『世界一周ドライブ旅行記』第18話 写真の外で、息をする
二十時間、バスに乗った。
サンティアゴから、チリ北部のカラマへ向かった。
これだけ長ければ、さすがに尻が痛くなるだろうと思っていた。『水曜どうでしょう』のような旅を、少し想像していた。
プレミアムシートは、快適だった。
よく眠れた。
これなら、長距離バスも悪くない。
そう思ったことは、あとで覚えておかなければならなかった。
*
📍カラマ🇨🇱
カラマでは、レンタカーを予約していた。
町の中の営業所で借りるはずだったが、行くと空港へ向かうように言われた。タクシーで移動し、ようやく車を受け取った。
赤いハイラックスだった。
緊急車両のように見えた。
これから砂漠を走ると思うと、頭の中にはカナダの映画館で観た『マッドマックス』があった。あの映画の車とはだいぶ違ったが、こちらもまたトヨタだった。
ディーゼルのマニュアル車を運転し、サンペドロ・デ・アタカマへ向かった。
プラドを船に預けたあとの旅で、すでに二台目のレンタカーだった。
*
📍サンペドロ・デ・アタカマ🇨🇱
月の谷へ行った。
名前をつけた人も、同じように感じたのだろうと思った。
見慣れた町の形がなかった。地面と岩の形が、そのまま景色になっていた。
ここを車で走れる。
それだけで、楽しかった。
だが、妻の体調はよくなかった。
標高の高い土地へ来たことが、体にこたえていた。僕も以前、富士山に登ったときにつらい思いをしたことがあったが、いま苦しいのは彼女だった。
目の前の景色に気持ちが向いていても、同じ車の中にいる二人の体は、同じようには動かなかった。
翌日は、少し具合が戻ってきた。
ミスカンティ湖へ向かった。
*
青かった。
湖が見えたとき、まず、その色が目に入った。
写真を加工してつくるような青が、目の前にあった。
高い山の中に、水があった。
近くまでは行けなかったが、離れたところからでも、その色はよく分かった。遠くにビクーニャもいた。細い脚の動物たちがいることで、風景の大きさが少しつかめた。
グアテマラでは、美しい湖だと聞いて訪ね、摩周湖のほうが好きかもしれないと思った。
ここでは、これまで見た湖の中で、一番きれいかもしれないと思った。
順位は、旅の途中で変わるらしかった。
次のチャクサ湖では、沢山のフラミンゴを見た。
セハス湖にも寄ったが、そこで今度は、入場料に驚いた。
それまでの場所より、ずっと高かった。
泳げたり、シャワーが使えたりするらしかったが、僕たちは写真を撮りたかった。景色を見に来たのに、帰りには料金のことを考えていた。
よかったところだけで、一日が終わるわけではなかった。
*
夜、星を見に行った。
宿の受付で場所を教えてもらい、車で出かけた。途中、川を二本横切った。
空を見上げると、流れ星が見えた。
そのあとも、一時間ほどの間に、五つか六つ見た。
妻は、一つも見られなかった。
同じ場所で、同じ空を見ているのに、そういうことがある。
月明かりはあった。それでも、星はたくさんあった。
カメラを向けた。
三脚が、なかった。
プラドの中へ入れたまま、預けてしまっていた。
*
三脚がないから、いい写真は難しいだろう。
そう思っていた。
撮った写真を確かめると、それ以前の問題があった。
ピントが合っていなかった。
自分で合わせる設定に切り替え、遠くへ合わせたつもりだった。だが、つもりだっただけで、星がぼけていた。
妻の写真は、きれいに撮れていた。
流れ星をたくさん見たのは僕で、星空をちゃんと持ち帰ったのは彼女だった。
カメラの仕事を手伝っていたこともある。レンズにも、それなりにお金をかけている。
そういう経歴や道具は、この夜のピントを合わせてはくれなかった。
チカ隊員の写真に、助けられた。
*
📍カラマ🇨🇱
アタカマからカラマへ戻った日に、いい知らせが来た。
プラドを載せた船が、ニカラグアを出たという。
一月の初めには、エクアドルで受け取れる見込みだった。
当初聞いていた、中旬から下旬より早かった。
いま、車も動いている。
そう分かると、僕たちだけが先へ来てしまったような感じが、少し薄れた。
次は、ウユニへ行くことにした。
今度も、バスだった。
*
ターミナルには、日用品などを抱えた人たちがいた。
こちらは塩湖を見に行く。周りの人たちは、買い物を終えて帰るように見えた。同じバスに乗っても、持っている荷物も、行く理由も違っていた。
出発は、予定より遅れた。
今回は、普通の座席だった。
二十時間のバスでよく眠れたからといって、十時間ならさらに楽という計算にはならなかった。
国境に近づくと、舗装されていない道へ入った。
最後部の席で、体が跳ねた。
眠っていても、道の状態が分かった。
チリ側の国境に着いても、すぐには降りられなかった。書類のやり取りが続いた。
トイレへ行きたかった。
この旅では、何度もそう思っていた。
自分で運転していれば、場所を見つけて止められる。バスでは、見つけても自分の都合だけでは止まれない。
ようやく降り、トイレを済ませ、出国の手続きをした。
国境では、別のバスへ乗り換えた。
その間に、サングラスを落とし、壊してしまった。
*
九か国目、ボリビアへ入った。
道は、引き続き揺れた。
アタカマでは、景色を見て『マッドマックス』だと思っていた。今度は、座席で跳ねながら、別の意味でその題名を思い出していた。
それでも、窓の外を見ると、景色はよかった。
動物の姿が見えた。
ウユニへ近づくと、左側に、蜃気楼のようなものが広がった。
あれが、塩湖なのか。
ずっと写真で見てきた場所が、バスの窓の向こうにあった。
*
📍ウユニ🇧🇴
町へ着いた夜、僕も具合が悪くなった。
頭が痛く、吐き気がし、手足がしびれた。
ウユニは、富士山の頂上くらい、標高の高い場所にある町だった。山に登っているわけではないのに、町にいるだけで、体がついてこなかった。
妻だけでなく、僕もダウンした。
翌朝、少しよくなってから、メールを開いた。
銀行から、何通も来ていた。
暗証番号の入力を間違えたという通知だった。
七件あった。
*
カードの情報を盗まれたのかと思った。
銀行へ電話した。
分かったのは、僕がATMからお金を下ろした際にカードを取り忘れていた、ということだった。
誰かが拾い、使おうとしていたらしかった。
知らない町で巧妙な手口に遭ったと思ったら、最初に失敗していたのは自分だった。
すぐにカードを止めてもらった。
被害を広げずに済んだが、そのカードで現金を下ろすことも、できなくなった。
世界一周の途中だった。
まだ先は長かった。
手元には、テープで補修したサングラスがあった。
絶景を見に来た最初の一日は、ずいぶん格好のつかないものになった。
*
ウユニ塩湖へは、ツアーで行った。
自分の車で走って入ったのではなかった。
体調も、すっかり元どおりというわけではなかった。乗せてもらった車を降りると、乾燥した空気が気になり、ドアに触れて静電気が走ることもあった。
そこに、広く白と青の景色があった。
写真の中では、一面が白かったり、空が足元まで映っていたりする。
実際に来てみると、場所によって見え方が違った。
十二月のそのとき、水が張っていたのは、見渡す範囲の一部だった。人が集まっていた。風が吹けば、水面が揺れた。
どこに立っても、あの鏡のような一枚になるわけではなかった。
僕たちも、その一枚が撮れる場所と時間を探す側にいた。
*
ドライバーが、トリック写真を撮ってくれた。
近くの物と遠くの人を組み合わせ、実際とは違う大きさに見せる写真だった。
使うのは、iPhoneだった。
いいカメラを持ってきたが、この撮影では出番がなかった。慣れた道具を使う人のほうが、手早く、狙った写真をつくっていく。
僕たちは、指示された場所に立った。
画面の中で、体の大きさが変わった。
現実の僕たちは、薄い空気の中にいた。写真では楽しそうでも、撮っている間の息苦しさまでは写らなかった。
それでも、できた写真を見るのは面白かった。
写っていることが全部ではないと知ったうえで、写真を楽しんでいた。
*
ウユニには六泊した。
塩湖のツアーには、三回行った。
一度行けば十分だと思える場所ではなかった。天気が変わり、時間が変わり、連れていってくれる人によっても違った。
いいドライバーに当たると、チップもはずんだ。
一方で、町では細かな不便が続いた。
ネットが遅く、つなぎたいときにつながらなかった。
トイレでは、紙を流せず、水を自分でくんで流すところもあった。料金を払っても、便座があるとは限らなかった。
ニカラグアでは、家のトイレを一度流すために、水を集めた。ここでは、絶景を見る途中でも、水のことを考えていた。
炭酸飲料を開けたときには、中身が噴き出した。
カメラが、コーラまみれになった。
ピントを外した次は、コーラだった。
*
食事は、ピザが多くなった。
ホテルで薦められた店もピザの店だったし、知り合った旅行者と食べに行ったときもピザだった。
同じように、世界一周の新婚旅行をしている日本人の夫婦にも会った。
遠くまで来たつもりでも、似た旅をしている人がいた。
僕たちは、車を待ちながら回っていた。ほかの人には、ほかの人の道順があった。
塩湖の写真だけを並べれば、同じ旅に見えるかもしれない。その前後には、違う移動があり、宿があり、こうしてピザを食べる時間があった。
*
ウユニは、素晴らしい場所だった。
だが、いちばんよかった場所を聞かれたら、すぐにここだと答えるかどうかは、分からなかった。
体調も悪かった。思いどおりの水面ばかりでもなかった。来る前に写真を見すぎて、自分の中で期待を大きくしていたところもあった。
それでも、もう来なくていいとは思わなかった。
プラドが戻ったら、自分の車で、もう一度来てみたい。
同じ場所を、自分で走れば、また違う感じがするのではないか。
三回のツアーを終えて、そんなことを考えていた。
*
ウユニを離れ、ラパスを経由して、ペルーのクスコへ向かった。
十か国目だった。
📍クスコ🇵🇪
次に見たかったのは、マチュピチュだった。
ここでも、朝が早かった。
出発は、午前四時だった。
車で駅へ行き、列車に乗った。列車には指定された席があり、飲み物や軽食のサービスもあった。
ウユニへ向かったバスとは、違った。
町に着くと、川の音があり、坂道に店が並んでいた。
鬼怒川温泉みたいだと思った。
天空の都市へ向かっているのに、ふもとで思い出したのは、日本の温泉街だった。
そこから、さらにバスへ乗った。
山を上っていった。
*
乗り換えるたびに、料金のことが頭をよぎった。
列車、バス、遺跡の入場。
ここへ来るには、いくつもの仕組みを通ることになる。ウユニのツアーと比べると、同じ観光でも、払う金額はずいぶん違った。
会社を経営していたせいなのか、つい、何人来て、一人いくら払うのだろうと考えてしまう。
景色を見る前に、計算している自分がいた。
だが、たどり着いて、遺跡を目の前にすると、来たいと思う人が多い理由は分かった。
山の中に、石でつくられた町があった。
ふもとからここまで上がってきたばかりだった。その道のりを体で知ったあとで見ると、どうしてここへ、という思いが強くなった。
ガイドの説明を聞きながら歩いた。
かつて、ここを使っていた人がいた。
いまは、僕たちのような人間が、遠い国からやって来て歩いている。
*
イースター島で、妻が話したことを思い出した。
モアイや大きな遺跡は、もともと、その人や集団の力を示したいという欲求からできたものなのではないか。そういう欲望の跡が、後の時代には世界遺産として残っているのではないか、と。
すべての遺跡を、その一つの考えで説明できるわけではないだろう。
それでも、目の前の石を眺めるとき、誰が造ったのかに加えて、何のために造りたかったのかが気になった。
僕は旅先で、よく値段に文句を言った。
高いと思いながら、自分も、そこへ行きたくて払っていた。
遠い昔につくられた場所が、列車を走らせ、店を開かせ、僕たちを朝四時に起こしている。
遺跡の中だけでなく、その周りにも、たくさんの人の暮らしがあった。
*
帰ったのは、夜十時だった。
十八時間の一日だった。
写真には、山と石の町が残った。
その前には早起きがあり、車と列車とバスの乗り継ぎがあった。帰りにも、それだけの時間がかかった。
アタカマの星には、僕のピンぼけがあった。
ウユニの鏡のような景色には、頭痛や、失くしたカードや、テープでつないだサングラスがあった。
それを全部入れたら、一枚の写真にはならなかった。
妻の撮った星空も、塩湖で二人を撮ってもらった写真も、ここで眺めた石の町も、持って帰りたかった。
写真の外側にあることは、二人で覚えていればよかった。
プラドは、まだ戻っていなかった。
エクアドルで受け取ったら、また、自分たちのペースで走る。
その日を、前より楽しみにしていた。

