誤してな。」
喧嘩をすることもありました。
それでも二人は、人生という時間を共に耕し続けてきた夫婦でした。
父の闘病中、母もまた病を抱えながら懸命に父を支え続けました。
だから父を見送った母の悲しみは、体の一部を失ったような深い苦しみに見えました。
私は毎週のように連絡をし、母を訪ね、二人でいろいろな話をしました。
そのとき母と交わした、忘れられない会話があります。
「お父さんと何か合図を決めておけばよかったね。」
私は答えました。
「お父さんが好きだったものや、よく口にしていた言葉。きっと、お父さんらしい合図は現れるよ。」
そんな私も、第一章で出会ったお客様との出来事を通して、ようやく気づくことになります。
紫陽花の色は、土が育てる。
人の人生もまた、その人だけの土壌が育てているのだということを。
父は晩年、病気で足が不自由になり、車椅子で生活していました。
それでも毎年、母の日になると、母のために紫陽花を買いに行っていました。
車椅子を押しながら選んだ一鉢の紫陽花。
それを受け取る母の嬉しそうな笑顔を、私は今でも鮮明に覚えています。
私にも、父との忘れられない時間があります。
父が病気を宣告された頃、母も倒れ、私は一人暮らしをやめて実家へ戻りました。
仕事へ通いながら、休日には父の仕事を手伝う日々。
ある夏の日、取引先への挨拶回りを任された私は、父の後ろを歩いていました。
照りつける太陽の下、汗を流しながら、それでも真っ直ぐ前へ進む父。
私はその背中を見つめながら、心の中で思いました。
「何とか、この背中に応えたい。」
しかし父が教えてくれたのは、答えではありませんでした。
生き方でした。
「行動する前から悩むな。まずは体験しなさい。
悩むのは、そのあとだ。
分析して、検証して、また進めばいい。
その奥にあるものがお前自身になる。」
私は今も、この言葉を胸に人と向き合っています。
一人ひとりが歩んできた体験は、その人だけの人生を育てる土壌です。
だから私は、誰かの答えを伝えたいのではありません。
その人自身の体験を通して、自分だけの答えを見つけてほしい。
父から受け取ったこの教えは、現実と向き合うことに戸惑っていた私を支え、今もなお、私という土壌を育て続けています。
第三章 雨を吸い上げ、色づき始める命(満ちるということ)
紫陽花の名は、藍い花が集まる「集真藍(あづさあい)」、あるいはギリシャ語で「水の器」が由来とも言われています。
乾いた大地から、根いっぱいに水を吸い上げる。
その水が器に満ちたとき、紫陽花は初めて鮮やかな花を咲かせます。
私は、「満ちる」という言葉を思うたび、父と母の最期を思い出します。
二人とも旅立つ前は、何も食べられない絶食状態でした。
肉体は、限りなく「空(から)」に近づいていました。
けれど、その最後の瞬間だけは違いました。
父は真っ白なご飯が大好きでした。
闘病中はお粥しか食べられず、「毎日、真っ白なご飯が食べたい」と話していたそうです。
父との別れの日
私は、
いつものように仕事へ向かいました。
その日に限って携帯電話をロッカーへ入れたまま仕事をしていました。
昼休みに画面を見ると、病院と姉から何件もの着信。
その瞬間、時が止まりました。
体から感覚が抜け落ち、意識だけが父のもとへ向かっていくようでした。
姉へ電話をかけると、
「やっと繋がった。お父さん、亡くなったよ。早く来て。」
涙声が耳に響きました。
後に担当医や看護師さんから聞いた話では、父は最期まで何度も私の名前を呼び、「まだか、まだか」と待っていてくれたそうです。
その話を聞いた私は、父に会えなかったことが大きな心残りとなりました。
社長へ状況を伝え、会社を飛び出そうとした私に、社長は静かに言いました。
「少し待ちなさい。」
社長は作業場へ向かうと、白い大輪の百合を一本、また一本と選び、手際よく丁寧に生け始めました。
溢れるほどの真っ白な大輪の百合の花束。それは、父の旅立ちを見送る枕花でした。
「これを、お父様のそばに。」
と持たせてくださいました。
奥様も「どうか心をしっかり持って、一時も早くお父様のもとへ」と送り出してくださいました。
その温かさに支えられながら、夫とともに父のもとへ向かいました。
ひとさじのお粥
父のもとへ着くと、
姉が看護師さんから聞いた父の最期の様子を、静かに話してくれました。
父は、自分の最期を分かっていたのでしょう。
絶食が続く中、「ご飯が食べたい」と看護師さんへ伝えたそうです。
「今食べると……」
そう言われても、父は穏やかにうなずいたそうです。
口へ運ばれた、ひとさじのお粥。
乾ききった体へ、その一口が静かに染み渡り、
父の目から、一粒の涙がこぼれ
「うめーなぁ……。」
その一言には、生きることへの感謝がすべて込められているようでした。
そして父は、最後まで寄り添ってくださった先生や看護師さんへ、
「今まで本当にありがとう。」
そう感謝を伝え、静かに旅立っていったそうです。
看護師さんは、
父の最期の姿に深く心を動かされたと、涙ながらに話してくださいました。
私は、
面会のできない日々も、父が故郷の歌を歌っていると聞けば故郷の絵を描いて届けるなど、できる限り父とのつながりを持ち続けました。
離れていても、人は想いを届けることができる。
父は最期に、そのことまで教えてくれたように思います。
三年後
母もまた、同じように旅立ちの日を迎えました。
お茶が大好きだった母は、誤嚥を防ぐため、とろみのついたお茶を飲んでいました。
けれどある日、
「普通のお茶が飲みたいの。」
と看護師さんへお願いしたそうです。
「ダメですよ。」
そう言われながらも、一口だけ、気づかれない所で、さらさらの緑茶を口にしたそうです。
案の定、激しく咳き込みます。
看護師さんは、
「あら!だから言ったでしょう。」と。
すると母は、いたずらっぽく笑って答えたそうです。
「お茶はこうでなくっちゃ。美味しくないわよね。」
その笑顔のまま、
「今までありがとう。」
そう感謝を伝え、翌朝、静かに旅立ちました。
父も母も、最後に口にしたのは、一番好きだったもの。
そして最後に残した言葉は、
「ありがとう。」
私は今も思います。
命が満ちるとは、多くを持つことだけでは測れない。
人生の最後に、「美味しい」と感じられる感覚。
そして、その喜びを「ありがとう」という言葉にして、大切な人へ手渡せること。
それが、人の心が静かに満ちる瞬間なのではないでしょうか。
第四章 七変化のサイン
咲き進むにつれて、青から紫へ、紫から桃色へ。
姿を変えながらも、同じ根から咲き続ける紫陽花は、「七変化」とも呼ばれます。
父と母もまた、姿を変えながら、私たちへ合図を送り続けてくれていました。
ある先生は、私の話を聞いてこう仰いました。
「最後にお二人とも『ありがとう』と言えたんだね。
人生が満ちるということを、その身をもって教えてくださったんだね。」
その言葉は、私の胸に静かに落ちていきました。
父と母の棺には、たくさんの紫陽花を納めました。
二人は、本当に穏やかな表情をしていました。
火葬場で私は2人に、
「ありがとうございました。」と伝え、
深く頭を下げました。
父と母の合図
父のお葬式が終わった後、
夫と、父を偲びながら飲みに出かけました。
けれど、いつもの店なのに、なぜか落ち着きません。
導かれるように入った初めてのお店。
緑茶ハイを注文し、父への心残りを夫へ打ち明けた、その時でした。
運ばれてきたグラスを見た夫の手が止まりました。
「お前の親父さんから、メッセージが来てるぞ。」
グラスには、
『我が生涯に一片の悔い無し』
その文字が刻まれていました。
それは、生前父がお酒を飲むたび笑いながら口にしていた言葉でした。
私と夫は笑いながら涙が止まりませんでした。
父はきっと、
「俺の人生は満ちていた。
だから、お前はお前の人生を生きろ。」
そう伝えてくれたのだと思います。
父への心残りとして抱えていた想いは、この合図によって、静かにほどけていきました。
母もまた、時を超えてサインを届けてくれました。
今年、紫陽花が咲く少し前。
あるお客様から贈り物をいただきました。
箱を受け取った瞬間、私は中身が視えました。
「母だ。」そう感じました。
箱の中には、かつて私と夫からのプレゼントを、母の形見として妹へ託したものと、形は違えど同じ品物が入っていました。
母は、今も変わらず見守ってくれている。
そう思うと、また涙が溢れました。
最終章 そして今ここ。『満ちる』
紫陽花の季節が過ぎても、季節はまた巡ってきます。
父も母も、姿は見えなくなりました。
けれど二人は、今も私の中で息づいています。
迷ったときも、立ち止まったときも、答えはいつも目の前の「体験」の中にありました。
私にとって「満ちる」とは、体験を重ねることです。
父が遺してくれた言葉。
「体験して、分析して、検証して、また歩き出せばいい。
その奥にあるものがお前自身になる。」
この言葉は、今も私の生き方の土台になっています。
生きていれば、誰もが迷います。
未来への不安に立ち止まる日もあります。
そんなとき私は、不安を無理に消そうとはしません。
少しだけ横に置き、小さな一歩を試してみます。
その一歩もまた、新しい体験になるからです。
嬉しかったことも。
悲しかったことも。
失ったことも。
出会えたことも。
過去も未来も抱きしめながら、「今ここ」を生きる。
その歩みの中で、心は少しずつ満ちていくのだと思います。
紫陽花は、その日その日を受け止めながら、少しずつ色を深めていきます。
人もまた、人生という季節の中で、自分だけの色を咲かせていくのでしょう。
私はこれからも、自分の体験を大切にしながら、私の信じる道を歩み続けます。
――あなたにとって、「満ちる」とは、どのような瞬間でしょうか。
エピローグ
紫陽花は、雨を選びません。
晴れの日も、雨の日も、そのすべてを受け取り、自分だけの色を咲かせます。
人もまた、同じなのだと思います。
喜びも、悲しみも、出会いも、別れも。
人生に降るすべての出来事は、いつか自分だけの土壌となり、その奥にある「満ちる」を器と同時に少しずつ育ててくれる。
父が遺した、
「その奥にあるものがお前自身になる。」
という言葉の意味を、私はこれからも体験の中で確かめ続けていきたいと思います。
紫陽花が教えてくれた「満ちる」は、これからも私という器に、静かに水を注ぎ続けてくれるのだと思います。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
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