
祖母との思い出。
もうすぐお盆ですね。
今日は、20年近く前に亡くなった祖母との思い出を、少し綴ってみようと思います。
祖母は私が生まれたときから、ずっと一緒に暮らしていました。
父、母、兄、妹、私、そして祖母の六人家族。にぎやかな毎日でした。
祖母は決して厳しい人ではありませんでしたが、やはり昔の人らしく、「今では昔の考え」と言われるような価値観を持っていたところもありました。
私はもともと左利きだったのですが、「女の子が左手でお箸を持つのは格好悪い」という祖母のひと言で、お箸と鉛筆は右手で持つように矯正されました。
右手でお醤油の瓶を持とうとして、よくひっくり返してしまったことを覚えています。
当時は「どうしてうまく持てないんだろう?」と不思議に思っていましたが、今思えば、利き手でない方では力加減が難しかったのですね。
やがて右手でお箸を持つことや文字を書くことには慣れましたが、やはり本来の利き手は左。
今でも消しゴムは左手で使いますし、細かい作業も左のほうが得意です。
最近になって「クロスドミナンス(交差利き)」という言葉を知りました。
左右どちらも使い分けられるのって、ちょっとかっこいいですよね(笑)
高校生のときに右手の小指を骨折したことがありました。
そのときも左手が使えたおかげで、字を書くのには多少困ったものの、日常生活は案外なんとかなりました。
思えば、祖母による矯正も結果的には私の人生の役に立っていて、今では感謝すべきことなのかもしれません。
祖母が好きだった私は、中学生になる頃まで一緒の部屋で寝ていました。
祖母は日本舞踊を習っていて、私も中学に上がるまでは一緒にお稽古に通っていました。
祖母の好きなテレビ番組は、巨人の野球中継と時代劇。
私は野球にはあまり興味がありませんでしたが、時代劇は好きで、よく一緒に見ていました。
あまりに祖母と一緒に過ごしていたせいか、私の言葉やしぐさが祖母に似ていたようで…
中学生のときには、男子から「ばあちゃん」とあだ名をつけられたこともありました(笑)
祖父は私が生まれる前に亡くなっていて、祖母は一人で小さなお店を切り盛りしていました。
呉服の反物を売るお店で、いつも着物姿。
ある日、高校の友人が祖母のことを「呉服屋の女主人だね」と言ったことが、なんだかとても誇らしかったのを覚えています。
祖母は若い頃に手術を受けていて、お腹には大きな傷がありました。
そのため子どもを持つことができず、母は祖母の養女です。
ですから、私と祖母には血のつながりはありません。
でも、私にとって祖母は「生まれたときからそばにいた、たった一人のおばあちゃん」。
血のつながりについて特に考えたことはありませんでした。
私に最初の子どもが生まれたとき、祖母が抱っこしてくれたことがあります。
娘はむちむちだったので、祖母の腕がぷるぷる震えていたこと、今でも懐かしく思い出します。
私は遠方に嫁いだため、祖母が体調を崩して入院し、そのままこの世を去るまで、お見舞いに行くことがかないませんでした。
成人してからは、祖母と話す時間もだんだんと減っていました。
もっとたくさん話しておけばよかった。もっと優しくしてあげられたかもしれない。
ふと、そんな思いが胸に浮かぶこともあります。
ときどき、夢に祖母が出てきます。
夢の中の祖母は、在りし日のまま、穏やかな笑顔の祖母です。
祖母と過ごした日々は、私の中でずっと色褪せない宝物です。
おばあちゃん、ありがとう。