
あの日の前に見た海|松島の話
MOON side episode|旅の途中 No.16
宮城県|松島町
人は、
未来を知らないから、
目の前の景色を
穏やかだと思えるのかもしれない。
その時の私は、
まだ何も知らずに海を見ていた。
松島湾には、
大小さまざまな島々が
静かに浮かんでいる。
松の生えた岩島。
穏やかな海。
ゆっくり進む遊覧船。
船のあとを追いかけるように、
何羽ものカモメが
風に乗って旋回していた。
紙カップのコーヒーを片手に、
潮の香りが漂う海沿いを歩く。
頬を撫でる風は少し冷たく、
波の音だけが
静かに耳へ届いていた。
◇
観光客たちは、
それぞれの場所で足を止めていた。
年配の夫婦は、
肩を並べて海を眺めている。
女性が
沖に浮かぶ島を指差すと、
男性は
目を細めながら静かに頷いた。
小さな子どもは、
遊覧船へ
何度も手を振っている。
外国人観光客は、
カメラの角度を変えながら、
同じ景色を
何枚も写真に収めていた。
ベンチでは、
缶コーヒーを飲みながら
海を眺める男性。
遊歩道では、
笑いながら歩く若い二人。
誰も島の数を数えてはいなかった。
それでも、
誰もがこの景色を、
それぞれの記憶に
残そうとしているように見えた。
◇
穏やかな景色ほど、
あとから何度も思い出す。
日本三景。
その名前は知っていた。
でも、
実際に立ってみると、
そこは景色を見る場所ではなく、
時間の流れを感じる場所だった。
波は静かに岸へ寄せる。
カモメが鳴く。
遊覧船がゆっくり湾を横切る。
紙カップから
立ち上る湯気は、
海風にほどけ、
空へ溶けていった。
その一週間後に、
この海の見え方が
大きく変わることを、
当時の私はまだ知らなかった。
◇
遊覧船が港へ戻ってくる。
手を振る子ども。
笑顔でシャッターを切る観光客。
土産物店へ向かう人たち。
どこにでもある、
穏やかな午後だった。
だからこそ、
その景色は今でも、
静かに記憶の中へ残っている。
◇
紙カップのコーヒーは、
いつの間にか冷めていた。
松島湾には、
今日も
大小さまざまな
島々が浮かんでいる。
宮城県松島町。
あの日の前に見た海。
そこには、
まだ何も知らない人たちがいて、
何も知らずに
笑い合う時間が流れていた。
景色は変わることがある。
けれど、
あの日見た穏やかな海だけは、
今も私の記憶の中で、
静かに波を打ち続けている。
了
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