
右脳で読み解く戦争――天と地はなぜ争うのか
中東で紛争が起こると、旧約聖書の解釈や国家間の事情が、メディアで繰り返し解説されます。
しかし、歴史・政治・経済が複雑に絡み合う説明を聞けば聞くほど、解決の遠さに気持ちが沈んでいくのも事実です。
この難解な現実も、右脳的に捉えることで、ひとつのシンプルな構図として見えてきます。
中東の民族衣装は、白と黒に大別されます。
イスラエルとイランの対立を象徴的に見れば、それは「天」と「地」のせめぎ合いとも捉えられるでしょう。
世界四大宗教(キリスト教・イスラム教・仏教・ヒンドゥー教)を俯瞰すると、この構図はその成り立ちにも表れています。
天啓を基盤とするキリスト教・イスラム教は「天」の思想。
一方、仏教やヒンドゥー教は、人や自然の内側から立ち上がる「地」の思想と見ることもできます。
黒い民族衣装のイランは、途中で火を祀るゾロアスター教に影響されたイスラム教ですから「地」のエネルギーです。
ゆえに、地下施設を作って抗っています。
このように眺めると、対立の背景には「天」と「地」という異なる原理の緊張関係が浮かび上がります。
完全であるはずの神が、なぜ争うのか――。
それは、神をエネルギーとして捉えたとき、異なる方向性を持つ働きとして理解できるかもしれません。
天は外へと広がる支配の力、地は内に集約する保身の力。
保身の力が内に集約すると、「核」ができます。
イランの核開発は、地の神の「核」の現れです。
言い換えれば、支配し制圧しようとする男性性のイスラエル・アメリカに抵抗する女性性のエネルギー、イランは、ますます危険な国になっていきます。
しかし、異質なもの同士がぶつかる対立の現象は、陰陽の二極が調和へ向かう過程でもあります。
陰陽二極を結ぶのは、中性子の心。
中性子の心が、日本神話にも見られる黄泉平坂の岩戸開きです。
黄泉平坂で決別したイザナギとイザナミの物語は、対立と分離の象徴です。
しかし同時に、日本文化には、その分離を超えて調和へと向かう精神が育まれてきました。
歴史を見ても同様です。
源氏と平氏の争いは、山と海という異なる性質のぶつかり合いとも捉えられます。
そして、その陰陽を結ぶ象徴として、鶴岡八幡宮の源平池があります。
鶴岡八幡宮の源平池には、源氏の繁栄を願って三つの島を、平家の滅亡を願って「四島=死島」が作られています。
四島を四国へと視野を広げれば、剣山には、古代イスラエルの十支族が渡来し、「契約の箱(アーク)」の封印説や、安徳天皇の生存伝承など、古代ロマンのミステリーが語り継がれています。
四国に伝わる古代伝承や巡礼文化は、異なる文化や信仰を結びつける手法と捉えることができます。
四国巡礼においてメビウスの循環、「つなぐ力」の波動を起こして、世界に拡大するモデルと考えられます。
四国で創造したメビウスの循環の波動が、世界に広がれば、天と地を繋ぐ力になります。
日本から世界を変えることができます。
右脳とは、知識を否定するものではなく、それをつなぎ直す力です。
神話や伝承、歴史の断片を架け橋にすることで、分断された世界に新たな意味を見出し、日本から戦争を終結させる波動を起こすことができます。
もし私たちが、対立を「排除すべきもの」ではなく「調和へ向かう途中の姿」として捉え直すことができたなら――。
そこに、争いを超える視点が生まれます。
国境や利害によって分断された世界であっても、意識の次元では、人はすでにつながっています。
認め合い、許し合うという内面の変化こそが、外側の現実を変える力になるはずです。
左脳的な合理性が行き詰まりを見せる今、想像力や感性といった右脳の働きが、新しい道を照らします。
日本には、その精神を端的に表した言葉があります。
力をも入れずして天地を動かし
目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、
男女の仲をも和らげ
猛き武士の心をも慰むるは――歌なり。
それが、ことばの力であり、和の心です。