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教わらなかった世界を歩く|こころの在処

私はある日、自分の心がどこにあるかわからなくなった。


良い人であること。

空気を読むこと。

誰かの期待に応えること。


そんな風に周りに合わせて生きることが当たり前で、
それが自分なのだと思っていた。

でも、長い時間の中で
少しずつ 少しずつ
違和感が積もっていたのかもしれない。


周りに合わせることをやめて、
本当に自分が望むことはなんだろうと考えた。

そうして初めて、
それまで選んできたものの多くは、
自分の望みではなかったのだと気がついた。


じゃあ、私は本当はどうしたいんだろう。

そう考えても、自分の気持ちがわからなかった。


周りに合わせることも、自分で選んでそうした。

そうするのが正解だと思っていた。

でもそうじゃなくて、
周りという基準をなくした上で
どうしたいと思うかを考えないといけない。

それがとてつもない難題のように感じた。


こんなことを考えるのは自分だけかと思っていた。

でも、noteを始めてみて、
同じように迷ってる人がたくさんいることを知った。

「自分だけじゃなかった」という安心感と
この迷いの出口を探したいという気持ちが動き始めた。


もちろん、人生は人それぞれだし、
似たような気持ちがあっても、同じことはないと思う。

それでも少しだけ、
因果関係のようなものを考えていた。


それは、子供の頃に教わったこと

みんなと同じようにしなさい。
迷惑をかけないようにしなさい。
人に親切になりなさい。

どれも、周りに合わせることだった。


最近の教育は違う。

人に合わせる前に、
「自分の気持ちを大切にしましょう」
という考え方を耳にすることが増えた。

その上で周りのことも考えましょう。と。


私が育った環境では、
「自分の気持ちを大切にしましょう」は教わらなかった。

自分の気持ちを優先する人は
「わがまま」と言われた。

どちらかというと、
「自分の気持ちを優先してはいけない」
という空気だったと思う。


でも時代が変わって、社会の空気も変わった。


変わり始めた時代で
必要のなくなった古い概念を抱えたまま

置き去りにされた心を探している。


子供の頃に持たされた
社会を歩くための地図が、
別の世界のものになってしまったようだと感じる。

だから迷子になっているのかもしれない。

それは
能力とか、性格の問題じゃなくて、
今の世界を歩くための地図を
まだ持っていないということなのかもしれない。


大人になった私は、
地図のない世界で
どこかにある自分の心を見つける旅をしている。

そんな感覚を覚えた。


時代は変わっても
成長過程で植え付けられた概念は消えない。

それが正解ではないと理解しても、
これまで正解として生きてきたものに抗うことは
簡単に頭で切り替えられるものではないのだ。


だから、
自分の気持ちがわからないことは
悪いことではないんだと思う。

教わらなかったことを
自分の手で探している最中だと考えるようになった。


私はこれからも
自分の心を探して旅をする。

そこで出会ったもの
感じたこと
学んだこと

その一つひとつが、
新しい地図になって
こころの在処を教えてくれるのかもしれない。



「ちび創作大賞」

カケルンさんのブーステーマ「こころの在処」に
参加させていただきました🍀


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