エッセイ 「檻」から追放された私
始めに
病気になって仕事を解雇されてかなり経つ。人間過去の事を思い出そうとすると嫌な事ばかり思い出してしまう物だ。だから敢えて良かったことを書こうと思う。
仕事と言う強制的な檻から追い出されて、気づいた事として最初はやはり失望感が強かった。焦りも酷かった。それでも何か収入を得ようと思ったとき、自分ができる事は創作くらいしかなかった。
未知の力
極限まで追い込まれていた私はゲームを作ろうとした。しかし、私にはストーリーを描くという事が出来ない。システムを考える事はできても、お話が思いつかないのだ。そこで、少しやり方を変えてみようと思った。
世界を先に作ったらどうなるか?つまり、TRPGにおける世界観の方を先に作ったとき何か見えてくるものはないだろうかと。そして、世界の始まりを考えて、書き始めた瞬間に奇跡が起きた。
僅か2日で世界の歴史を一気に書き上げていたのだ。世界の動きが勝手に映像として降りて来る、それを自分で受け止めて、なるべく簡単な単語で書き留めていく作業。途中で映像が途切れた時を見計らって、その単語を言葉へと変換していく。もはや無心だった。
書き上げた後、私が気付いたことは、世界を作れるという事だった。自分でもできるかどうか分からない事が出来てしまったのだ。驚愕と同時に達成感が込み上げてきた。
過去の努力
20年前に絵を描いていたことはある。当時最新鋭の液晶タブレットを購入して描いていた。しかし、当時の液晶タブレットは排熱が酷く、手に水泡が出来てしまった。治まってから描いたが、やはりまた水泡が出来てしまった。そんな訳で絵を描くのをやめてしまっていた。
ゲーム作りに絵は欠かせない。そこで私は再び絵を描く事にした。20年ぶりだ。果たして描けるのか?半信半疑のままソフトと中古の液晶タブレットを購入し、書き始めた。不思議な事に、体が憶えていた。ソフトのお陰もあるだろうが、当時よりも上手く描けた。まぁ、古い絵柄なのだが。
何枚か描くうちに誰かに見てもらいたくなった。そこで、ディスコードに絵をアップしてみた。すると、嬉しい事に反応があった。何よりも嬉しかったのは、当時なかった技術を教えてくれる方が現れた事だ。私は教えてもらえることに感謝しながら、技術を学んだ。それらを基礎にしながら、今はYoutubeの水彩画の先生の書き方を見ながら修行している。技術の上達よりも自分が表現したいものを表現できるようになりつつあることが何よりも嬉しい。
盲目だった自分
某SNSを利用しているが、最近はタイムラインが時系列順で無くなったこともあり、もはや情報の乱流に晒されている状態だ。そんな濁流を見ていると、何故か小川の静かな水の流れを恋しく思うようになった。その中で気付いたのは、自分にはこのような濁流よりも、もっと落ち着いたスローライフの方が合っているのではないかと言う事だ。仕事をしているときは効率と成果に追われ、最短で最高のパフォーマンスを求め続けられていた。むしろそれを自分で自分にそれを課していた感さえある。しかし、仕事と言う檻から追放された今の私はその暗示を外すことができる。その暗示を外した時、人間そこまで急がなくてもいいのだと、むしろ些細な部分よりももっと大きな部分さえ把握していれば問題なく、それよりももっとゆったりと生きる事の方が自分としては大切に思えるようになった。
結び
知らなかった自分の能力、過去の自分の努力、見えなかった現実を認識したとき、檻を追放されたことをむしろ喜ばしい事のように思えてきた。収入の面で確かに不安や絶望はある。しかし、それでも今この瞬間を大切にしたいと思う。人生で今このときはこの瞬間にしか感じられないのだから。