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完成しないまま歩き続ける人間たち――青島、六太、後藤、ヤン。その先に見えてきたもの

    これまで、かなり好き勝手に作品について書いてきました。

    『踊る大捜査線』の青島俊作。
    『宇宙兄弟』の南波六太。
    『パトレイバー』の後藤喜一。
    『銀河英雄伝説』のヤン・ウェンリー。

    考えてみれば、ずいぶんバラバラです。

    警察ドラマ、宇宙漫画、ロボットアニメ、スペースオペラ。

    最初から、これらを一つのテーマとして書いていたわけでもありません。

    それぞれの作品について、そのとき気になったことを書いていただけです。

    ところが、記事が増えていくにつれて、どうも自分が同じような人間ばかり見ているらしいことに気付きました。

    彼らは、完成された英雄ではありません。

    失敗する。
    迷う。
    判断を間違える。
    誰かに助けられる。
    ときには、自分が正しいと思っていたことを修正する。
    それでも、そこで終わらない。
    また現場に戻る。
    また一歩進む。
    そして、自分一人で全部を背負うのではなく、次の人間へ何かを渡していく。

    私は、どうやらそういう人間たちをずっと見てきたようです。

    この記事では、これまで個別に書いてきた記事を、そのまま再録するのではなく、一度ばらして組み直します。

    青島と六太と後藤とヤン。

    なぜ、この四人を同じ場所に置いて考えることができるのか。

    ところが、記事が増えていくにつれて、どうも自分が同じような人間ばかり見ているらしいことに気付きました。

    「では、なぜこの4人なのか?」

    この4人を並べてみて、初めて見えてきたものがある。

    そして、その先に何が見えてくるのか。

    ここから先は、これまでの記事を読んできた方にも、初めて読む方にも向けた「答え合わせ」です。


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    IT視点で、物語や映像に潜む「構造」と「人間」を読み解く。 『踊る大捜査線』を起点に、作品から現場・社会へつながる“なぜ”を考察。 完成した答えではなく、考え続けるための言葉を、“ことこと”と積み重ねます。

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