
短編小説『ロング・サマー・バケーション』
10代最後の夏が訪れていた。畳張りの狭い四畳の部屋で、僕は大の字で寝そべっていた。冷房をつけるほど暑くはないが、それでもじっとしていないと汗が滲むぐらいには、夏だった。空気はじっとりと澱んでいた。流れない空気は澱む。人間がいると余計に。窓を開け放してはあるが、風が吹かないせいかあるいは窓がガレージの裏にあるせいか、部屋の中の空気はちっとも動かなかった。
19歳。夏が終われば20歳。たかが一歳変わるだけ。いつもと変わらない誕生日だ。それでも、10年間守り続けていた十の位が変わるということは、何だか意味がありそうに思えた。
ふと視線を横に向けると、飲みかけのペットボトルが何本も転がっていた。昨日飲んだミルクティーのペットボトルと、一昨日飲みきれなかったコーラのペットボトル。それから2リットルの水のペットボトルが数本と、いつのものかもわからないペットボトルが沢山。窓から差し込む微かな光に照らされて、ペットボトルの水面が輝き、その上空では埃が宙に映し出されていた。気がつくまでは全くそこに存在しないのに、なぜ一度目につくと気になって仕方ないのだろうか。
窓の方に目をやると、ガレージの天板に遮られて空は見えなかった。それでも今日が曇りだということは分かった。その明るさと、室温と、空気の粘り気だけでおおよその天気というのは伝わるものだ。雨が降らないといいが。雨は嫌いじゃないし、むしろ好きな部類だと思う。それでもやっぱり雨が降りそうな空を見ると、降らないで欲しいと思ってしまう。これは人間の性じゃないかなと思ったが、ふと大昔の雨乞いをしている人の姿が浮かんできて、そうではないのかもしれないとも思った。人間の性なんてものは簡単に変わる。そう呟いた言葉は、漂う暇すらなく部屋の隅っこに吸い込まれて行った。
しばらくそうしていると、自分の腹が減っていることに気がついた。そういえば今日はまだ何も食べていない。最悪食べなくてもいいかとも思ったが、やはり空腹には勝てなかった。僕はキッチンに向かい、冷蔵庫を漁った。冷蔵庫には昨日の残りのハンバーグが二つラップされてあった。一つ取り出し、電子レンジで温める。炊飯器で保温されている白米をよそって、それからインスタントの味噌汁を作って食事を済ませた。
時刻は13時を回っていた。何もする気は起きなかった。それでも歯磨きはきちんと済ませた。何があっても1日に2回の歯磨きと、風呂に入ることは僕の中では変わらなかった。歯磨きは夜と、任意の時間に一回ずつ。風呂は基本的に夜。友人と昼間に銭湯に行った時はその限りじゃないが。
腹を満たして、歯を磨いても何もやる気が起きなかった。僕は大人しく畳の部屋に戻ることにした。気がつくと僕はまたさっきと同じように畳の部屋で寝そべった。そのままうんと長い時間寝そべっていたら、突然体が飛び跳ねた。どうやらうたた寝をしていたようだ。
窓に目をやると、外は既に暗くなっていた。窓から、名前のよくわからない虫の鳴き声が聞こえた。耳を澄ませてみても、虫の鳴き声の他に音は何ひとつ聴こえてこなかった。もうこのまま眠ってしまおう。そう思って再び目を瞑ったが、部屋がやけにひんやりとしていることに気がついた。このまま眠ったら風邪をひいてしまうだろう。窓を閉めようと上半身を起こし、手をめいっぱい伸ばした。それでも届かなかったので、体を少し引きずって窓際に近づいた。そうして手を伸ばすと、ようやく窓に手が届いた。
ひんやりとした鉄の感触が指先に伝わった。僕は力を込める。その瞬間。ふわりと風が立った。風は僕の手を伝い、髪を揺らし、最後に優しく頬を撫でた。僕はそっと窓から手を離し、再び畳に寝転んだ。目を閉じる。そして、めいっぱい息を吸った。風はもう、すこしも吹かなかった。部屋には、湿った夏草の匂いが漂っていた。