愛について思う幾つかの事
「目の裏側でミルクこぼれて
流れ出したんだ、愛という憎悪」
TMGE/スモーキンビリー
ここ5年ほど、自分は愛着障害なのではないかと思うようになった。カテゴライズしたところで何かが変わるわけではない。名前がついたところで過去が書き換わるわけでもないのだが、何かしら気持ちの整理くらいは着くかもしれない。決して幼少期に虐待を受けていたわけではない。少なくとも、記憶している限り、肉体的なものには思い当たらない。
母はいわゆる教育ママで、子供を支配するタイプの人だったように思う。自分の想定外のことが起こると、周囲にヒステリックに当たり散らした。そうやって無理矢理に物事を自分の思い通りにしていった。母の機嫌が悪くなると、家の中から音が消えた。誰かが何かを言えば、それが次の火種になる。だから皆、母の顔色を窺い、余計なことを言わず、息を潜めて日々の平穏を保とうとしていた。
母は世間体というものを何よりも大切にする人だった。家庭内では暴君であったのに、対外的には良妻賢母を演じていた。母にとっては子供は一つのステータスで、自らを着飾るための装飾品の一つだったのかもしれない。
しかしながら、困ったことに私はそんな母のことが大好きだった。母に喜んでもらうことが私にとっての至上命題だった。勉強、習い事、母のお眼鏡に適う友人と付き合う、母が望む人間になることがおそらくはその頃の私の生活の全てだった。
幼稚園に入る前から勉強漬けだった。年少で九九を暗唱し、年長で三単現のsを理解した。幼稚園の卒園文集の将来の夢には自然科学者と漢字で書いた。母は大いに喜んだ。神童だと担ぎ上げられた。私はそんな母を見てただただひたすらに得意になっていた。
歯車が狂い始めたのは小学校高学年になり、中学受験専門塾に通い始めた頃だった。入塾テストの結果が飛び抜けており、灘、洛南、東大寺も目指せる逸材だと言われたことで母は豹変した。そもそも西の御三家は、当時の家から通える距離でないにも関わらず、合格したら家族で引っ越すとまで言い出した。勉強時間も内容も、食事も、生活のすべてを管理された。食事にはDHAが頭に良いという理由で毎回魚の目玉。食後にはストレス軽減のための高麗人参茶。ゲームは叩き壊され、初恋の相手との交換日記やラブレターは燃やされた。最近になって知ったことだが、当時母は私の友人の家を訪ね回り、
「うちの子はあなたたちなんかとは次元が違う。二度とうちの子と遊ばないでちょうだい。」とまで言っていたらしい。
私は限界だった。塾の時間になると家を飛び出し、一切の勉強をしなくなった。母が包丁を取り出し、
「受験しないのなら、お前を刺して私も死ぬ。」と迫ってきても、私は頑なに拒否した。初めて、母の望む良い子であることをやめた。母は壊れ、毎日呪詛のように失敗作と呟き続けていた。
それでも私は困ったことに(そしてこのことが問題の根幹なのだが)、母を嫌悪することができなかった。憎しみは何度もあった。けれど最後に行き着くのはいつも、悪いのは自分だという結論だった。言うことを聞かなかった自分が悪い。母を怒らせた自分が悪い。母を壊したのは自分だ。だから私は、今でもあれを虐待だったとは思えない。思えていない。
おそらくその経験の影響で、私は、恋愛においても、必要とされることと愛されることと取り違え続けた。傷ついている人。一人では立っていられない人。何かしら心に闇を抱えそれを私に預けてくる人。そういう相手に惹かれた。自分がいなければこの人は駄目なのだと思えたとき、安心できた。役に立っている、必要とされている。私がいなければ、この人は生きていかれない。そう思うと自分の存在意義を感じた。私には、対等な恋愛よりも、互いに何かを埋め合わせるような関係の方が分かりやすいのかもしれない。相手を救い、相手に救われる。傷を舐め合い、互いの欠落を埋める。そうしている間だけ、自分がここにいていいような気がする。母を喜ばせることで自分の価値を確かめたのと同様に、共依存で自分の価値を確かめた。母の望む人間になることで、愛される資格を得ようとした。恋人にとって必要不可欠な存在になることで、捨てられない理由を作ろうとした。形が違うだけで大元の基盤にあるものは同じだ。
だからだろう、私は愛を受け取ることも苦手だ。返礼を返報を考えてしまう。好意そのものよりも、その先の条件を探してしまう。私は何をすれば、この人の愛に値するのだろう。どのように応えればよいのだろう。どこで失望されるのだろう。私は愛の受容の仕方が分からないままだ。
私にとって愛はいつも何かと引き換えだった。良い子でいれば喜んでもらえ、役に立てば必要とされ、期待に応えれば、捨てられない。そんな愛しか知らない。私は誰かを愛しているときでさえ時々分からなくなった。相手を愛しているのか。それとも、相手に必要とされている自分を愛しているのか。相手のために尽くしたいのか。それとも、尽くすことで自分の居場所を確保したいだけなのか。誰かを救いたいのか。それとも、自分が救われたいだけなのか。その境界が、私には分からない。
愛着障害という言葉を知ったとき、これまでのことが少し説明できるような気がした。共依存という言葉を知ったときも同じだった。名前がつけば、自分がなぜこうなのか理解できるような気がした。けれど、名前をつけたところで、母を愛していたという事実は消えない。母に傷つけられたという事実も消えない。その両方を抱えたまま、私は今も愛について考えている。考えているうちに、いつの間にか問いは愛から自分自身の価値へと戻ってくる。私は愛される価値があるのか。誰かにとって必要な存在か。むしろ、自分が何を求めているのかが分からなくなる。愛を知りたいのか。愛されたいのか。必要とされたいのか。ただ、見捨てられたくないのか。それすらもう、うまく切り分けることができない。抜け出したいと思っているのかどうかも分からない。分からないまま、誰かを求める。結局のところ、愛を理解したいのではなく、愛というものが分からない自分を、どうにか理解したいだけなのかもしれない。
今現在、母は私の言葉だけが聴き取れないという状況になってしまった。いずれ来る介護の問題を思うと辟易する他ない。母がいつか他界したとき私は喜ぶだろうか。悲嘆に暮れるのだろうか。その時になってみないと分からない。
母について、愛について、その受容について、また、私自身について、私は考える。ただただ私は孤独が怖い。切り捨てられることが見放されることが怖い(その背景にはまた別の過去も大いに関係はしているのだが)
考えるたび、私は少しずつ沈んでいく。底があるのかどうかも分からない場所へ、抜け出すことは叶わない場所へ。今日も。
