
言葉が新しい出会いをくれる
自分は一人しかいないのだろうか。
家で一人きりのとき、ふとその疑問が浮かんだ。実体のある私はここでソファに寝転んでいる私だけ。だから、私は私以外いないはず。でも、一人でいる時には、私はずっと独り言を呟いて、「うんうん、そうだよね。」なんて言って会話をしている。実体があるのは私だけ、ただ一人なんだから、自分は一人しかいないのだと言われればそうなのかもしれない。でも、自分は一人しかいないなんてそんなの寂しすぎる気がした。そんなことを悶々と考えていたときに、私が中学生だったときのあの記憶が蘇ってきた。
その日はテスト返しが行われていた。テストの点数に一喜一憂していると採点ミスを発見した。指摘すれば五点近く点数が下がってしまう。点数が下がるのは嫌だった。でも、私は嘘をつくことが苦手だった。今思うと嘘というほどのものではないのに、不思議なくらいにそのままにしておくことが怖かった。迷いながらも、私は採点ミスのある答案用紙を先生に提出した。その先生は私の答案用紙を受け取ると、「本当にバカ真面目だね。別にいいけど、あんまり正直だといつか損するよ。」と言った。私だって、嘘をつけない、律儀すぎるこの性格は大嫌いだ。言われなくたってわかっている。悲しい気持ちになりながら、他の教科の答案用紙を受け取ると、その教科でも点数の下がる採点ミスを見つけてしまった。懲りずに答案用紙を先生の元へ持っていくと、「本当に誠実な人だね。その誠実さは必ずどこかで誰かが見ているし、あなたが困ったときに助けてくれるよ。」と言った。私は同じことをしただけなのに、こんなにも表現が人によって違うのだ。不思議な話である。
言葉というものはプレゼントである。私は二人の先生から「バカ真面目」と「誠実」という二つの言葉をプレゼントしてもらったのだ。この言葉のプレゼントを使うと、「バカ真面目で損するかもしれない私」と「誰かに手を差し伸べてもらえるかもしれない誠実な私」をかたちづくることができるのだ。
もちろん「バカ真面目」という言葉にはそれなりに傷ついたものの、時間が経つにつれて、自分の性格をそう表現できるのかと感心してしまった。「誠実」という言葉には自分が大嫌いだった性格が、こんなにも素敵な響きを含むことができたのかと、希望をもらった。誠実だと言われた瞬間、一気に心が暖かくなっていく感じがした。嘘をつけない、律儀すぎる、バカ真面目、そんな自分もなんだかんだ愛嬌があって嫌いではない。しかし、誠実な人と表現された自分は誇りに思える、素敵な姿をした自分だった。新たな自分の存在に気づくことができた。自分を語るための言葉をプレゼントしてもらい、自分を語る。そうして、私はたくさんの自分に出会うことができるのだ。
人はそれぞれ違う環境で生きて、違う経験をしている。まったく同じ人なんてこの世には存在しない。だから、同じ出来事を全く同じ言葉を使って語る人なんていない。
たくさんの人と出会って喋る、たくさんの言葉を抱えて、私は家に帰る。その一言一言を大切に心に染み込ませていく。こうして、もらった言葉の数だけ自分がいると知る。
バカ真面目と言われて傷ついたと話したが、「バカ真面目な私」も「誠実な私」も私にとっては大切な自分である。自分は一人だけじゃない。私にはたくさんの自分が寄り添ってくれていることを知る。そして、まだ出会ったことのないたくさんの自分がきっといる。
さあ、今日はどんな私に出会えるのだろうか。