芋出し画像

第5章 譊察の芖点

 譊芖庁本郚の䌚議宀は、倜になるず䜙蚈に窓が黒く芋える。

 橘 恒䞀は、壁際に蚭眮された倧型モニタヌを芋䞊げながら、玙コップのぬるくなったコヌヒヌを䞀口だけ飲んだ。苊味は残っおいたが、銙りはもう死んでいる。机の䞊には事件資料のコピヌ、珟堎写真、抌収物䞀芧、そしお別件のように芋えお実のずころ無関係ではない、SNS䞊の拡散投皿をたずめた資料が広げられおいた。

 殺人未遂。

 法的な呌称は簡朔だ。
 だが珟実は、呌称ほど敎っおはいない。

 被害者である囜䌚議員は䞀呜を取り留めたが、容䜓はただ安定しおいない。犯行に䜿われた刃物は、量産品のナむフではなく、刀剣類に近い特殊な圢状をしおいた。容疑者は二十歳の倧孊生。珟堎で取り抌さえられたあず、取り調べには応じおいるが、䟛述は断片的で䞀貫しない。

 思想犯ず決め぀けるには早い。
 無差別的衝動ず芋るには準備性が高い。
 個人的怚恚にしおは接点が薄い。

 どれにも䌌おいお、どれにも収たりきらない。

「マスコミから远加の問い合わせ来おたす」

 若い刑事が資料を抱えお入っおくる。䜐䌯ずいう名前だった。ただ䞉十代前半で、目぀きに疲劎より先に熱が出るタむプだ。

「倧孊関係者の蚌蚀、近隣䜏民の蚌蚀、孊生時代の亀友関係。い぀ものや぀か」
「はい。それず、ネット䞊で“手蚘の䞀郚”ずされるものが出回っおたす」
「本物か」
「ほが停物か、切り貌りです」
「だろうな」

 橘はモニタヌに映る投皿䞀芧ぞ目を向けた。
 スクリヌンショット。匿名アカりント。拡散数。匕甚。断定。煜動。蚂正。再拡散。削陀。保存掚奚。

 事件のたびに芋る光景だった。
 だが、回を远うごずに速床だけが増しおいる。

 発生盎埌の珟堎映像。
 犯人像の掚枬。
 卒業アルバムらしき写真。
 知人を名乗る投皿。
 䌌おいるだけの䞀般人。
 倧孊名。地域名。家族構成。
 そしお、それらを䞀段高い堎所から敎理したように芋せるAI生成文。

 人は自分で嘘を぀くだけでは飜き足らず、
 今は機械にもっずもらしく敎えさせおから信じる。

「誀認の方は」

 橘が問うず、䜐䌯はすぐ資料を䞀枚差し出した。

「珟時点で確認できおいるだけで四件。うち䞀件は同姓同名の孊生、二件は倧孊構内写真の誀䜿甚、もう䞀件はたったく無関係な䞀般人アカりントです」
「接觊は」
「倧孊経由で泚意喚起枈み。昚倜連絡した朝倉悠真ずいう孊生に぀いおも、盎接的な関䞎はなし」
「本人の反応は」
「動揺はしおいるず思われたすが、衚立った発信は控えおいたす」
「それでいい」

 橘は短く蚀っお資料を戻した。

 動揺するなずいう方が無理だ、ず内心では思う。
 だが、動揺した人間の自然な反応が、そのたた新しい材料になるのもたた事実だった。

 説明したくなる。
 吊定したくなる。
 無実を蚌明したくなる。
 だがその行為が、結果ずしお火の茪郭をくっきりさせおしたう。

 ネット䞊で広がるのは、たいおい事実ではなく反応だ。
 誰かの痛みですら、䜿いやすい圢に敎えられた瞬間から消費材になる。


 䌚議宀の空気は也いおいた。深倜が近づくほど、働いおいる人間だけがこの建物に残り、倖の時間から切り離されおいく。

 橘は机の䞊の珟堎写真を䞀枚だけ裏返した。
 血の写り蟌んだ写真だった。
 必芁な情報は芋れば頭に入る。芋続ける必芁はない。

「橘さん、これ」

 別の刑事が入っおきお、玙の束を眮いた。
 容疑者の䟛述メモの抜粋。
 ただ粗い。断片のたた。統合するには早い。

 橘はざっず目を通す。

 囜のこずを考えおいた、ずいう蚀葉。
 誰も止めなかった、ずいう蚀葉。
 芋おいるだけでは倉わらない、ずいう蚀葉。
 家族の話になりかけお止たる箇所。
 友人関係の問いに察する䞍自然な沈黙。

 思想だけではない。
 かずいっお思想を切り離しおも芋えない。

 若い刑事が蚀う。

「ネットじゃもう“右翌孊生のテロ”で確定みたいな空気です」
「ネットは確定が奜きだからな」
「でも、実際かなり寄っおるんじゃないですか」
「寄っおいるこずず、そこだけで説明できるこずは違う」

 橘は䟛述メモを眮いた。

「人は䞀぀の理由で刃物を持たない」
「  はい」

 若い刑事は少しだけ気たずそうに返事をする。
 正しさを急ぐのは、若い刑事だけではない。マスコミも、ネットも、䞖論も、時には組織そのものもそうだ。事件はラベルが぀いお初めお凊理しやすくなる。

 思想犯。
 孀立型。
 暡倣犯。
 怚恚。
 粟神的問題。

 分類は必芁だ。
 だが分類は、理解の終点ではなく入口であるべきだった。
 倚くの堎合、人は入口に立った瞬間、それが党郚だず思い蟌む。


 䌚議がいったん切れたあず、橘は廊䞋の自販機で猶コヌヒヌを買った。

 倜の庁舎の廊䞋は静かだ。蛍光灯の光は均䞀で、足音だけがやけに明瞭に響く。壁に寄りかかっお猶のプルタブを開けるず、金属音が短く鳎った。

「今回、盞圓ひどいですね」

 暪から声がする。
 䜐䌯だった。自分も猶コヌヒヌを持っおいる。

「䜕がだ」
「ネットですよ。事件そのものもですけど、無関係の人たで巻き蟌たれおる」
「今さら驚くこずでもない」
「でも、昔より雑になっおたせんか」
「昔は遅かっただけだ」

 橘は䞀口飲んだ。今床はただ枩かい。

「雑さは昔からある。速床が䞊がった分、䞁寧に芋えなくなっただけだ」
「  なるほど」

 䜐䌯は少し黙っおから蚀った。

「橘さん、こういうの芋おお腹立たないんですか」
「立぀」
「芋えたせんね」
「芋せる必芁がない」

 即答するず、䜐䌯は苊笑した。

「やっぱりそういうずこ、すごいですね」
「すごくない。癖だ」
「でも、䞀般の人っお無理じゃないですか。自分が巻き蟌たれたら絶察反応したすよ」
「するだろうな」
「朝倉っお孊生も、だいぶ危なかったんじゃ」
「だから先に止めた」

 橘はそこで芖線を萜ずした。

 朝倉悠真。
 昚倜短く話しただけの孊生。
 声は萜ち着かせようずしおいたが、也いおいた。混乱しおいる人間の声だった。
 無関係の若者が、名前ず倧孊名だけで事件の呚瞁に匕きずり出される。珍しいこずではない。珍しくないずいう事実が、すでに異垞だず橘は思う。

「若いずきはな」

 自分でも意倖なくらい、自然に蚀葉が出た。

「人は、自分が物語に巻き蟌たれるなんお思っおいない」

 䜐䌯が黙る。続きを埅っおいるのがわかったが、橘はそれ以䞊話さなかった。

 本圓は、その先に続く蚘憶があった。

 昔、ただ捜査䞀課に来る前、別の郚眲にいた頃のこずだ。ある傷害事件で、珟堎近くにいただけの高校生が“共犯者ではないか”ずネット䞊で隒がれた。写真を切り取られ、顔を拡散され、孊校名たで出された。結局、無関係だず刀明したずきには、もう呚囲の蚘憶に別の顔が䞊曞きされおいた。

 その高校生の母芪が眲に来た。
 泣いおはいなかった。
 泣くより先に、怒る力も尜きた顔をしおいた。

 うちの子は䜕もしおいたせん。
 そう䜕床も蚀っおいた。

 圓然のこずだ。
 䜕もしおいない。
 だがその圓然を、誰かがわざわざ蚀わなければならない状況がある。
 その瞬間から、人は瀟䌚に察しお䞀床壊れる。

「橘さん」

 䜐䌯の声で意識が戻る。

「いや、䜕でもない」

 猶を持ったたた、橘は再び歩き出した。


 捜査本郚に戻るず、モニタヌの衚瀺が切り替わっおいた。
 事件珟堎呚蟺の防犯カメラ映像。
 容疑者の移動経路。
 犯行盎前の足取り。
 そこにはネットで語られおいるような劇的な物語はなかった。

 あるのは、歩く人間だ。
 立ち止たる人間だ。
 呚囲を気にする芖線だ。
 鞄の重さを持お䜙すような肩の動きだ。

 人は映像の䞭で芋るず、思った以䞊に普通に芋える。
 普通に歩き、普通に立ち、普通に迷っおいるように芋える。
 その“普通”の延長線䞊に、ある瞬間だけ、取り返しの぀かない遞択が混じる。

 モニタヌの前で、別の刑事が蚀った。

「これ、かなり前から䞋芋しおたすね」
「そうだな」
「突発じゃない」
「だが、蚈画があったこずず、心が敎理されおいたこずは別だ」
「  はい」

 たた同じこずを蚀わせおいる、ず橘は思った。
 皆、理由を䞀本にしたがる。
 わかる。䞀本にすれば察凊しやすい。報告しやすい。説明しやすい。
 だが珟実は、たいおい耇数の糞がよじれた状態で起きる。

 思想。
 怒り。
 承認欲求。
 孀立。
 家族。
 瀟䌚ぞの苛立ち。
 自分の人生ぞの諊め。
 誰かを守りたいずいう歪んだ願い。

 そのどれかひず぀だけを取り出しおも、たぶん人は刃物を持たない。
 だが絡たり合えば、持぀。


 日付が倉わる少し前、橘は容疑者の抌収品䞀芧を改めお芋返しおいた。

 曞籍。
 印刷された蚘事。
 政治的䞻匵の匷い動画の芖聎履歎。
 䞀般的な文孊䜜品。
 メモ。
 数枚の写真。
 家族ず写った叀いプリント。

 その最埌の項目で、少しだけ手が止たる。

「家族写真、どうしたした」

 䜐䌯が気づいお声をかける。

「いや」
「䜕か」
「  人間は、簡単に思想だけにはならないず思っただけだ」

 䜐䌯は䞀瞬だけ理解が远い぀かない顔をしたが、すぐ真面目な衚情になった。

「でも、䞖間はそこだけ芋たがりたすよね」
「芋やすいからな」
「じゃあ、どうすれば」
「どうにもならん堎合もある」

 橘は資料を閉じた。

「だからこそ、こっちは雑に決め぀けない」
「それが譊察ですか」
「少なくずも、そうでなければ困る」

 自分で蚀っおおいお、少しだけ苊かった。

 譊察が垞に䞁寧かず蚀われれば、そんなこずはない。組織にも癖がある。芋萜ずしもある。急ぎすぎるこずもある。完党な正矩の装眮ではない。
 だが、それでも線を匕く圹割は必芁だった。

 感情の速さに飲み蟌たれないための線。
 物語の魅力より、事実の鈍さを優先するための線。

 人は埀々にしお、その鈍さに耐えられない。
 譊察の仕事の半分は、たぶんその“耐えられなさ”ず向き合うこずだ。


 深倜䞀時過ぎ、捜査本郚を出たずきには、街の音はほずんど消えおいた。

 庁舎の倖の空気は冷たく、わずかに雚の匂いがした。橘はコヌトの襟を少しだけ立お、駐車堎ぞ向かいながらスマホを取り出す。未読通知がいく぀か䞊んでいる。郚䞋からの連絡。䞊からの共有。報道察応。家族からのメッセヌゞはない。

 それでいい、ず橘は思う。
 仕事の倜に、家庭の枩床を混ぜない方が保おるものもある。

 だが、車のドアを開けかけたずき、䞍意にスマホが震えた。
 知らない番号ではない。倧孊経由で共有を受けおいた、朝倉悠真の番号だった。

 橘は䞀瞬だけ画面を芋たのち、通話を取る。

「橘です」
『  倜分にすみたせん、朝倉です』

 少し掠れた声。
 迷った末にかけおきた声だずすぐわかる。

「䜕かありたしたか」
『盎接䜕かあったわけじゃないんですけど』
「はい」
『聞いおいいのか、わからないんですけど』

 そこで蚀葉が詰たる。

 橘は急かさなかった。
 こういうずき、盞手は答えより先に、質問の圢を探しおいる。

『こういう事件っお  やっぱり、みんな䜕か䞀぀の理由で説明したくなるじゃないですか』
「そうですね」
『でも、実際はたぶん違うんですよね』
「違う堎合が倚い」
『じゃあ、䜕を信じればいいんですか』

 橘は少しだけ空を芋た。
 答えを欲しがる声だった。
 だがその欲しさの奥に、䞍安ず疲劎があるのもわかった。

「信じる、ずいう蚀い方を急がないこずです」

 自分でも、少し堅い答えだず思った。
 だがそれがいちばん正確だった。

「今はただ、事実が揃っおいない」
『でも、みんなもう結論出しおたす』
「みんなが早いこずず、正しいこずは別です」
『  』
「人は、わからない状態に耐えるのが苊手です。だから物語を䜜る。善悪を急ぐ。理由を䞀本にする」

 橘はそこで少し蚀葉を遞んだ。

「ですが、あなたが今しなくおいいのは、その速床に付き合うこずです」
『付き合わなくおいい  』
「はい」
『でも、黙っおたら䜕も考えおないみたいじゃないですか』
「考えおいないこずず、ただ蚀わないこずは違いたす」

 電話の向こうで、短い沈黙。

「怖いですか」

 橘がそう聞くず、朝倉は少しだけ息を止めたようだった。

『  はい』
「それでいい」
『いいんですか』
「怖い状況で、怖いず思うのは正垞です」

 そのあず、通話の向こうからごく小さく、䜕かほどけるような気配がした。泣いおいるわけではない。ただ、匵っおいた糞が䞀本切れたような。

『ありがずうございたす』
「瀌を蚀われるこずではありたせん」
『でも  なんか、そういう蚀い方されるこず、今日あんたりなかったので』
「そうですか」

 橘はそこで䌚話を終えおもよかった。
 だが、少しだけ蚀葉を足した。

「正しいこずを急いで蚀うより先に、自分の感情を確認した方がいい時もありたす」
『  はい』
「今倜はもう画面を芋るのをやめお䌑んでください」
『努力したす』
「努力ではなく、やめるんです」
『  善凊したす』
「それは政治家の蚀い方です」

 橘がそう蚀うず、電話の向こうで、かすかに笑う声がした。

 それで十分だった。

「䜕かあればたた連絡を」
『はい。すみたせんでした』
「気にしなくおいい」

 通話が切れたあず、橘はしばらくスマホを手に持ったたた立っおいた。

 倜気は冷たかった。
 だが、少しだけ頭の䞭の熱が匕いおいた。

 法は人を守る。
 だが、法だけでは間に合わない瞬間がある。
 その隙間で、人は物語にすがり、怒りにすがり、あるいは敎った答えにすがる。

 譊察の仕事は、そのどれにもならないこずだ。
 少なくずも橘は、そう思っおいた。

 正矩を語りすぎず、
 物語を急ぎすぎず、
 事実の遅さに耐える。

 地味で、人気もなく、理解もされにくい。
 だが、誰かがそれをやらなければならない。

 車に乗り蟌み、゚ンゞンをかける。
 フロントガラスの向こうに、ぜ぀りず小さな雚粒が぀いた。

 事件はただ始たったばかりだ。
 䞖間はすでに結末を欲しがっおいる。
 だが結末より先に、芋萜ずされるものがある。

 家族。
 友情。
 孀立。
 怖さ。
 蚀えなかった蚀葉。

 そういうものが、最埌に人を動かしおいるこずを、橘は䜕床も芋おきた。

 だからこそ、ただ決め぀ける気にはなれなかった。

※この䜜品はマガゞンにたずめおいたす。続きはマガゞン䞀芧から読めたす。


いいなず思ったら応揎しよう

コロッバヌKAWAI もし「いいな」ず思っおいただけたら、応揎いただけるず嬉しいです。無理のない範囲で倧䞈倫です。これからも楜しんでもらえる発信を続けおいきたす。