「知っている」と「見えている」は違う――医師として本質をつかむということ
手術書どおりにいかない
外科医になったばかりの頃、私はさまざまな手術書を読んでいました。
手術には手順があります。
ここを剥離して、この血管を処理して、次にここを切って、最後に再建する。若い頃は、その順番を正確に覚えることが大切だと思っていました。
1をやって、2をやって、3をやって、4をやって、5をやる。
ところが、実際に自分で手術をしてみると、なかなか本の通りにはいきません。
人間の身体は、ほとんどの構造が共通しています。胃があり、肝臓があり、小腸があり、大腸がある。血管や神経の走り方にも一定の原則があります。
それでも、お腹を開けたときの景色は毎回違って見えます。
太っている人もいれば、痩せている人もいる。腸の長さも違えば、臓器の大きさも少しずつ違う。炎症や過去の手術による癒着があれば、なおさらです。
若い頃は、その「違い」のほうが先に目に入ります。
手術書ではこうだったのに、今日は違う。
先輩の手術では簡単そうだったのに、自分がやると同じ場所が見つからない。
そんなとき、指導医に「ここをこう展開してみな」と言われる。組織を少し持ち上げ、角度を変え、もう一度見る。
「ほら、同じだろう」
そう言われて初めて、形が違って見えていただけで、その奥にある構造は同じなのだと分かります。
「知っている」と「見えている」は違う
今振り返ると、若い頃に足りなかったのは知識そのものだけではなかったのだと思います。
もちろん知らないことは山ほどありましたが、手術書を読めば手順は書いてあるし、解剖の図も頭には入っている。それでも実際の手術では迷う。
つまり、「知っている」と「見えている」は違う。
知識は一つひとつの点として増えていきますが、経験を積むうちに、その点と点の間につながりができてくる。
すると、目の前の状況が多少変わっても、どこを押さえればよいのかが分かるようになります。
外科医として10数年ほど働いてきて、最近になって思うことがあります。
経験を積むというのは、珍しい症例をたくさん覚えることではなく、違って見えるものの中にある「共通部分」を見つけられるようになることなのではないか。
私は、それを本質をつかむということだと思っています。
本質が分かると、手順を変えられる
解剖の原則が分かっていれば、多少見た目が違っても迷いにくくなります。
そして、それが分かってくると、今度は手術書の順番そのものに縛られなくなります。
若い頃は、
1→2→3→4→5
と進めることが正しい手術だと思っていました。
しかし、例えば手術の目的が「がんを安全に取り切ること」なら、症例によっては1→3→2→4→5のほうが合理的かもしれない。
先に別の操作を済ませたほうが、安全にゴールへ近づけることもあります。
もちろん、基本を知らなければそんなことはできません。
ただ、手順を覚えているだけでもできません。
「なぜこの操作をするのか」
「この手術の最終的な目的は何なのか」
そこまで理解して初めて、手段を入れ替えることができます。
オーダーメイド医療も、結局は同じこと
これは手術に限った話ではないと思います。
医療では、患者さん本位の医療をテーラーメイド医療やオーダーメイド医療と称したりします。
しかし私には、それはそれほど特別な概念には思えません。
結局は、その患者さんにとって何がゴールなのかを考えることです。
病気を治すことなのか。
寿命を延ばすことなのか。
苦痛を減らすことなのか。
自宅での生活を続けることなのか。
同じ病気で、同じ年齢で、似たような検査値だったとしても、目指すところが違えば、選ぶ治療も変わります。
医療の難しさは、教科書どおりの患者さんがほとんどいないことにもあります。
高齢でいくつもの病気を抱えている人もいれば、医学的には理想的な治療でも、生活上は現実的ではないこともある。本人の希望と家族の希望が一致しないことさえあります。
だから、正しい知識を持っているだけでは十分ではありません。
その知識を、目の前にいる一人の人間の状況に合わせて組み直す必要があります。
ゴールを見定め、そこへ向かう方法をその人に合わせて選ぶ。
私にとっては、これも手術とよく似ています。
Evidenceだけでは届かないところ
EBMという言葉があります。
一般にはEvidence-Based Medicine、根拠に基づく医療という意味です。
一方で、昔読んだ本の中で「Experience-Based Medicine」という表現を目にしたことがあります。もともとEBMの発祥の地、英国での考え方で、経験も含めて医療を考える、という文脈だったと記憶しています。
当時、その言葉が妙に印象に残りました。
論文を読み、ガイドラインを読み、医学知識を集める。これはもちろん必要です。
しかし、知識があることと、目の前の患者さんにその知識をどう使うかは別の話です。
何を選び、何を組み合わせ、何をあえてしないのか。
そこには経験が必要になります。
そして経験とは、単に「以前こういう患者を診た」という記憶の数ではなく、たくさんの患者を診る中で、何が本当に大事なのかを見抜く力なのだと思います。
ただし、これは経験の長い医師なら自動的にできるという話でもありません。
経験年数が増えるほど、自分のやり方に固執してしまう危険もあります。
だからこそ、経験は「正解の蓄積」ではなく、「本質を問い直す材料」として持っていたい。
新しい知識や他人の考え方に触れ続けることも、そのために必要なのだと思います。
AIが知識を持つ時代に、医師は何をするのか
そして、ここでAIの話につながります。
AIはこれからさらに進化していくでしょう。
医学知識の量だけで比べれば、人間がAIにかなわなくなるのは自然なことだと思います。
膨大な論文を短時間で整理し、試験問題に答え、必要な情報を瞬時に引き出す。
そういう能力では、すでに人間を上回る場面が増えています。
私は、それでいいと思っています。
人間が覚えきれない知識をAIが持っていてくれるなら、使えばいい。
調べるのに何十分もかかっていたことを数秒で整理してくれるなら、任せればいい。
ただ、その知識を目の前の人にどう当てはめるかは、また別の仕事です。
患者さんの話を聞き、表情を見て、生活を知り、家族との関係を知る。
そのうえで、この人にとって何が大切なのかを考える。
そして膨大な選択肢の中から、その人に合う道を選び、
「あなたの場合は、こうしていきましょう」
と語りかける。
少なくとも今の私は、そこに医師の、人間の役割が残り続けると思っています。
AIがEvidenceを集めてくれる時代だからこそ、人間はExperienceをどう積み重ねるのか。
そして、複雑なものの中から何が大切なのかをどう見つけるのか。
そこが、これからますます重要になるのではないでしょうか。
まだまだ道半ばだからこそ
とはいえ、こんなことを書いている私自身、医師になってたった15年です。
医師としても、外科医としても、まだまだ若造です。
「本質をつかむ」などと言いながら、本当にどこまで見えているのかと問われれば、まだまだ道半ばだと思っています。
だからこそ、これからもいろいろなことに挑戦したいと思います。
医療だけでなく、新しい技術に触れることも、AIを使うことも、これまで経験してこなかった世界を見ることも、その一つです。
違うものをたくさん見ていると、逆にそこに共通するものが見えてくることがあります。
知識を増やし、経験を増やし、その中から何が本当に大切なのかを考え続ける。
私はまだその途中です。
だからこそこれからも、本質をつかむために、さまざまなことに挑戦していきたいと思うのです。
医療 × AI × テクノロジーについて、現場から考えています。
Healing-care Design Works合同会社
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